三章 夏祭り大パニック(4)
繁華街を花火大会会場と逆方向に抜けた先はちょっとした緑化地区になっている。
だからといってお祭り騒ぎの対象外になるわけもなく、青々と茂る木々が等間隔に植えられた並木道にも露店がずらりと連なっていた。
リーゼはこっちの方に行ったと思ったんだが…………あっ、いたいた。道のド真ん中をトボトボ寂しそうに歩いているな。物凄い迷子オーラが全身から漂ってんぞ。
レランジェはいない。どうも俺が先に見つけちまったらしい。
「なにしてんだリーゼ、探したぞ?」
とりあえず声をかけると、リーゼは立ち止まってゆっくりと振り返った。ミニスカ型の浴衣がふわりと小さく靡く。
「レージ?」
ルビーレッドの双眸を見開き、本人確認するように疑問形で呟いたリーゼは、
「レージ!」
幻じゃないとすぐに認識してダッシュで俺の胸へと飛び込んできた。
「お腹減った!」
「おぐぅ!?」
拳が先でしたが。
「〝魔帝〟で最強のわたしを置いてどこ行ってたのよ! レランジェもいないし!」
ダン! ダン! ご機嫌斜めのリーゼお嬢様は溜まっていた鬱憤を晴らすがごとく地団太を踏む。ちょ、ちょっとタンマ。応えたくてもさっきのミニマムパンチがいい具合に鳩尾にクリーンヒットして呻くことしかできないんす。
腹が減ったならその辺の店から強奪しかねないリーゼだが、そこは『金を払う』ルールをしっかり守ってくれていたらしい。金持たせとけばよかったかな。
「レージはわたしのものなんだから勝手にいなくなることは許さな――」
きゅるるるるるぅ。
リーゼのお腹辺りが可愛らしい悲鳴を上げた。
「……お腹減った」
力が抜けるようにしおらしくなったリーゼは――ぎゅうううぅ。俺の服の裾を掴んで寄りかかってきた。綺麗な紅い瞳が上目遣いで見詰めてくる。
「もう、どっかに行かないで」
「うっ……」
なにこれ? なんなんですこの状況? 腹が減ったからおかしくなったのか? それともリーゼ、やっぱり一人ぼっちは寂しかったんじゃないか?
くっ、女の子特有のいい香りまで漂ってきて変な気分になりそうだ。
なにかないか? リーゼの機嫌を直すなにかは……って、ここは露店だらけじゃないか。テンパってるな俺。腹が減ったって言ってんだから適当な食べ物を買ってやればいいんだ。
「そ、そうだ。リンゴ飴、食べるか?」
ぱっと目についたのがそれだった。
「アメ? 食べる!」
一本買ってあげるとあら不思議。今の今まで怒ったり寂しがったりしてたお嬢様は至福の笑顔になってリンゴ飴を小さな舌でペロペロ嘗め始めるのだった。
「レージレージ! これ甘くっておいしい!」
「そりゃリンゴ飴は甘いもんだからな」
「アレも食べたい。黄色と黒のやつ」
「チョコバナナだな。オーケーオーケー、買ってやるよ」
軍資金はまだ五千円以上もある。意外となくならないもんだなと思いながら俺はリーゼの気が済むまで食べ歩きに付き合うことにした。
リーゼは一人ぼっちで彷徨っていながらも抜け目なく欲しい物リストをチェックしていたようだ。チョコバナナの後もフライドポテトや焼きそば、たこ焼きに焼き鳥の店を迷わず巡回した。
やがて遠くの空から爆音が聞こえてきた。
花火だ。
「ミスった、始まっちまったか。リーゼ、急いで戻るぞ」
「うん!」
今いる並木道からじゃ音だけ聞こえて肝心の花火はさっぱり見えない。本音を言うとそこまで見たいってわけでもないんだが、みんなを待たせてるからな。
また逸れても面倒なので、俺はリーゼの手を引くことにした。
と、その時――ドドドドドドドドッ!!
なんだあれ? 前から土煙が発生するほどの勢いでなにかが迫って――
「おぉねえさまぁああああああっ!! ユゥ~!!」
「ひっ」
不吉の呼び声に、ゾワゾワっとリーゼの肌が粟立った。
今の声と、バタバタと激しくはためいて迫り来るピンクのツインテールを見て俺もその正体に気づく。
「マルファ!? あいつはまた勝手に抜け出したのか!?」
「おねえさまああああああっ!! このマルファが会いに来たユゥ~!!」
桜柄の浴衣を着た十歳くらいの少女に見えるが……騙されるな。やつの本性はスライムだ。人間レベルの意思に加えて申し分ない戦闘能力を秘めているものの、いろいろ問題があって今は監査官予備軍の教育機関に缶詰にされているはずなのになぜ?
しかしこのまま絡まれると非常に面倒臭いぞ。やつはどういうわけかリーゼに過剰なまでに懐いていて、ぬるネバが大の苦手なリーゼにとってこの世界最大の脅威となっているんだよ。
「れ、レージ……」
案の定、普段なら恐れを知らない傲慢なリーゼが子供のように俺の背中に隠れた。こりゃもう魔王とスライムの力関係は修正不能だなコレ。
なんとかしてやり過ごさねば。
隠れてる暇は恐らくない。やつはすぐそこまで迫っている。俺の手持ちでリーゼを隠せる物は……あ、そういえば丁度いいのがあった。
「リーゼ、これをつけるんだ!」
「なにこれ?」
「いいから早く顔を隠せ! 見つかりたくないだろ!」
リーゼは言われるままに俺がさっき射的で取った触手怪人のお面を被った。うわっ、実際つけてるとこ見ると酷い作りだな。どこに需要があってこんなもん生産したんだか。
間一髪、マルファが到着する前に顔を完全に隠すことができた。よしこれならバレないな。うん。
「ユゥ?」
いつもだったら問答無用で飛びつくマルファは、リーゼのつけたお面を見て立ち止まり、ちょこんと小首を傾げた。よっしゃバレてない。流石は脳味噌スライム。
「おねえさま、どうしてそんなものをつけてるんだユゥ?」
全力でバレてた!?
「いやいやよく見ろマルファ、そいつはリーゼじゃないぞ」
「レイジ、隠してもマルファは騙されないユゥ。これはおねえさまの魔力だユゥ」
ビシッと指差して自信満々に語るマルファに、リーゼはカタカタと小刻みに震え始めた。最早一生消えることのないトラウマになってないか?
ていうか俺はマルファを侮っていたようだ。スライムだから馬鹿なんじゃない。スライムだから視力より感覚の方が特化されてるんだ。こいつは元々目も鼻も口もなかったから。
「わ、わたしは、わたしじゃ、な、ないわよ」
恐怖のあまり裏返った声でリーゼが意味不明な否定を口にした。わたしがわたしじゃないってなんぞ?
「おねえさまの声だユゥ」
「似てるだけだって。魔力も似てるだけだって」
「ならその被り物を剥げばいいだけの話ユゥ」
言うや否や、マルファのツインテールがうねった。
質量保存の法則をガン無視で伸長する髪が半液体状の質感に変化する。いや人型の擬態を解除してそこだけ元のスライムに戻したんだ。
リーゼは動けない。足が竦んで棒立ちになってやがる。
俺は……ご愁傷様としか言えなかった。
「ひゃわぁああああああああああああああああああああああああっ!?」
ピンクの触手にお面を奪われ、素顔を晒したリーゼは雁字搦めにされてしまった。
「あはっ♪ ほらやっぱりおねえさまだったユゥ♪」
きゅう、と目を回すリーゼをマルファは嬉しそうに引き寄せた。そして腕や足もスライム化して抱き着き、幸せな笑顔で頬ずりする。
俺の力じゃ相性の問題でこいつは引き剥がせない。こうなっては気が済むまで放っておくしかないとして――さて。
「な、なんだあの子!?」「うわあああっ!?」「て、ててて手足と髪が!?」「化け物だ!?」「女の子が襲われてるぞ!?」
一般人に言い訳できないくらい目撃されちゃってますが、これ、どう収拾つけりゃいいんだ?
こういう時に桜居がいてくれたら上手く言い含めてくれるんだが……特撮映画の撮影って言っとけばいいかな? スライム化は特殊衣装速着替えとかって言って。無茶だ。
「とりあえず監査局に連絡するのが最善、か」
対処が見えたらなるべく迅速に動くべきだ。少し手間はかかりそうだが監査局ならなんとかしてくれるだろう。
連絡を終えたら、次は問題の原因を排除だ。力づくが不可能なら説得でもなんでもしてとにかくリーゼを放してもらわねえと……な?
――ドクン。
一方的なじゃれ合いを繰り広げる二人に視線を戻したその時、俺は得も知れぬ違和感に襲われた。
「なんだ?」
違和感の元はリーゼだった。
マルファに抱き着かれて奪われていくはずの魔力が、逆に増えてないか?
――ドクン。
待て、増えてるだけじゃない。尋常ない速度で高まって――
「マルファ! リーゼから離れろ! なんかやばいぞ!」
「ユゥ?」
じゃれ合いに夢中になっていたマルファはリーゼの変化に気づいてなかったのか、キョトンとした顔で俺に振り返った。
刹那、リーゼを中心に黒い炎が爆発した。
規模は小さく、リーゼだけを包み込むように炎が燃え上がる。
あれはリーゼが使う〝魔帝〟の黒炎だ。
だが発動の仕方が妙だった。通常なら魔力還元術式の魔法陣が展開され、そこを通して黒炎が射出されたりするはずだ。
なのに、今の爆発に魔法陣は見られなかった。炎で衣装チェンジする時も出ないが、恐らくそれは消費する魔力量が微々たるものだからだろう。
だが、今の爆発は違う。凄まじい魔力の放出が未だに肌をビリビリと刺激する。黒炎が近くの露店に引火して瞬く間に燃え広がる。
マルファを見ただけじゃ逃げなかった一般人も、流石に悲鳴を上げて我先にと避難し始めた。
「あうユゥ~」
と、リーゼを包む繭のような黒炎から小さななにかが弾かれた。受け止めてみると気絶したマルファだった。ゼロ距離で爆発を喰らって体が焼失したのか、掌サイズまで縮んでるぞ。でもどこか幸福そうな顔してるな。Mスライムめ。
「リーゼ! マルファは離れたぞ! もういいだろ!」
「……」
呼びかけるが、反応がない。
「リーゼ!」
再度呼びかけた次の瞬間、リーゼを包んでいた黒炎が内部から吹き飛ぶように弾けた。声が届いたんだと思ったが――違った。
「――ッ!?」
黒炎の中から現れたリーゼの姿を見て、俺は絶句した。
両目が充血したように真っ赤に染まっていた。だがそこは驚く箇所じゃない。
問題なのは、頭に二本の太い角が生えているところだ。
しかも角だけじゃない。リーゼの尻辺りから伸びて動いている黒いものは……尻尾だ。先端がトランプのスペードみたいな形をした尻尾も生えている。
「な、なんでだ? どうなってるんだ?」
禍々しい角と尻尾を生やし、気を抜けば吹き飛ばされそうなほどの魔力を放出している。
その姿はまるで――
「あ、悪魔?」
そのものだった。