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死に戻りハンターの英雄譚〜「ロード」であらゆるジョブを手にした俺はいつの間にか人類最後の希望になっていました  作者: ころん


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第7話 命の値段と、敗者の権利


 守護者の死体が黒い血を流して沈黙する水路の奥には、耳が痛くなるほどの静寂が満ちていた。


 水面に浮かぶ黒い霧が薄れていき、保安灯のわずかな光だけが濡れた壁を照らしている。僕は肩で息をしながら、瓦礫の下敷きになっている三人を見下ろした。

 ひしゃげたプレートアーマー、泥水に浸かった武器、あらぬ方向に曲がった手足。さっきまで僕らをゴミと呼んで笑っていた連中の成れの果てがそこにはあった。


 ナイフを握る指が白く変色していて、意識して力を緩めないと柄から剥がれなかった。

 守護者の返り血が手の甲にこびりついて、汚水と混じって薄い赤になっている。ゆっくりとしゃがみ込み、二階堂の目の前に顔を近づけた。


「生きてますか、二階堂さん」


「ひっ……!?」


 僕が顔を近づけただけで、二階堂の全身がビクリと痙攣した。目にあるのは明確な恐怖だ。


 さっきまで「ゴミ」と呼んでいた相手が、四十ランク級のモンスターを素手同然で仕留めた。その事実が脳の処理能力を超えているのだろう。口がパクパクと動いているが声にならない。


 横では瓦礫に足を挟まれたユリが、泥まみれの金髪を振り乱して媚びるような上目遣いをしていた。マニキュアが何本か剥がれていて、爪の下から血が滲んでいる。


「す、すごかったわ! 本当にすごかった! まさか隠し玉を持ってたなんて……ね、助けてくれるわよね? ポーション持ってるでしょ? 早くここから出して!」


 必死なのは分かる。だが数分前、梶が僕の足元に誘引剤を投げた時、この女は何をしていた。

 止めもせず、振り返りもせず、金髪を揺らして全速力で逃げていたはずだ。その同じ口が、今度は助けを求めている。


 人間というのはここまで簡単に手のひらを返せるものなのか。勉強になる。


「……朝霧、てめぇ……」


 二階堂がようやく声を絞り出した。怯えた声の底に、怒りをなんとか引き上げようとしている。虚勢だ。

 折れた腕を引きずりながら、わずかに身体を起こそうとした。


「隠してやがったな? 実力を……隠して、俺たちをハメやがったのか!?」


「ハメた?」


 僕は静かに繰り返した。声に感情は込めなかった。込める必要がなかった。


「ハメたのはそっちでしょう。僕と三浦くんを囮にして、自分たちだけ逃げようとした。誘引剤まで使って。違いますか?」


「そ、それは作戦だ! 誰かが犠牲にならなきゃ全滅してたんだ!」


「だから僕らを犠牲にした、と」


「荷物持ちが盾になるのは当然だろうが! それで金もらってんだろ! なあ!?」


 二階堂は梶とユリに同意を求めるように目を走らせたが、二人とも黙っていた。言質を取られたくないのだ。この期に及んで保身しか考えていない。清々しいほどのクズだった。


 僕は立ち上がった。


「分かりました。じゃあ商談をしましょう」


「……あ?」


「命の値段です。払ってください。全財産。装備、アイテム、魔石、現金。今ここにあるもの全部。置いていけ」


「ふ、ふざけんな! この鎧がいくらするか分かってんのか! 特注品だぞ! ローンも残ってんだ!」


「命より高いんですか?」


 僕が腰のナイフの柄に手をかけた。抜いてはいない。触れただけだ。

 たったそれだけのことで微かな金属音が鳴り、二階堂の喉が引きつるのが見えた。瞳孔が開いている。人間が本当に恐怖した時の目は、こういう形をするのだと初めて知った。


「は、払う……! 払うから! 殺さないでくれ! 頼む!」


 二階堂は折れた腕で震えながらポーチを差し出し、ネックレス、指輪、大剣を泥の中に投げ出した。梶とユリも蒼白な顔で従い、装備品や金目のものが次々と僕の足元に積み上がっていく。


 プレートアーマーの胸当て、ユリの装飾品、梶の予備武器。泥まみれの財産の山。


 商談は一分で終わった。




「じゃあ、僕はこれで」


 踵を返した僕の背中に、二階堂の叫びがぶつかってきた。


「は……? おい、助けていかねえのかよ!」


「助けましたよ。守護者を倒して命を拾わせた。それ以上のサービスは有料です」


「ふざけんな! 足が折れてんだぞ! 這って帰れってのか! 戻ってこい! 命令だ!」


「命令?」


 足を止めた。振り返らなかった。その方が効果的だと、暗殺者のスキルが教えてくれる。

 背を向けたまま、声だけを低くした。


「お前はまだ、自分が上の立場だと思ってるのか」


 沈黙が落ちた。汚水が壁を伝う音だけが残る。僕は歩き出した。


 背後から殺気が飛んできた。音ではなく、空気の振動として感じた。

 暗殺者の知覚が、後方からの殺意を皮膚の上に細い針で書くように伝えてくる。振り返る必要はなかった。


 構造看破が自動的に敵を解析する。瓦礫に挟まった状態での無理な体勢。筋肉の強張り。右手に握られた隠しナイフ。狙いは僕の右足首のアキレス腱。


「……殺してやる」


 低い呟きだった。全てを失った男の、最後のプライドだった。

 自分が見下していた相手に完膚なきまでに叩き潰された現実を受け入れるくらいなら、後ろから刺す方を選ぶ。そういう種類の人間なのだ。最初から、最後まで。


「テメェだけは……殺してやるぅぅぅ!」


 這いずりながら突き出されたナイフが足首に向かって走ってくる。身体が思考より先に動いた。

 半歩下がってナイフの軌道を回避し、流れるように懐のナイフを抜いて一閃させる。


 手首を返す動作は、まるで自分のものではなかった。暗殺者のスキルが腕を導き、最短距離で最も深い場所へ刃を届けた。乾いた音が響き、銀色の軌跡が二階堂の首筋を走り抜ける。


 動きが止まった。

 二階堂の目が大きく見開かれ、口が何かを言おうとして開いたまま凍りつく。首筋から赤い線が一筋流れ、それが二筋になり、溢れるように広がった。


 ナイフが泥水に落ちる小さな音がして、次の瞬間、二階堂の上半身がゆっくりと前に倒れ、汚水の中に沈んでいった。波紋が広がり、赤い水が輪を描く。


「キャアアアアッ!! ひ、人殺し……! 人殺し!!」


 ユリの悲鳴が水路の天井に反響して何重にも重なった。梶は声も出せず、折れた手で口を押さえて歯をガチガチと鳴らしている。


「正当防衛です」


 自分の声が、やけに平坦に聞こえた。心臓は早鐘を打っている。手首に残る感触が消えない。刃が首の肉を裂き、頸動脈を断った時の、抵抗のない柔らかさ。

 モンスターを斬った時とは全く違う。もっと滑らかで、もっと生温かくて、もっと簡単だった。人間は、こんなに簡単に死ぬ。


 吐きたかった。しかしここで弱さを見せれば、この二人が口を割ってしまうだろう。だから表情を動かさず、声に感情を入れず、ただ事実だけを述べた。


「ひっ、助けて! 言わない! 誰にも言わないから! 何もしないから!」


「お、俺もだ! 正当防衛だったって証言する! 死ぬまで黙ってる! だから殺さないでくれ!」


 構造看破が二人の急所を赤く照らしている。ユリの左胸。梶の喉仏。殺すだけなら簡単だ。口を封じるのが最も合理的な選択であることも分かっている。


 だが、抵抗できない人間を処刑するようには――まだ、できなかった。

 手が動かないのではなく、心が拒んでいる。この二人は泣いて命乞いをしている。それを斬れるほど、僕はまだ壊れていない。


「三浦くん」


「は、はい!」


 壁に張りついていた三浦が、びくりと肩を震わせて返事をした。目の前で起きたことの全てに圧倒されている顔だ。だが、逃げずにいた。そのことだけで十分だった。


「誘引剤の残り、持ってる?」


「え? あ、はい。梶さんが途中で落としたやつを拾っておきました。一つだけ……」


「あいつらの足元に投げて」


 三浦は数秒間、僕の顔を見つめた。その目に浮かんでいるのは恐怖でも嫌悪でもなく、何かを量ろうとしている真剣な光だった。

 僕が今やろうとしていることの意味を理解した上で、自分がそれに加担するかどうかを考えている目だ。そして、決意したように頷いた。


「……分かりました」


 小瓶がユリたちの足元に転がり、ガラスが割れて刺激臭が広がった。


「いやぁぁぁ!! やめて!! 何でもするから!!」


「畜生ぉぉ!! 覚えてろ!!」


 悲鳴と罵声を背に、僕は歩き出した。もう振り返らない。彼らがこの先どうなるかは知らない。

 ゲートの奥には守護者以外のモンスターもいる。誘引剤の匂いがどれくらい持つかも知らない。結果がどうなっても、それは彼ら自身が選んだ道の延長にある。僕が直接手を下したわけではない。


 ――そういうことにした。



 *  *  *



 地上に出ると、朝の光が世界を白く塗りつぶしていた。


 目が痛いくらいの眩しさだ。ゲートの中の薄暗さに慣れた目には、太陽の光が針のように刺さる。でも、その痛みが生きている証拠だった。

 排気ガスと湿ったアスファルトの匂いが、腐敗水路の瘴気を肺から押し出していく。


「あの……朝霧くん」


 三浦がおずおずと口を開いた。声は小さいが、水路の中で僕の名前を叫んだ時と同じ声だ。


「ありがとう。僕、朝霧くんがいなかったら死んでた」


「……僕もだよ」


「ギルドへの報告、どうしようか……」


 三浦の目は不安に揺れていたが、その奥に覚悟の色が混じっていた。僕が二階堂を殺したことも、誘引剤を投げたことも、全部見ていた上で、こうして隣に立っている。


「『守護者に遭遇してパーティは壊滅。僕らだけ運良く逃げ延びた』。これでいこう」


「……分かった。僕も、そう証言する」


 三浦の声は静かだったが、はっきりしていた。共犯者。

 二人の間に、奇妙な連帯感が生まれていた。信頼と呼ぶには血なまぐさすぎるが、嘘だけで結ばれた関係ではないと思いたかった。


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