二章 不穏の予兆(4)
昼食は俺の提案で喫茶店『オストリッチ』で取ることにした。ハンバーガーとかでもよかったけど、まあなんというか、そういうファーストフード店は市街地の方まで行かないとないんだよな。リーゼお嬢様のお腹の虫がもたない。
店に入り、俺、リーゼ、セレス、悠里の四人でテーブルを囲む。桜居? あー、なんか真っ白に燃え尽きていたから置いてきた。
昼食時は過ぎ、ティータイムにも早い微妙な時間帯だからか、客は俺たちだけだな。そういや、こういう飲食店って客がいない時ってなにやってるんだろう? 仕込みとか掃除かな?
飲食店でバイトとかやったことのない俺はなんとなくそんな疑問を覚えながら、カフェオレを一口。うん、美味い。
マスターの淹れるこのカフェオレと、レトロな洋楽が流れる落ち着いた内装の店内は……
いつ来ても、俺にとって癒しになってくれる。
「フグの生肝をご注文のゴミ虫様、お待たせ安定です」
「頼んでねえよ!?」
この毒殺ウェイトレスさえいなければな!
くそっ、ぬかった。この前こっそり確認しておいたレランジェのシフト表だと今日はいないはずなのに……どうも俺の勘違いだったらしい。
「甘いですね、ゴミ虫様。あのシフト表はレランジェが偽装安定です」
バレとる!? そして読まれとる!?
「いいから普通に頼んだ料理持って来てくれよ! 俺のラザニア!」
「チッ……了解安定です」
客に向かって盛大な舌打ちを隠そうともせず鳴らしてから、フリフリのウェイトレス衣装を着込んだレランジェは厨房へと消えていった。
すぐに問題を起こしてクビになっていたレランジェだが、この店はかなり長続きしているな。ひとえに寛大な心を持つマスターのおかげだが、長続きすることはいいことだ。アルバイトにさっさと飽きたリーゼと一緒に辞めればよかったのに。……いかん、本音が。
てかこの毒物も下げろよ。たとえ毒抜きしててもフグの肝の食用提供は食品衛生法で禁止なんだぞ。
「あなたそんなの食べるの? 流石魔王、キモイわね」
「食わねえよ!? なにを聞いてたんだ今!?」
隣でナポリタン・スパゲティをフォークに絡めていた悠里が、物凄く気持ち悪そうな顔でフグ肝と俺を交互に見てドン引きしていた。
「零児、早めにそれを下げてもらってくれないか。あまり食欲のそそる見た目ではない」
ピザを切り分けていたセレスもフグ肝に嫌悪感を隠せない顔をしているね。セレスは生魚とかダメ系だったっけ。ちなみにそこでハンバーグを幸せそうに頬張っているリーゼは、目の前にあるのに全然気にしてない感じです。
「わかったよ。自分で持っていく」
俺はフグ肝がべちゃりと乗った皿を持って席を立ち、コーヒーミルで豆を挽いていたオストリッチのマスターに預けた。マスターは皿を受け取るとなにも言わず踵を返した。リサイクルしてきそうなウェイトレスよりもこの人に任せた方が安心だ。
――ん?
今、なんか視線が……?
リーゼたちじゃない。マスターもレランジェもこの場にはいない。敵意や殺意といった物騒な類ではないが、どことなくネバっとした視線だった。
感じた方向は……上?
「にゃゆぅ~」
振り仰ぐと、木造の天井の向こうからそんな鳴き声が聞こえてきた。
「……なんだ猫か」
あとで保健所に連絡だな。
猫には悪いがと思いつつ、それ以上天井には目を向けず席に戻ると――
「……」
「……」
「……」
あれ? なんかちょっと空気が重くなってるような気がするぞ。
三人とも食事の手を止めて睨み合っている。いや、実際睨んでいるのはリーゼで、その視線を悠里が困った顔で受けている。セレスは溜息をつきそうな呆れた様子でそんな二人を見ていた。
「どうしたんだ?」
訊くと、セレスがやれやれと言ったように首を振った。
「ああ、零児。それが、体育祭の話をしていたのだが……」
「わたしは、お前と組むつもりなんてないわ」
セレスの状況説明を遮ったリーゼがはっきりと悠里に言葉を突きつけた。
「組むもなにも、同じ紅組だし、もう仲間でしょ? だから一緒にがんばろうねってだけなんだけど……」
悠里もどう対応したらいいかわからない様子だ。これはリーゼお嬢様のいつもの癇癪だな。悠里のなにが気に入らないのか、そこをはっきりさせないと解決できないぞ。
「なにが嫌なんだ、リーゼ? 別に仲良くすりゃいいだろ」
どうせまたくだらないことだろうと思いながら訊くと、リーゼはムスッとした顔で――
「そいつからは嫌な感じがする」
そう、言った。
「嫌な感じ?」
「うん、わたしにとっては嫌な感じ。でも、そこの騎士崩れにとってはいいものだと思う。騎士崩れの剣と似てるわ。だけど、それよりずっと強くて眩しい力をそいつの中に感じる」
セレスが白い布に包まれた超長剣を見る。聖剣ラハイアン。それと似ているってことは、別に悪いモノじゃない、よな。
悠里が、勇者だからか? いや、その話はリーゼだって聞いているはずだ。なのにこんなに回りくどく言うとなると、関連はしているかもしれないが別の要素と考えた方がいい。
リーゼは紅い目をより剣呑にして、
「お前、なにを隠してるの?」
ほとんど確信している言い方で問い詰めた。
「……そう」
リーゼの対応に困っていた悠里はこの問いで……変わったぞ。表情が、戸惑いから真剣なものに。
「あなたと同じようなことを言ってきたやつらがいるわ」
悠里は自分を落ち着かせるように水を一口啜ると、改めてリーゼに向き直る。
「魔族――アタシがこれまで倒してきた魔王たちよ。リーゼちゃんから魔力は感じられないけれど、もしかして魔族と関わりがあったりするの?」
「わたしは〝魔帝〟で最強よ」
うわぁ……。
ついに言っちまったよ。俺たちが暗黙の了解で禁止ワードにしていた〝魔帝〟を。悠里の前で。
「〝魔帝〟……?」
目を大きく見開いた悠里。くそっ、こうなったら仕方ない。いつ戦いが始まってもいいように俺はセレスとアイコンタクトを取り、鎮圧のための戦闘態勢に移行する。
だが、悠里は――
「ぷっ。あははははは!」
笑った。〝魔帝〟と聞いたら問答無用で殴りかかるかと思っていたのに、どういうことだ?
「なにがおかしいの!?」
「ごめんごめん。どこでその言葉を覚えたのか知らないし、アタシの知っているものと同じかはわからないけれど、冗談でもあまり使わない方がいいわよ。〝魔帝〟は『魔王の中の魔王』。だけど、アタシが勇者になる前からとっくにいないのよ」
そうか。今は魔力が空っぽのリーゼが魔王だの〝魔帝〟だの言ったところで、悠里には冗談にしか聞こえないんだ。
対する本気でそう言ったリーゼは、あらら。笑われて顔を真っ赤にしちゃってるよ。わなわなと小さな体を震わせて、別の意味での戦闘というか喧嘩が起こりそうだ。
だがリーゼもわかっている。自分にはもう魔力がなく、悠里と喧嘩しても勝てないだろうってことくらいな。
待て、そういえばなんか忘れているような……
「おねえさまを笑うなユゥ!!」
そんな叫び声が天井の方から聞こえ――ぽたり、ぽたり。
雨漏りでもするように、ピンク色をしたゲル状のなにかが天井の隙間から降ってきた。店内の中央の床に降り積もったそれは、一つの大きな塊となってぐにょぐにょと動き始める。やっぱ保健所に連絡する前に出て来ちゃったよ、『猫』が。
「ひぃッ!?」
真っ赤にしていた顔を一瞬で青くするリーゼ。
「スライム!? どうしてこんなところに魔物が!?」
ガタッ! 慌てた悠里が椅子を倒して立ち上がった。
「待て悠里、アレは確かにスライムだが魔物ってわけじゃ――」
「危ないわ! みんな下がってて!」
言うや否や悠里の体が輝き始める。あ、これもう止まらねえわ。
突如店内に出現したピンクスライムは、うにょっていた体をリーゼへと突進させる。ぬるネバが大嫌いなリーゼは超悲鳴を上げた。スライムは次第に人間の少女の姿へと形を変えていき――
「おねえさま! マルファが来たからにはもう大丈夫だユゥふにゃごあぁあああああああッ!?」
悠里の光速パンチが丁度変形を完了したマルファの顔面へとクリティカルヒットした。
「マルファ殿!?」
「え!? 人間!?」
ガタガタドシャゴロン!! と店内を見事に引っ繰り返して壁まで吹っ飛んだマルファを見て、今度は悠里が顔を青くした。
「ど、どうしよう……アタシ、思いっ切り殴っちゃった……」
「いや、大丈夫だろ」
舞い上がった埃の中から、ゆらり、と。
ピンクブロンドのツインテールをした少女がノーダメージで立ち上がった。
「先制攻撃とは卑怯だユゥ! でもマルファにパンチなんて効かないユゥ!」
マルファはツインテールの先端を刃に変形させて悠里を襲う。悠里は伸びてきたツインテールに一瞬戸惑いの色を見せるも、相手に敵意があることを理解して戦闘モードの顔になった。
制服のスカートに隠していた短剣でツインテールを捌き、その隙をついて光の速さでマルファに接敵すると、
「あぐっ」
マルファの首を短剣を持った腕で押さえつけるようにして押し倒した。
「零児、この子、野生の異世界人でいいのよね?」
馬乗りになってマルファを押さえつけながら悠里が振り返る。野生って……。
「あーいや、残念ながらそいつは一応監査官見習いなんだ」
「え?」
「違うユゥ!」
ドロっと人間体からスライム体に変化して悠里の束縛から逃れたマルファが、再び少女の姿に戻って小さな胸を張った。
「今日からマルファは正式な監査官になったユゥ。このバッジを見ろユゥ」
そう偉そうに言うマルファの、ピンクのワンピースの左胸に弁護士バッジみたいなのがついているな。なるほどアレが正規の異界監査官を示すバッジなのか。なにそれ俺知らんのだけど。
「お前、よく見習いを卒業できたな?」
「教育機関の人が言ってたユゥ。『もうこのスライム閉じ込めとくの超ムリ』って」
「諦めんなよ!?」
確かにこれまで事あるごとに施設を抜け出してはいるが、それで正規の監査官にしちゃっていいのかよ。
「これでいつでもおねえさまと一緒にいられるユゥ♪ おねえさまぁ~ユゥ~♪」
「ひぇっ!?」
マルファが蕩けそうな笑顔を向けると、リーゼはこの世の終わりを見たように震え上がってセレスの後ろに隠れてしまった。
「スライムを怖がる〝魔帝〟……ぷっ」
そんなリーゼの様子に悠里は軽く吹き出しているぞ。これは完全に冗談だと思っただろうな。
「お前、また笑ったユゥ! やっぱり許さないユゥ!」
ぶわっ!
マルファは叫ぶと同時に、床下に仕込んでいたらしい体の一部――まあスライムだが――を一気に噴き上げた。床板を押し退けて噴出したピンクの半液体は、悠里の体にねっとりと絡みついて……な、なんかエロいな。
「やだ……気持ち悪い……動けない」
「そのまま串刺しになれユゥ!」
重ね合わせたマルファの両腕が、一本のピンク色の槍と化す。絡みついたスライムで動きを封じられた悠里に槍の穂先が向けられる。
が――
「友達を笑ったことは謝るわ。でも、あまり私を舐めないことね」
悠里が光になる。
「ユゥ!?」
纏わりついていたスライムは一瞬で弾かれ、亜光速の掌底がマルファを店の壁ごと遠くまで吹き飛ばした。
「ユゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウゥゥゥゥゥゥゥッ!?」
青空の彼方に飛んでいくマルファ。その悲鳴が聞こえなくなってから、俺はようやく現実に戻る決意をした。
「で、この惨状はどう片づけるつもりだ?」
「……どうしよう」
床には穴、壁にも穴、店内はめちゃくちゃのぐっちゃぐちゃに荒れ果てている。これだけ暴れてマスターが出てこないってことは、もしかしてフグ肝の処理で店を空けてるのかな? だったらひとまずは助かった。
「ゴミ虫様、ご注文のラザニア安定です」
「今さら!?」
レランジェはレランジェでどんだけ騒ごうが出てこなかったわけだ。なんかオストリッチの未来が心配になってきたぞ。
「どどどどうしよう。アタシのせいだよね? タダ働きで許してもらえるかな?」
オロオロしながらもその辺の机から元に戻そうと努力する悠里。と、そこにリーゼがとことこと歩み寄った。
リーゼはバツが悪そうに口をもごもごさせて――
「……組んでもいいわ」
少し恥ずかしそうに、そう告げた。
「え?」
「お前、あのスライムを追っ払ってくれたから。嫌な感じはするけど、わたしにとっていいやつだってわかった」
「あー……えっと……」
困惑する悠里が俺を見た。
「歩み寄れるきっかけになったんなら、とりあえず一緒に片づけしたらどうだ?」
「そう、ね。じゃあ、リーゼちゃん、片づけを一緒にお願いしてもいい?」
「うん、わかった」
そうして片づけを始める二人をなんとなく微笑ましく眺めていた俺だったが――
「零児、まずは誘波殿に連絡した方がよいのではないか?」
「そうだな」
眺めているだけじゃ、ダメだよな。
セレスに言われて携帯を取り出し、誘波の番号に発信する。
『もしもし? 私ですよぅ私』
「なんでかけられた方がオレオレ詐欺みたいになんてんだよ」
もう切ってもいいかな?
『マルファちゃんがご迷惑をおかけしたようですねぇ。そのお店はこちらの方で事後処理を行っておきますぅ』
「今さらな気もするが、なんで言う前から状況知ってんだよ?」
『マルファちゃんに渡したバッジが発信器になっていましてぇ、音声も拾えるのです。今吹っ飛んだマルファちゃんも回収しているところですよぅ』
あのバッジはやっぱり正規の監査官を示す物じゃなかったみたいだな。監査官にはするが、監視対象でもある証拠だ。
『それより丁度よかったです。レイちゃんたちにお仕事を頼みたいのですが』
「『次元の門』か?」
『はい。場所はそのお店から北東に六百メートルほど行った場所にある大通りの交差点です。人払いは既に行っていますので、いつも通り対応してください』
こんな時に仕事か。
まあ、この惨状を俺たちだけでどうにかできるわけないから、監査局に事後処理を任せた方が無難だよな。
さて、そうと決まれば壁と床の大穴を見てはわはわ言ってる悠里たちに伝えて、現場に急ぐとするか。