五章 神剣の継承者(1)
陛下だって?
「セレス、じゃあ、あいつがラ・フェルデを統一する国王なのか?」
「あいつなどと言うな、無礼者。そうだ。あの方こそ、私がお仕えするラ・フェルデ国王、クロウディクス・ユーヴィレード・ラ・フェルデ様だ」
鷹揚に頷くセレスは、希望に満ち溢れた表情をしているな。そんなに信頼しているのか、あの男を。
俺は再度ラ・フェルデ王を見る。随分と若い。二十歳は超えてそうだが、三十にはまだまだ達してないといった風貌だ。カーインも若く見えるけど既婚者だし、もしかするとラ・フェルデ人は老衰が地球人より遅いとか?
星空色の剣が明滅を止める。
「空間を掌握した。……なるほど、愉快なことになっている。この場にいるほとんどの者がこの世界の住人ではないな。黒い獣どもは〝寄生する混沌〟か? 久々に見た。――そして、見知った顔が二人」
ラ・フェルデ王――クロウディクスが落ち着きある動作で首を捻り、その赤紫色の瞳で俺たちを捉える。正確には、俺たちの中のセレス一人を。
「セレスティナ・ラハイアン・フェンサリル十二席」
「は、はい!」
セレスが弾かれたように起き上がり、直立。そして敬礼。痛みが走ったのか、僅かに表情が苦悶に歪んだ。
「それともう一人――」クロウディクスは首をもたげ、「まさかまた顔を合わせることになろうとはな、カーイン」
薄らと、王者としての余裕を感じさせる笑みを浮かべてそう言った。大声ではない。普通なら聞こえないほど距離が離れているのに、クロウディクスの声は不思議と耳に届く。
「クロウディクス、なぜ貴様がこの場に出てくる?」
カーインは昔仕えていた主に対してとは思えない、憎しみを孕ませた口調で問う。あの男が本当にラ・フェルデ王だとすれば、カーインを次元の狭間に封じた張本人だ。当然か。
「愚問だな、カーイン。セレスを迎えに来たに決まっているだろう?」
セレスは言っていた。陛下が枕元に立ち、近いうちに迎えに来ると。それがよりによって今だ。タイミングが良いのか悪いのかわからない。どうでもいいが、ラ・フェルデでもセレスは『セレス』って呼ばれてるんだな。
「この世界の事情に干渉するつもりはない。だが、セレスと魔剣は回収させてもらう。構わんな?」
クロウディクスの確認は、俺たち全員に向けられていた。
と、クロウディクスの前に二つの影が立ち塞がった。
「なに言うておるのかわからんが、やつの知り合いなら貴様も儂らの敵いうこっちゃ。ここで潰れておけ小童!」
「……」
全身に灼熱の業火を纏ったパクダが六本腕の拳で殴りかかり、包帯マジシャン――ハイカルがSF風の拳銃のトリガーを引く。
「お前たちやめろ! そのお方に手を出すな!」
セレスが絶叫するも、パクダとハイカルは止まらない。六の炎拳と緑色のエネルギー弾が無慈悲にもクロウディクスを襲う。
だが――トン、と。
気がついた時、クロウディクスは二人の背後を歩いていた。動きを目視できなかった。突然そこに現れたような、転移にも似た移動。なのになんの予兆もなかった。
俺は何種類も転移術を見ている。誘波の転移は風が舞い、影魔導師の転移は闇が噴き上がる。ゼクンドゥムのアレは転移術とは言えないかもしれないが、それでも空間に歪みが生じていた。
それに、パクダとハイカルはどうしたんだ? 二人とも、まるで時を止められたかのように攻撃姿勢のまま微動だにしない。パクダが纏っている炎の揺らめきすら停止している。
なにが起こったのかわからない異常な光景に、俺はもちろん全員が息を止めて呆然とした。
「断りなく私を攻撃しようとは、なんとも果敢なことだ。だが、身の程は知った方がいい」
クロウディクスが流し目で硬直する二人を見る。すると――ぐらり。パクダとハイカルの硬直が解け、糸が切れたかのようにどさりと倒れ伏した。両者とも白目を剥き、口から泡を吹いている。
な、なにをしたんだあいつ?
あの二人ほどの実力者を、一瞬で同時に倒しただと?
「彼らの周囲の空間を凍結させただけだ。窒息しているが、なに、死んではいまい」
なにをしたのか説明するクロウディクスだったが、その言葉をほとんどの者が聞いていなかった。パクダとハイカルが倒されたことで、再び戦場に火がついたからだ。
オリジナル・デュラハンの首に立つスヴェンが眼鏡を持ち上げる。
「彼が何者かは知らないけど、魔剣を回収されるのは困る。排除しろ」
監査官たちの敵意は『王国』だけでなくクロウディクスにも向けられている。『王国』もスヴェンの命令でクロウディクスを殲滅対象に加えた。
三つ巴だ。観客席の最下部から状況を眺めるしかない俺には、どうすればいいのかわからない。
「やめろお前たち! 戦いをやめるんだ!」
「待て〝機奏者〟! 今はまだやつと事を交える時ではない!」
セレスと、カーインまでもが血相を変えて訴えている。
「干渉はしないと言ったはずだが……武器を収めぬなら仕方あるまい」
クロウディクスは隣に浮かぶ星空色の剣を握り、
「セレスティナ・ラハイアン・フェンサリル!」
大声ではっきりとセレスを呼んだ。ビクゥ! とセレスの肩が跳ねる。
「一つ訊く。お前の敵は、どれだ?」
セレスは虚を突かれたように呆けたが、それも一瞬で、すぐに絶大な信頼を込めた表情で叫ぶ。
「統制されている方です、陛下!」
「なるほど」
それだけで全てを悟ったように、クロウディクスはただその場で一薙ぎした。
あいつが動いたのは、その一閃だけだった。
だが監査官も『王国』も、その一閃だけで静まり返ったんだ。
戦場を跋扈していたデュラハンと影霊が、一斉に切断されたからだ。
俺は見た。クロウディクスが星空色の剣を振るった時、剣身が消え、デュラハンや影霊たちの傍の空間から出現していた。同時にだ。同時に何本もの星空色の剣身が現れ、何体もいるデュラハンや影霊を豆腐でも切るようにあっさり両断しやがった。
狙ってやったのだろう。被害に遭ったのは『王国』だけだが、流石に両軍とも止まるしかない。
「馬鹿な……」
オリジナル・デュラハンを切り崩されて放り出されたスヴェンが、ありえないものを見る表情で震えていた。
「生物ではない機械人形と混沌を排除した。まだ私に歯向かうと言うなら、〝人〟であるお前たちも斬らねばならなくなるが……」
どうする? そんな脅しの視線で周囲を見回すクロウディクス。誰もが凍りつく中で、一人だけそんな脅しなどに屈さず行動したやつがいた。
クロウディクスの背後から吹き出すどす黒い闇。まるで殺意が具現したかのような闇を纏って、黒セーラー服の少女が飛びかかった。
「よくも……よくも智くんを! 殺してやるわ。その首刎ね落としてぐちょぐちょに掻き潰してペットのエサにしてあげる!」
血色の瞳を爛々と煌めかせた望月絵理香が影刀を振るう。見れば智くんこと悪魔異獣も先程の一斉斬滅の対象になっていたようだ。しかしまだ生きているらしく、上半身だけとなった体で這うようにして『混沌の闇』に帰ろうとしている。
望月の影刀がクロウディクスの首を捉える――寸前でピタリと静止した。
「ほう。驚いた。これほど完成度の高い混沌を見たのは初めてだ」
クロウディクスは感心するように呟いた。望月は飛び上がった状態で停止ボタンでも押されたように固まっている。空間凍結。さっきパクダとハイカルに使った技だ。
そのまま窒息して崩れ落ちる望月。入れ替わりに、マロンクリーム色のなにかが凄まじい速度でクロウディクスに接近する。
「俺的にてめェが敵か味方なんて関係ねェ! 強ェんだろ? 楽しく戦り合おうぜなァ!」
あの馬鹿! なにやってんだよあの馬鹿! そいつはたぶん味方だってのにあの馬鹿!
パシン!
グレアムのトンファーが、片手で受け止められた。
「なかなかいい動きだ。だが、お前はセレス側ではないのか?」
「おッ!?」
ぐりん、とグレアムの体が半回転した。
「寝ていろ」
その勢いのまま真横に放り投げられる。ヒュンとミサイルのように空を切って飛んでいくグレアムは、自身の体で観客席の壁をぶち抜いて沈黙した。
「……な、んだと……?」
ありえん。嘘としか思えない。あの望月やグレアムが手も足も出ないのかよ。『赤子扱い』でももう少し頑張れた表現だぞ。
強過ぎる。いやもう『強い』という言葉の範疇に存在しないんじゃないかあいつ。
「退け! 『王国』! そいつはラ・フェルデ国王、神剣の継承者――クロウディクス・ユーヴィレード・ラ・フェルデ! この程度の戦力で敵う相手ではない!」
カーインが声を高々と張る。
「もっと戦力があれば私に敵うと? 間違っているぞ、カーイン」
クロウディクスが一歩、こちらに、カーインに向かって歩み寄ってくる。赤紫色の瞳が絶対者の威光を放ってカーインを突き刺す。
「神剣ユーヴィレードは次空を制する。そこが『空間』である以上、私に対し数は無に等しい。空間を断つ神剣に物体の強度・大きさなどは意味をなさない。〝次元渡り〟の能力者にとって空間を渡ることなど歩行と同義。要するに――」
クロウディクスの姿が、消えた。
「この私に、距離という概念は通用しない」
たった一歩だけ歩を進めたような調子で、クロウディクスは対戦フィールドの中央からカーインの目の前に移動した。
速い? 違う。転移? たぶん違う。クロウディクスとカーインとの距離がゼロになった。今の移動はそんな感じだったぞ。
「おのれ!」
反射的に振るわれたカーインの剣撃を、クロウディクスはそよ風のように悠然とかわす。
「喰らえ! ディフェクトス!」
俺たちには滅多に使わなかった魔剣の力を、カーインはなんの躊躇いもなくクロウディクスに振いやがった。
「やばい! 飛べ、セレス! レランジェ!」
危険を察知した俺たちは観客席から飛び降りた。次の瞬間、俺たちが今までいた場所も含めた観客席の大部分が蒸発するように消えてなくなった。
クロウディクスは……いた。何事もなかったかのように泰然と元の位置に立っている。あいつの足下の床だけが消失せずに残っている。どうなってんだ?
「あらゆる次空は私の物だ。お前の魔剣は世界の構成物を喰らう力だったな。存在する位相をずらし、その力の対象から外させることも可能だということを、よもや忘れたわけではなかろう?」
存在する位相をずらす? なんなんだあいつは? やってることがチートなんてレベルじゃないぞ。規格外過ぎる。
カーインは冷や汗を流し、クロウディクスを睥睨する。
「あらゆる次空は貴様の物、か。相変わらず傲慢な男だ。神にでもなったつもりか?」
「なにを馬鹿な。神ではない」
クロウディクスはくだらない質問だとでも言うように笑い、
「王だ」
傲然とそう言い放った。
カーインは無言でクロウディクスを睨むと、なにを思ったのか唐突に背を向けた。
魔剣ディフェクトスの紅いオーラが何倍にも膨れ上がる。やつがまっすぐに見据えているもの、それは壁に穿たれた大穴の先にある『次元の柱』だった。
問答無用で破壊する気か!
カーインは魔剣を大きく振り被り――そして、振り切った。
対戦フィールドに落ちた俺からは見えないが、膨大な範囲の消失が進んでいることを鈍く凄まじい蒸発音から感じ取る。
「そういうことか」
得心が言ったように囁いたクロウディクスの手から、神剣ユーヴィレードがフッと消える。
途端、俺の位置からですら嫌でも目に入っていた柱状の巨大な歪みが、溶け入るように見えなくなった。
まさかカーインに消されたのか!?
焦った俺だったが、いくら待ってもなにも起こらない。アレはこの世界を支える四柱の一本だと聞いた。だとすればなにか異変があってもいいはずなのに、微弱な歪震すら発生しないのはどういうことだ?
「……やってくれたな、クロウディクス」
カーインが忌々しげに振り返った。その恨み憎しみ怒りの籠った負の視線を、クロウディクスはどこ吹く風と受け流す。神剣はいつの間にか彼の手に戻っていた。
「剥き出しになった柱は様々な意味で危険だからな。元の位置に戻したまでだが、なにか問題だったか?」
「簡単に言ってくれる。我々が三日かけて生み出した歪みだぞ?」
「当然、簡単なことだ。あらゆる次空は私の物だと教えただろう?」
「ならば他世界でも征服していればよい」
「その必要はない。既に私の物なのだ。故に私はこの世界も守ろう。壊すことは許さん」
「やはり神気取りか」
「王だと言っている」
激しい睨み合いが続く。火花どころか近づいたら溶かされそうな熱気がこちらまで押し寄せてくる。
とその時、カーインの背後から白い手が伸びた。手はカーインの腕を掴んでリーゼごと空間の歪みに引きずり込む。
「む?」
クロウディクスが眉を顰める。あいつがなにかしたってわけじゃないのか? いや、あの白い手には見覚えがある。
俺は周囲を見回す。すると対戦フィールドの中央付近に、黒い鎧と白い布が吐き出されるように出現した。
「まったく、ボクがいない間になにが起こったっていうのさ? せっかく法界院誘波をボクの世界に閉じ込めてきたっていうのに、あの金髪は誰?」
白い布はゼクンドゥムだ。誘波と死闘を繰り広げたのだろう、白布は雑巾みたいに汚れてところどころ千切れている。
カーインは立ち上がると、キッとクロウディクスを睨め上げてゼクンドゥムに告げる。
「任務は失敗だ、ゼクンドゥム。やつの出現は予期していなかった。直ちに兵を撤退させろ」