四章 術式と能力(7)
「なん……だよ……これ?」
スカイテラスから眺めた街の景色に俺は言葉を失った。
多くの建物が自重で押し潰されたように瓦解し、それらを喰らって火の海が轟々と燃え広がっている。至るところから立ち上る黒煙が空一面に蔓延し、おかげで太陽の光は遮られ、真っ昼間なのに夜みたく暗い。代わりに地上の炎が街をオレンジ色に染め上げている。
死んでいた、街が。さっきの歪震だけで。
絶望的だ。
「はいはぁい、こちらに注目してくださいねぇ。動ける監査官は全員集まっていますかぁ?」
崩壊した街を背景に立つ誘波が集まった面々を見回し、遠足の引率をする先生のようなおっとり口調で確認した。あいつ、この状況でどうしてあんなに普通なんだ?
「いないのはレンちゃんとルミちゃん――影魔導師連盟の方に出張している二人だけなので、全員しぶとく揃っていますねぇ」
そうか、迫間も四条も最近見ないと思ってたら……あっちでなにかあったのか? それとも俺たちみたいに鷹羽辺りに鍛えてもらってるんだろうか?
いやそんなことよりも――
「誘波、のんびりしてる場合じゃないだろ! 早く一般人の救助に向かわないと!」
「その件につきましては心配いりませんよ、レイちゃん」
「は? 局員がもうやってるってことか?」
「いいえ。救助活動は行っていません」
誘波は落ち着いた動作で――すっ。右腕を振り、背後の燃える街並みを示して告げる。
「あの街には、誰もいないのですから」
……はい?
意味がわからなかった。
どうやら誘波の言葉を理解し兼ねているのは俺だけじゃないらしく、この場にいる監査官全員が同じようにポカンとしていた。
「誘波殿、誰もいないとはどういうことなのだ?」
皆を代表してセレスが訊いた。
「来るとわかっている災厄に、監査局がなにも対処していないわけがありません。局員全員参加の術式で、歪震の発生自体を強引に別位相へとずらしました。景観だけがコピーされた無人のパラレルワールドに災厄を放り込んだ、と思ってください。ですので、本来の街はせいぜい震度3~4程度の影響しか受けていないでしょう」
別位相? つまり、別の空間ってことか?
だとすればとんでもなく大がかりな術式だ。局員全員が総出で編み上げているだけはある。
俺の横に立つ母さんが小さく挙手した。
「あの、誘波さん、それではわたくしたちも現在は別位相に存在しているということですの?」
「その通りです。術式の発動に連動して、あの合宿施設を転送するように仕掛けを施していました。申し訳ありませんが、別の位相と言えど、皆さんにはこれから起こるかもしれない『なにか』に即応してもらわないといけません」
転送……いつの間に。全然気づかなかった。監査官の強化合宿には、この時のために全員を一ヶ所に集める意味もあったってことか。
「――って、だからなんでそういう大事なことを前もって俺たちに伝えねえんだよ!?」
「修行に身が入らなくなったり、そんな人はいないとは思いますが怖気づいて逃げ出されても困ります。よってギリギリまで伝えない方針にしていました」
監査官たちがざわつく。誘波の言葉を納得した者、苛立った者、逆に戸惑った者と渦巻く感情は様々だ。基本的に自分勝手な監査官を従わせるにはここまでの強引さが必要なのかもしれんが、ちょっとやり過ぎじゃないか?
「ですが」
と、複雑な表情をする監査官たちを、誘波は女神のような優しげな微笑みで見回した。
「これから起こり得る危険は通常の『次元の門』の監視とは比べ物になりません。充分過ぎるほど命に関わります。どうしてもやりたくないと仰る方がいましたら、その意志を尊重しましょう」
誘波は右手で宙を切ると、ビュオッ! 突風が短く吹き、俺たちの背後へと流れた。
恐る恐る振り返る。と、そこに空間の裂け目が生じていた。裂け目の向こう側から太陽の光が零れているな。……ん? よく見ると向こうは平凡な伊海学園のスカイテラスじゃないか。てことは――
「あちら側は本来の位相です。戻りたい方はどうぞ、戻ってください。異変の起こっていない今しかその猶予はありません」
帰るなら今か、それとも全て終わった後か。
誘波は監査官たちを強制せず、選択の余地を与えた。それほどまでに今回の件はやばいってことだ。やばいからこそ本心では全員に残ってほしいのに、そんな感情は微塵も表に出していない。いざとなれば自分一人で立ち向かう、そういう覚悟が笑顔の奥に見えた。
やっぱ凄ぇよ、お前。
それがお前の――まだ詳しく聞かされてないけど、大精霊とかいう存在の捨てられない使命だとしても、凄ぇよ。
だから――
「俺は残るぞ、誘波。お前に選択肢を示させるまでもない。やらなきゃなんねえことは自分でわかる」
「レイちゃんは強制ですよ?」
おいコラ。
「無論、私も共に戦おう。この剣に誓って」
「わたしも、レージと一緒にいる!」
「マスターが残るのでしたら、レランジェも残る安定です」
「ふふ、息子や将来の娘たちだけに頑張らせるわけにはいきませんわね」
セレス、リーゼ、レランジェ、そして母さんも一歩前に出て志願し……将来の娘たち? 母さん? そ、ソレハナンノコトデスカ?
「俺的に、一つ聞きてェことがあるんだが」
と、グレアムが前髪で隠れていない左目で誘波を睨んだ。
「なんでしょう、グレアムちゃん?」
「位相がどうのとかって難しい話は俺的にわからんが、要はここではどれだけ暴れてもいいっつうことで宜しいか?」
「そうですね」
「てことはだ、誘波、てめェの言う危険ってのも放ったらかしで構わねェってことになると俺的に思うわけだ」
……あっ!
気づかなかった。グレアムの言う通りだ。異常を別の位相に押し込めたんだから、それで対処は終わっていると考えたってなんの問題もない。グレアムのやつ、馬鹿のくせに誰も気づかなかった矛盾点を突きやがった。馬鹿のくせに。
「それは違いますわ、グレアムさん」
「あァ?」
グレアムの鋭い視線が母さんに向けられる。
「『調律』で起こる災厄は『次元の門』から現れますの。つまり、わたくしたちがそうであるように、異世界人が迷い込んできた場合などは監査官が適切な対処を行わなければなりません。それに――」
母さんは遠くを、黒煙の蔓延る暗闇の彼方を凝視する。
「別位相は別位相でも、ここは人工的に造られた疑似空間。そうですわね、誘波さん?」
「正解です、アケノちゃん」
誘波は教え子に質問した先生のような笑顔で頷いた。ホント『先生』って例えがよく似合うよな。まあ、実際に理事長『先生』なんだけど。
「範囲はせいぜい直径二十キロメートル程度です。今回の災厄は全てこの中で発生しますが、空間が維持できなくなれば本来の位相へ逆流します。わかりますか? 要するに一時凌ぎでしかないということです。こちらでの処理が失敗すれば、当然、元の空間への被害は甚大でしょう」
誘波の説明に全員が息を飲み込んだ。
本当に、こいつは。
そういう事情なら最初からちゃんと説明しろっての。
誰も、俺も、少しはあった帰りたい気持ちが完全に失せちまったじゃないか。
「ハッ! つーことは俺的にもお前ら的にもやることは一つになったわけだ」
グレアムが獰猛に笑う。あいつは端から戻る気なんてなかっただろうが、他の監査官の中にも、もはや後ろの裂け目を振り向く者はいない。
監査官は基本的に自分勝手。
自分勝手だからこそ、自分に振りかかる火の粉は自分で払うやつらなんだ。
「最後にもう一度お訊ねします。帰りたい人は帰ってください。死ぬ気の人も帰ってください。残ってよろしいのはやる気と生きる意志がある人だけです」
もう動揺は伝播しない。
蛇が出ようが鬼が出ようがやってやる。全部解決して、全員で生きて、なんの変哲もない日常へ帰ってやるんだ!
「あー、残念だったな。帰りたくとも既に手遅れだ」
やる気のなさそうな口調が背後――裂け目の前から聞こえた。
そこには丁度裂け目をくぐってきたばかりというように、タコ足の生えた円盤型機械に乗った研究衣の少女がいた。その機械をあくまで『清掃ロボ』と言い張っていたフェニミンストレートの彼女は――
「アーティ?」
だった。
変だな。誘波の話だと局員はこの空間を発生させる術式の維持にかかり切りのはずだろ。なんで監査官でもないこいつがこんなところまで出てくるんだ?
まさか――俺の脳裏に腹立たしいメガネの顔が過る。
アーティは確か、あのメガネの元上司で……。
「あー、なんだ白峰零児? その不安そうな目は? 術式の維持は全員ではなく適当人数にて交代制で行っているのだ。私一人が抜けたところでこの空間が潰れることはない。案ずるな」
「いや、そうじゃなくて」
アーティは棒つきキャンデーをコロコロさせながら首を傾げ、
「あー? そうか、この私がスヴェンの小僧みたいにお前たちを裏切ったのかと思ったのか? この空間に本部の監査官を全員閉じ込めて災厄に巻き込ませて全滅させる。それが叶わなくとも空間自体を押し潰して全滅させる。なるほど、『王国』にとっては邪魔者が減って泣いて喜ぶ状況だろう」
「お前……」
「あー、馬鹿か。だとすればここに私が来る意味はないだろう。凡人でももう少し頭を使え、白峰零児。それより、上を見ろ」
くだらなそうに言葉を吐き捨てると、アーティは首を後ろに傾けて上空を見た。
「あー、『次元の門』が開いたぞ」
言われて見上げたその先は、黒煙広がる暗い空。
その全ての景色が、大きく、陽炎のように波打っていた。
「はぁ!?」
思わず声が出てしまった。それほどまでに、でかいんだ、この『次元の門』は。
「これが全て門だというのか? ラ・フェルデでもこれほどの巨大さは見たことがないぞ」
セレスも瞠目しているな。リーゼやレランジェはよくわかってないのか呆然としていたが、他の監査官も驚きを隠せない様子だ。
なにが出て来るってんだ、あそこから……?
「アーちゃんがここに来たのは、アレを観測したからですね?」
誘波が流石にきりっとした表情になったな。
「あー、それだけじゃない。あの奥に無数の強大な生体反応を感知した。――来るぞ!」
暗い空の巨大な歪みから、なんだアレ? ポツリポツリと黒い点が出現し始めたぞ。
「へェ」
グレアムが楽しそうに口元を歪める。見えてるのか、こいつには?
無数の黒点は次第に街へと降下する。アーティは生体反応って言ってたから、アレは生物ってこ――
「「「――ッ!?」」」
その時、この場にいるほぼ全員が絶句した。
黒点の正体。
それは硬そうな黒い鱗に覆われたトカゲのような体に蝙蝠に似た翼をし、口から高熱の炎を吐いて街をさらに焼き尽くす異獣だった。
「ど、ドラゴンや!? アレ、どっからどう見てもドラゴンや!?」
稲葉が慌てふためく。落ち着けよって言っても無茶だな。竜人は見たことあるけど、俺だってあそこまでそれらしいドラゴンは初めて見る。
それが数十、いや、数百はいるんじゃないか? まだ出て来てるから四ケタくらい行くかもな。ははは、笑えるぜ。
「なんでみんな驚いてるのよ? あんなの雑魚じゃない」
「仰る通りですね、マスター」
イヴリアでドラゴンを狩って遊んでいたらしいリーゼたちは呆れ顔だった。いやいやいや、どう考えても数がおかしいだろうがよ!
「竜退治か。せめて竜を倒したことのあるアレイン親衛隊長殿かグライス軍団長殿がいてくだされば……」
「あの数だと、少し骨が折れそうですわね……」
セレスと母さんの表情も険しい。
誘波が街を焼くドラゴンたちを見詰めつつ、訊く。
「アーちゃん、確認しますが、アレは〝人〟ではないのですね?」
「あー、間違いない。奴らに知性はないだろう。見ての通り、目についた物を破壊するだけの存在だ」
そう言えば、街が無人なのにも関わらずドラゴンたちはひたすら攻撃している。だが当然生きた者の破壊が優先だろうから、こっちに気づかれたら一斉に襲いかかられちまう。
「なんやアレは!?」
稲葉がまたも慌ただしく叫んだ。
見ると、他の監査官たちもポカンとした様子で上空を見詰めていた。
一体なにが……。
「……」
それを見た俺は、驚きの前に理解が追いつかなかった。
上空だと点にしか見えないドラゴン。
なのに、なんであのドラゴンだけはっきりと姿形がわかるんだ?
えーと、あのドラゴンの周りにはいくつもの黒点が浮いているわけで……あー。
そこでようやく、俺の理解が息を切らせながら追いついてきた。
「でかっ!?」
ふざけんなよなんだあのでかさ!? 他のドラゴンがアフリカ象くらいだとして、その百倍はあるぞ!?
あんなのが下りたらこの街なんて特撮用のミニチュアに思えちまう。ウルトラな宇宙ヒーローでも駆けつけてくれなきゃミサイル撃っても勝てんだろ!
「アレなら、少しは退屈しなくてすみそうね」
「おっきいですねぇ。群れのボス――〝竜王〟とでも言っておきましょうか」
「あー、〈幻想人形兵〉をありったけ持ってきたが……これでは足りるかわからんな」
「はっはーっ! 俺的に面白くなってきたぜ!」
「あんなに大きいと、こちらの攻撃は必中ですわね」
と思ったが、こっちはこっちで化け物揃いだった。
俺はちまちま通常サイズを狩ってたら終わりそうだな。
「あ、一つ言い忘れていました」
頼れる味方に俺たちの安心感が増したところで、誘波がなにを思い出したのかリーゼを振り返った。
「イザナミ?」
キョトリ、と不思議そうな色を紅眼に宿すリーゼに、誘波は相変わらずの微笑みではっきりと告げる。
「リーゼちゃんは、封印を解くわけにはいかないので帰ってくださいねぇ」
それを聞いたリーゼが憤慨したのは言うまでもなかった。