三章 夏祭り大パニック(1)
この街の夏祭りは毎年盛大に行われる。
繁華街を中心に住宅街の一部にまで露店が連なり、各地でミスコンやらライブやらのイベントがひっきりなしに催されるから人ごみ嫌いのヒッキーでもない限り退屈なんてまずしない。
街ぐるみのお祭り騒ぎは三日間続く。それぞれの締めには花火大会もあり、一日目と二日目が千発、最終日の夜空を彩る閉幕花火は五千発ときた。合計七千発。なんて豪気。
で――
「――というわけでございます」
繁華街から少し外れた河川敷、そこの一角に広げた敷物の上で俺は絶賛土下座中だった。花火大会見物名スポットの河川敷は人々でごった返していて、好奇の視線が雨のように繰り返し突き刺さっては消えていく。
俺は女子たちに袋にされた後、罰としてその花火大会の場所取りを命じられたんだ。この夏最大のイベントだからな、誘波が逃さないわけがない。共に場所取りを命じられた桜居は頭でも打ったのか露天風呂事件の記憶がないようで、既にテンションを夏祭りモードに切り替えてカメラなんぞを黙々と弄っている。
同罪のグレアムたちはというと、誘波に『不良ちゃんたちが夏祭りの会場を闊歩してたら一般のお客さんにご迷惑ですぅ』と言われ露天風呂の修繕に勤しむこととなった。
「わたくしがいない間にそのようなハレンチを犯していたのですね、零くん」
保護者として同行してくれた母さんは、俺がボロ雑巾になっていた理由を聞いて嘆息した。今は武具を身に着けていない優しい母さんだ。紅葉柄の高そうな浴衣をきっちり着こなし、頭にかんざしを挿した和風スタイル。異世界人が着ても不自然さが微塵もない和服は素晴らしいと思う。
にしても女性用の浴衣ってなんとも華やかだよな。俺と桜居の浴衣なぞ地味過ぎて語るも忍びない。用意してくれたとはいえ、誘波の差別心を感じるね。まあいいけど。
「聞いて母さん、俺は被害者だと思うんだ」
「確かに実行した方に比べて制裁が重いですわね」母さんは元気にカメラのレンズを拭き拭きしている桜居を一瞥し、「ですが、零くんが被害者かと言えば違いますわ。零くんが止めようと思えば、力ずくでいくらでも止めれたのではありませんこと?」
「ぐぬ……」
間違いじゃない。いかにあいつらのテンションが振り切れて超人になっていようとも、本当の超人たる監査官には敵わない。
俺は止められたのに、止めなかった。
なぜ?
「零くんにも邪な心があったということですわね。だから桜居くんたちを見逃してしまった。違いまして?」
「ぐぬぅ……」
考えたくなかった答えを直球で告げられた俺は余計に縮こまるしかない。
「零くんも男の子ですから下心があることは寧ろ健全なのですが、節度は守ってくださいね」
「守った結果、守らなかったやつのとばっちりをもろに受けたんだけどね」
「どうせ零くんがなにを言っても名誉は挽回されません。ここは素直に諦めることが一番ですわ」
あ、当たってるから反論できない。だが納得もできん。だってどういうわけか俺が主犯扱いになってんだぞ? 一切合切忘れやがった桜居が羨まし過ぎて殴りたい!
ぎりり、と無意識に歯軋りしてしまうと、母さんがふんわり柔らかく微笑んだ。
「ふふふ、どうしても名誉挽回したいようですわね。なら――」
母さんが浴衣の胸元に手を突っ込んだかと思うと、ブランド物っぽいレザーの財布を取り出した。……どこに仕舞ってんの?
「この夏祭りで零くんのいいところを見せてはどうでしょう?」
母さんは財布から一枚のお札を引き抜いて俺に差し出した。
「諭吉!」
「軍・資・金、ですわ」
二マリと悪代官顔の母さん。おおぅ、本物の諭吉だ。『お主も悪よのぅ』とでも言えばいいんだろうか?
「――って、俺も一応は給料貰ってる身なんだけど?」
思えば諭吉でテンション上がる身分じゃなかった。小遣い制度はとっくの昔に廃止されているし、仕送りも受けてないから完全に自立状態なんだ。今さら小遣いなんて気恥ずかしくて受け取れない。
「そうですが、久々に息子と会えたのです。親らしいことの一つくらいさせてください」
「あっ……」
母さんは武具を持つことで『厳しさ』と『優しさ』を切り替える。合宿所にいる間は常に木刀を携えた教官モードになってしまうため、どうしても母親らしい感情を表に出せないんだ。
母親でいられるのは、純粋に愛情を向けられるのは、訓練とは関係ない今だけ。
息子の俺がその想いを踏みにじっては最低だな。
素直に、心底ありがたく母さんから軍資金を受け取ることにした。
「本当なら米国風にキスの一つもしてあげたいところですが」
「いやそれは恥ずかしい」
「キスとは軽い気持ちでするものではありません。零くんも誰かれ構わずしてはいけませんわよ?」
「俺はキス魔じゃねえし!?」
クスクスと悪戯っ子のように母さんは笑った。今のは母さん流の照れ隠しかなんかだろうか? こっちの母さんはたまになに考えてるのかわからなくなるんだよな。
「ほら、皆さんが到着されましたわ」
ピクン、と今まで気持ち悪いくらい静かにカメラを整備していた桜居が反応したのを、俺は見逃さなかった。
母さんの見ている方角に俺も視線をやる。
一瞬、思考が停止した。
「レージレージ! あっちもこっちもすっごい楽しそう! 早くわたしを連れていきなさい!」
キョロッキョロと忙しなくあっち見こっち見している好奇心旺盛なリーゼは、白と青を基調とした炎の揺らめきを思わせる柄の浴衣だった。ノースリーブで超ミニ。瑞々しいもち肌の四肢が遠慮なく露出されているな。頭の後ろ側には巨大な蝶々のような赤いリボンをしていて、その子供っぽさが見た目をより際立たせて愛でたいと思う欲求を無制限に駆り立てる。現に母さんは蕩けるような顔でリーゼをガン見していた。ヨダレ拭け。
「レージ早く早く! あっちの方に美味しそうなのがあったからそれ食べたい!」
とたたた、と駆け寄ってきたリーゼは俺の片腕を掴んで強引に連れ出そうとする。夏祭りの賑わいに両目のルビーが一際光り輝いているなぁ。
あー……かっっっわえぇ。
――ハッ! いやこれはロリコンとかじゃないんです純粋に子供って可愛いよねって意味なんです大佐!
「ま、〝魔帝〟リーゼロッテ! 零児が困っている。祭りで浮かれる気持ちはわかるが、少し落ち着け」
と言ってリーゼを諌めるセレスは、なぜか俺のもう片腕を取った。青地に雪の結晶を柄とした浴衣は見ているだけで涼しい。リーゼとは真逆に袖も丈もゆったりとして余裕がある。露出が少ない分、セレスの羞恥心も少ないようだな。俺的にもこの方が綺麗で和服っぽいと思う。背中に担いでいる布の巻かれた聖剣がなければ完璧だった。
「零児? あ、ああ、これはだな、えっと、誘波殿がこの国の祭りはこういう服装で参加することが規則だと言うからその…………やはり似合ってないだろうか?」
俺の視線に気づいたセレスが頬を朱に染めてあたふたする。
「い、いや、似合ってるっつーか、凄い綺麗だなって」
「ほ、本当か!」
ぱぁああ、と聖剣の能力でも発動したかのようにセレスの顔が輝いた。と、それを見ていたリーゼがぷっくりとほっぺを膨らませる。
「むー、レージ! 騎士崩れなんてどうでもいいでしょ! 早くわたしを楽しませなさい!」
「わがままを言うな、〝魔帝〟リーゼロッテ。零児はその、わ、私と祭りを回ることになっている」
「え? そんな約束したっけ?」
「した! したということにしろ! 露天風呂での罰だ!」
「えぇ!?」
なんか涙目で怒られた。意味がわからん。
「この前は仕方なくお前にレージを貸したけど、今はわたしのものよ」
「何度も言っている。零児は誰のものでもない」
「痛だだだだだだだだ!? ひ、引っ張るな俺は二つに割れる仕様じゃないんだよ!?」
そのまま久々に「決闘よ!」「望むところ!」と言い争いになる〝魔帝〟と聖騎士。仲がいいのか悪いのかわからない二人に板挟みにされた俺は、武力的に鎮圧できる母さんにSOSのアイコンタクトを送った。
「いやですわ。零くんにモテ期が……わたくしはどちらを娘と呼べばよろしいんですの?」
両手を頬にあてて身悶えていた。ダメだこの人使えない。
なら仲裁のプロ、桜居に助け舟を――
「そこをどけぇえ白峰!! リーゼちゃんとセレスさんの華やかなお姿が貴様のせいで汚れるだろうがぁあっ!!」
カシャカシャカシャカシャ! やつは人間離れしたアクロバットな動きで様々な角度からカメラを乱写していた。うん、こいつには端から期待なんてしてなかったさ。
「ではゴミ虫様はレランジェと決闘安定です。いえ寧ろ虐殺安定です」
「出たなポンコツメイド! てめえとならいつだって決闘してや……なんだその愉快な格好は?」
レランジェは黒い生地に白いフリルをふんだんに装着した珍妙な浴衣を着ていた。頭には狐耳のカチューシャをつけていて、なんのコスプレだ?
「和服メイド安定です」
「また特殊な層を狙って……その耳は?」
「オプション安定です。萌え死にますか?」
「死なねえよ!?」
「チッ! 少し考察が足りなかったようです」
こいつは一体俺のなにを考察してんの? マリアナ海溝に沈めんぞコラ。
「白峰先輩モテモテやなぁ。ウチにも分けてほしいわ」
赤系統の動きやすそうな半袖浴衣を着た稲葉は、一歩離れた安全区域から面白おかしそうにこちらを見守っていた。分けれるもんなら分けてやりたい。
「こうなったら誘波、あなただけが頼りです! ――ってあれ? あいつはいないのか?」
引き千切られそうになりながらも俺は懸命に最後の希望を探したが、どこにもその姿はない。おかしい、あいつが一番楽しみにしていたはずだぞ?
「誘波はんはアーちゃんとなんかを調整してから来るとか言うてたで。まあ、アーちゃんはこんなぎょうさん人がおるとこ嫌いやから来んやろうけど」
なんかってのはたぶん人工門だろうな。まだ完成してなくて関係者以外には秘密事項だから稲葉は知らないんだ。
「零児を放せ〝魔帝〟リーゼロッテ!」
「お前こそ放さないと燃やすわよ!」
ちょい待って、じゃあ誰がこの二人止めるんですか?
俺がさらに体を張って?
マジっすか。
そう勇気を振り絞ろうとした時、ふわりと風が舞った。
「あらあら、喧嘩するのは構いませんが、場所を考えてくださいねぇ。ここでは一般の方々に大変ご迷惑になりますのでぇ」
俺のすぐ目の前に出現した誘波が、風の力でいがみ合っていたリーゼとセレスを一瞬で引き離した。こいつは普段通りの派手な十二単だな。若干布の量が少ない気もするけど。
「本当にぃ~、迷惑なんですよぅ」
ん? なんか誘波の様子が変だ。心なしか顔が赤くて目がとろんとしているような……。
「うふふぅ、レイちゃんはぁ、私と遊ぶのですからぁ」
誘波はニッコリと微笑みかけてくると、フリーになった俺の手を取ってわざと胸を押しつけるように腕を組んできた。
「うわっ!? なんのつもりだてめえ!?」
「「!?」」
誘波の予想外の言葉と行動にリーゼとセレスが揃って目を剥いた。母さんなんかは「誘波さんもわたくしの娘候補に!? 年上の娘ができてしまいますの!?」とやっぱり使えない。
「レイちゃ~ん、私の浴衣はどうですかぁ?」
「え? それ浴衣だったの?」
てっきりようやく夏服版十二単に衣替えしたのかと思った。着崩れた浴衣の胸元が開いて谷間が! 谷間が見える!
必死に視線を逸らそうとすると、誘波の吐息に含まれた独特な臭いが鼻腔を刺激した。
「あ、お前酒臭っ!」
「あうぅ~、さっきクロウちゃんが来てぇ、一緒に飲んでたんれすよぅ。お祭りにも誘いましたがぁ、その前にアレインちゃんに連れ去られてしまいましたぁ。あははぁ♪」
「呂律回ってないから! 酔うまで飲むなよ!」
「酔ってませんよぅ。ヒック」
「酔っ払いの常套句!?」
そのままへなへなペタンと崩れる誘波。こ、こいつの酔っ払った姿は新鮮だな。絡み上戸ってやつか? 今なら俺でも勝てそうな気がするけど酔拳とか使ってきそうで恐い。
今度こそ開放された俺は、どっと疲れた。そりゃもう二日分くらい疲れた。
「……」
「……」
「……」
台風が過ぎ去った後のように静まり返った俺たち。そこに母さんがべろんべろんの誘波を抱えながら苦笑混じりに言う。
「誘波さんはわたくしが看ておきますので、零くんたちはお祭りを楽しんでくるとよろしいですわ。もちろんみんな一緒に、ですわ」