四章 反撃の狼煙(3)
無数の蛇が空中に浮かんで輪を作り、毒々しい魔力光線が俺たちに向かって放たれる。地面すら溶かして毒沼に変える厄介な技だ。触れるわけにはいかない。
「チッ!」
俺は舌打ちし、宙空に盾を生成して毒光線を受け流す。ゼクンドゥムも〈夢回廊〉を開いて俺が捌けなかった毒光線を何処へと消し去った。
「いいねえ! そうじゃねえと面白くねえ! 簡単にくたばっちまったら興も醒めるってもんだ!」
テンションを上げて吠えるグロイディウスは、再び蛇の輪を浮かべて毒光線の第二射を準備し始める。
さっきよりも数が多い。
今度は捌き切れるかわからんぞ。
「アーティ! 一旦物陰に――」
「あー、いや、このまま突っ込む。二人とも掴まっていろ」
「は?」
一瞬、アーティがなにを言ったのか理解できなかった。
モグラ戦車君二号が急加速する。前方のドリルが穴を掘ってもいないのに高速回転を始め、進行方向に立ち塞がるグロイディウスへと突撃。
「なに!?」
奴が毒光線を放つ前に――お、思いっ切り轢き飛ばしたぞ。
「シャぐわぁあああああああああああッ!?」
血を吹いて上空に跳ね飛ばされるグロイディウス。ぐしゃり、と生々しい落下音が背後から聞こえたよ。
「こいつやりやがった!?」
「キヒヒ、今のは痛そうだね」
血も涙もないぞこのマッドサイエンティスト!? そりゃモグラ戦車君二号はそれ自体が兵器みたいなもんだけど、まさか体当たりするなんて思ってもいなかった。
「待てやゴラァアアアアアッ!?」
起き上がったグロイディウスがブチ切れた様子で這うように疾走してくる。
「もう追いかけてきやがった!? 頑丈な奴だな!?」
普通ならアレで充分即死級の一撃だったはずだが、流石は魔王の眷属といったところか。しかも速い。蛇みたいにうねうね這ってるのに追いつかれそうだ。
「お姉さんたちは先に行くといいよ。あの蛇のお兄さんさえ押さえていれば、他に脅威になる存在はいないようだからね」
「引き受けてくれるのか。ありがたい。頼んだぞ、ゼクンドゥム」
「ん? なに言ってるのさ、お兄さん」
「え?」
がっ、と俺の手首をゼクンドゥムが掴む。
「戦うのはお兄さんだよ」
「お前ぇえええええええッ!?」
そのまま開かれた〈夢回廊〉に放り込まれた俺は、一瞬にしてグロイディウスの眼前に出現させられた。
「シャシャシャ、一対一か! 望むところだ!」
「チクショー!? こうなったらやるっきゃねえな!?」
生成していた日本刀を一閃。鱗に覆われた腕で受け止められ、甲高い金属音が旧市街に鳴り響く。
組み合った状態は長く続かない。すぐにグロイディウスの毒蛇が俺に飛びかかる。咄嗟に後ろに飛んで回避し、日本刀をバスターソードに変えて豪快に振り払う。
毒蛇の群れはその一撃で両断した。だが、グロイディウスが間隙を縫って俺に迫り、蛇頭の手で喉元に噛みついてきやがった。
地面に押し倒される。首に刺さった牙から毒が体内に流れ込む。
「これが魔王だぁ? おいおいおいおい、ふざけてんじゃねえぞ!」
毒に侵された体がみるみる変色していく。熱い。寒い。全身が痺れる。意識はハッキリしている分、体の細胞が超速で死んでいくのがわかる。
このままじゃ、やばい。
「てんで雑魚じゃねえか! 幹部の俺にすら圧倒されてちゃあせいぜい『総裁』止まり! こんなのが〝魔帝〟の候補だなんざ怒りを通り越して笑えてくるぜ!」
チロリと舌を出して顔を近づけるグロイディウスは、短く息を吐いてから俺の体をゴミのように蹴り飛ばした。
「つまんねぇから、もう死ねや」
蛇が輪を作る。動けない俺に向かって毒の光線が放射される。
「――という感じで、前までのお兄さんだったら幹部にも全く歯が立たなかったわけだけど」
その様子を、俺はゼクンドゥムの隣で眺めていた。
もうわかったと思うが、今までグロイディウスと戦っていたのはゼクンドゥムの〈白昼夢〉で生み出された俺だ。
どこから切り替わったのかは俺自身も上手く認識できているわけじゃないが、要するにグロイディウスは存在しない俺を倒してイキリ散らしているだけってことだ。
「自分がやられる光景を見せられるのは、なんつうか悪夢なんだが……?」
「キヒヒ、そう思ってもらえるなら本望だよ。ボクは人々の悪夢から生まれた概念の魔王だからね」
「そうだったな」
監査官対抗戦でウェルシーチームがどういう状態だったのか、傍観している今ならわかる。なるほど、独り相撲を見ているようでなんとも滑稽だな。このまま外野から攻撃してしまえば、なんの抵抗もされることなく敵を仕留めることができる。
「てことで、無防備晒している蛇のお兄さんをちゃちゃっと仕留めちゃいなよ」
「やりづれぇ……」
「キヒ、カルトゥムみたいなこと言うね。騎士道精神ってやつ? お兄さんは別に騎士じゃないでしょ?」
「武士道精神というのもあってだな……まあいいや」
無駄な体力を使う必要はないからな。せっかくお膳立てしてくれたんだ。卑怯だなんだの考える前に決めてしまおう。
〈魔武具生成〉――棍。
俺は生成した棍を構え、すっかり溶けてしまった夢の俺を見て嗤い散らすグロイディウスの頭を思いっ切り殴りつけた。
パリィイイイイン!!
ガラスの砕ける音と共に、現実に反映されていた〝夢〟の設定が砕け散る。
「な……ん……どういうこった? 俺ぁさっきまで」
身に覚えのないダメージを受けて倒れているグロイディウスは当然、混乱するわな。その喉笛に俺は棍を突き立て、奴がこれ以上抵抗できないように押さえつける。
「さあ、トドメを刺しなよ」
「……」
「お兄さん?」
沈黙する俺に、ゼクンドゥムは訝しそうに小首を傾げた。
「まさか、この期に及んで〝人〟を殺せないとか言ったりしないよね?」
「――ッ」
図星を突かれ、俺は思わず目を逸らしてしまった。
大きな溜息が聞こえる。
「はぁ、魔族を〝人〟だと思っちゃいけないよ。絶対悪の象徴。世界の敵。滅ぼさなければならない存在。まあ、魔王のボクが言うのもなんだけどね」
「そこなんだよ」
相手が異獣なら割り切れる。だが、魔族とはいえ会話が成り立つ存在の命を狩ることに俺はどうしようもない抵抗感を覚えるんだ。
「こいつらを〝人〟じゃないと認めちまったら、リーゼや俺自身を否定することになっちまう。もちろん、お前もだ。ゼクンドゥム」
「ふぅん……で?」
「でっ? ってお前な」
こんな偽善的な考えで魔王を説得できるとは思わないが、仮にも共闘関係を築いているんだ。もうちょっと耳を傾けてくれてもいいと思う。
「〝人〟だって〝人〟を殺す。戦争とはそういうものじゃないか。〝人〟だろうと獣だろうと、敵であることには変わりない。勇者みたいな崇高な理念なんて持たなくても、敵は排除するのが普通で〝人〟らしいと思うけど?」
「それはそうだが」
〝人〟を殺したくない。そう思うことだって〝人〟らしさだ。魔王になっちまった俺が、〝人〟であり続けるには絶対に捨てちゃならない感情だろう。
一線を越えてしまったら、もう後戻りはできない。
「ボクは代わりにやってあげないよ。これはお兄さんがこれからの戦いに向けてステージを上げるために必要な工程だ。いつか敵同士に戻るボクたちにとっては不利益になるかもしれないけどさ」
「だとしても、俺は……」
他にもっといい落としどころがあるはずだ。グロイディウスを捕虜にして情報を聞き出してもいい。その後だって殺処分しないで済む方法はきっとある。
甘いと言われようが、それが魔王になっても変わらない『白峰零児』という存在なんだ。
「なぁにをぐだぐだやってんのかと思って来てみりゃあ、でっけぇネズミが入り込んでやがったかぁ!」
その時だった。
「――ッ!?」
上空から高密度の魔力を感じ、俺は咄嗟に前に飛んだ。さっきまで俺の頭があった場所に、細い藍色の魔力光が通過する。グロイディウスの真横の地面に小さな穴を開けたそれは、力を最小限まで凝縮させた一種の魔力砲だ。
「無様だなぁ、グロイディウス」
「申し訳ありません、魔王様……」
グロイディウスの隣に降り立ったのは、暴走族のような刺々しい衣装を纏った男。サソリを思わせる巨大な尻尾を立て、凶悪な笑みを浮かべて俺たちを見据えるそいつは――
「お前は、フィア・ザ・スコルピ!?」
『蛇蝎の魔王』本人の登場だった。