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死に戻りハンターの英雄譚〜「ロード」であらゆるジョブを手にした俺はいつの間にか人類最後の希望になっていました  作者: ころん


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第17話 5回目の死

 二十回目の攻略で、僕たちは初めて中層に踏み込んだ。


 空気が違う。肺に吸い込むたびに胸が圧迫されて、呼吸が一段浅くなる。壁面の苔の発光が浅層より強く、青白い光が水面を這うように広がって崩れた柱の影を深く刻んでいた。


「朝霧さん……息がしづらいです」


「魔力の密度が上がってます。体調がおかしくなったらすぐ言ってください」


「はい。……あと、匂いが変わりました。リザードマンじゃない何か。酸っぱくて刺すような……バッテリー液みたいな匂いがします」


 浅層が崩れたビルの林だったのに対し、中層は巨大な地下空間だった。天井が高く、太い鉄骨が水面から何本も突き出していて、水深は膝上まである。

 足を動かすたびに水底から細かい泡が立ち上り、硫黄に似た刺激臭が喉の奥をヒリつかせた。


「三浦さん、あの柱の陰で待機してください。偵察してきます」


「……気をつけて」


 構造看破を発動した。水面の下に、リザードマンとは別の何かがいた。


 全長五メートルを超える巨体が水底を這うように移動していて、黄緑色に発光する鱗が苔の光とは違う不気味な色を水中に滲ませている。

 構造看破が示す弱点は首の付け根と体の中央にある核のような器官だが、弱点を覆う鱗の厚さが尋常ではなく、赤い線が示す「斬れる場所」がほとんどなかった。


 蛇が水底で動きを止め、縦長の瞳孔がこちらを向いた。


 次の瞬間、水面が割れた。五メートルの巨体が水柱を立てて宙に舞い、開いた口の牙の間から黄緑色の液体が霧状に噴射される。


 瞬発強化で足裏を蹴り出し、横に飛んだ。酸の霧が通過した場所の水面が泡立ち、鉄骨の柱に飛沫がかかった瞬間、金属が焼ける臭いとともに表面が見る間に黒く腐食していく。

 あれを浴びたら黒影のコートごと溶ける。


「なっ……朝霧さん!」


「動かないでください!」


 蛇が首を振りながら二度目のブレスを薙ぎ払ってきた。気配遮断で足音を殺しながら鉄骨の柱の陰に滑り込む。

 柱に酸がかかり、じゅうっと音を立てて金属が溶けていった。熱い飛沫が頬をかすめて小さな火傷の痛みが走る。


 ブレスが途切れた隙を見て飛び出し、蛇の胴体に牙剣を叩きつけた。急所特効が導く最適な角度で、鱗の境目を狙った一撃。


 弾かれた。手首を砕くような衝撃が腕を伝って肩まで走り、指が痺れて柄を取り落としそうになった。


「……硬ッ……!」


 急所特効の補正をかけても、この鱗には刃が立たない。リザードマンの鱗が石なら、こいつの鱗は鉄だ。


 蛇の尾が薙いできた。瞬発強化でバックステップを踏んだが、水の抵抗で加速が鈍り、尾の先端が脇腹を捉えた。身体が横に吹き飛ばされ、水面に叩きつけられる。

 口の中に汚水が入って咳き込みながら顔を上げると、蛇がすでに次の攻撃態勢に入っていた。口が開き、喉の奥で黄緑色の光が膨らんでいく。


 距離が足りない。クロス・パリィは物理攻撃には有効だが、酸のブレスは受け流せない。連撃で斬りつけようにも、そもそも刃が通らない相手に手数を増やしても意味がない。

 持っているスキルのどれを組み合わせても、この鱗を突破する手段がなかった。


 酸のブレスが顔面に向かって放たれた。構造看破がブレスの軌道を赤い線で描いたが、描いた時にはもう——





 白い空間にいた。顔がない——最初にそう思った。

 手を当てようとして、手が動かないことに気づく。ここには身体がない。暗闇と青白い文字列だけがある。


 なのに顔が溶ける感触が残っていて、皮膚が泡立ち肉が崩れていく過程が、存在しない神経の上を走り続けていた。


 吐きたかった。胃がない空間で、吐き気だけが脳の中心で渦を巻いている。あれからずっと死なずにいた。死なない日が続くと、死の記憶は薄れる。首元の冷たさに慣れ、手の震えが減り、日常が死を遠ざけてくれる。

 だが一度死ねば全部戻る。薄れかけていた恐怖が、新しい死を核にして一気に結晶する。


今回の死で、少しだけ整理できたことがある。

 ロードの巻き戻り地点は僕が選べるわけではない。

 明確な基準があるのかすら分からない。ただ、これまでの五回を並べると、「その日のゲートに入った瞬間」か「戦闘が始まる直前」のどちらかに戻っている。


 研修ゲートの時は入口付近に、封鎖ゲートの時は角を曲がる前に、腐敗水路の時は駅前の集合地点に、西条戦の時は坑道脱出直後に。


 記憶は全部残る。死の感覚も、痛みの残像も、目で見た情報も。身体やスキルも、ロード前に取得したものがそのまま引き継がれる。コインと経験値は死亡時に精算されて、ロード後の身体に反映される仕組みだ。つまり「死ぬたびに強くなる」は正確で、死なない限り精算されない報酬が溜まっていく。


 回数制限は——分からない。五回死んで、五回戻った。六回目があるかどうかは六回目に死ぬまで分からない。毎回「次はないかもしれない」と思ってやらなければ取り返しのつかないことになる。次の死が本当の死になる可能性を、否定する根拠はどこにもない。


 そしてもう一つ。ロードで巻き戻っても、死の記憶だけは上書きされずに蓄積される。首を噛み砕かれた冷たさ、背骨を叩き折られた熱さ、顔が溶けていく感触——全部が脊髄の奥に堆積物のように積み重なって、消えない。この力の対価は、身体ではなく記憶の方にある。



 リザルト画面の文字が浮かんでいる。読みたくない。でも読まなければ先に進めない。


【死亡ログ】

死因:酸性液体による顔面および上半身の腐食

経過時間:0.3秒(即死判定)

総合評価:B


【前回死亡以降の累積討伐】

リザードマン(通常種):147体

リザードマン(変異種):12体

アシッド・サーペント(C級上位):遭遇(未討伐・死亡)

評価補正:長期間の無死亡連続攻略(+)、C級中層への単独進出(+)


【獲得報酬】

経験値:+18,200

コイン:+52,000C


【Lv16 → Lv19】


 身体の奥で回路が書き換わる感覚がある。だがそれすら、顔が溶けた幻痛の下に埋もれていた。


 文字列が切り替わった。三つの選択肢。


【解放可能ジョブ】

1.【解析者】── 消費:30,000C

 敵の行動パターン・弱点・予備動作を自動記録し、次回遭遇時に参照可能にする。

 対応スキル:「戦闘記録」2,000C /「弱点固定」3,000C


2.【鎧砕き】── 消費:35,000C

 装甲・硬質鱗・魔法障壁への貫通力を大幅に強化。

 対応スキル:「装甲貫通」3,500C /「浸透斬撃」4,500C


3.【影渡り】── 消費:40,000C

 回避性能を極限まで強化。攻撃後の硬直を自動検知し、反撃タイミングを視覚化。

 対応スキル:「硬直感知」3,000C /「残像移動」5,000C


 考えろ。顔のことは後で震えればいい。今は、選べ。


 あの鱗だ。牙剣を叩きつけて、急所特効の補正をかけても一ミリも入らなかった。弱点は見えている。見えているのに届かない。構造看破も、瞬発強化も、連撃も、クロス・パリィも——今の僕が持っているスキルの全部を束ねても、あの装甲だけは突破できなかった。

 足りないのは、硬いものを貫く力そのものだ。


【ジョブ「鎧砕き」を取得】消費:35,000C

【スキル「装甲貫通」を習得】消費:3,500C

【スキル「浸透斬撃」を習得】消費:4,500C

残高:9,000C


 指先に新しい力が灯った。刃が接触した瞬間に衝撃を一点に収束させ、装甲の内側へ浸透させる技術。力で押し切るのではない。振動で砕く。


 ロードを選択した。




 目を開けた。水没都市の浅層。三浦が隣を歩いている。


「朝霧さん、空気が変わってきましたね。中層、近いんじゃないですか」


「……ええ」


 咳払いを一つ。喉の奥に、まだ酸の幻臭がこびりついている。


「三浦さん。中層に入ったら、いつもより距離を取ります。僕が呼ぶまで絶対についてこないでください」


「……何かあるんですか」


「匂い、変わりませんか」


 三浦が鼻を動かした。顔色が変わる。


「……します。リザードマンじゃない。もっと強い匂い。バッテリー液みたいな」


「それの正体を確かめに行きます。三浦さんは浅層側で待っていてください」


「……分かりました。気をつけて」


 中層に踏み込んだ。構造看破を発動すると、蛇は同じ位置にいた。水底を這う五メートルの巨体が、苔の光の中でゆっくりと身じろぎしている。


 三浦を柱の陰に待機させ、大きく迂回した。正面から近づけばブレスで焼かれる。気配遮断を最大にして蛇の背後に回り込み、水面を蹴らずに滑るように移動する。

 気配遮断Lv2の補正が足の置き方を自動で最適化して、波紋すら立たない歩行を可能にしていた。汗が額を伝うのを放置しながら、蛇の尾の先端から三メートルの距離まで詰めた。鱗が苔の光を受けて鈍く脈動している。


 構造看破が首の付け根の弱点を照らしていた。あそこに一撃を入れる。


 だが蛇は水の振動で気づいた。五メートルの巨体が旋回して水面が渦を巻き、膝まで浸かった汚水が腿を叩く。頭部がこちらを向き、黄色い瞳と目が合った。

 口が開いて、喉の奥で黄緑色の光が膨らんでいく。


 身体が凍った。足裏が水底に縫い止められて、脊髄の奥で死の記憶が叫んでいる。


「動け……!」


 自分の声で呪縛が解けた。瞬発強化が足裏から脛、太腿へと波のように駆け上がり、水の抵抗を力ずくで突破して横に飛んだ。酸の霧が直前までいた場所を通過して、鉄骨にかかった液滴がじゅうっと音を立てて金属を腐食させていく。

 頬を熱風が舐めたが、直撃は避けた。


 ブレスの後——蛇の口が閉じた。喉の筋肉が次のブレスのために収縮を始めている。一周目の死の直前に構造看破が記録していたパターンだ。隙は一秒半。


 瞬発強化を脚部に集中させ、水を蹴って跳んだ。水飛沫が顔にかかる中を、蛇の頭めがけて一直線に距離を詰める。鱗の一枚一枚が見える距離。口の端から垂れる粘液が空気に揺れていた。

 怖い。だが足は止めない。


 蛇の頭を飛び越え、空中で体を捻った。眼下に首筋が見える。構造看破が示す赤い線の交差点、鱗と鱗の境目に急所特効の補正が最適な刺突角度を導き出していた。銀蜂を逆手に持ち替え、落下の勢いを全て乗せて突き下ろす。


 さっきはここで弾かれた鱗だ。だが今は違う。

 刃先が鱗に触れた瞬間、装甲貫通が起動した。衝撃が一点に収束する感覚が手首を走り、鱗の内部に肉眼では見えない振動が浸透していく。鱗の表面に蜘蛛の巣のような微細な亀裂が走り——銀蜂の切っ先が、あの鋼のような装甲にめり込んでいった。


 通った。急所特効が示した角度と、装甲貫通が生んだ振動が噛み合った結果だった。


「……入った……!」


 だがまだ浅い。鱗を突破しただけで、核には届いていない。刃を押し込みながら、浸透斬撃を発動した。銀蜂の刀身そのものが細かく振動し始め、接触面から衝撃波を肉の奥へ送り込んでいく。

 硬い層を一枚ずつ剥がすように刃が沈んでいき、肉を裂く湿った手応えの奥に硬い芯のようなものがあった。核だ。


 刃先が核に触れた瞬間、ガラスの球体に亀裂を入れるような硬質で脆い感触が手首に伝わった。浸透斬撃の振動が核の内部で暴れている。


「砕けろ……!」


 柄を握る手に残った力を全部注ぎ込んで、刃を捻った。核が砕ける振動が銀蜂の柄を通じて肘まで駆け上がる。


 蛇が痙攣した。五メートルの巨体が弓なりに跳ね上がり、僕は振り落とされまいと首の鱗にしがみついた。鱗の縁が掌の肉に食い込んで血が滲む。歯を食いしばって耐えた。

 蛇の身体が二度、三度と痙攣し、それから水面に崩れ落ちた。水柱が天井近くまで上がり、しぶきが雨のように降り注ぐ。


 尾の先が最後にぴくりと震えて、それきり静かになった。


 蛇の背中から滑り降りた瞬間、膝が折れて水の中に座り込んだ。立てない。

 アドレナリンが引いて、戦闘中に蓋をしていた恐怖が全部まとめて押し寄せてきた。手のひらから血が滲んでいるのに、銀蜂を握る指がこわばって開かない。


「朝霧さん……! 倒したんですか……!?」


 三浦が駆け寄ってきた。蛇の巨体を見て足が止まり、口が開いたまま固まっている。


「な……何ですかこれ……」


「中層のモンスターです。……回収、お願いできますか」


「え、これを……えっと……」


 三浦は恐る恐る蛇の胴体に近づいて鱗に触れ、指先で表面をなぞってから弾いてみて、光にかざした。


「鱗がすごく硬い。金属に近い質感です。防具の素材として相当な値がつきます。中に魔石があるはずですけど、この大きさだと……」


「お願いします」


「やります」


 三浦は蛇の胴体に取りつき、鱗と鱗の境目を探り始めた。ナイフの刃を差し込む角度を何度か調整しながら、一枚一枚丁寧に剥がしていく。

 三十分ほどかけて体内から取り出した魔石は、両手で抱えるほどの大きさだった。深い緑色に黄色の筋が混じっていて、内側から光を発している。


「朝霧さん……これ、とんでもないですよ。こんな大きさの魔石、見たことない。五十万は下らないです」


 三浦はリュックに入れようとしたが大きすぎて入らず、上着で包んで両腕で抱えることになった。リュックにはリザードマンの魔石も入っている。

 よろめきながら歩き出す三浦の表情は苦しそうだったが、目は笑っていた。




 柳商会に直行した。爺さんは蛇の魔石を見た瞬間、煙草を灰皿に置いた。


「……どこで拾った」


「水没都市の中層です。酸を吐く大蛇を」


「アシッド・サーペントか。珍しいな。ちゃんとしたルートで売れば七十万はいく」


「七十万!?」


 三浦の声が裏返った。柳が三浦の方をちらりと見て、わずかに口の端を上げた。


「傷一つねえ。もう少し上乗せできる。七十五万でどうだ」


「お、お願いします……!」


 柳が金を数えている間、三浦はスマホの家計簿アプリに数字を打ち込んでいた。指が震えている。手術費の貯金残高。あと数回の攻略で、四百万に届く。


 店を出ると、三浦は黙って歩いていた。いつもなら何かしら喋り出す男が、今日は静かだ。目が赤くなっていた。


「三浦さん」


「……はい」


「このペースなら、ユイちゃんの手術費は必ず貯まります」


「……はい」


「泣いていいですよ。誰も見てません」


「泣いてないです。……泣いてないです。ただ……」


 三浦は立ち止まって、空を見上げた。夕暮れの空が橙色に染まっている。


「ここまで来られると思ってなかった。半年前の僕は、管理局のロビーで地べたに這いつくばって、誰にも相手にされなくて。もうダメだと思ってた。ユイの手術費なんて一生かかっても貯まらないと。……でも夢じゃないですよね」


「夢じゃないですよ」


「……ありがとうございます。朝霧さん」


 三浦が頭を下げた。深すぎる角度で。ポケットから飴が転がり出て、水たまりに落ちた。


「あ」


「拾ってください」


「はい。……いちご味でした」


 三浦が濡れた飴を拾い上げて、照れくさそうに笑った。





 改札で三浦と別れた。


 ホームのベンチに座り、自分の手を見た。右の掌に、蛇の鱗で切った傷が赤い線を引いている。左の指先には、銀蜂の柄を握りすぎた痺れが残っている。

 この手で蛇を殺した。構造看破で弱点を見つけ、瞬発強化で間合いを詰め、気配遮断で背後に回り、急所特効で角度を決め、装甲貫通で鱗を砕き、浸透斬撃で核を割った。六つのスキルを全部使って、ようやく一体。


 首元を触った。冷たさが一つ増えていた。五回目の死。


 電車が来た。乗り込んで座席に座る。窓に映る自分の顔は無傷だった。



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