一章 次元の接合(1)
一人で考え事をしたい時ってのは、どういうわけか素直に直帰する気分になれない。一人暮らしならまだしも、今や居候が二人もいる我が家じゃ落ち着けないからなぁ。
とは言え真夏の太陽光を存分に浴びながらお外をのんびり散歩してたら日射病で死ぬ。俺は半分異世界人だが耐熱仕様は平凡なる日本人とそう変わらないんだ。要するに、暑い。
そんな時はどっかその辺の店に入って涼むに限るな。こういう場合、現在位置にもよるが、俺は自然といつも同じ店に向かってしまう。
天下の伊海学園や繁華街、俺んちから程よい位置に構えられている喫茶店『オストリッチ』がそうだ。和訳すれば『ダチョウ』になる謎の店名だが、防音設備がしっかり整えられていて一度入店すれば外の騒音はシャットアウトされる。考え事には最高だ。開放感溢れる店内のレトロな雰囲気も俺好みだし、なによりここのブレンドカフェオレが絶品なんだよな。
俺オススメの店だが実は滅多に行かない。だからこそ久々に訪れた時の感動ってもんは監査局印の胃腸薬が三錠ほど節約できるレベルだ。
神聖にして不可侵。俺だけの聖域。俺だけの平穏。俺の胃腸を悪戯に苦しめるやつらになんか絶対教えてやんないもんね!
「レージレージ、なんでそんなにボロボロなの? まさかまたわたしに内緒で楽しいことしてたんじゃないでしょうね!」
「ご注文のトリカブト・オレをお持ち致しました、ゴミ虫様」
俺の……平穏……。
「わっ!? なんでいきなり泣くのよレージ!? そんなに〝魔帝〟で最強のわたしに会えたことが嬉しいの?」
悲しみの雫を目尻から垂れ流しつつテーブルに突っ伏した俺を、綺麗な金髪を腰よりも長く伸ばした見た目中学生くらいの少女が激しく揺り動かしてきた。瑞々しい白肌に幼さを残した相貌、ルビーレッドのくりっとした瞳に俺の情けない姿が映し出されている。
この身長百四十五センチほどの小っこい美少女は、リーゼロッテ・ヴァレファールお嬢様。なにを隠そう、俺んちに居候してらっしゃるイヴリアって異世界の〝魔帝〟様なのだ。……ん? 〝魔帝〟ってなんぞ? 知らん。魔王みたいなもんだろ。
「ゴミ虫様、他のお客様のご迷惑です。早くそれを飲め安定です。ああ、その状態だとご自分でお飲みになれませんね。仕方ありません、ではこのレランジェが飲ませて差し上げる安定です」
「やめろ飲めるか! 毒物だろそれ!」
なんか得体の知れないコポコポした液体を俺の口に流し込もうとするこいつの名はレランジェ。リーゼ専属の侍女をしており、人間の女性のように見えるが、実態は意思ある機械人形である。マスターに忠実、他人に丁寧、俺に暴力、と三拍子揃った完璧メイドさんだ。壊れろ。
「てかなんでお前らが俺の聖域にいるんだよ?」
この隠れた名店を教えてる相手はこいつらではない一人だけだってのに。
「何度同じ問答をする気ですか、ゴミ虫様? あるばいと安定です」
「お前はそうだろうよ。俺が訊いてんのはなんでリーゼまでこの店のウェイトレスをやってんだってことだ」
リーゼもレランジェも深緑色の生地に白いフリルのエプロンドレス姿だった。レランジェは普段からゴスロリのメイド服を着用しているため地味に見えるが、あんまりこういう服を着ることのないリーゼは新鮮だな。よくもまあミニマムサイズがあったもんだと感動せざるを得ない。
「そんなの、楽しいからに決まってるじゃない」
発展途上につき控え目に盛り上がった胸をやたら偉そうに張るリーゼ。退屈がお嫌いなこのお嬢様はなんでもかんでも自分の娯楽に変換できるスキルをお持ちなんだ。
けど――
「リーゼはアルバイトには全く興味ないように思えたが?」
何回かレランジェのバイト姿を見た時は「ふぅん」程度の感動だったのに、どういう心境の変化だ?
「マスターは学園祭で行ったメイド喫茶なるものが大変お気に召したようなのです」
「いっつもレランジェや他の人形たちがやってたことだけど、自分でやってみると案外楽しいのよね。もっと早く知ってればイヴリアにいた時も退屈しなかったのに」
ウキウキとした笑顔を振り撒くリーゼは、見るからに楽しそうだな。なるほど、侍女の仕事だから今まで関心がなかったのか。
まあ、これもこの世界での一般常識を身につけるには丁度いい社会勉強になるな。けっこうけっこう、お兄さん的に嬉しいぞ。
「それでゴミ虫様はいつ死亡安定ですか?」
「お前はいい加減に常識っつうか倫理を学べよ! 主に俺に対する!」
まったく、この数ヶ月で一体いくつアルバイトをクビになってると思ってんだ。
アルバイトを、クビ……?
「そうか、どうせ三日もすればこの店からもサヨナラ通告されるんだ。俺の平穏が脅かされるのも束の間ってところだな」
「いやいやいや、こんな働き者のお嬢さんたちをクビにするなんてとんでもない」
と、リーゼとレランジェの間に初老の男性が割り込んできた。口髭がなんともダンディなこのウェイターは、オストリッチのマスターだ。名前は知らん。どうも俺が本来注文していたアイスカフェオレを持ってきてくれたらしい。
「こいつらが働き者? いやまあそうかもしれませんけど、そのうち致命的なトラブルを引き起こしても知りませんよ?」
こんな素晴らしい店を開いてくれた偉人に敬語を使うのは当然だろう。どっかの学園の理事長とか、どっかの組織の局長とかには絶対使わんでいい種類の言葉だ。
「いやいやいや、たまにお客様を殺害しかけるくらいで特に問題は起こしてないよ」
「あんたどんだけ心広いんだよ!? そこが既に致命的な問題だよ!? どうりで今日は俺以外に客がいないわけだな!?」
ダメだ、どんどん俺の周囲から尊敬できる人物が減っていく。そしてこの店が潰れるのも時間の問題な気がしてきたぞ。
「レージ、早くそれ飲んで次の注文をしなさい。〝魔帝〟で最強のわたしが運んであげるわ」
頭を抱える俺にリーゼがトドメとばかりに横暴な言葉をぶつけてきた。
「いいのかよ店員がこんなので! マスター頼むから目を覚ましてくれ! 俺の平穏を守ってくれぇえッ!」
「いやいやいや、最近ウェイトレスのこういう態度がお好きなお客様が増えてねぇ」
「ドM御用達の喫茶店になってんじゃねえかよ!?」
もうお終いだ。俺は別の平穏を探す旅に出たい。
「なによレージ! そんなにわたしじゃ不満なの!」
「リーゼはその台詞を間違っても学校で言うんじゃないぞ!」
「ゴミ虫様、レランジェのオススメはこのシアン化オムライス安定です」
「んなもんメニューに載せてんじゃねえよ!?」
なぜだ? 休みに来たはずなのになぜ息切れしてんだ俺? これじゃあ自宅と変わらないじゃないか。
「もういいよ、俺は帰る」
俺はアイスカフェオレを一気に飲み干して席を立った。こいつらがここでバイトしてるってことは、逆に家には誰もいないってことだ。これ以上俺の聖域だった場所のカオスな姿は見てられない。とっとと帰って冷房の効いた部屋でのんびりと――
Prrrrr! Prrrrr! Prrrrr!
嫌な予感しか告げない携帯電話のコール音が鳴り響いた。
携帯を開いてみれば案の定、『アホ波』という文字が画面に躍ってやがる。
無視するか? いや、そうすると後で面倒なことになりそうだ。仕方なく出てやるか。
「もしもし、鈴木ですが?」
『あらあら? 私としたことが電話番号を間違えてしまったようですねぇ』
電話の向こうからおっとりのんびりした女の声が聞こえてくる。こいつは日本異界監査局本局長・法界院誘波、俺の尊敬に値しない人物カテゴリーの上位ランキングに属する変態だ。毎度毎度、関わるとろくな目に遭わないんだよなぁ。
しかし俺の変声技術もなかなかなもんだね。あっさり騙されやがった。声優でも目指そうかな。
「はっはっは、次からは気をつけてくださいよ」
『ではレイちゃん、今すぐ監査局まで来てくださいねぇ』
バレとる……!?
いや待て落ち着け俺。これはカマかけだ。ここで慌ててボロを出したら俺の負けになる。
「なんのことですかな? 私は鈴木太郎ですが?」
『そんなテキトーな名前の人がいるわけないでしょう。アドレス帳からかけているので間違えるわけがないのです。そもそもレイちゃんの行動は私の風が常時把握しておりますので』
「俺にプライベートはないのかよ! あと全国の鈴木太郎さんに謝れコラ!」
『あはっ♪ やっぱりレイちゃんでした』
いつかこいつを口で泣かす。
「つーか、風で会話できるようになったんだからもう電話使う必要ねえだろ? 料金的に無駄だろうが」
『流石に風では電波の速度に勝てませんからねぇ。対話中は常に力を使っていますから肩も凝るのです。あ、そういえばレイちゃんはマッサージがお上手でしたね。今度やってくれま――』
「断る」
『三十分一万円でどうですか?』
「……うっ」
鎮まれ俺の右腕! 財布に手を伸ばすんじゃない!
『まあ、冗談はこのくらいにして、先程も言いましたがすぐに監査局へ来てください。面白い物が見られますよ』
「お前の『面白い物』がまともだった試しがねえが……わかったよ。ちょっとお前に訊きたいこともできたしな」
『では二号館の屋上までいらしてくださいね』
そこで俺は通話を切って携帯をポケットに仕舞った。
「面白い物ねぇ」
一応リーゼたちも誘っておこうかと思ったが、二人とも俺が電話してる間に入って来たらしい客の相手をしていた。
「面倒事に巻き込むこともねえか」
そのまま俺はアイスカフェオレの代金をマスターに払って、一人静かにオストリッチを後にした。