三章 競い合う紅白(3)
「いやぁ、見事なこけっぷりだったね白峰君」
ゴールで二位の銀バッジを受け取り、すぐに次の種目があるというセレスと別れた後だった。なんだか知らないが、ばったり出会った見知らぬ女子生徒から嘲りを隠そうともしてないありがたーいお言葉をいただいてしまった。
長い黒髪をバレッタで後ろに纏めた長身の女子だ。紅組のハチマキをしているから敵だが、体操着の刺繍の色を見るに同じ高等部二年だな。顔立ちは美人な部類で、胸がでかい。そりゃもう体操着が窮屈なんじゃないかって思うくらいでかい。直視できないくらいでかい。
「おかげで紅組に高得点が入ったからお礼を言った方がいいのかな? ありがとう、白峰君のおかげで紅組の未来はまた一つ明るくなったゾ」
で、なんか親しげに皮肉を吐いてくるんですけど……こんな女子いたっけ?
「いや、誰だよお前?」
「……その顔は本気で私が誰かわかっていないようだね。……MKウルトラ計画」
「なんで俺を見ながらCIA科学技術本部の洗脳実験のコードネームを……はっ! お前郷野か!?」
白衣じゃないからわからなかった。あいつの本体って白衣じゃなかったの?
「ふむ、髪型がいつもと違うからか? まさか白衣が私の本体だと思っていた、なんてことは流石の白峰君でもないだろうが」
「あ、当たり前だろ」
こいつエスパーかなんかなの? 実は異世界人だったりするの?
「顔が引き攣っているゾ、白峰君?」
「ソンナコトハナイ。断ジテ」
落ち着け俺! これ以上ボロが出ると人体実験されちまう! とにかく要件だけ聞いてさっさとこいつから離れるんだ。
「それより俺になんの用だ? まさか笑いに来ただけってわけじゃないだろ?」
「うむ、そうだな。笑いにも来たが、ついでの要件もある」
笑いに来た方が本命だった。ついでならもういいから帰れよ。
「知っていると思うが」
そんな俺の面倒臭いオーラを知った上で郷野はスルーし、左腕の腕章を右手で摘まんで見せる。
「私は保健委員として体育祭の救護班も務めている。白峰君はさっき派手に転倒しただろう? 念のため怪我がないか診察しておこうと思ってね」
「ちょっと擦り剥いただけだ。血も出てない。手当ては不要だから要件は済んだな? じゃあ俺は戻るから」
「大変だ白峰君。右足が骨折するゾ。早く救護テントへ」
「なんで未来形なんだよ!? お前俺を戦闘不能にしたいだけだろって危ねぇえッ!?」
郷野はどこに隠し持っていたのか組立テント用の部品らしい鉄パイプで俺の右足を狙ってきた。狩人のような目つきだった。怪我人がいなけりゃ怪我人を作ればいいとか本気で思ってそうで恐い。
「くそっ、付き合ってられるか!?」
「あっ、逃げるなら足一本置いて行くんだ白峰君!」
「山姥かお前は!?」
ダッシュで逃げたら妖怪・郷野も無理に追いかけて来なかったな。さっき走ったばっかりだってのに、なんで競技でもないのに疲れないといけないんだよ。
ようやっと白組の陣地に戻ると――
「いたぞ白峰だ!」
なんか、俺のクラスの男子連中が物凄い形相でこっちを睨んで来たんですけど。
「な、なんだよお前ら……?」
「白峰貴様ぁーッ!?」「あそこまで行って転ぶとは情けない!?」「お前は俺たちを紅組の奴隷にする気か!?」「途中で紅楼さんとイチャつきやがってコロス」「敗北者には死を!!」「イチャつき野郎にも死を!!」「寧ろイチャつき野郎にこそ死を!!」「そういや網に絡まったセレスさんのあられもない姿をこいつ間近で……」「っしゃオラーッ!?」「ユーブッコロス!!」「天誅!!」「ボクは白峰くんの奴隷にならなってもいいよ!」「お前ら味方じゃねえの!? あと最後のやつ黙れ!?」
火山の噴火のようにバーサークした男子たちがテント用鉄パイプを握って一斉に襲いかかってきやがった。最後の方理由が『敗北者の制裁』じゃなくなってるぞ。あとその鉄パイプ流行ってんの?
なんとかダッシュで逃げられたけど、白組陣営にもしばらく帰れなくなったよ。まったく、ハチマキの奪い合いをイチャついてるように見えるとかどんな視力してんだ。
「……どうすっかな?」
次の競技までは時間がある。そもそも俺は最低限しか出場してないからな。
人ごみの中にいたら刺客に後ろから刺されるかもしれん。味方の方に敵が多過ぎて泣けてきそうだ。もういっそ紅組陣地にいた方が安全な可能性まである。
「仕方ない、校舎の方で時間潰すか」
そういうことで俺は誰もない校舎まで行くと、適当な日陰を見つけて腰を下ろした。体育祭のアナウンスが聞こえるギリギリの距離だ。
今ごろはセレスも出場している女子の競技が行われているだろう。直接応援してやれないのはなんか悪いが、まあセレスのことだから順当に勝ってると思うよ。
空を見上げれば忌々しい太陽……はここからじゃ建物があって見えないが、透き通るような青い空に白い雲がのんびりと流れている。
こうしてなにもしないでいると、時間がゆっくりに感じるね。
たまには一人になるのもいいかもしれん。
「…………先週の…………ってますか?」
「あー…………には………限界が………」
ん?
なんだ? 誰かの話声が聞こえる。俺とは違う理由のサボり魔か?
「……げ」
気になったので校舎の角からこっそり顔だけ覗かせると…………見知った服装があった。
ド派手な十二単と、地面を引きずるほど長い研究衣。
日本異界監査局局長と異界技術研究開発部第三班班長。
法界院誘波とアーティ・E・ラザフォードだった。
なにやってんだあいつら?
「あー、次空の歪みについては今のところ正常だ。正常に不安定だがな。あー、お前の考えすぎではないか、誘波?」
「だといいのですけどぉ、どうも先週の『次元の門』と『混沌の闇』が同時に開いた日から胸騒ぎがするのですよぅ」
「あー、同時に開いたそれより、門から出てきた存在の方が気がかりなのだろう?」
門から出てきた存在?
誘波が相手したっていう異獣のことか? 特に被害もなく倒したって聞いてたけど、実はかなりヤバいやつだったのか? 誘波が自分で動く必要があるほどの。
「そうですねぇ。あの骸骨ちゃんはレイちゃんに近い魔力……正確にはリーゼちゃんに近い魔力を持っていました」
「あー……『魔王』か」
「あの骸骨ちゃんが『魔王』ということはないでしょうけれど、行動がどうも斥候兵のような感じがしました」
「あー、だが事実、この一週間は何事もなかったぞ。お前に渡されたその骸骨とやらの剣で逆探知を試みたが、さっきも言った通り限界がある。あー、仮に骸骨が魔王の斥候だとするなら、守護者の力を見て攻め込むのを諦めた可能性の方が高いだろう」
「私はなにもしてないんですよぅ。骸骨ちゃんを倒したのは、光輝く翼を生やした天使のような〝人〟でした」
「あー、そちらも調査してはいるのだろう? 未だに見つかってないようだが」
「アレは悪いモノではないことだけは確かです。私と同じ世界の守護者の気を感じました。ですがこの世界の守護者ではありませんねぇ。もちろん、ラ・フェルデでもありません。知らない異世界からわざわざあの骸骨ちゃんを追ってきたのでしょうか?」
「あー、だとすればもう自分の世界に帰っているだろう。監査局の捜査力で見つからないならそういうことだ」
「それなら構いませんが……」
疲れたように眉間を揉むアーティに誘波は納得いかなさそうに唸っていた。
……。
…………。
………………。
これ、俺が聞いていい話だったのか? 聞いていた事後報告とはだいぶ差がある。というか、『普通に異獣がいて誘波が倒した』としか聞いてないぞ。
その異獣が骸骨だったことも。
魔力が俺やリーゼに近かったことも。
そして倒したのは誘波じゃなく、誰とも知らないやつだったことも。
魔王が攻めて来るのか? この前の『竜王』みたいなとんでもない化け物が。だったら暢気に体育祭なんてやってる場合じゃないぞ。いやでもあれからなにもなかったわけだからアーティの言う通り考え過ぎなのかも――
「盗み聞きは私の専売特許ですよぅ、レイちゃん」
「――ッ!?」
バレていた。
「聞かれたくなけりゃ、こんなところで話してんじゃねえよ」
逃げる必要はないし誘波からは逃げられない。俺は潔く二人の前に姿を見せた。
「私も体育祭で忙しいので、あまり離れられないのですよぅ」
「嘘つけ。テントの下で麦茶飲んでるだけのくせに」
それにこいつは俺に気づいていた上で話を進めていやがった。つまり、もう別に聞かれてもいい内容だったってことだ。
「あー、白峰零児!」
と、アーティが口に含んでいた棒つきキャンディーを取って俺に詰め寄ってきた。
「あー、貴様、あの郷野とかいうデカ女はなんだ! 白衣がどうのとしばらく纏わりつかれて大変だったのだぞ!」
「ああ、それな。俺もよくわからん」
すげー、郷野のやつあの後でアーティとエンカウントしたのか。なんという強運だ。アーティにとっては不運以外の何物でもないな。
「あー、危うく研究施設にまで押しかけられそうになったから軽く弄ってやった」
「なにを!?」
「あー、記憶だ。あのデカ女は私のことを綺麗さっぱり忘れているだろう?」
そういえば郷野の口からアーティに会ったとかって聞いた覚えがないな。てっきりエンカウントしなかったんだと思っていたが、そういうことだったのか。
「ところでレイちゃん、今ここで聞いた話ですが」
「ああ、誰にも言わねえよ。不確定なことで余計な混乱は避けたいんだろ?」
「いえ、別に話しても構いません。アーちゃんの調査結果から考えても、恐らくもう大丈夫だと思いますので。レイちゃんも普通に体育祭を楽しんでください」
「いいのかよ」
話すか話さないかは俺に任せるってことだ。そういうことなら俺は話すぞ。まあ、体育祭が終わってからになるだろうけどな。
「ただ、聞いてしまった以上、念のためしばらくは少し気を引き締めておいてください」
誘波はいつものおっとり緩んだ微笑みを浮かべていたが、その言葉には少しばかり真剣みが感じられた。
「――なにが起こってもいいように」