五章 VS蛇蝎の魔王軍(7)
視界が黒く染まる。
これ、全部リーゼの黒炎かよ。大丈夫なのか? こんな規模の技を使ったりしたら、味方まで焼いてしまうんじゃ……?
「キヒッ、これは意外だなぁ。〝魔帝〟ちゃん、一応ボクも仲間だと思ってくれてるみたいだね」
黒炎を思っくそ浴びているゼクンドゥムは、平気そうだな。これほどの大技でも制御できたのなら最初からやってれば……いや、今、できるようになったんだ。今回の戦いで何度も練習したから。
「だけど、サソリのお兄さんはきつそうだね」
ゼクンドゥムが流し目を送った先では、黒炎に焼かれて悶えるフィア・ザ・スコルピの姿があった。
「ぐぉおおおぉおおぉおおあぁおぁあああおおおぉぉぉおあぁああああぁッッッ!?」
壮絶な悲鳴だ。ゼクンドゥムの消滅球の時よりも効いている気がする。だが、流石に魔王がこんな流れ弾みたいな展開で敗れるとは思っちゃいない。
黒炎が消えた時、フィア・ザ・スコルピはまたも脱皮で炭化した外皮だけを分離させていたよ。一応無傷だが、ガクリと膝をついたぞ。息もかなり上がっている。
「おやおや、やっぱり脱皮による緊急回避は相当体力が消耗されるみたいだね。ここでボクがトドメを刺そうとしても、また同じことができる?」
「ぜぇ……ぜぇ……てめえ、ぶっ殺してやるよぉ!」
蛇蝎剣がうねる。ゼクンドゥムは白布を重ねることで防御したが、その凄まじい膂力に弾き飛ばされてしまったぞ。おい、大丈夫か!?
瓦礫にぶつかる前に白布をクッションにして停止したゼクンドゥムは、チラリと俺の方を見る。それからちょいちょいと上空を指差した。そうか、今の黒炎で蜘蛛糸が焼き切れたなら!
俺は意識を上に向ける。
そこには……なんだアレは? 巨大な繭みたいなものができ上っているぞ。ところどころ黒炎が引火しているけど、大きすぎて燃え尽きるまでには至っていない。
誘波とラトロデクツスは、この繭の中だ。
そこは蜘蛛の糸が至るところに張り巡らされた、もはや異空間とも呼べそうな場所だった。
見渡す限り白い糸の世界に磔にされていた誘波が――ビュオッと。風刃を操って自分を解放する。
「あらあら、もう人質はいませんねぇ。反撃してもよろしいでしょうか?」
十二単に絡まった糸を払う誘波は、少し顔が青いな。傷がないから暴力は受けてなさそうだが、だいぶ生命力を吸われていそうだ。
「……よくも、やってくれましたわね」
蜘蛛女――ラトロデクツスは悔しそうにギリギリと歯噛みしているよ。それでもずいぶんと生命力を吸い取ったみたいだな。感じる魔力がさっきとは桁違いだ。
「ですが、うふふ、時すでに遅しですわ。あなたのお仲間からいただいた生命力で、わたくしの力は何倍にも膨れ上がっていますわ。今や魔王様にも匹敵するわたくしに、あなたが勝てる道理などございませんわ!」
四方八方から誘波に襲いかかる糸の束。力が魔王級になっただけじゃない。繭の中はラトロデクツスのテリトリーだ。
「おかしなことを言いますねぇ。それは一体なにを基準に決められた道理でしょうか?」
糸の束は誘波に触れることすら叶わず、風によって呆気なく細切れにされて吹き飛ばされた。ラトロデクツスは瞠目する。糸の一本一本が相当な魔力を帯びていたはずなのに、誘波にはそよ風程度で凌げてしまう。
まあ、そうだろうな。
誘波は、あのゼクンドゥムすら追い詰めたことのあるマジモンのバケモンだからな。
「わたくしはいくつもの世界であなたのような守護者を屠っていますわ! 基準はそれで十分でしょう!」
ラトロデクツスが背中の八本足で繭の中を駆け回る。凄まじく滑稽な光景だが、速い。俺も目で追うのがやっとだ。
「いいえ、不十分ですぅ」
誘波の死角から飛びついたラトロデクツスだったが、風に弾かれて糸の壁に激突した。さらにいくつもの風刃が舞い飛び、ラトロデクツスの八本足が根本から同時に切断される。
「ひぎぃいいいいいいいいいいいいいいいいいッ!?」
絶叫。
倒れたラトロデクツスは残った人間の手足だけで這って行く。誘波に、背を向けて。
「ありえませんわ!? ありえませんわ!? このわたくしの領域でわたくしが圧倒されるなど……ッ!?」
「空気がある限り、私の領域でもあるんですよぅ」
誘波がラトロデクツスの頭上へと転移。そして――
「――〈圧風〉」
とてつもない下降気流がラトロデクツスの体を圧し潰す。指一本動かせなくなったラトロデクツスは、恐怖に引き攣った表情で視線だけを頭上に向けた。
「な、なんという力!? ま、魔王様、認識を改めないといけませんわ!? あの世界は、標準世界ガイアは、わたくしたちが軽々しく手を出していい世界では……」
風の圧力が威力を増す。もはや言葉も出せなくなったラトロデクツスに、誘波はニコニコと柔らかい微笑みを浮かべたぞ。こえぇ。
「ようやく気づきましたかぁ。できれば他の魔王にも伝えてほしかったですが、トドメです。――〈槍風〉」
圧力の風が収束し、渦を巻き、鋭く研ぎ澄まされる。ラトロデクツスの体は床の繭ごと貫通し、そのまま地上へと盛大に叩きつけられた。容赦ねえな。
残りの繭もはらりと解ける。
よし、これで四害蟲は全員倒したぞ。
なのに――
「妙ですねぇ。結界が、解けませんねぇ」
魔王城の結界はそのままだった。なぜだ? 四害蟲を全員倒せば結界は解けるはずだろ? フィア・ザ・スコルピが嘘をついていたってことか?
どうなってやがる。このままじゃ捕まっているモッキュ族たちを解放できないぞ。
「まさかラトロデクツスまで倒されちまうとはなぁ。いや、今回は相手が悪かったと言うべきかぁ?」
いつの間にか崩れたビルの上に立っていたフィア・ザ・スコルピが、誘波に向かって凶悪に嗤いかける。
「オレ様は嘘なんてついてねえぜぇ。ちゃんと四害蟲を倒せば結界は解ける。てめえらが今、何体倒したのかちゃんと数えてみろよぉ!」
吐き捨てるや否や、フィア・ザ・スコルピは口から毒霧を吐き出して姿を消した。たぶん、魔王城の中に転移しやがったんだ。ゼクンドゥムはなにしてるんだと思ったら、地上にポツンと立ってやれやれと肩を竦めていたよ。いや、逃がすなよお前。
だが、誘波たちは四害蟲を全員倒したはずだぞ。ブラトデア、センティピード、ラトロデクツス、グロイディウス……まさか。
嫌な予感を覚えた瞬間、俺の意識が急速にどこかへと引っ張られる。
戦場から離れ、トンネルを抜け、旧市街の奥にある軍事施設へと。
気がつくと、俺は治療室のベッドで寝ている俺の傍に立っていた。そこにはブツブツ文句言いながらも懸命に看病してくれているアーティの姿。
そして――
「シャッシャッシャ、こんなところにいやがったのか」
不気味で独特な笑い声が、迫っていた。