三章 競い合う紅白(7)
言っている意味がわからなかった。
ネクロスとかいう少年の姿をした魔王がリーゼに手を差し伸べている。俺も、セレスも、悠里も、この場にいる誰もがその光景を唖然とした様子で眺めていた。
ただ一人、レランジェだけが再びリーゼを背中に庇った。
「『柩の魔王』ネクロス・ゼフォン様。失礼安定ですが、今のお言葉はどのような意味でしょうか?」
「言葉以上の意味はないよ。それより下僕風情がこの僕に口を利くな。――下がれ!」
「……っ」
禍々しい微笑みから感じる得体の知れない威圧にレランジェは気圧されたように口ごもった。
「さあ、『黒き劫火の魔王』の娘。僕と一緒に来るんだ。そして思う存分世界を破壊しようじゃないか!」
「世界を破壊……?」
「そうさ。殺し、奪い、壊し、使い潰す。あらゆる世界は滅びるまで僕たち魔王のオモチャだ。楽しいぞ。無謀にも僕たちに挑み、もがき苦しみながら死んでいく者。そいつらの死を知って絶望する者。君も魔王ならどうしようもできない無力な人間どもを踏み躙る快感はわかるだろう? 僕ならその欲望を充分以上に叶えられる。さあ、この手を取るんだ」
「嫌よ」
「……へ?」
はっきりと即答で拒絶したリーゼにネクロスはポカンとした。リーゼがなにを言ったのか理解できない。そんな顔をしているな。
「お前もあいつと同じね。世界を滅ぼすなんて退屈なこと、この〝魔帝〟で最強のわたしがするわけないでしょ?」
「退屈……だと?」
リーゼは親父さんが世界を滅ぼしたせいで死ぬほど退屈な時間を過ごしてきたんだ。性格はちょっと好戦的だが、根っこから世界をどうこうしたいだなんて思ってないんだよ。
「消えなさい。二度とわたしの前に現れないで。じゃないと今度は燃やすわよ」
迷いのない赤い瞳に睥睨され、ネクロスは信じられないモノを見るように瞠目する。だが、すぐになにかがわかったように口元を歪ませ、嗤った。
「く、くくく、あははははははッ! あー、なるほど、そういうことね。理解したよ。君には僕たち魔王が持っているはずの破壊衝動がまだ芽生えてないんだね。どうりでこの世界が全く侵略されてないわけだ」
得心がいったらしいネクロスはそれでも引き下がるような気配を見せず、尚もリーゼに誘惑するような声で語りかける。
「可哀想に。でも大丈夫。僕が目覚めさせてあげるよ。なに、簡単なことさ。君の魔力に眠っている魔王の……ん?」
言葉が途中で途切れる。ネクロスは気づいたみたいだな。
今のリーゼに魔力が全くないことに。
「バフォメット、これはどういうことだ? 彼女から全く魔力を感じないぞ?」
ネクロスに訊かれた部下の山羊頭は、少し考えるようにリーゼを見詰めると――
「恐らく、彼女のしている腕輪によって力が封印されているのではないかと思われます」
ある意味で間違ってはいないが見当違いの回答を口にした。だが、ネクロスもそれで納得したようだ。
「なら話は簡単だね。艦に戻ってゆっくり封印を破壊すればいい。来い、〝魔帝〟の娘。君に拒否権はないよ」
「嫌だって言ってるでしょ!」
掴もうと伸ばしてきたネクロスの手をリーゼは払い除けた。ネクロスの表情から微笑が消えて僅かばかりの苛立ちが浮かび上がる。
「この」
「ちょい待ちや!」
ネクロスが拳を握ろうとしたその時、やつの威圧に動けないでいた俺たちの中から怒声が上がった。
「さっきからわけわからんことばかり言うて、その子嫌がってるやろ! 魔王だかなんだか知らへんけど、さっさと諦めて帰りぃ!」
稲葉が怒鳴りながら前に出て、ネクロスの代わりにリーゼの手首を掴んだ。稲葉のやつ、リーゼをネクロスから引き離すつもりだ。
「お前……」
「こんなん相手したらあかん。ウチらがしばき倒したるから、リーゼ先輩はそれまで後ろに下がっとくんや」
そのままリーゼを連れて下がろうとする稲葉だったが――――ぞわり。
「稲葉!? そこから離れろ!?」
背筋が一瞬で凍りつきそうな悍ましい気を感じ俺は咄嗟に叫んでいた。ネクロスから禍々しい黒いオーラが見える。いや実際に魔力が攻撃的に高まっていやがる。
「貴様、誰の許可を得て僕の花嫁を連れて行こうとしている!」
シュン!
風を切るような音が鳴った。ネクロスがその場で腕を軽く振るった音だ。
それだけで――
リーゼの手を引いていた稲葉の腕が、肩口からスパッと切断された。
「えっ?」
なにが起こったのかわからない様子の稲葉は、斬られた肩口から夥しい量の血を噴出させて力なく地面に倒れた。自分の手を引いていた腕が突然目の前で切断されたリーゼはその血沫を浴びて放心している。
「稲葉ぁあああッ!?」
俺は地面を蹴った。力を封印されていることなんてもう知ったことじゃなかった。早くあいつをなんとかしないと被害が世界規模まで膨れ上がる気がした。
俺と同時にセレスやレランジェ、他に集まった生徒の監査官もネクロスに殺到する。だが力を封印された状態の俺たちじゃ、ネクロスどころかその部下のバフォメットが腕を振るっただけで四方八方に吹き飛ばされた。
「くそっ! 悠里!」
一人なぜか飛びかからなかった悠里は――
「リーゼちゃんが……〝魔帝〟の娘……? 本当だったの? 悪の親玉は倒さなきゃ……でもリーゼちゃんは悪い人には……」
勇者としての使命感と現実の間で葛藤していた。俺ばかり警戒していたせいか、リーゼが本当に〝魔帝〟だったことが相当にショックだったらしい。
今の悠里には頼れない。いや、俺たちも全く頼りにならないけども!
「チッ、こんな時に誘波のやつはなにをやってんだ!」
なんで誘波は来ないんだ? あいつがいればこんな事態は避けられたはずだ!
今いないやつに期待しても仕方ない。誘波のことだ、きっとなにか考えがあるんだろう。それよりも稲葉だ。血が止めどなく流れている。早く治療しないと死んじまうぞ!
「お前、よくもレージたちを!」
激昂して殴りかかったリーゼの拳もネクロスには届かない。ネクロスはリーゼの首根っこを鷲掴みにすると、棺桶を出現させて無造作に放り込んだ。
「リーゼ!?」
棺桶の蓋が閉まる。助けようと走る俺を、ネクロスはぞっとするような目で見据えた。
「もう面倒臭くなってきたな。こいつら雑魚のくせに突っかかってくるし」
ネクロスがパチンと指を鳴らす。走っている俺の眼前に山のように巨大な棺桶が地面から生えてきた。慌てて立ち止まる。
棺桶が開き、そこからのしのしと重低音を響かせて赤い巨影が出現する。
巨人だ。十トントラックほどもある棍棒を握った赤い巨人が俺たちの前に立ちはだかった。
……でけえ。
しかも最悪なことに巨人だけじゃない。グラウンドには他にもサイズの小さい棺桶がいくつも生え、そこから大勢の骸骨兵が飛び出してきた。
「〈異端の教理〉の中で動いているやつらは皆殺しにしろ」
巨人と骸骨兵に指示を出し、ネクロスはバフォメットとリーゼの入った棺桶を連れて浮かび上がった。そして上空に出現させた棺桶の『門』の中に消えていく。
「リーゼ! くそっ!」
追おうにも届かない。それ以前に目の前の巨人が棍棒を振り下ろしてきた。今の俺の身体能力じゃ、とてもじゃないが避けられないぞ!
万事休す……なのか……?
「俺的に、遅れてすまん」
ガァン! と。
振り下ろされた棍棒が俺の頭上寸前で停止した。
目の前には、マロンクリーム色の髪をした作業着姿の男が立っている。そいつの翳したトンファーが巨大な棍棒を軽々と受け止めている。
「グレアム!」
「こいつを連れてきた。さっさと封印具を外してもらえ」
そう言って、グレアムは片腕に米俵のように担いだ白衣を俺の方にポイッと放り投げた。
「あー、貴様、この私を乱暴に扱うな!」
アーティだ。封印具の鍵と思われるカードキーを何枚も持っている。助かった。でももっと早く来てほしかったね。
「はっはァーッ!! てめェ的にでけェくせにこの程度かァ!」
アーティの文句なんて聞いちゃいないグレアムは巨人の棍棒を片手のトンファーだけで押し返し……せ、背中から転倒させちまった。なんつう馬鹿力だ。
「あー、封印具を解除したぞ。お前も早く暴れてこい。私は他のやつらの封印を外してくる」
「アーティ、先に稲葉を頼む。重傷だ。封印の方は俺がやっとく」
「あー、私は医者じゃないのだがな……。封印具の番号と同じ番号のカードが鍵だ」
「了解」
やる気なさそうに言いながらも、なんだかんだでクラスメイトの心配はしているらしいアーティは急いで倒れている稲葉の下へと駆けて行った。俺は受け取ったカードキーを持って近くの仲間に渡して行く。
その途中で日本刀を生成し、襲いかかってきた骸骨兵を斬り倒す。
封印を解除された監査官たちも反撃を開始した。そうなると敵兵の数が物凄い速度で削り取られていく。
「悠里!」
俺は未だに立ち尽くしていた悠里の肩を揺さぶった。悠里はハッと正気づいて俺の顔を見ると、どこか悔しそうに唇を噛んだ。
「ごめん、どうかしてたわ。もう大丈夫。今はリーゼちゃんが〝魔帝〟かどうかなんて関係ない。『柩の魔王』を滅することだけを考えるわ」
「ああ、頼む。力を貸してくれ」
「言われなくても!」
俺は日本刀で、悠里は短剣で、お互いの背後から襲撃しようとしてきた骸骨兵を葬った。
最も脅威的な存在である巨人もグレアムによって捻じ伏せられている。
俺たちがこの場の敵を殲滅するのに十分もかからなかった。




