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死に戻りハンターの英雄譚〜「ロード」であらゆるジョブを手にした俺はいつの間にか人類最後の希望になっていました  作者: ころん


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第16話 影と匂い


 水没都市の攻略が十回を超えた頃から、ゲートの中の匂いに慣れてきた。


 腐敗と潮の混じった臭気は相変わらず不快だが、最初のように咳き込むことはなくなった。慣れるべきでないものに慣れていく自分に、微かな気味悪さを感じなくもないが、効率を考えれば歓迎すべき変化だった。


 三浦もまた、少しずつ変わっていた。

 十二回目の攻略の時、彼は初めて自分から「少し奥に進んでみませんか」と提案した。浅層と中層の境界エリア。いつもはそこで引き返していたのだが、三浦がリュックの空きを指差して「まだ入ります。もう少し稼ぎたい」と言ったのだ。


「欲が出てきましたね」


「はい。……すみません、出すぎですか」


「いいことですよ。ただし、中層は浅層と空気が違う。魔力の密度が上がるから、体調が少しでもおかしくなったらすぐに言ってください」


「分かりました。……あの、朝霧さん」


「はい」


「最近、匂いで分かるようになってきたんです。リザードマンがどのへんにいるか」


「……匂いで?」


「はい。あいつら、水中に潜んでる時と地上にいる時で匂いが違うんです。水中の方が生臭さが薄くて、代わりに苔っぽい匂いが強くなる。たぶん水中では鱗の隙間に苔が詰まるからだと思うんですけど。それで、その苔の匂いがする方角を嗅ぎ分ければ、どっちの水面下にいるか大体――」


「三浦さん」


「はい。あ、長いですか。すみません」


「いえ。それ、すごく有用です。続けてください。その嗅覚はいつ頃から?」


「えっと……五回目くらいからですかね。最初はただ臭いなとしか思ってなかったんですけど、だんだん匂いの種類が分かるようになってきて」


 五回目。三浦の魔力が初めて暴走した回と同じ頃だ。偶然だろうか。

 魔力の覚醒に伴って、五感が強化され始めている可能性がある。だとすれば、三浦の身体は少しずつ、ダムの壁の向こうにある力に馴染み始めているのかもしれない。


 良い兆候なのか、危険な兆候なのか、今の僕には判断できなかった。


「便利な鼻ですね。索敵に使えます」


「えへへ。匂いだけは犬並みってよく言われます。料理する時も、味見しなくても匂いで大体分かるんですよ。塩が足りないとか、火が通りすぎてるとか」


「それは料理の話ですよね」


「あ、はい。すみません、脱線しました」




 十四回目の攻略は、それまでで最も順調だった。浅層から中層の入口までを一気に周回し、リザードマンを十七体。


 三浦の回収速度はさらに上がっていて、もはや僕が次の敵を倒す間に前の魔石を取り終えている。無駄な時間がほとんどない。

 二人の動きが噛み合い始めていた。言葉で指示を出さなくても、僕が構えれば三浦は壁際に退がり、僕が剣を納めれば三浦がナイフを抜いて駆け寄ってくる。呼吸が合っている、という表現が一番近いかもしれない。


 ゲートを出て受付で換金を済ませた。十七体分の魔石は合計で二十一万。過去最高の稼ぎだった。三浦は家計簿アプリに数字を打ち込みながら、何度も画面を確認していた。


「朝霧さん、このペースなら……あと二ヶ月で手術費が貯まります」


「順調ですね」


「はい。……本当に、朝霧さんのおかげです」


「僕は倒してるだけですよ。石を傷なく取り出してるのは三浦さんの技術です」


「あはは、そう言ってもらえると嬉しいです。石のことだけは自信あるので」


 管理局の建物を出ると、夕方の風が汗ばんだ肌に心地よかった。ゲートの中の生温い海水とは違う、乾いた秋の風だ。駐車場から歩道に出た時だった。


「よう。精が出るな、坊主」


 背後から声がかかった。聞き覚えはない。だが声に含まれている空気には覚えがあった。

 馴れ馴れしさの裏に隠した計算。力を持っている人間が、力を持っていない人間に話しかける時の、あの微妙な上からの角度。


 振り返ると、駐車場の壁にもたれて缶コーヒーを飲んでいる男が二人いた。装備は中の上。胸元に見覚えのあるバッジが光っている。

 剣と百合をあしらった銀のエンブレム。銀百合だ。


 西条の部下か。あるいは、別の構成員か。どちらにしても、わざわざゲートの出口で待ち伏せしているということは、僕たちを監視していたことになる。


「何か用ですか」


「いやいや、ちょっと挨拶にな。最近この辺をウロウロしてるのが見えたもんでよ。ランク12と11のコンビで、C級ゲートに毎日通ってるんだって? 噂になってるぜ」


「噂ですか」


「ああ。『低ランクの二人組が、毎日C級からパンパンのリュックを担いで出てくる』ってな。不思議だろ? ランク12がC級を周回できるなんて、普通はあり得ないんだからよ」


 男は缶コーヒーを一口飲み、にやりと笑った。探っている。僕の実力を確かめようとしているのか、それとも単なる嫌がらせの前哨か。


「お前さん、本当はランク12じゃねえだろ? 何か隠してるんじゃねえのか」


「管理局の査定通りですよ。運がいいだけです」


「運、ね。まあいいさ。ただ忠告しとく。ここは銀百合が目をつけてるエリアだ。あんまりいい思いしてると、目立つぜ?」


 男は缶コーヒーを握り潰し、空き缶をゴミ箱に放り投げた。外れて地面に転がったが、拾おうともしない。もう一人の男は終始無言で、腕を組んだまま僕を値踏みするように見つめていた。二人はそのまま歩き去っていった。


 三浦が僕の袖を引いた。顔が真っ白だ。


「あ、朝霧さん……あの人たち……」


「銀百合です」


「ぎ、銀百合って、あの大手クランの……? なんで僕たちに……」


「縄張り意識でしょう。ここのゲートを自分たちのものだと思ってる」


 正確に言えば、西条の件が関係している可能性がある。僕が西条を叩きのめしたことが、クラン内でどう処理されたかは分からない。もみ消されたか、逆に恨みを買っているか。

 どちらにしても、銀百合が僕たちに目をつけ始めたのは厄介だった。


「だ、大丈夫なんですか。大手クランに目をつけられたら……」


「今すぐどうこうはないです。今日は挨拶だけ。値踏みに来ただけです」


「でも……」


「三浦さん。あの程度の連中を気にしていたら、ゲートの中で生き残れませんよ」


 三浦は黙った。納得したわけではないだろう。ただ、今の三浦には反論する材料がない。大手クランとの軋轢がどういう結果を生むのか、経験がないから想像できないのだ。


 想像できるのは僕の方だった。銀百合の西条を叩きのめした時、僕はあの男を脅して帰した。だがあの種の人間は、脅されて引き下がるタイプではない。恥を雪ぐために、もっと陰湿な方法で仕返しを考えるタイプだ。

 直接来るのではなく、部下を使い、組織の力を使い、僕ではなく僕の周囲を狙う。今日の二人はその布石かもしれない。


 三浦の隣にいることが、三浦を危険に晒すかもしれない。その可能性が頭をよぎった時、胃の底が冷えた。





 駅に向かう道で、三浦が口を開いた。


「あの、朝霧さん。……僕のせいですか。僕が荷物持ちとして目立ってるから、朝霧さんまで巻き込んでるんじゃ」


「違います。目をつけられてるのは僕の方です」


「でも……」


「三浦さん。仮に迷惑だったとしても、僕が三浦さんを外す理由にはなりません」


 三浦が足を止めた。唇を噛んで、何かを堪えてから、小さく頷いた。


「……ありがとうございます」


「礼を言われることじゃないですよ。契約は契約です。……明日も同じ時間に」


「はい。明日も、よろしくお願いします」


 改札で別れた後、僕は一人で柳商会に向かった。変異種の魔石は管理局の窓口より柳に持ち込んだ方が高く買ってくれる。

 路地裏の重い扉を開けると、いつもの鉄錆とオイルの匂いが出迎えてくれた。カウンターの奥で柳爺さんが何かの刃物を砥石で研いでいる。


「いらっしゃい。今日は何だ」


「変異種の魔石が三つ。買い取ってほしいんですが」


 ポーチから布に包んだ魔石を三つ取り出し、カウンターに並べた。柳は砥石から手を離して眼鏡を上げ、魔石を一つずつ光にかざした。


「ほう。紫がかってるな。結晶の密度もいい。……お前さんのところのポーター、腕がいいな。傷が一つもねえ」


「父親が宝石の研磨工だったそうです」


「なるほどな。道理で。……三つで八万。どうだ」


「お願いします」


 柳が金庫から紙幣を出している間に、僕は何気ない調子で切り出した。


「柳さん。一つ聞いてもいいですか」


「商品の話か」


「いえ。……銀百合っていうクラン、ご存知ですか」


 柳の手が一瞬止まった。紙幣を数える指が途中で動きを止めて、それからゆっくり再開する。表情は変わらない。だが、間があった。


「知ってるも何も、この辺じゃ知らねえ方がおかしい。何かあったのか」


「ゲートの出口で声をかけられました。『ここは銀百合が目をつけてるエリアだ』と」


 柳は紙幣を数える手を止めないまま、短く鼻を鳴らした。


「……面倒な連中に目をつけられたな」


「そんなに厄介なんですか」


「あのクランは陰湿だ。それだけ覚えておけ」


 柳は八万円分の紙幣を封筒に入れて差し出した。それ以上は何も言わなかった。


 店を出ると、路地裏は薄暗くなっていた。街灯がぽつぽつと点き始めて、コンビニの明かりが歩道を四角く照らしている。ビルの隙間から見える空が、橙と紫のグラデーションをなしていた。


 ポケットの中のスマホが震えた。明菜さんからのメールだ。


『そういえば来週の土曜、研修組の同期で集まるんだけど透くんも来ない? 新宿の居酒屋、六時から!』


 同期の集まり。研修ゲートで一緒に生き残った人間たちの、同窓会のようなものだろうか。行くべきか。行きたいかどうかと聞かれたら、よく分からない。


 ただ、明菜さんの名前を画面で見ると、少しだけ首元の冷たさが遠のく気がした。ゲートの中の世界ではない場所に、僕を覚えていてくれる人がいるということ。それが、安っぽいスマホの画面越しでも、なぜか安心する。


『行きます』


 送信した後で、少しだけ後悔した。人と会うのはエネルギーを使う。今の僕にそんな余裕があるだろうか。でも、送ってしまったものは取り消せない。


 スマホをポケットに戻して、駅に向かって歩き出した。

 銀百合のこと。三浦のこと。ユイちゃんのこと。柳爺さんの忠告。頭の中で複数の問題が回転していて、どれも答えが出ない。


 一つだけ確かなのは、僕たちの日常はもう長くは続かないということだった。銀百合が値踏みの段階を終えれば、次は実力行使が来る。それまでに何かを考えなければならない。何を。どうやって。分からない。


 首元を触った。冷たさが少しだけ強くなった気がした。


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