四章 柩の魔王(7)
大柄な男のゾンビの拳が、俺の鳩尾を容赦なく抉った。
「ぐはっ!?」
とてつもない膂力で殴り飛ばされた俺は生成した武器も落として膝をつく。ダメだ。倒れるな。動け。すぐそこから女騎士のゾンビの槍が来るぞ!
「アハハ、どうした? 防戦一方……いや、防戦にもなってないんじゃないか?」
ネクロスが煽ってくるが今は聞く耳なんて持てない。ゾンビの一体一体が英雄レベルなんだぞ。致死の攻撃をどうにかかわすだけで精一杯だ。
新たに日本刀を生成してゾンビの首を狙う。だが武器で防がれ、別のゾンビが俺の首を掴んできた。
そのまま床に叩きつけられる。
「ッ」
息が詰まる。痛みに全身が悲鳴を上げる。群がってきたゾンビたちが俺を集団で蹴り転がし始める。俺はサッカーボールじゃねえぞ。
「無様だね。実に無様。やっぱり君はその程度だったってことだね」
一思いに殺さず、いいように弄ばれているのはネクロスの嗜好か。あいつはたぶん、ゾンビたちがフルボッコにした後の俺を自分の手で殺すつもりだ。
「それじゃあ死ぬ前に、君の仲間たちが今どうなっているのか見せてあげるよ」
ふわり、と一つの棺桶が空中に出現した。俺はゾンビたちに取り押さえられながらその様子を見上げる。
棺桶の蓋が開き、その中にどこかの映像が映し出された。形が歪でなんとも見づらいモニターだな。
棺桶には街の様子が映っていた。
「く……っ」
街は――直視を避けたいくらい凄惨な有様だった。建物は倒壊し、灰色に染まった人々が『残骸』とも言えそうな姿で転がっている。その中を無数の骸骨兵や巨人兵が徘徊し、監査官たちと戦っている。
あの程度の雑魚なら苦戦はしないが、流石に数が多い。負傷して倒れている監査官も見えれば、まだ戦っている監査官も肩で息をしているな。
と、複数の巨人が宙を舞って吹き飛んだ。
『中等部の監査官は負傷者を回収! でかいのはアタシら教師が引き受けるわ。高等部以上の生徒は他の雑魚を担当すること! ただし必ず複数人で対処しなさい!』
『知っている。このままだと物量に押され、敗北する。早急に対策を立てるべきだ』
あいつらは確か……中等部で教師をしている監査官だ。巨人程度では相手にもならないが、やはりかなり消耗しているぞ。引き攣った表情が余裕のなさを表している。
「へえ、意外と頑張ってるようだけど、いつまで保つだろうね」
玉座に座って頬杖をつくネクロスはニヤニヤとしつつ指を鳴らす。
映像が移り変わった。
今度はこの次空艦の様子だった。通った覚えのない広い部屋に骸骨兵や巨人兵がわらわらと集まっている。
その中心には三本の十字架が立てられ……ッ!?
「迫間、四条、セレスも!?」
三人が、酷く打ちのめされた状態で磔にされていたんだ。三人とも意識を失っているようでぐったりとしている。
冗談……だろ? あいつらが、そんなに簡単に負けるわけがない。
『ネクロス様、捕らえたこの者たちはいかがいたしましょう?』
モニター越しにこちらを見てそう言ってきたのは、燕尾服を纏った山羊頭の男だった。ネクロスに付き添って地上にも一度降りてきたあいつだ。確か名前はバフォメットだったか。魔王軍の四天王的な存在の中でも一番強いやつらしい。
出て来ないと思ったら、迫間たちの方へ行ってたってわけか。
「あれ? 殺してないの?」
『ネクロス様のコレクションに加えられる逸材かと判断いたしましたので』
「ああ、それもいいね。ゾンビになったお仲間の手でこいつを殺した方が楽しそうだ」
『それではそちらに連行いたします』
なん……ッ。
映像が消える。この状況でさらに援軍が来る。そんなことより、早くやつを斃さないとセレスたちがゾンビに変えられちまう!
「てめえ!?」
「アハハ、そうだよその顔だよ! もっと怒れ。そして絶望しろ。雑魚が僕を楽しませる方法はそれしかないんだからさぁ!」
俺は起き上がってネクロスに飛びかかる。だがその前に飛んできた弓矢が正確に俺の右足を貫いた。痛みで転倒する俺の背中に、さらに弓兵ゾンビが放った矢が何本も突き刺さる。なおも立ち上がる俺を、巨漢ゾンビの振るったモーニングスター――棘鉄球を先端に取りつけた長柄武器が打ちつける。
血を吐いた。
意識が揺らぐ。
だが。
それでも!
「そうだね。一つ君に希望があるとすれば、僕は殺した直後じゃないとゾンビに変えられないんだ。そうじゃないと死者の無念や生への渇望が霧消しちゃうからね。つまり、お仲間がここへ運ばれた時に取り返せばまだ助かるよ。――できるなら、ね」
魔法使いゾンビの放った火球が俺を吹っ飛ばす。傷口が焼けたおかげで一部出血は止まったが……くそっ、もう足が……。
倒れ伏した俺をネクロスが玉座から嫌味な笑みで見下してやがる。正直、まだ意識があるのは奇跡だ。なぜだか失ってしまう気がしない。
意識があるなら戦える。死ぬまで暴れてやる。
這ってでもネクロスに一矢報いてやろうと思ったその時――
「ん……あれ? ここは?」
リーゼが、目を覚ました。
「レージ!?」
玉座の隣に磔にされていたリーゼは、傷つき倒れた俺を見て真っ赤な目を見開いた。
「おやおや、もうお目覚めかい? ごめんよ、僕の花嫁。まだ君の魔力は取り返せていないんだ」
「お前、わたしのレージなにをしたの!?」
「まだ、ただボコボコにしただけさ。これからあいつのお仲間にあいつを殺させて、奪われた君の魔力を摘出…………いや、そうか。それも面白い」
なにか大変なことを思いついたらしいネクロスが、吐き気を催しそうなほどの嫌味ったらしい笑みを浮かべて玉座から立ち上がった。
そしてやつは、リーゼの前に歩み出る。
嫌な予感がした。
「待て、ネクロス! お前、なにを……ッ!」
叫ぶ俺に、ネクロスは振り返らず、掲げた掌に禍々しい魔力の球体を出現させた。アレは攻撃や防御などの術に転換した魔力じゃない。ただただ純粋な魔力の塊だ。
「魔王の魔力なら、別に僕の魔力を与えてもいいよね! そして破壊の化身となった君自身の手であの男を葬るんだ! アハハハハハ! これはいい! そっちの方がゾンビにやらせるよりずっとずっと楽しそうじゃないか!」
「や、やめろ!?」
リーゼは魔力を捨てたんだ。もう魔力の『声』に操られて正気を失って、意味もなく世界を破壊し尽くす存在に成り果てたくないから。普通の女の子になって、普通に暮らして、普通に人生を楽しむことを選んだんだ。
リーゼが持っていた魔王の魔力は俺が奪った。だから普通の魔力を与えるだけなら大丈夫だ。けど、ネクロスは魔王。リーゼを狂わせた魔力と同じ。それだけは絶対にダメだ!
なのに、リーゼは――
「やりなさいよ」
凛とした表情でネクロスを真っ直ぐに睨み、そう言い放った。
「リーゼ!?」
「アハハ、もう止められないよ! 君は彼女が壊れるのを床でも舐めながら見てるといい!」
ネクロスが、禍々しい瘴気のような魔力の塊を、リーゼの体へと押し込んでいく。リーゼはビクン! と体を痙攣させ、苦悶の表情になって呻き始めた。
「さあ、衝動のままに暴れるがいい、僕の花嫁!」
「やめろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!?」
膨れ上がった禍々しい魔力がリーゼを磔にしていた十字架を破壊する。
苦しそうな悲鳴と共に黒い炎が吹き上がり、リーゼの全身を包んだ。
「アハハハハハ! これは凄い! これが『黒き劫火』か! 近づくだけで溶けてしまいそうだぶふあッ!?」
喜悦に吠えていたネクロスが消えた。いや、殴り飛ばされた。
俺は今目の前で起こったことを一瞬理解できなかった。
黒炎の渦から生えた白く小さな拳が、ネクロスの顔面を陥没させて思いっきり吹っ飛ばしたのだ。
「? ? ! !?」
ネクロスも自分が殴られたと理解できない様子で、顔に手を当てて渦巻く黒炎を見やる。
「久々ね、この感じ。もう魔力を戻すつもりはなかったんだけど……お前は、わたしを怒らせた」
黒炎が弾け、角と悪魔の尻尾、それから蝙蝠のような翼を背中に生やしたリーゼが姿を現した。
一瞬ゾッとした。
だが、大丈夫だ。
あのリーゼは、正気を失っていない!
「馬鹿な……もう破壊衝動を克服したのか!?」
「『声』は聞こえるわ。だけどもうどうでもいい。こんなの、わたしがずっと聞いてきたものより全然弱い」
「弱い……? ふざけるな! 僕の魔力の破壊衝動が『黒き劫火』に劣るって言うのかッ!! 僕はやがて〝魔帝〟になる魔王だぞ!!」
魔王としての格の違い。リーゼが聞き続けていた『声』は俺も聞いた。それはもう『呪い』とも言い得る圧倒的な洗脳力で精神を崩しにかかってきた。
そうか。
やつの魔力に宿る破壊衝動――『声』は、俺やリーゼが聞いたものに比べたら無視できるほど軽いものだったんだ。
「わたしはわたしのレージをあんなにしたお前を許さない!」
「クク……ハハハッ! 許さなかったらどうするんだい? 僕が与えた僅かな魔力しかない君に、この僕が倒せるわけ――――なッ!?」
ネクロスは気づいたようだな。
「どういうことだ!? 花嫁の魔力が、どんどん増えているだと!?」
魔力ってのは普通だと生命力を変換して作り出すが、リーゼの場合は違う。体内に魔力が少しでもあれば細胞分裂のように際限なく増やし続ける特異体質なんだ。だからそれが許容量を超えた時に魔力疾患を発症するし、魔力が枯渇すれば回復できない。
ネクロス、お前はリーゼに魔力を与えるべきじゃなかった。
「覚悟しなさい。燃やしてやるわ! 跡形もなく!」
今、この場に。
両手に黒炎を宿し、『黒き劫火の魔王』――〝魔帝〟リーゼロッテ・ヴァレファールが降臨した。