五章 VS蛇蝎の魔王軍(5)
「申し遅れましたわ。わたくしは『蛇蝎』の魔王軍が幹部『四害蟲』総括――ラトロデクツスですわ」
監査官とモッキュ族たちが次々と蜘蛛糸に捕らわれいく原因は言うまでもなく、誘波と戦っていたはずの蜘蛛女だ。
誘波が未だ仕留められていないってことは、こいつも相当強いぞ。総括って言ってたから、たぶん『蛇蝎』の魔王軍のナンバーツーだ。〈魔王たちの会合〉にも来てたしな。
「法界院誘波ですぅ。あなたの糸には警戒していたはずですが、まんまとハメられてしまったようですねぇ」
誘波は余裕の微笑みを崩してはいないが、少し悔しそうだ。蜘蛛糸は最初にやられた最も警戒すべき罠。誘波やモグラリアントがなんの対策も講じず戦争に臨むわけがない。実際、火炎放射器装備の兵士を投入してたしな。その辺に張り巡らされていたら焼くなり切るなりしていただろう。
だが、それだけじゃ不十分すぎたんだ。
蜘蛛女――ラトロデクツスは予め罠を地中に仕込んでいた。そして幹部を二人倒して油断した瞬間に発動。文字通りの『からめ手』だ。嫌らしいな。
「正直、ブラトデアの小娘はともかくセンティピードまで倒されるとは想定していませんでしたわ。わたくしの糸を使うまでもなければよかったのですが……そこは誇って構いませんわよ」
「お褒めいただき光栄ですぅ。ですがぁ、あなたもこれから倒されることは理解していますか?」
誘波の周囲に風が渦巻く。早くラトロデクツスを倒さないと、糸に捕らわれた仲間がどんどん魔蟲の餌食になっていくぞ。
それに奴の糸の厄介なところは頑丈さだけじゃないんだ。絡まると力を吸い取られる。おかげで満身創痍のグレアムはもちろん、リーゼですら簡単には抜け出せなくなっている。
急げ。なんとかしてくれ、誘波!
「あら? 状況を理解していないのはそちらですわ。ただ糸で身動きを封じただけと思っているのでしたら大間違い」
ラトロデクツスの背中から生えた蜘蛛の足が上下に動く。足の先には……糸だ。無数に分岐した蜘蛛糸が伸びている。
まさか――
「この通り、全ての糸はわたくしに繋がっていますわ。つまり、あなたのお仲間全員の生殺与奪はわたくしが握っているということですわ」
魔蟲や力の吸収も驚異だが、あいつが足先をちょっと動かすだけで絡めた獲物を殺せるってことか。
人質だ。
フィア・ザ・スコルピはそういうことやらないと言っていたが、こいつは違う。利用できるものは利用する。性悪で狡猾で卑劣な女だ。
「困りました。卑怯者ですねぇ」
「ええ、なにせ『魔王軍』ですので」
風を拡散させた誘波にラトロデクツスが吐き出した蜘蛛糸が巻きついていく。まずいぞ。このままじゃ誘波がサンドバックになっちまう。
誰か、誰かいないのか?
俺は様々な場所に意識を飛ばして状況を見る。グレアムたちはダメだ。リーゼも捕まっている。他に蜘蛛の糸をどうにか避けてくれて、誘波やみんなを助けられる奴がどこかに…………なッ!?
絶句した。
場所は中央広場。そこには凄惨な光景が広がっていた。
血塗れで倒れたモグラリアントを、フィア・ザ・スコルピが踏みつけていたんだ。
辺りにはモッキュ族の兵士たちも倒れている。持ち出したらしい戦車すらも軒並み破壊され、誰も立っていない。全滅だ。
「あーあーあー、こりゃ詰んじまったなぁ! てめえらぁ!」
フィア・ザ・スコルピは、踏みつけたモグラリアントの頭を地面にめり込ませて不適に笑ってやがる。あの野郎……それ以上死体蹴りはやめろ!
あ、くそっ。蜘蛛の糸が意識のない兵士たちを絡め取っていく。
「ラトロデクツスの糸はなぁ、絡めた獲物から生命力を枯れるまで搾り取るんだぁ。吸い取った力であいつは強化される。てめえらも養分になってくれりゃあ、たとえ守護者でも太刀打ちできなくなるだろうよぉ」
なんとなく予想はしていたが、吸い取られた力はやっぱりそこに行くんだな。だったら余計に早く人質を解放しないと誘波が危ない!
「ククク、チェックメイトってやつだぁ! まあ、こっちの被害も想定以上だったがなぁ! ブラトデアもセンティピードも、また産み出すのにけっこうな魔力がいるんだぜぇ? まだ他の魔王とも戦り合わねえといけねえってのに、よくもやってくれたじゃねえかぁ! ああぁん?」
バキッ! ボゴッ!
石の地面が罅割れて陥没するほどの力でモグラリアントを踏みつけるフィア・ザ・スコルピ。おいやめろって言ってんだろ! 畜生、殴ってみても擦り抜けて意味がない。見えてるんだからどうにかなんねえのかよ!
「……お、おのれ……もぐ……」
モグラリアントが弱々しく呻く。よかった、生きてた。でも全然よくないぞ。生きてるってわかったら本当にトドメを刺されてしまう!
「へぇ、まだ息があんのかぁ。結局オレ様に掠り傷一つ負わせられなかった雑魚がぁ! 大人しくくたばってりゃいいんだよぉ!」
ドゴッッッ! フィア・ザ・スコルピがモグラリアントの腹を蹴り飛ばした。鈍い音を立てて吹っ飛んだモグラリアントの巨体が何度もバウンドして瓦礫の山に激突する。
サソリの尻尾に魔力が集中する。
「消えろやぁ!」
やばい、魔力砲を撃たれる!
その時――
「――ッ!?」
急になにかを感じ取ったフィア・ザ・スコルピが魔力砲は発射せずバッと背後を振り向いた。
なんだ? 白い靄のような光が集まって……これは!
「そんなに驚いてどうしたんだい? キヒヒ、ボクのことは気にせずそのまま続けるといいよ」
虚空に開いた白い光のトンネル――〈夢回廊〉から、すたりすたりと。裸体に一反木綿みたいな白布を巻いた少女が姿を現した。
「まあ、このボクに隙を見せる勇気があるならね」
ゼクンドゥムだ。全然見かけなかったけど、今までどこにいたんだよ。頼む、モグラリアントたちを助けてくれ。あと糸で絡まった人質も!
無論、俺のは届かない。
はずなのに、ゼクンドゥムのやつ、こっち見たぞ。ニヤリと笑いやがった。俺はあいつの力でこの〝夢〟を見てるわけだから、もしかしてわかるのか?
「隙を見せる勇気、かぁ。別にやってもいいがぁ」
フィア・ザ・スコルピの尻尾の先端がぐるんと照準を変える。
「優先順位はそうじゃねえよなぁ!」
藍色の魔力砲が放たれる。地面を抉り飛ばしながら奔る光線にゼクンドゥムは呆気なく呑み込まれ、背後の街ごと大きく削り消えちまった。
え? やられちまったのか?
待て、そうじゃない。
バシン! と。
振り抜かれたフィア・ザ・スコルピの拳が、白い布で受け止められていた。ゼクンドゥムのやつ、思いっ切りくらってたように見えたけど一瞬でかわして背後に回り込んだのか?
「いきなりご挨拶だなぁ、『蛇蝎』のお兄さん」
「おいおい、どうなってやがる? 今確実に消し飛んだだろうがぁ、『現夢の魔王』さんよぉ!!」
二人の魔王が、互いに凶悪な笑みを浮かべて衝突した。