一章 勇者の凱旋(1)
冗談だと思いたかった。
これが現実だと信じたくなかった。
訓練と戦闘と入院とリハビリで費やされた俺の夏休みが、あとたった数日で終わりを迎えるんだ。一週間もないんだぞ! 宿題とか手つかずなんだぞ! そろそろやばい!
――って違うそうじゃない。それも目を背けたくなる現実ではあるけど、俺が今直面している問題はそこじゃない。
伊海学園二号館――異界技術研究開発部の屋上。そこに設置されている人工の『次元の門』から、彼女は現れた。
いや、帰ってきたと言うべきか。
東に暴れる不良がいれば、行って拳で黙らせるほどの正義感。
西に横断歩道で立ち往生する老婆がいれば、行って手助けするほどのお人好し。
南で一円玉を拾ったならば、北の交番にまで届けるほどの正直者。
そして一年とちょっと前に異世界に飛ばされ行方を暗ました、俺の――白峰零児の幼馴染。
紅楼悠里。
異世界の民族衣装らしきドレープのついたポンチョとミニスカートには見覚えないが……あの後ろで一つに結った赤々とした髪、強気で真っ直ぐな意思の籠った瞳は間違いない。
ずっとずっと探していた彼女が、居場所を守りながら待っていた彼女が、ようやく帰ってきたのだ。
なのに――
「――あなた、誰?」
悠里は、俺を見て不思議そうに小首を傾げるだけだった。その仕草は冗談でも照れ隠しでもなく、心の底から俺が誰だかわかっていない様子だった。
「誰って……変な冗談はやめろよ。俺だ、白峰零児だ」
「しらみねれいじ……れいじ……?」
警戒心を強めて俺の名を反芻する悠里に、俺は敵意がないことを示すため諸手を上げた。だが、逆に悠里は敵意剥き出しの鋭い視線で俺を射抜いてくる。
「やっぱり、覚えのない名前ね。そもそも、アタシは出会った魔王は全て駆逐しているのよ。そうやって知り合いを装ったって騙されないわ!」
「魔王? なんのことだ?」
近いところで〝魔帝〟ならそこにいる金髪黒衣の少女――リーゼロッテ・ヴァレファールがそうだが、悠里は俺だけをまっすぐ睨んで『魔王』と呼んだ。
どういうことなの?
「レイちゃん、あのユウリちゃんに考えられる可能性は三つです」
と、耳元でおっとりとした声が囁かれた。頭がおかしいくらい派手な十二単を纏った天女もどき――日本異界監査局局長の法界院誘波だ。
「一つ目は同姓同名同じ姿の全くの別人。二つ目は彼女もユウリちゃんですがぁ、私たちが存在しない並行世界から来たユウリちゃん」
間延びした声で淡々と誘波は可能性を挙げていく。
「三つ目はぁ、私たちの記憶を失ってしまった可能性ですねぇ」
き、記憶喪失かよ。しかも誘波の言い方からして、それが一番可能性高いっぽいぞ。異世界に飛ばされた時に頭でも打ったのか?
「別人やパラレルワールドの方がまだ面倒事のレベルは低そうだな」
「それでも私たちの知っているユウリちゃんだったら、やっぱり嬉しいのでしょう?」
「……」
そりゃそうだが、なんとなく気恥ずかしいから肯定はしないでおく。
「確かに、アタシはある時からの記憶が一切ないわ。でも――」
俺たちのヒソヒソ話は思いっ切り聞かれていたらしい。悠里はすっと目を細めて俺らを見据え――ザッ。足を前後に開き、徒手格闘の構えを取った。
「それとこれとは関係ない! アタシはこの世界をあなたが滅ぼす前に救うだけ!」
そう啖呵を切った瞬間、悠里の全身が淡く輝き始める。あの予兆は知っている。何度だって見たことがある。
――来る!
そう頭で理解した時には既に強烈な掌打が俺の顔面を捉えていた。首が捻じ切れそうな威力に俺の体は電磁砲のごとく吹き飛んだ。背後にあった階段室の壁を生身でぶち抜く。痛っえな。稲葉の『瞬神剛破』なんて比じゃねえぞ。
「レージ!?」
「零児!?」
リーゼとセレスの悲鳴が重なった。リーゼは慌てた様子で俺の方に駆け寄って来たが、主君の傍に仕えていた銀髪ポニーテールの女騎士――セレスティナ・ラハイアン・フェンサリルさんは今ので悠里を『敵』と認識したらしいな。翠色の眼を鋭くして聖剣ラハイアンの柄を握る。
「待て、セレス」
抜剣しようとしたセレスをその主君が一声で制した。異世界『ラ・フェルデ』の国王にして神剣の継承者、クロウディクス・ユーヴィレード・ラ・フェルデ。奴は吹っ飛ばされた俺を一瞥すると、全てを知っているかのようにニヤリと笑った。
「白峰零児に大したダメージはない」
やっぱりあいつには敵わないな。たぶんこの場にいる大多数には目にも留まらなかった一瞬の攻防を全部把握してやがる。
「そういうことだ、セレス。これは俺の喧嘩だ。手を出すな」
支えようとするリーゼを手で拒み、俺は自力で立ち上がる。
「だが零児、本当に大丈夫なのか? 壁を突き抜けたんだぞ」
「レージってこんなに頑丈だったっけ?」
二人の疑問はもっともだった。実は俺だってちょっとビックリしてる。前までの俺だったら五体満足でも立つことは無理だったかもね。
理屈はわかんねえが、そのくらい鍛えられたってことだろ。たぶん。
それに――
「手応えが軽過ぎたわ。アタシの攻撃を初見で受け流すなんて、あなたなにをしたの?」
初見じゃないからさ。
「光の速さでの一撃。『光速移動』がお前の能力だろ」
「――ッ!?」
能力を看破された悠里が息を詰まらせる。文字通り最高速度が光の速さにまで達する移動能力だ。悠里の移動を目で追うことはほぼ不可能。その速度から生み出される破壊力はこの街一つくらい一撃で葬ることだってできる。
まあ、理論上だけどな。
「実際に光の速度なんて出したらお前の体もただじゃ済まないだろ。だから速度は加減せざるを得ないし、移動前に体が輝く予兆もある」
なにより速過ぎて直線でしか移動できない。一緒に育って一緒に戦ってたんだ。あいつの弱点くらい知っているさ。
「さっきはいきなりだったからくらっちまったが……次は避けるぜ」
「一発で見抜いた……ってわけじゃなさそうね。アタシの力を誰から聞いたわけ?」
「誰からって、そりゃお前自身だろ」
「わけのわからないことを!」
記憶のない悠里の体がもう一度輝きを帯びる。それを視認するや俺は横に飛んだ。鼻先をチリッと光が掠る。宣言通り、かわしてやったよ。
「本気で記憶喪失だってんなら俺が思い出させてやる! 力づくでな!」
女子だから殴れない、なんて言える間柄じゃないしな。
俺と悠里が対立することなんてしょっちゅうあった。だいたいは給食の余ったプリンをどっちが食うかとか超くっだらない内容だったが、その度に俺たちは拳で決着をつけた。最初の頃は悠里の能力に手も足も出せずボコられてた俺だったけど、戦い慣れてくれば勝つことだってできた。
勝敗は今のところ五分五分だったはずだ。
「ちょっと暴れるから、みんなは下がっててくれ!」
だから、今回で勝ち越させてもらう!
〈魔武具生成〉――棍。
俺の右手に集中した魔力が棒状のシンプルな武器を具象させる。相手は無手だが卑怯なんて言うなよ。無手でもしっかり能力は使ってんだからな。
「武器を作った……?」
一瞬で真逆の位置に移動した悠里が眉を曇らせた。俺の〈魔武具生成〉を見てもまだなにも思い出さないみたいだな。
やっぱ叩くしかないか。
再会して早々に喧嘩とか、俺たちらしいと言えばらしいな。
「来いよ。次もまた避けてやるから」
棍を構え、挑発する。そんな俺に悠里はムッと唇を尖らせると、体を淡く発光させる。
「……こっちも、ちょっと本気を出さなきゃいけないみたいね」
また性懲りもなく光速移動を――とは思わない。超速度に頼った猪突猛進の一撃必殺ではなく、悠里は調整された速度で俺の眼前へと出現した。
そして――抜いたな、スカートの中に隠していた短剣を。
キン! 棍と短剣が金属音を立てて交差する。攻撃を俺に読まれていた悠里は琥珀色の眼を大きく見開いた。
「未来予知でもできるの? それともアタシの心が読まれてるわけ?」
「だから俺は知ってるんだって。昔のお前をな」
これが記憶を失っていない悠里なら、こんなテンプレートな戦法など取らないだろうね。……ん? そういえば記憶はないのに戦い方は覚えてるんだな。名前も忘れてなかったみたいだし、もしかして一切合財忘れちまったわけじゃないのか?
いや、よそう。余計なこと考えながら戦える相手じゃない。
「それならそういうことだと思って戦うことにするわ!」
回転して振り回した棍を悠里は高く飛んでかわし、キラリと陽光を反射する短剣を投擲した。
光の速度で。
「なっ!?」
短剣が斜め後ろの床に突き刺さってから、俺は左腕を浅く斬られたことに気づいた。物体を光速移動させる。そんなこと、俺の知っている悠里にはできなかった。
悠里も俺と同じ異世界人と地球人のハーフだ。ハーフは魔力許容量が莫大になる代わりに、その能力が著しく劣化する。俺の〈魔武具生成〉は種としての能力じゃないことは母さんに教えられたが、もう一つの〈吸力〉に至っては左手で直接触れなければ発動できない。純粋な異世界人の母さんは触れる必要なんてないんだ。
悠里は母親が日本人で父親が異世界人。つまり父親が光速移動の能力者だったわけだが、俺はその力を一度しか見たことがない。
悠里の父親が母親を拉致する形で次元を渡った、その瞬間だけだ。
だから、光速移動がどう劣化しているのか俺は知らなかった。せいぜい次元を渡れないってことくらいか。いや、その考えも今の悠里には通用しないな。
実際、悠里は自分自身の力でこの世界に戻って来たんだから。
「避けるかもと思ってわざとずらした位置に投げたけど……よかった。今のは知られてないみたいね」
短剣が悠里の手元に戻って行く。アレはわかる。柄に鋼糸を巻きつけているんだ。短剣と鋼糸、自分自身の光速移動と徒手格闘。俺が知っている紅楼悠里の戦法はそれだけだ。
まさか、悠里はハーフの劣化を克服しているのか?
「お前もずっと戦ってたんだな」
光速で投げても耐えられるとか、あの短剣も鋼糸も普通じゃないな。
「そうよ。私は勇者。魔王を、悪を滅ぼす者。あなたの中にある邪悪な魔力を野放しになんてできないの」
「魔力? ……ああ、そういうことか!」
「な、なによ?」
突然大声を上げた俺に悠里が一歩後ろに下がった。
「悪い。俺は魔王の魔力を奪っただけなんだ。それを感知して俺を魔王だって言うんなら間違っている! 俺は魔王じゃない! 人間だ!」
誰がその『魔王』だったのかはあえて伏せる。言えば、悠里はもしかすると無力なリーゼを襲いかねない。
「魔王の魔力を奪った……ですって?」
悠里は信じられないといった顔するが、すぐになにかを思考し始め……そして俺の周囲にいる連中にようやく目を向けた。
「言われてみれば、魔族が他にいないわね。それどころか『柱の守護者』の気が何人も……」
悠里は誘波を、クロウディクスを、アレインさんとセレスを順に確認していく。『柱の守護者』って名称が悠里の口から出てくるとは思わなかった。恐らく、悠里は世界の仕組みについて俺以上に知っているんだろう。
「……わかったわ」
悠里は短剣をスカートの中に仕舞い、まだ敵意を抑えていない瞳で俺を見据えた。
「少し、様子を見ることにする。この世界がアタシの元々いた場所だったのなら、なにか思い出すかもしれないし」
「そうしてくれると助かる。お前とこんな風に戦うなんて嫌だからな」
悠里の記憶はこれからゆっくり時間をかけて取り戻せばいい。
まずはお前が帰って来てくれたことを、俺は心から祝いたいんだよ。