四章 柩の魔王(8)
翼を広げて飛翔するリーゼが横殴りの豪雨のように黒炎の弾丸を放ち続ける。黒炎に触れたゾンビたちは抉り取られるように焼け千切れ、やがて灰も残さず焼失する。
この猛威には俺も避難するしかなかった。なんとか体に鞭打って流れ弾に当たらないように部屋の隅へと移動する。
「マスターのお力、復活安定ですか?」
そこには上半身だけのレランジェが転がっていた。その状態で喋れるのか。壊れたのかと思ったが、リーゼの復活で再起動したみたいだな。
「ああ、余裕ぶっこいてたネクロスがヘマしたおかげでな」
希望が出てきたぞ。あのゾンビたちはいくら元英雄だと言っても所詮は操り人形だ。荒れ狂う黒炎の前にはなすすべもない。いいぞ、リーゼ。このままネクロスも焼き潰してしまえ!
「思慮が不安定ですね、ゴミ虫様」
「ああ?」
「元々マスターはネクロス様を敵と認識安定でした。ネクロス様の余裕は、このような状況も想定された上でのもの安定です」
「なんだと?」
レランジェは無表情だったが、そこにはどこか焦りの色を含んでいるように見えた。
そんな馬鹿な。いくらネクロスでも、この黒炎の嵐の中で無事なわけが――
「アハハ! 凄い! 凄いじゃないか『黒き劫火』! たったアレっぽっちの魔力を与えただけでここまでのことができるなんてね!」
ネクロスは――無傷だった。
奴は自分の周囲にバリアみたいな魔力の膜を張って黒炎を全て防いでいやがった。俺の攻撃を受け止めていたものの拡大版っていったところか。
「この僕が殴られたのは久々だったよ。お礼に少し相手をしてあげよう。こんな目眩ましなんてやめて、もっと本気を出してみなよ!」
ネクロスがその場で腕を一振りする。すると、降り注いでいた黒炎の雨が不可視の衝撃に一瞬で消し飛んじまった。
が、リーゼもそれだけで終わっちゃいない。既に特大の魔法陣をいくつも空中に展開し、ネクロスに照準を合わせていた。
魔法陣から放たれる凄まじい熱量の黒炎流がネクロスを襲う。
対するネクロスは宙に手を翳し――
「――来い、〈冥王の大戦斧〉」
翳した先に出現した棺桶から、一振りの巨大な両刃の戦斧を引き抜いた。ネクロスの魔力に似た禍々しい力を宿した大戦斧。それを――片手で軽々と振り回しやがった。
唸るような轟音と共に空気が、迫り来る黒炎が裂ける。衝撃はそのままリーゼの下まで届き、その小さな体をいとも容易く弾き飛ばした。
「リーゼ!?」
「大丈夫!」
翼を広げてどうにかバランスを取ったリーゼは……まだ、あんまり飛行に慣れてない感じだな。それでもその翼に黒炎を宿し、羽ばたきと同時に撃ち放った。なるほど、翼の動かし方はわかっているらしい。
ネクロスはマシンガンのごとく降り注ぐ黒炎を戦斧で薙ぐ。……なんだ? あの戦斧で斬り裂かれた空間からドス黒い霧みたいなのが出て来ているぞ。
拡散する霧がリーゼの下まで届く。リーゼは身の危険を感じたのか、黒炎の熱風波で霧を吹き飛ばした。
「勘がいいね。そうさ、この霧には触れない方がいい」
戦斧を床に突き立てるようにしてネクロスが言う。
「僕の〈冥王の大戦斧〉は生者の世界を斬り砕き、死をもたらす瘴気を撒き散らす。生きている者を確実に仕留める必殺の斧。瘴気に侵されれば傷もなく死ねるから、僕のコレクションも作り易くて重宝しているよ」
毒の霧みたいなもんか? 吸ったら死ぬのなら、このままネクロスが戦斧を使い続けたら俺も危ないかもしれん。 ……いや、ネクロスは『触れない方がいい』と言った。たぶん、目や皮膚からも入ってくるタイプだ。
「〝魔帝〟の娘の君でも、堪えられないかもね!」
ネクロスが戦斧を頭上で振り回す。それだけで瘴気が渦を巻くように発生し、暴風が室内を荒れ狂う。宙に浮いているリーゼは横殴りにされたように瘴気を含んだ風に絡め取られちまった。
あの野郎……早速瘴気を……。
俺は咄嗟に口元を手で押さえたが、たぶん無駄だ。この辺りは離れていて瘴気は薄いけど、それでも刺さるような痛みが全身に迸ってくるからな。
「ふん、こんなのなんでもないわ!」
リーゼが全身に黒炎を纏い、爆発するように放って風と瘴気を強引に消し飛ばす。だが、その次の瞬間にはリーゼに向かって戦斧が投擲されていた。回転しながら飛んでくる戦斧を――リーゼは避けられない!
「わたしは〝魔帝〟で最強よ! お前なんかにやられない!」
戦斧が斬り裂いたのは、黒炎だけだった。
「いない?」
ブーメランのように戻ってきた戦斧をキャッチしたネクロス。その背後に、別の黒炎が吹き上がった。
そこからリーゼが飛び出してくる。
「転移か」
ネクロスは流石に反応するが、ちょっと遅いな。リーゼはほぼゼロ距離から黒炎流をネクロスに叩き込んだ。
凄まじい熱波が次空艦の壁ごと焼き飛ばす。大穴が穿たれたおかげで換気できたな。瘴気が消えてだいぶ楽になったよ。
ネクロスは……焼かれたのか?
いや――
「あんまり艦を破壊しないでほしいね。修理するのは僕なんだ」
黒炎が消えた後には黒焦げになった棺桶が残っていた。その蓋が開き、ネクロスが嫌味な笑みを貼りつけて出てくる。
無傷、か。
「これ壊されるの嫌なの? アハハ、だったらもっと燃やしてあげようか?」
「その破壊衝動は嫌いじゃないよ。でも、次空艦は魔王の創造物だから眷属に修理はできないんだ。僕の手間はあまり増やしてほしくないなぁ」
魔王は破壊するだけかと思ったら、なにかを生み出すこともあるらしいな。あんなに嫌がるってことは……まさか、この次空艦がネクロスの本体ってことはないよね? いや、まさかね? いやいや。
「よーしリーゼ、もう徹底的に破壊してやれ!」
「わかった」
俺の指示にリーゼは素直に従ってくれた。黒炎で狙うのはネクロスじゃなく、この次空艦そのものだ!
次々と穴だらけになっていく次空艦に、流石のネクロスも焦りを――
「君ら、馬鹿なの?」
みせるどころか呆れていた。次空艦本体説は間違っていたようだ。
「もういいよ。これ以上遊ぶと片付けが面倒になりそうだ」
ネクロスが前方に、リーゼに向かって片手を翳す。
「――ッ!?」
やばい……なんか知らんがやばいのが来る!
ネクロスの掌に悍ましい量の魔力が収斂していく。
「リーゼ!」
逃げろ! そう言葉にする前に、ネクロスの翳した掌から砂色の魔光線が射出された。この次空艦から撃ち放たれた魔力砲よりは細いが、込められた力は比じゃないぞ。あんなの、地上に撃たれたら地球に風穴が開く。
リーゼは――逃げなかった。
危険を感じて魔力を高め、超特大の黒炎を放射して相殺しようとしたんだ。
だが――
力は、一瞬も拮抗しなかった。
黒炎は呆気なく貫かれ、砂色の光がリーゼを呑み込む。今度は、転移をする暇もなかった。諸に受けちまった。俺が受けたら間違いなく蒸発している。だから、いくらリーゼでも……。
「ま、花嫁が死んじゃったら困るしね。その辺は加減したよ」
どう加減したのかは知らないが、光が収まった後のリーゼはちゃんと原型を残していた。だが、翼は崩れ落ち、服のほとんどは消し飛び、体も直視できないほど酷く焼かれていた。
翼を失って浮遊力がなくなり、リーゼはボロクズのように床に落下した。
「くっそ、リーゼ!! おいリーゼ!!」
駆けつけたくても瘴気のせいで体が動いてくれない。生きてるのか? 生きてるよな? 返事しろよリーゼ!
「マスターを、よくも」
上半身だけのレランジェがネクロスの下へと這って行く。深く強い殺意を剥き出しにし、あんな体になっても主の敵を討ち取ろうとしている。
俺も動け! 動けよ体!
「消し炭安定です」
「まだ動けたんだ。これだから機械人形はしぶとくて嫌いだよ」
ゾンビにできないしね、そう言ってネクロスは這い寄ってきたレランジェを蹴り飛ばした。壁にしたたか打ちつけられたレランジェは、腕や首が変な方向に曲がって崩れ落ちた。
おい……。
「マ……マ……マス……タ……マ……」
文字通りの壊れた人形となって言葉にならない言葉を発していたレランジェは……やがて沈黙する。
「げほっ……れ、レラン……ジェ……」
床に倒れていたリーゼが壊れた従者を見る。意識はあるようでよかったが、首を少し動かすのですら精一杯な様子だった。
「アハハ、ちょっと加減し過ぎちゃった? 大人しく寝てたら苦痛を味わうこともなかったのにね!」
狂気的な笑みを浮かべ、ネクロスはリーゼの腹を容赦なく踏みつけた。
「あぐぅうッ!?」
「やめろ!?」
俺の叫びも虚しく、ネクロスは何度もリーゼを踏みつけ続ける。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。
「やめないよ。彼女の黒炎は僕が〝魔帝〟となるためのシンボルになる。だから殺しはしない。ゾンビにしてもいいけど、黒炎が出せなくなっちゃ意味ないからね」
「だったらもういいだろ!? その足をどけろ!?」
「嫌だね。生かしていても僕に反抗するのなら、こうやって心を破壊して支配してやればいい。僕という絶対的強者に逆らえないようにするのさ!」
「この……ッ」
俺がなにを言おうが、ネクロスはリーゼの踏みつけることをやめる気がない。踏みつけられる度にリーゼは呻き、咽返り、血を吐く。
このままじゃ死ぬぞ。いや、その前に心が壊れる。ネクロスの狙い通りに。
リーゼが、壊される。
畜生、そんなの許してたまるか!
ふざけんな! ふざけんな! ふざけんな! ふざけんな! ふざけんな! ふざけんな! ふざけんな! ふざけんな! ふざけんな! ふざけんな! ふざけんな! ふざけんな! ふざけんな! ふざけんな! ふざけんな!ふざけんな! ふざけんな! ふざけんな! ふざけんな! ふざけんな! ふざけんな! ふざけんな! ふざけんな! ふざけんな! ふざけんな! ふざけんな! ふざけんな!
このままネクロスにリーゼが壊されてしまうのなら――
その前に、俺が壊してしまえばいい!
……え?
俺は今、なにを……?
――壊せ――
『声』が、聞こえた。
心の深淵から込み上がってくるような、抗い難い強烈な『言葉』が俺の脳内を侵食していく。
――壊せ――
ドクンドクンドクン――心臓が早鐘のように鳴り響く。
――壊せ――
血流が変わる。
――全てを奪われ失うことを恐れるなれば――
意識が、黒く染まっていく。
――己の手で全てを壊してしまうがよい――
………………………………………………………………………………そうだな。
俺は体の痛みも忘れ、静かに立ち上がっていた。