四章 術式と能力(3)
「他の監査官たちの指導もありますので、わたくしは一旦この場を離れますわ。零くんはくれぐれも死なないように、死ぬ気で頑張ってください」
そんな無茶苦茶なことを言い残して母さんが立ち去ったのは、〈幻想人形兵〉との実戦が五度目の仕切り直しに入った時だった。
四戦全敗。
いやいやいや、負けてない負けてない。ちょっと四回ほど吹っ飛ばされて悶絶しながら数秒間ダウンしてただけだから。意識を失わなければ敗北にはカウントしない。俺ルール。
だから負けじゃない。負けじゃないんだけど……
「参ったな」
強いな。昔の俺。
とはいえ、こっちは能力禁止の左手武器持ち。さらに〈滅離の枷〉の封印が影響してるのか、若干体が重くて動かしにくいときた。笑えるくらいハンデ満載だが、それを言い訳に相手の実力を認めないほど俺は子供じゃないつもりだ。
技のキレ。繋ぎ方。足運び。どれもこれも磨きがかかっていて、少々錆びついてる今の俺では僅かばかり届かない。
だが、僅かだ。
戦い方に流派はない。つまりほとんど我流なわけだが、それだけに打ち合えば打ち合うほど芯に刻まれた記憶が呼び起こされる。
知っている。アレは俺だからな。技も動きも思考もちょっとした癖も、全部俺自身のモノだから予測は容易にできるんだ。
おかげでなんとか戦えている現状。アレがデータの集合体じゃなくて『本物』だったらそうはいかなかっただろうね。
左手で武具を扱うのも段々慣れてきた。〈魔武具生成〉をするにはまだスキル的に不安だが、それでも回を重ねるごとに馴染んできていると実感する。
「そろそろ、挽回しねえとな」
日本刀を中段に構える。本来なら両手で握りたいところだが、たぶんそれじゃ意味がない。右手はフリーにしておく。
「……」
幻の俺も相変わらず無言でパルチザンを刺突に構えた。
次で決める!
先に動いたのは幻の俺だった。
静かに、それでいてジェットエンジンでも足裏に仕込んでるんじゃないかってくらいの加速で突進してくる。やる気のなさそうな顔してんのになんて速さだ。
距離は一瞬で縮められたが、その挙動を見失っちゃいない。攻撃パターンも読めている。
全力ダッシュの矢のような刺突を紙一重でかわし、懐に潜り込もうとすると――
「チッ」
やはり、即座に槍を反転させるように持ち替えながら柄で打撃を狙ってきやがった。そいつを日本刀でガードすれば鋭い蹴り上げが隙だらけの体にクリティカルし、避けようとすれば次の槍の大振りがかわせない。
どんなヘビー級な武器でも生成者は一定以下の重量感覚で握れる、という〈魔武具生成〉の特徴があればこそ可能な常識離れした連携。まったく、何度それにやられたことか。
「流石にもう見飽きたな」
バネ仕掛けのような勢いで振り上げられるパルチザンの柄を、俺は、避けない。
ガードする。
だが日本刀は使わない。
フリーにしておいた右手、そこに嵌められた金属の腕輪部分――封印具〈滅離の枷〉に当たるように持っていく。
ガンッ!!
「痛っ」
右腕が弾かれた。受け流しはしたが、肩が外れそうなほどの衝撃に左半身が甘く麻痺する。
幻の俺が片足を振り上げるモーションが見える。打撃を凌いだ俺を蹴り飛ばすことに一切の躊躇もないな。
でも今回は立ち止まってねえぞ。
その蹴りが来る前に、突っ込む!
「はぁッ!!」
駆け抜け様に左手の日本刀を一閃。幻の俺が揺らぐ。
手応えあり。
だが――
「浅い」
幻の俺は倒れなかった。
左手の力が不十分だったのもある。が、やつは一撃入れる直前に神がかり的な動作で身を反らしやがったんだ。これが俺の危機回避能力ってやつなのか? 敵に回すと厄介過ぎて笑いたくなるな。
ていうか、それでも確かに斬ったはずなのになんで流血もしてないんだよ。幻だからか?
幻の俺がこちらに振り向き――くるくるっと器用に槍を縦回転させて持ち直す。ああ、あの頃はよくやってたなぁ。長物を無駄にくるっくる回すの。だってほら、格好よくね?
なんて、懐かしんでる場合じゃねえな。
幻の俺が再び突撃を開始。データの集合体とはいえ人工知能はあるようだし(じゃないと監査官の任務なんてできっこない)、同じ手はもう通じないだろう。
刺突ではなく、振り下ろしの斬撃が俺を襲う。
普通に防いでも質量の差で薙ぎ飛ばされる。なら、日本刀で防いだ上で受け流し、もう一度懐へと飛び込んでやる。
そう考えて日本刀を横に構えた次の瞬間――フッ。
「え?」
幻の俺が、消えた。
蝋燭の火を吹き消すように。儚くあっさりと。
「どうなってるんだ?」
こんな技知らねえぞ。〈魔武具生成〉で自分の姿を隠せても、消すなんてできない。もちろん〈吸力〉でも不可能だ。
「あー、三十分か。想定よりはもった方だが、実践ではまだまだ使えそうにないな」
安全な位置でノートパソコンをカタカタやっていたアーティは、成果はまずまず、とでも言うような顔で棒つきキャンディーを一本俺に投げ寄越した。
「あー、それでも食っておけ。糖分補給だ」
「いやちょっと待てよなにがどうなってるんだ? 幻の俺はどこに消えたんだよ?」
訊くと、アーティは元々眠そうな目を呆れたように細めて――ちょいちょい。人差し指で真下の地面を示した。足下を見ろってことか?
「あっ」
転がってました。ミラー色のテニスボールが。
「あー、エネルギー切れだ」
つまらなそうに言ってアーティはノートパソコンに視線を戻した。動いて考える幻想だもんな。そりゃあ、ただ風景を作り出すより燃費が悪いに決まってる。
充電完了まで休憩か。電気で動いてんのかどうかは知らんけど。
アーティはノーパソの画面を難しい顔で眺めつつ、ミラー色のテニスボール――〈現の幻想〉の本体を拾って来い、と手振りだけのジェスチャーで俺に指示。自分で動く気これっぽっちもないよな。
足下の〈現の幻想〉と水筒を拾ってアーティの下へ歩み寄る。
「お前、さっきからパソコンでなにやってるんだ」
こいつは俺が戦闘中の時もずっと画面と睨めっこしていた。目に見えないくらいの超小型カメラを飛ばして至近距離からの戦闘映像をモニタに映していた――ってわけじゃなさそうだ。画面には株価のような折れ線グラフが表示されていて、俺には見ただけじゃさっぱり意味がわからん。
「あー、ここ最近の歪み発生率を分析している」
俺の手から〈現の幻想〉を受け取りながらアーティは簡単に答えた。
「歪み発生率?」
そんなもん分析してなにをする気だ?
「あー、中央より少し上に赤のラインが引いてあるだろう? これを超えれば『門』が開くほどの歪みとなる。あー、例えばお前が〝魔帝〟を異世界から連れてきた日だと……」
「うわ、めっちゃギザギザしてる」
短時間でいくつもの強い歪みが発生・消滅を繰り返した証拠だ。あの時は、うん、実に大変だったらしいな。セレスもそのせいでこの世界に来る羽目になったんだし。
ふむふむ、そこから少し経った後の跳ね上がりはマルファが迷い込んで来たやつかな?
俺が担当してない『門』が開くレベルの歪みもいくつかあるみたいだ。ん? なんか他よりちょっとでかい歪みがあるな。この日はえーと……ああ、たぶんアレだ。魔王ダンなんとかってやつが進軍して来た時だろう。
そんでその先は、リゾートガーデンは範囲外だろうからないとして、対抗戦で『次元の柱』が出現したクソでかい歪みが一つ……………………だけ?
「最近は安定してるのか?」
「あー、そう思うか?」
いや、違うぞ。今までは赤いラインに届かないまでも起伏はあった。だが、数日前から平行線どころか大暴落してほぼ底辺をキープしてやがる。
明らかな異常。
グラフで見ればよくわかる。
「あー、気づいたか? これがこの地域の現状だ」
最近『門』に関する仕事が全然ないなって思ってたら、それはそれで異常だったのかよ。
「けど、歪みってのはない方がいいんだろ? 寧ろこのままでいい気もするが」
「あー、ならこれを見てみろ。八十年ほど前のデータだ」
アーティはグラフ内でいくつかの操作をし、画面を俺に見せる。
同じように不規則にグラフが起伏していて、やっぱりある一点を境に大暴落……。
「んな!?」
表の右側寄りにさっきのデータにはなかった緑色のラインが引いてある。それも赤いラインと同様になんかの境目だと思ってたが、
「このグラフ、どうしてここでほぼ垂直に跳ね上がってんだよ!」
そう、緑色のラインが折れ線グラフだったんだ。赤いラインを超える超えないの話じゃない。表の下から上まで物差を使ったかのように綺麗に大上昇している。
か、カンストしてんじゃねえか。
一瞬で上昇し、また一瞬で底辺まで下降しているから境目のラインだと思っちまったんだ。それから先は徐々に元のパターンに戻っている。
「なにがあったってんだ、この時に……」
想像もつかない状況に戦慄していると――
「Xデーは近そうですねぇ」
室内なのに風が舞い、鮮やかな十二単を纏った少女が俺たちの目の前に降り立った。日本異界監査局局長――法界院誘波。相変わらず狙ったようなタイミングで現れやがる。狙ってるんだろうけど。
「誘波、なんでここに?」
「暇だったのでレイちゃんの修行を冷やかしに来ました」
「冷やかしなら帰れよ!? あとお前のどこに暇があるんだよ!?」
「暇がなければ作ればいいのですよぅ」
「それを人はサボりって言うんだよ!」
ああ、マズい。既に冷やかされてるぞ俺。平常心平常心。仏のような心で迎え入れて速やかに帰ってもらおうそうしよう。
「そのとてつもない歪みの振幅ですが、この不安定な世界の存在を保つために各地の大柱が周期的に行っている調律が原因です。溜め込んだ悪い物を一気に吐き出しているイメージですねぇ。正直なところ、私にもなにが起こるか予想できません」
と、緊張感のないニコニコおっとり顔で真面目な話をする誘波。大柱ってのは『次元の柱』の中でも大黒柱を示す四本のことだ。
「八十年前は街の一部が丸ごと異世界に消失しました。百六十年前は未知のウイルスが大量に流れ込んで多くの生物が息絶えましたねぇ。二百四十年前はなにも起こりませんでしたが、三百二十年前は確か……」
「あー、都市が降ってきたな。そこの先住民が騒ぎ立てて面倒だった」
「あはっ、そうでしたそうでした。そんなこともありましたねぇ。あっ、アーちゃんは覚えてますか? 四百年前の空間歪曲によるパラレルワールドとの一時的な混在を」
「あー、流石にその頃はまだ自分の世界にいたぞ」
「あら? そうでしたっけ?」
「……」
語られた数々の事象はどれもこれもとんでもない。事象の周期が約八十年ってのもわかった。なにもないパターンもあるようだが、なにかが起きるパターンの方が圧倒的に多い。
『最近は門が開くほどの歪みも発生していませんし、監査官の仕事はあまりないですねぇ』
人工の門を見せてくれた時、誘波はそんなことを言っていた。
『まあ、近いうちに大仕事が舞い込んでくると思います』
その『大仕事』ってのがこれに関することだったわけだ。なにかが起これば普段の『次元の門』を監視するだけの任務より遥かに厄介なことになる。それをこいつらときたら、中年オヤジが学生時代の友人と酒を酌み交わしながら昔話するようなノリで語ってるんだよな。こっちの緊張感まで削がれちまう。
てか、どうやらここにはお婆ちゃんしかいないらしい。それも云百云千って単位のお歳の。
「レイちゃんが今とぉっっっても失礼なこと考えてる気配がします」
「そ、ソンナコトハナイデス」
「どうしてカタコトなんですか? 私はピッチピチの十八歳です」
「わかってます。純粋な地球人類で換算すると誘波様のお歳が十八歳であらせられることくらいわかってまげぶほあっ!?」
なぜだ? なぜ俺は今地面に大の字で貼りつけられている? 地雷は上手くかわせたはずなのに……。
「とにかく、その時に備えてレイちゃんは少しでも強くなってくださいねぇ。他の監査官たちにも私が後で伝えておきます」
「ああ、そうか、本当はそれが目的でここに来たんだな」
「レイちゃんの冷やかし目的が七割ですが」
「おいコラそこのエセ天女」
どうりで修行しろって言ってんのに〈圧風〉を解いてくれないわけだ。これを自力で抜け出すことも修行、とか言いそうだけどな。
「修行するにしても〈幻想人形兵〉は充電中だろ。あとどんくらいかかるんだ?」
誘波の〈圧風〉をどうにか解除してもらい、俺は服の汚れをはたきながらアーティに訊ねる。
「あー、リチャージには八時間ほどかかる」
「燃費悪すぎだろ!?」
日が暮れるよ! 頑張っても一日二回しか起動しねえよ!
「あー、誰が〈幻想人形兵〉は一つしかないと言った?」
「へ?」
アーティは研究衣のポケットから一つ、二つ、三つ、とミラー色のテニスボールをポンポン取り出していく。おかしいな。どう考えてもあのポケットの容量を大幅に超えている。
「あー、修行になるくらいの予備は持って来ている。安心しろ」
用意がいいな。現状のデメリットを事前に把握して対応させてるとは、流石研究者ってとこか。なんかそこで「うふふ、レイちゃん型の〈幻想人形兵〉でしたねぇ。それは面白そうですねぇ」と黒いオーラを発散しているエセ天女には気づかないフリをしておこう。
「あー、どうする、白峰零児? まだ休憩するか?」
「いや、『王国』とはまた別の危機が迫ってるんだろ? ノンビリしてられねえよ」
少し休んだし糖分も水分も摂取した。左手で戦う感覚を忘れないうちに早く始めたいところだ。
母さんが生成した日本刀も消えてない。それを握り直し、俺が戦闘開始位置に着こうとしたその時――
「レージ! この〝魔帝〟で最強のわたしが遊びに来てやったわよ!」
「チッ。ゴミ虫様、まだ生存安定でしたか」
「零児、どうだ? 修行は捗っているか?」
――〝魔帝〟様ご一行とラ・フェルデの聖剣士様がご到着なさった。