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死に戻りハンターの英雄譚〜「ロード」であらゆるジョブを手にした俺はいつの間にか人類最後の希望になっていました  作者: ころん


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第8話 鉄屑と宝石

駅前の改札口で、僕と三浦は泥と血で汚れた服のまま立ち尽くしていた。


 夕方のラッシュが始まろうとしている雑踏の中で、ゲートの瘴気を纏った二人の男は完全に異物だった。すれ違うサラリーマンが露骨に距離を取り、制服姿の女子高生が鼻を押さえて小走りに通り過ぎていく。

 当然だ。腐敗水路の汚水と守護者の返り血が染み込んだ服からは、銭湯三回分でも落ちないだろう臭いが漂っている。


「本当に……いいの? こんな大金」


 三浦の手には、二階堂たちから巻き上げた現金と換金可能なアイテムの袋が握られている。細い指がビニール袋の口をきつく締めていて、まるで風に飛ばされるのを恐れているみたいだった。


「いいんだよ。分け前だ」


「でも、倒したのは全部朝霧くんだし……僕はずっと壁に張りついてただけで。何もしてない。本当に何も」


「逃げなかったから。あの状況で、逃げずにいてくれた。それだけで十分です。」


 三浦は涙を溜めて俯いた。汚水で汚れた眼鏡のレンズ越しに、涙が一筋こぼれて顎先から落ちた。

 それからしばらくの沈黙の後で顔を上げた時、その目には涙以外の何か、焚き火の芯みたいな強い光が宿っていた。


「……実は、親父が作った借金と、妹の入院費があって……だからハンターになるしかなくて。このお金があればだいぶ楽になります。だからその、本当にありがとうございます。」


 借金。妹。入院費。

 三浦がハンターをやっている理由が、その三つの単語で全部繋がった。ランク11の身体でゲートに潜り続ける動機。


「なら、それで妹さんに美味いものでも食べさせてあげてください」


 三浦は弾かれたように顔を上げ、袖で涙を拭って真っ直ぐに僕を見た。


「朝霧くん、僕……辞めないよ。ハンター。怖かった。死ぬかと思った。今でも足が震えてる。でも見たんだ。朝霧くんが吐きそうになりながら、手を震わせながら、それでも立ち向かって勝ったところを」


「……」


「僕も強くなりたい。朝霧くんみたいに。今はまだ荷物しか持てないけど、いつか朝霧さんみたいに戦えるようになりたい」


「……僕は、そんな立派な人間じゃないよ」


 本心だった。数分前に人を殺した手で、今こうして受け取った金を数えている。立派の対極にいる。

 でも三浦にはそれが見えていない。見えているのは、守護者に立ち向かった姿だけだ。その認識のずれが、胸の奥でちくりと刺さった。


「それでも。……これ、連絡先です。いつでも連絡してください」


 三浦は深々と頭を下げて、改札の向こうに消えていった。

 三浦カズヤ。スマホに登録された名前を見て、フルネームを初めて知った。



 *  *  *



 一人になった僕は、駅裏の路地にある『柳商会』へ向かった。表通りから二本路地を入った場所にある、看板の塗装が完全に剥げている店だ。


 錆びついたシャッターを手で持ち上げてくぐると、鉄錆と古い機械油と革の匂いが混じった柳商会特有の空気が出迎えてくれた。二回目なのに、もう懐かしいと感じている自分がいた。


「いらっしゃい……って、またあんたか。生きてたか」


 カウンターの奥から低い声。煙草は今日は咥えていないが、灰皿には吸い殻が山になっている。

 柳爺さんは僕の泥と血にまみれた姿を一瞥して、眉一つ動かさなかった。この店では返り血まみれの客くらい珍しくないのだろう。


「ええ、なんとか」


「そりゃ重畳。で、今日は何の用だ。まさかナイフが折れたから返金しろって話じゃねえだろうな」


「買い取りをお願いしたくて」


「買い取りだぁ? 低ランクが拾えるモンなんざ、たかが知れて……」


 僕がリュックの中身をカウンターにぶちまけると、柳爺さんの言葉が途切れた。


 ひしゃげたプレートアーマー、装飾過多なショートソード。そして黒い布に包んだ守護者の鎧片と、守護者の大斧。

 黒い布を開いた瞬間、鎧片の表面から微かに赤い光が漏れ出して、カウンターの木目を照らした。


 爺さんの目つきが変わった。商売人の目から、職人の目に切り替わる瞬間を見た。ルーペを取り出して鎧の断面を覗き込み、指先で表面を撫で、爪の先で硬度を確かめる。

 その手が震えていた。


「馬鹿な……この密度、この魔力残滓……守護者クラスか!? 坊主、こいつはどこで手に入れた」


 さらに、爺さんがルーペ越しに凝視して、完全に動きを止めた。


「……おい坊主。こいつ、どうやって切った? 力任せに叩き割ったんじゃねえ。鎧の繊維に沿って刃が滑り込んでる。この切断面は、熟練の暗殺者か達人級の剣士にしか出せねえ精度だぞ」


「……拾ったんですよ。通りがかりの凄いハンターが一瞬で倒して去っていきました。僕はそのおこぼれを」


 柳爺さんは僕の目を数秒間見つめた。嘘だと分かっている目だ。

 だが、それ以上は追求しなかった。灰皿から吸い殻を一本摘み上げ、鼻先で匂いを嗅いでから捨てた。奇妙な仕草だったが、それがこの爺さんの「話を切り替える」合図らしかった。


「……ふん、そういうことにしておくか。素材の出処は問わねえ。それがうちのルールだ」


 電卓を叩く音が店内に響く。爺さんの指は太いのにやたらと速い。


「全部まとめて二百八十万だ」


「即金で。それと、この金と守護者の素材で僕専用の装備を作ってほしいんです」


 爺さんの眉が片方だけ上がった。興味を引かれた顔だ。


「ほう? 既製品じゃ不満か?」


「武器はダガータイプ。刃渡りは短め。魔力伝導率を極限まで上げてほしいです。防具は動きを阻害しないコート。黒。フード付き。急所だけ守れる構造で」


「……お前、本当にランク12か? 発想が手練れのそれだぞ。低ランクの新人が魔力伝導率を指定してくるなんざ聞いたことがねえ」


「作れますか」


「作れるかだと?」


 爺さんは鼻を鳴らし、それから口の端をにやりと持ち上げた。職人が腕を振るう機会を与えられた時の、獰猛な笑みだった。


「ハッ、馬鹿にすんな。納期は三日だ。面白ぇ素材だからな、久しぶりに本気で打つ。楽しみに待ってな、坊主」



 *  *  *



 店を出ると、空は暮れかけていた。路地の向こうに見える空がオレンジ色に染まっていて、電柱のシルエットが黒く切り抜かれている。


 ポケットの中のスマホが震えた。画面に表示された「部長」の二文字を見て、僕は足を止めた。金田からの着信だ。


 三日前の自分なら、この二文字を見ただけで胃が縮んでいた。着信音が鳴るたびに身体が強張り、出る前から謝罪の言葉を頭の中で組み立てていた。「すみません」「申し訳ありません」「すぐやります」。

 その定型文がもう口の中に浮かんでこない。代わりに浮かんだのは、あの脂ぎった額と、「お前の代わりなんていくらでもいる」という声だった。


 通話ボタンを押した。


『おい朝霧! 今どこにいるんだ! 無断欠勤とはどういうつもりだ! 社会人として――』


「辞めます」


 一秒の間があった。金田の声が止まっている。


『……は? 今なんて言った?』


「仕事、辞めます。もう行きません」


『待て待て待て! お前な、辞めるったって手続きがあんだろうが! 引き継ぎは!? 代わりが見つかるまで――』


「代わりなんていくらでもいるんでしょう? 金田さんが自分でそう言ったじゃないですか」


 沈黙。受話器の向こうで、金田が言葉を詰まらせている音が聞こえた。あるいは僕の聞き間違いで、ただの通信のノイズかもしれない。どちらでもよかった。


 通話を切り、着信拒否に設定した。スマホをポケットに戻す。守護者の咆哮に比べれば、あの男の怒声はただのノイズだ。


 胸の奥にこびりついていた澱のようなものが、すっと溶けて消えていく感覚があった。

 三年間、毎朝あのフロアに向かう足取りが重かった。毎晩、明日もまた金田の声を聞くのかと思うと寝つけなかった。それが終わった。たった十五秒の通話で。



 *  *  *



 帰り道、駅前のスーパーに寄った。


 いつもなら半額シールの貼られた惣菜コーナーに直行するところだが、今日は精肉コーナーの前で足を止めた。厚切りのサーロインステーキ。一枚千二百円。隣の棚に少し高いビール。一缶三百五十円。合わせて千五百五十円。


 三日前の僕なら絶対に手を出さない金額だ。でも今のリュックの中には二百万がある。


 レジで千五百五十円を払う。財布から出した千円札と小銭の手触りが、いつもと違うものに感じられた。同じ金なのに。使い方が変わると、金の重さも変わる。


 家に着いて、フライパンに油を引き、塩と胡椒だけで肉を焼いた。分厚い肉が熱い鉄板に触れた瞬間、じゅうっと脂が爆ぜる音がして、煙と一緒に肉の匂いが六畳の部屋に充満した。

 ゲートの中の腐敗臭に塗れた鼻には、その匂いが信じられないくらい美味そうだった。


 ビールのプルタブを起こす。プシッという小さな破裂音。泡が缶の縁から少しだけ溢れた。


 焼き上がった肉を皿に載せ、ビールと一緒に畳の上に座って食べた。テーブルなんて持っていない。ナイフで肉を切ると、断面からピンク色の肉汁が溢れ出した。口に入れる。熱い。脂が舌に広がる。美味い。


 こんなに美味い肉を食べたのはいつ以来だろう。思い出せないくらい昔だ。ビールを流し込むと、炭酸が喉を洗って胃の底に落ちていった。


 生きている。


 その言葉が、肉の旨さとビールの苦みと一緒に腹の底に沈んでいく。死んで、戻って、殺して、奪って、ここにいる。それでも腹は減るし、肉は美味いし、ビールは苦い。

 人を殺した手で箸を持って飯を食っている。その事実を、今はただ受け入れるしかなかった。



 *  *  *



 食べ終わってビールの二本目を開けた頃、テレビから緊急ニュースのチャイムが鳴った。


『――ニュース速報です。国内トップランカーの一人、鳴神竜二氏が、北海道の高難易度ゲート内にて行方不明との情報が入りました。鳴神氏はランク82、国内最高戦力の一角として知られ……生存は絶望的と見られており……』


 アナウンサーの声が淡々と事実を読み上げている。画面に映し出されたのは、精悍な顔立ちの男の写真だった。ランク82。日本のトップ十に入る英雄が、あっけなく消えた。

 「ゲート内での事故」とぼかされていたが、要するにモンスターに殺されたということだ。


 ランク82ですら死ぬ。化け物の巣に潜って、二度と出てこなくなる。それが英雄と呼ばれる人間にも起こりうる。


 高ランクハンターの減少。ゲートの活性化。そして僕が手にしたロードの力。

 これらが無関係だとは思えなかった。世界のどこかで、何かの歯車が狂い始めている。その予感が、ビールの苦みの奥にじんわりと広がった。


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