四章 術式と能力(4)
白状しますと、誘波が冷やかしに来た時点でまともに修行なんてできるわけがないと思っていました。
「これが幻だと? 凄いな、本物の零児そっくりではないか」
エメラルド色の瞳でまじまじと俺型〈幻想人形兵〉を見詰めるセレスさんは、恐る恐るといった様子で幻の俺のほっぺにピタッとタッチ。
ふにふに。
「触感も本物……」
ふにふにふに。
「体温も感じる」
ふにふにふにふに。
「到底、幻とは思えんな」
ふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふに――
「セレスさんもうやめてくれませんかねぇ!?」
見ていて堪えられなくなった俺は、ふにふに星人の魔の手から〈幻想人形兵〉をダッシュで救出。「ああっ!?」と非常に残念そうな声を発するセレスには悪いが、あんまりやられると俺の精神衛生上よろしくないんだよ。
「アハハッ! レージ、もっと速く走りなさい!」
と、向こうでは別の俺型〈幻想人形兵〉で遊ぶリーゼロッテお嬢様。幻の俺に肩車なんかさせてその辺をぐるぐる走り回ってらっしゃる。
小悪魔っぽい尻尾をふりふりさせて機嫌よさそうだな。頭から生えた角に可愛らしいピンクのリボンなんか巻きつけちゃって、ずいぶんと無骨さが緩和してるじゃないか。封印具の枷を囚人みたく両手両足に嵌められてるってのに、あんなに楽しそうに笑ってるとアクセサリーに思えてくるから不思議だ。
「こちらのゴミ虫様は喋らないだけまともですね。本物と交代安定するべきだとレランジェは考えます」
三体目の俺型〈幻想人形兵〉の鼻穴に割り箸を突っ込みつつ、レランジェ。――って、幻の俺の頭にサルスベリの花が咲いてるんですけど!? 額に油性ペンで『ゴミ』って落書きされてるんですけど!?
「お前らも頼むから俺で遊ばないでくれ! それら修行に使うんだぞ! 燃費悪いんだぞ!」
必死に邪魔するなと訴える俺の言葉は、当然ちゃあ当然ながら彼女たちの耳には届かんわけだ。
「あ、アーティ殿! れ、零児人形を一体、ゆゆゆ譲ってほしいのだが!」
「そこ! なに息荒げて交渉してんの!? 俺をどうする気!?」
「えっ? どうするって……………………しゅ、修行の相手にき、決まっているだろ!」
「その間はなに!?」
「あー、セレスティナ。個人に譲るわけにはいかんぞ。電化製品ではないのだ」
「レージ、次は逆立ちでうさぎ跳びしながら走りなさい!」
「リーゼお嬢様無茶振りはその辺にしてくれませんかねぇ!?」
「……(こくり)」
「そして頷くなよ俺の幻!? 自分のスペック考えろ!?」
「ゴミ虫様、幻のゴミ虫様の臀部に刺す長ネギが二本足りないのですが」
「なくていいよそんなもん!? てかなに既に一本刺してんだよふざけんな!?」
「そこをなんとか頼む、アーティ殿! お、お金なら払うから!」
「あー、金の問題ではなくてだな」
「レージ、次は高くジャンプしてくるくる回って頭から着地しなさい!」
「そうです。いい機会ですので、幻のゴミ虫様で亀甲縛りの練習安定です」
「だぁーもう!! いい加減にしろよお前らぁあッ!!」
ぜぇーはぁーぜぇーはぁー。
つ、ツッコミが、ツッコミが追いつかん。俺、ここでツッコミ死するんじゃね?
「はぁい、レイちゃんが死にそうなので皆さん一旦集まってください」
パンパンと開手を二回打って意外にも誘波が場を収拾してくれた。ふむ、とりあえずアーティのノーパソの前に集まればいいのか。既にそこにいる誘波とアーティとセレス以外がそれぞれの〈幻想人形兵〉を連れていく。
俺はセレスから奪取し死守していた俺の幻を従え、
リーゼはなんか首が変な方向に向いている俺の幻の手を引き、
レランジェは頭からサルスベリを咲かせ額にゴミと書かれ鼻に割り箸を突っ込まれ尻にネギをぶっ刺され亀甲縛りにされた俺の幻を引きずってきた。
「……」
なんだろう、凄く悲しくなってきたよ。
「では、リーゼちゃんとレランジェちゃんのレイちゃんは具現状態を解除しますねぇ。エネルギーを節約しないといけませんし、レイちゃんで遊ぶなら一体で充分ですので」
「待て誘波、今とっても聞き捨てならない台詞があったぞ」
「ねえ、イザナミ、このレージって喋らないの?」
俺の指摘に被せるようにリーゼが綺麗なまま残っている俺の幻を見て言う。先っぽがトランプのスペードみたいな形をした尻尾をくねくねっとさせてて…………コスプレっぽくてなんかこう、可愛いな。
「あー、癖や仕草、思考パターンなどはインプット済みだが、言語能力を含めた感情や人格はまだ開発段階だ」
誘波の代わりにアーティがノーパソをカタカタしながら答えた。
「ですがアーちゃん、確か人格データのサンプルがいくつかあったはずです」
「あー、だがアレをインストールすると既に入力済みのデータが初期化されるぞ」
「また入れ直せばいいのです。人格のテストはまだ行っていないのでしょう? この際ですので、今やってみてはいかがですか?」
「あー……それもそうだな」
アーティはさっきとは違う操作をノーパソの画面上で行い始めた。悪い予感しかしない。俺だけあっちで修行の続きやってちゃダメかね? ……ダメだろうね。
「リーゼちゃん、今からこのレイちゃんが喋りますよ」
「本当! こいつなんにも言わないから、面白かったけど物足りなかったのよね」
「レランジェは喋らない無抵抗のゴミ虫様が安定なのですが……」
無表情ながらもどことなく不満そうにするレンランジェ。こいつ、アレ以上俺の幻になにするつもりだったんだ?
「あー、準備できたぞ誘波。どのサンプルを入れる?」
「う~ん、そうですねぇ。ファイル名が『Sample』に数字で内容はわからないので、適当にコレを」
「あー、了解した」
アーティが画面上で『Sample-01』というファイル名をダブルクリックで開く。すると処理中のバーが表示され、数秒で百パーセントとなり完了する。
俺たちは一斉に俺の幻へと振り向いた。
なにかの人格がインプットされた俺の幻は、特に、変化はないな。見た感じだと。
「少し質問してみましょう」
そう言って誘波が俺の幻の前に立ち、
「あなたのお名前はなんですか?」
「ミーはマイケル・マッスル・竹田と言いマース!」
「ちょっと待てぇええええええええええええッ!?」
キラン、と白い歯を見せて爽やかに笑いながらボディビルダーみたいなポーズを取る俺の姿と台詞に、俺は急遽本物ストップをかけた。おかしい、絶対的になにかがおかしい。
「ど、どうしたのですかレイちゃんぷふぅ」
「笑ってんじゃねえよ誘波!? なにをインプットしやがった!?」
俺は誘波とアーティを交互に睨みつける。誘波は顔を俺からそらして口元を手で覆っていたが、アーティはなにも感じていないのか眠そうな目のまま言う。
「あー、本人も言っていただろう。マイケル・マッスル・竹田の人格だ」
「誰だよ!?」
常にローテンションのアーティは、煙草でも吸うような仕草で棒つきキャンディーの包みを剥いで口に咥え――
「あー、サンプルは私が作ったわけじゃないからわからんが、たぶんどこかのボディ――」
「筋肉! マッスル!」
「ぽひゅっ」
奇妙な掛け声と共にポーズを変える俺の幻を見て、キャンディーをすぽんと吹き出した。笑いやがった、こいつが。
「筋肉! マッスル! 筋肉! マッスル!」
「くふっ。よ、よせ零児、その変な掛け声とポーズはやめてくれ。可笑しくて腹が壊れそうだ」
「セレス笑うな! 頼むから笑うな!」
「凄い本当に喋った! キンニクマッスル! キンニクマッスル!」
「リーゼは変なことマネしない!」
「気持ち悪いですゴミ虫様、死んでください」
「こっち見んな!」
俺は全然笑えない。だって幻とはいえ俺がやってんだぞ。筋肉マッスルって。鳥肌が立つぜ。
「さあ皆さん、ミーと一緒に筋肉ワールドへレッツトラベル」
「お前もう黙れよ! アーティ、サンプルを変えろ!」
「あー、了解した。これは酷い」
震える手でノーパソを操作し、アーティは『Sample-02』というファイルを開いて人格データを上書きする。
途端、さっきから筋肉マッスルうるさかった俺の幻が静止する。
「と、止まったな。次はどのような人格になったのだ?」
と恐る恐る俺の幻にセレスが近づくと――がしっ!
「ひゃっ!?」
俺の幻がセレスを熱く抱擁して――ってなにやってんの!? セレスさん急なことで顔真っ赤になってますよ!?
「れ、れれれれ零児どどどどどうしたというのだだだだだ!?」
「セレス、一応言っとくけど本物の俺はこっちだからな」
目を回して顔から湯気を出しているセレス。俺の幻はそんな超狼狽状態の彼女を抱き締めたまま、
「だー」
なんだ? 呂律が回ってない感じの口調だったが……酔っ払いの人格?
「あーうー。だーあいだぶー」
いや、この言葉をまだ覚えてませんよ的な感じは――
「あー、赤ちゃんの人格だな」
「なんでそんなサンプル作っちゃったの!?」
「あー、私に訊くな」
さっきの筋肉といい、将来の監査官役を作るサンプルがこんなのでいいのかよ!
「あ、赤ちゃん? 零児は今、赤ちゃんなのか?」
どうにか少し正気を取り戻したセレスが確認の意味で訊く。「そうみたいですねぇ」と誘波が答えると、セレスはどこか優しい目をして俺の幻の抱擁を受け入れた。
「よしよし、いい子だぞ~」
「あーだぶだー」
本物の赤ちゃんを扱うように丁寧に頭を撫で始めたぞ、セレス。それ、俺のほぼ等身大なんだけど?
「なにあれ? レランジェわかる?」
「マスターの幼い頃はもっとお行儀安定でした」
イヴリアの〝魔帝〟様組はあまり関心がないようだった。
「あーだー」
「ん? どうしたのだ零児ちゃん?」
「ちゃん!?」
聞き慣れないセレスのちゃん付け呼びに俺は戦慄した。
「だーうー」
「どうした? なにか欲しいものでもあるのか?」
「あだー……おっぱい」
「そうか、おっぱ――ええぇッ!?」
「ちょっ」
赤ちゃんイン幻の俺がセレスの胸当ての膨らんだ部分をパンパンし始めて戦慄から立ち直る俺。赤面して固まるセレス。やばい、アレが本物の赤ん坊ならまだしも俺の体だ。正確には中学三年生の俺の体だ。
「やめさせろアーティ! いろんな意味でこれは危ない!」
「うふふ、いいじゃないですかレイちゃん。面白いのでもう少し様子を見ましょう」
「ふざけんなよエセ天女!?」
そうこうやってる間に固まったセレスから胸当てを外そうとする赤ちゃんイン幻の俺。
「ハッ! やめろ零児ちゃん私はまだ――」
「おっぱい。まーまの、おっぱい」
「ママ!?」
「ぎゃーっ!?」
ママ発言でさらに慌てふためいたセレスは胸当てを外そうとする俺の幻に必死に抵抗を試みる。だが赤ちゃんになっても体は一年半前の俺。生半可な抵抗では引き剥がせない。ちなみに最後の悲鳴は俺です。
「れ、零児ちゃん違うぞ。私はママじゃない。零児ちゃんのままはあっちだ」
「そ、そうだぞ! 俺の母さんはそこで般若顔して鎖鎌振り回しながら俺を親の仇のように睨んでる人で……」
あれ? 今、ここにいてはいけない人が見えたような……?
「胸騒ぎがしたので戻ってみれば……零くん、これは一体どういうことですの?」
「母さん!?」
やばいやばいやばい! 修行せずに〈幻想人形兵〉で遊んでるとこ母さんに見られちまった。
こ、殺される。どうにか言い訳しないと殺される!
「違うんだ母さんこれは別に修行サボってるわけじゃ」
「セレスさんが零くんのママとはどういうことですの!?」
「そこ!?」
とにかくダッシュで逃げようとした俺の足に鎖鎌の鎖が絡みつき、俺は投網で捕獲された魚のように母さんの前まで引きずられた。
赤ちゃんイン幻の俺はというと、セレスを指差して、
「まーまは、まーま」
「いや、だから」
とあくまでセレスがママだと主張。そして次に母さんの方を指差し、
「ばーば」
ピキリ。
「母さん今なんか変な音が聞こえた気がするんですけど俺の腕は蝶結びができる構造じゃなぎゃああああああああああああっ!?」
断末魔でした。
数秒ほど意識がトんでいた。
気がついた時、幻の俺の人格は再びリセットされ、解放されたセレスは死にかけの魚のようにぐったりと床に横たわっていた。母さんは誘波辺りから事情を聞いたのか、アーティの隣で腕組みして様子を見ている。
「では次の人格を入れてみましょう」
「お前悪魔だ!?」
もう俺の精神的ダメージと肉体的ダメージはしばらく修行を続けられないくらい重傷だった。
「あー、ではこの『Sample-03』でテストは終了しよう」
流石に見兼ねたらしいアーティがラスト宣言をしてくれた。この中で一番冷静なのはアーティで間違いない。今の俺には、女神に見えるよ……。
まあ本当の女神なら次じゃなくここで終わらせているのだろうが、残念ながらそこまで思考が回るほど俺に余裕は残っていなかった。
新しい人格を入れられた俺の幻は、倒れているセレスを見るや一目散に駆け寄った。またなにかR指定に引っかかりそうなことをやらかすんじゃないかとヒヤヒヤした俺だったが――
「大丈夫ですか、美しい君」
セレスを優しく抱き起こし、やけにキラキラした顔でそんな言葉を吐きやがった。
「う、美しい!? 私がか!?」
「もちろん。その銀細工のような髪、雪のように白い肌、エメラルドの瞳、桜色の唇、君の全てが眩いくらいに美しい」
ぞわぞわぞわ。
幻の俺のキザったらしい台詞に、最初の筋肉よりも凄まじい勢いで肌が粟立った。
「……」
なにを言われたのか理解できないと言う風にしばらくパチクリと目を瞬かせていたセレスは――
「……ぷきゅう」
ぬるぬるに絡まれたリーゼみたいな声を上げて気を失った。
「ちょっとレージ! さっきから騎士崩ればっかりずるいわよ! わたしの相手もしなさい!」
などと御冠のリーゼお嬢様に、キザな幻の俺はそっとセレスを寝かせてから歩み寄る。
「ああ、これは失礼。こんなに素敵なレディを怒らせてしまうとは、ボクはなんと罪深いんだ」
キザな台詞を口にしつつ幻の俺はリーゼの手を取った。
「これからは君だけを見続けると約束しますので、どうかお許しを」
そう言って、幻の俺はリーゼの手の甲にキスをした。
「なにやってんの俺ぇえッ!?」
「アーティさんッ!?」
俺の絶叫とほぼ同時に母さんがなぜか驚いたように目を見開いた。
「あー、安心しろ、明乃。アレは白峰零児の見た目だが、それ以外は完全に別人だ」
「そ、そうでしたわね」
アーティと母さんのよくわからん遣り取りはさておき、幻の俺よ、リーゼにそんなことしてただで済むと思うなよ。
あ、いや俺が怒ってるわけじゃなく、リーゼの側近の方ね。
「クソゴミ虫様、マスターのお手に薄汚い唇を接触安定させた罪、万死に値します」
右手に仕込まれた殺人兵器を起動させようとするレランジェさんは無表情だけど相当お怒りのご様子。だがそんなことなど全く恐れず、幻の俺はレランジェの肩に穏やかに手を乗せた。
「いけないよ。女の子がそんな危ないことしようとしちゃ。ほら、そんなことより、君は笑った方が可愛いよ。ボクに見せてくれないかな、君の、とっておきの笑顔を」
「ぐぉおおおおやめろぉおおおおおおっ!! 俺の顔でそんな気色悪いこと言うんじゃねぇええええええっ!?」
無駄にキラキラした顔でそんな恥ずかしい言葉を告げる幻の俺に、レランジェは戸惑うように攻撃を中止した。なんで?
が、そんなレランジェらしくない不可解な点なんてもはやどうだっていい。
「レイちゃんレイちゃん、次は私を口説いてください」
「おお、そちらの御仁も美しい」
「レージ! わたしだけを見るんじゃなかったの!」
「殺せぇえっ!! もう俺を殺してくれぇえっ!?」
だって、俺の精神はとっくの昔に限界だったんだから。