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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

猛毒持ち次期魔王(自称)に捕まった偽聖女の私、実は毒耐性持ちの妖精なんだが? バレる前に即逃げる!

作者: 左京潤
掲載日:2025/12/29



「はぁはぁ……これでよし!」


 ロープの端をギュッと引き締めつつ、わたしはやりとげた顔で汗をぬぐった。



 高原を抜ける道のど真ん中。

 わたしの足元には、麻袋の上から縛りあげられた男が転がってる。



 袋の中身は、先日わたしを捕まえて無理やり婚約者にしやがった横暴なクソ魔法使い。


 それからずっと逃げる機会をうかがってたわたし、ついさっき一瞬の隙をついて背後からヤツを急襲!

 ひそかに調達しといた麻袋を一気にかぶせ、ロープでぐるぐる巻きにしてやったんだ!


 袋の中の魔法使い、最初こそ往生際悪く暴れてたものの、すぐに抵抗を諦めたらしい。

 いまはもう、ときたま思い出したみたいにちょっぴりと動く程度。


 へへっ、とわたしは鼻を鳴らす。見たか! ざまあみろだ!


「さーて、さっそく逃げますか、っと! こいつはとりあえず、そのへんの草むらにでも転がしといて……」


「――手ぬるいのでは?」



 ……ふと、となりの方から声が聞こえてくる。



「油断をするな。なにせ、相手は次期魔王候補の大魔法使いだぞ? いったいどんな手を使ってくるか知れたものではない。ほれ、そこにちょうど良い感じの泉がある。万全を期すならば、このままあそこへ沈めてしまうべきだ」


「……って、さすがにそれはやり過ぎだよ。わたしとしてはただ、ちょっと時間稼いでこいつから逃げられればいいだけだし……え!?」


 なにげなく顔を向けたわたし、そこにしれっと立ってる黒ローブの青年を見るなり仰天して飛び上がった!


「な、なんであんたがっ!?」



 ……いつの間にかわたしの隣にしれっと立ってたのは、たったいま、わたしがこの手で袋に押し込めて縛りあげたはずの魔法使い本人だった。


 彼は形のいい顎に指をかけ、目の前に転がる麻袋――ついさっき自分が詰め込まれたハズのそれを、どこか興味深げに見下ろしてる。


 わたしはすっかり動揺しながら、相変わらずもぞもぞと動いてる麻袋を指した。



「じゃあ、これはっ!?」


「残像だ」


「残像ではなくないっ!?」


「残像(物理)」


 魔法使いが指を鳴らすと、ちょうど人くらいのサイズに膨らんでた麻袋がぺしゃんと潰れた。

 ゆるんだ袋の口からは、枯れ葉や枯れ枝がバラバラとこぼれだしてあたりに散らばる。

 って、……手品かよ!?


 がくぜんとするわたしの前で、魔法使いが得意げに笑った。



「――これで54戦54敗だな、聖女よ」


 彼はエラそうに腕を組みつつ、目を細めるようにしてわたしを見おろしてくる。

 余裕たっぷりなその態度に、わたしは思わずギリ、と奥歯を噛んだ。



「だーかーら! わたしは聖女じゃないんだってば!」


 声を荒げて反論しつつ、わたしは魔法使いの顔、思いっきり睨み返してやる!



「ていうか、べつになんど失敗したって構わないし!

 たった一回でも逃げ切れれば、それでこっちの勝ちなんだからね!」



「違いない」、と、魔法使いがせせら笑う。


「――もしも、聖女にそのようなことが出来るのならば、な」




* * *




 ――……それから1時間後。

 わたしは魔法使いと並んで、高原の道を歩いてた。


 54回目の逃亡に失敗した直後ではあるものの、それはそれとして。きょうはほんとに気持ちのいい陽気だ。

 ときおり頬に感じるやわらかな風と、新鮮な匂いのする澄んだ空気。

 あたりの草花は陽光を透かすようにきらきら輝いてる。


 つい鼻歌なんか歌いそうになって、わたしはハッと思いとどまった。


 ……ああ、そうだ。もう、気ままなひとり旅じゃないんだった。


 リュックの肩紐をぎゅっと握りつつ、わたしはきっかり0.5メトル離れてついてくる魔法使いの顔、思いっきり睨めつけてやった。



「――どうした、聖女よ。急にまじまじと俺の顔を見てからに」


 ……けど、そいつは渾身の恨みを込めたわたしのまなざし、気にした様子もない。

 それどころか、目が合った瞬間、どこか愉快そうに笑ってみせる。


「さては、俺の顔の良さにあらためて感動でもしたか?」



 ……謎の自信にあふれた言葉に、わたしはゲンナリしてしまった。


 まあ、たしかに顔は良い。顔だけは。

 ここしばらくですっかり見慣れはしたけど、きれいな顔だとは思う。


 夜空のような色をした切れ長の目と、シニカルな笑みをたたえた口元。

 少し高い位置で括られた長い黒髪は神秘的で、身に纏う黒ローブと相まって、いかにも高位の魔法使い、って感じだ。



 ――こいつの名前はヴィルク。

 ひとりであてもなく旅してたわたしを、大陸最強の女剣士こと《銀煌の聖女》だと思い込んで捕まえ、一方的に婚約者宣言してつきまとってくる激ヤバ魔法使いだ。


 ……ていうか、そもそもわたし、聖女さまとは無関係な一般人なんだけどっ!?


 でも、いくらそう主張してもぜんっぜん信じてもらえないし。

 早々に説得を諦めたわたし、やむなく、こいつから逃げる機会を虎視眈々とうかがってる、というわけ。



「……はあ」、と、わたしはわざとらしくため息、ついてみせる。


「あんたがいると、どうも窮屈なんだけど」


「べつに、俺の目を気にする必要はないぞ」、と、魔法使い。


「俺は、婚約者の言動にいちいちくだらぬ文句をつけたりするような器の小さい人間ではない。……いずれ魔王となるこの俺が、そのように狭量である筈がないだろう?」


 そう言って、彼は自信ありげに口の端を吊りあげる。


 ……そうなんだ。

 初対面の相手を無理やり婚約者にするとか、人の話を聞かねえとか、そもそもシンプルに性格がクソすぎるとか、こいつのヤバいとこ挙げたらキリがないんだけど。なにより一番ヤバいのはこれ。『自分は魔王になる』とか、真顔でほざいてるとこ。


 ……まあ、どうせ冗談だろうとは思うけど、そういう冗談を言えちゃうって時点でヤバいというのは確定的に明らか。


 だって、魔王ってのは世界共通の敵。実質「大量虐殺者になる」って公言してるような人間、ぜったい関わりたくないじゃん!?



「俺はただ、大切な婚約者を見失わないよう、近くにそっと控えているだけだ。聖女は俺に構わず、いつも通り好きに振る舞うと良い」


「……うんうん、そうだね。どうせ、あんたなんて空気みたいなもんだし」


「とはいえ、こんなに顔の良い空気、そうはいないがな」


「……こ、この空気、喋るぞ……っ!?」


「聖女は今日も愉快だな」


「……はいはい。次期魔王様じきじきにお褒めの言葉をいただき光栄に存じますよー、っと」


 魔法使いを適当にあしらいつつ、わたしは腰に提げてた水袋を外してひとくち飲んだ。

 乾いた喉をうるおす水はちょうどいい温度で、すっと身体に染みてく感じが心地良い。


 ほっと息をつくわたしを眺め、魔法使いがふと、目を細めた。



「――はやく、俺に惚れればいいのに」


「……は?」



 ……こいつ、とつぜんなに言い出すんだ?

 わたしは水袋を手にしたまま、思いっきり半眼になってしまう。



「いや、なんでそうなる」


「俺は顔が良いからだ」、と魔法使いが言い切った。


「それに、強いし、優しいし、倫理観もあるし、気が利くうえに、地位も名声もある。しかも、そのうち世界だって征服する予定なのだ。こんなの、惚れない理由がないではないか。聖女が俺に惚れてくれさえすれば、話は簡単なんだよ」


「……きれいなものは好きだよ。でも、それと恋愛はべつ。ていうか、あんたのどこに倫理観があるんだよ?」


「……これでも、できる限りの筋は通しているつもりだ」


 わたしの指摘に、魔法使いは悪びれもせず堂々と言ってのける。


「無理強いするつもりがあるならば、とうにそうしている。

 かつて俺の先生が口うるさく言ってたからな。『相手の同意とジャガイモの芽だけは必ず取るように』、と」


「……って、人を勝手に婚約者呼ばわりしといてよく言うじゃん。わたし、その件について同意とやらを取られた記憶、いっさいないんだけど?」


「……その件に関しては、運命なのだからして仕方がない」


 心の底から不本意だ、とでも言わんばかりの態度で肩をすくめつつ、彼がわたしを見やった。



「――神は告げた。『【銀煌の聖女】を手に入れた者が次の魔王となる』、と。

 ……つまり、聖女はいずれこの俺、大魔法使いヴィルク様と結ばれる運命にあるのだ。

 それは単なる事実であり、そうなることは、既に決定している」



 これまでなんど聞かされたか分からない話を、諭すように告げてくる。



「そもそも同意が必要なのは、あくまで生き物同士の間の話だ。

 神も、自然も、運命も、人間に同意を取りはしない。

 俺たち人間に出来ることは、運命を運命として受け入れるか、足掻くかだけではないか」


 そう言って、魔法使いがニヤリと笑った。「――……さて、聖女はどちらを選ぶ?」



 わたしは思わず眉根を寄せた。

 ……そんなの、言われるまでもない!



「……足掻くに決まってる!」



 そう言いながら、わたしは手にしたままだった水袋を振りかざした。

 中に入ってた水を全部、魔法使いの顔めがけて思いっきりぶちまけてやる!


 虚を突かれた魔法使いが怯んだように後ずさる。

 彼が一瞬、目を閉じたその隙に、わたしは地面を蹴って全力で駆け出した!



 絶対に、逃げてやるっ……!


 いつもならほんの数歩も進んだとこでヤツの魔法に捕まって引き摺り戻されるとこだけど、今回に限ってはその気配、いっこうになかった。


 これまでの経験から察するに、ヤツの魔法の効果範囲はたいして広くない。

 しかも、口だけ達者で体力がない貧弱魔法使いに比べて、わたしは身軽で足が速いんだ。

 ……すなわち、スタートダッシュで引き離せば逃げ切ったも同然、ってこと!


 いける、とわたしは思った。これまでいろんな手段で逃亡を試みてきたけど、けっきょくはこういうシンプルなのが一番なのかも!


 ……とはいえ、油断は禁物。

 すっかり勝利を確信しつつ、わたしはさらに速度を速めた。

 このままどこまでも走りきって、地平線の彼方まで逃げてやる……!



「――しかし、今日は本当に、散歩日和だな」



 ふととなりから聞こえてきた声に、わたしの心臓が跳ね上がる。


 反射的に横を見ると、わたしの隣を、クソ魔法使いがのんびりと歩いてた。

 ヤツはわたしを見ながらニヤリと笑って、


「このような陽気だ。聖女がついテンションをあげて駆け出してしまう気持ちも理解出来る。……だが、俺に水を分けてくれるのであれば、次からはコップかなにかに入れてくれるとありがたいな」


 ……なんて、涼しい顔で言ってくる。



「な、なんでっ……!?」


 わたしは思わずあんぐりと口を開けてしまった。

 ……わたしはまだ、全速力で走ってる。それなのに、どうしてこいつは平気な顔してわたしの隣を歩いてるんだ!?

 

 ……ていうか、そもそも、なにかがおかしい。

 こんなに走ってるのにも関わらず、わたしの視界に映る景色、さっきからほとんど変わってないよーな……。


 思わずあたりに視線を向け、その段になってようやくわたしは気づいた。


 わたしの足元の地面が、わたしが走るのとちょうど逆の方向に動いてる!



「って、どんな嫌がらせだよっ!?」



 ……ええい、こんな魔法に負けるもんか!


 わたしは挫けずさらにスピードをあげた! 全身全霊をこめて足を速め、動く地面を振り切ろうとする!


 ……けど、わたしの足元の地面はわたしが走るのとちょうど同じだけ速度を増し、わたしはやがて力尽きてその場にばたり、と倒れ込んだ。



「う、うう……」


「お疲れさま」


 なすすべなく地面に突っ伏すわたしを見下ろしながら、魔法使いがぱちぱちと拍手してくる。



「なかなか見事な走りっぷりだったぞ。さすがは聖女だ」


「っ……てっ、いうかっ……」



 わたしはなんとか身体を起こし、息も絶え絶えに反論した。



「だからっ……そもそもっ、わたしは聖女じゃっ……」


「……なんだ、まだしらばっくれるつもりか。その美しい銀煌の髪に、水宝玉のような青い瞳。年頃だって一致する。それに……」



 ヴィルクがまっすぐ、わたしを見てきた。

 まるで夜空のような深い色をした瞳に確信を込め、彼はきっぱりと言い放つ。



「お前ほどに強い女剣士が《銀煌の聖女》以外にいるものか。……あと、足も速いしな」



 彼の言葉を聞きながら、わたしは内心で「うう」、と呻いた。



 それが、いるんだな~っ!



 そりゃあ強いに決まってる。

 だってわたし、人間じゃなくて妖精なんだから!



 ……でも、この魔法使いにそれを話すわけにはいかない。


 まあ、妖精が絶滅危惧の超レア種族で、人間に正体がバレたら単純にヤバいってのもあるけど、それだけじゃなくって……。



「っ!」


 息を整えながらよろよろと立ち上がったわたし、なにげなく魔法使いを見るなり息を呑んだ。

 とっさに彼へ駆け寄ると、その腕を強く掴んで引き留める!



「危ないっ!」


「!?」



 とつぜん腕を掴まれた魔法使いがぎょっとしたような顔をした。

 次の瞬間、彼は焦ったようにわたしの手を振り払う!



「俺に触れるな!」

 

 彼が声を荒げた。

 取り乱したように怒鳴る面には、いつもみたいなイヤミなまでの余裕、微塵もない。


 わたしは「ごめん」、と応えながら、すぐ側の地面をおずおずと指した。


「でも、あんたの足元に、ヘビがいたから……」



 わたしの指の示す先、魔法使いのすぐ近くの草かげで、鎖模様をした灰色のヘビがとぐろを巻いてシューシューと威嚇音を出してる。

 ……たまたまわたしが気づいたから良かったものの、もしも彼があともう一歩でも踏み込んでたら、間違いなく噛みつかれてたハズだ。


 わたしの指摘に視線を落とした魔法使いが、ばつの悪そうな表情を浮かべた。

 少し逡巡したあと、彼は「……ありがとう」、と頭を下げてくる。



「声を荒げてすまなかった。だが……」、と、魔法使いが視線を伏せる。



「……聖女の気遣いはありがたいが、しかし、軽率に俺に触れるな。

 なにせ……俺の身体は、猛毒なのだから」



 言い訳するように告げる魔法使いの目には、深い翳りの色があった。


 ……こいつが次期魔王を名乗ってることと関係あるかどうかは知らないけど、この魔法使いの身体には、魔物と同じ毒があるらしい。


 彼の血肉は猛毒で、他人に触れられないのはもちろん、毒が発する瘴気の影響で、ちょっと近づくだけでも危険……なんだとか。


 だから彼は決してわたしに触れようとしないし、そもそも、0.5メトル以上は近づいてこない。



「いくら聖女とは言え、魔物の毒を甘く見るな。……頼むから、もう少し慎重になってくれ」


「う、うん……」



 いつになく真剣な表情で告げてくる魔法使いに頷きつつ、わたしは内心、複雑な心境になってしまう。


 ……わたしを心配してくれるのはありがたいんだけど、なんか、騙してるようで申し訳ない、っていうか……。



 ……だって、わたし、魔物の毒、ぜんぜん平気なんだもん。



 もちろん、それはわたしが聖女だから……ではなく、わたしが妖精だから。


 妖精って、見た目は人間とほとんど変わらないんだけど、生まれつき魔物の毒に耐性があるんだ。



 ……これが、わたしがこいつに素性を明かせない、もうひとつの理由。


 こいつにとって、わたしはこの世界でおそらく唯一、こいつが触れても死なない体質の女、っていうワケで……。

 もしもそれがバレちゃったら、いったいなにされるか分かったもんじゃない!


 とにかく、毒耐性がバレる前に、こいつから逃げないと……!




「ん……?」


 わたしはふと、顔を上げた。



 ――魔物の瘴気の匂いがする。


 妖精であるわたしは魔物の瘴気に敏感だ。風向きによっては数キッロ離れてても嗅ぎつけることができる。


 もちろん、魔物の毒持ちの魔法使いにも、魔物とおんなじ瘴気の匂いはある。

 でも、こいつは常に魔法の風をまとって瘴気を上空へ逃がしてるらしい。

 お陰でわたしも言われるまで、彼が魔物の毒と瘴気を持ってるなんてぜんぜん気づかなかったくらい。


 だから、これは彼の瘴気じゃない。


 ……それに、そもそも、匂いがするのは魔法使いの方じゃなくて、もっと遠く。風上の方から。

 それも…………複数?



 ……なんだか、すごくイヤな予感がした。



「ねえ、この風上って……」


 わたしが思わず訊ねると、魔法使いは少し目を丸くして「ああ」、と頷く。



「風上にはたしか、小さな村があったはずだが。……どうかしたのか?」


「魔物に襲われてるかも」



 わたしの言葉に魔法使いが眉を動かした。視線がにわかに鋭くなる。



「……どうして分かる」


「そ、それは……勘だよ、勘!」


「成る程。聖女の勘、というやつか」


 いつもなら「聖女じゃない」って反論するとこだけど、いまはその時間さえ惜しい。



「……わたし、先に行ってる!」


 さっさと彼に告げるなり地面を蹴って、わたしはふたたび全力で駆け出した!



 数歩ほど進んだとこで、とつぜん足が軽くなる。

 ふわり、と身体を包みこむみたいに吹いてきた追い風が、背中をそっと押してくれてるのを感じた。

 ぐん、と、わたしのスピードが上がる。



 ――……ヴィルクの魔法だ。



 いつも傲慢で、皮肉屋で、なに考えてんのか分かんないクソ魔法使いだけど、こういうときは素直に助かる。

 ……気が利く、っていうヤツの自己評価も、あんがい的外れでもなかったりして。



「ありがとっ!」


 振り返りもせずお礼の言葉を投げると、わたしはさらに足を速めた。



* * *



 結論から言うと、わたしの予感は的中してた。



 風上にあった小さな村、わたしが駆けつけたときにはまさに数体の虫型の魔物に襲われる寸前だった。


 間に合った……! とわたしは安堵した。


 村に被害が出る前にたどりつけたのは、ひとえに魔法使いのお陰。

 あいつの助力がなかったら間に合わなかったはずだ。……不本意ながら、この件に関してはあともっかいちゃんとお礼、言わなきゃね。




「――ありがとうございました、旅のお方……!」


 駆けつけるなり魔物を一掃したわたし、気づけば、すっかり村の人たちに囲まれてた。

 やがて、彼らのうちのひとりがわたしに近づき、おずおずと訊ねてくる。



「あの……つかぬ事をお伺いしますが……もしかして、あなたさまは……」


「あっ、その、ええとっ……!」


 村の人たちが向けてくる期待に満ちたまなざしに、わたしは言葉を詰まらせてしまう。



 ……ああ、また、いつもの流れだ。

 銀髪で、青い目で、流浪の女剣士やってるわたしが魔物をやっつけて人助けすると、大陸最強の女剣士こと《銀煌の聖女》さまと勘違いされてしまうっていう、お約束の展開。



 ……白状すると、ちょっと前までのわたし、向こうの勘違いを良いことに、そのまま聖女のフリをして恩恵受けたり、してた。

 だ、だって、聖女さまのフリをすると明らかに対応変わるんだもん! お礼の品とかも格段にグレードアップするし!


 ただでさえ若いうえに女だと、いくら腕が良くてもナメられることが多くって、これまでずいぶん苦労してきた。

 若い女がひとりで生きるのって大変なんだ。使えるものは使わなきゃ、とてもじゃないけどやっていけない!



 ……でも、そういう言動の積み重ねがウワサを呼び、それを聞きつけた激ヤバ魔法使いに目をつけられて捕まり、強制的に婚約者にされて今に至るというワケで……因果って、ほんと応報するよね。悪いことってできないもんだ。



 ――聖女のフリをするのはもう、こりごり。


 激ヤバ魔法使い以外にもどんなトラブルを引き寄せるかわかんないし、ここは、ちゃんと否定しておこう。

 やっぱり人間、正直に生きるのが一番だ。(まあ、わたしは人間じゃなくて妖精だけど)



「いえ、わたしは、聖女じゃな……」


 わたしが口を開きかけたまさにその時、街道の方から、ひとつの声が飛んできた。



「聖女さま! ご無事でしたか!?」



 って……!?!?!?


 息せき切って村へ飛び込んできた黒衣の魔法使い……ヴィルクはわたしの姿を認めるなり安堵の表情を浮かべ、そのまま、真っ直ぐこちらへ駆け寄ってくる!



「聖女さま! ああ良かった、お怪我はないようですね、聖女さま!」


 ……いつもの傲慢な態度はどこへやら。魔法使いはまるで忠実な僕のようなキラキラした表情を浮かべ、なおも言葉を並べ立てる。



「まったく聖女さまときたら! 聖女の勘で魔物の気配を感じ取るなり、従者の私を置いて駆け出して、先に村へと向かわれて……! いったいどうなったか心配していたのですが、見事に魔物を倒されたようですね聖女さま! さすがは聖女さまです聖女さま! 聖女さまは私たちの希望です! 聖女さま!」



 いや、聖女って連呼しすぎじゃない!?

 絶対わざとでしょ、それっ!?



「聖女さまだって!?」「本当に聖女さまなのか……!」「まさか、こんな村に、本当に……」



 ……案の上。

 にわかにざわめき出す村の人たちを前に、わたしはすっかり頭を抱えてしまった。


 っておい、こいつ、やってくれたなっ~!?



「あの……すみません、ちょっと失礼」


 引きつった微笑みを浮かべながら村のひとたちに会釈したわたし、魔法使いをちょちょっと手招きした。


 素直に着いてくる魔法使いを少し離れたところへ連れてくなり、わたしはヤツの胸ぐらに掴み掛からん勢いで食ってかかる!



「ちょっと! あんた、なにしてくれてんだよっ!?」


「……顔が近いぞ、聖女」、と、魔法使いが眉根を寄せる。


「気をつけろ。この距離では、俺の瘴気を吸うではないか」


「誤魔化すなっ! ていうか、従者のフリまでしてっ……」


「さすがに『私は聖女の婚約者です』、とは名乗れないだろう。【銀煌の聖女】が婚約したともなれば、大陸中の噂になってしまうではないか」


「それはそうだけど! そもそもなんでわざわざ聖女とかよけいなこと言うんだよっ!?」


「べつに、聖女に正体を明かせない理由があるわけではないだろう?」


 わたしの抗議に、魔法使いは悪びれた様子もなく答えてくる。


「それに、村人たちにしてみれば、自分たちの村を救ってくれたのがあの聖女だと知れば、嬉しいではないか。

 人々に希望を与えるのも聖女の仕事だと俺は思うぞ」



 「それに」、と、彼が不意に口の端を吊りあげた。


「――この方が、面白そうだからな」



 いや、こっちはぜんぜん面白くないんですけど~っ!?



* * *



「……で、こうなるわけだ」



『私たちの村へようこそ聖女さま! 【銀煌の聖女】さま歓迎パーティー


                      ~ 聖女さまを囲む夕べ』



 村のシンボルツリーに掲げられた垂れ幕が夜風に揺れてる。


 その下の広場はちょっとしたお祭り騒ぎだった。

 木々に飾られたオレンジ色のランタン。ずらり連なるテーブルにところ狭しと並べられたごちそうの数々。

 炭火に弾ける肉の脂のにおいや、小麦粉の焼ける香ばしいにおい。

 宵闇は、人々の楽しげなざわめきで満ちている。



 広場の外周には屋台まで出てて、おこづかいを握りしめた子どもたちがワイワイしながら群がってた。



「おっちゃん、聖女焼きひとつおくれ!」


「はいよっ! うちの聖女さまは剣の先まであんこたっぷりだよ!」



「……って、聖女を焼くなしっ!?」


「なかなか大盛況ではないか、聖女さま。よっ、本日の主役」


「もとはと言えばあんたのせいでしょーがっ!?」


 0.5メトル離れたとなりから他人事みたいに茶化してくる魔法使いに、わたしは全力で抗議してやる!



「わたしは魔物を倒したらすぐ退散するつもりだったのに! あんたが余計なこと言うから! こんなおおごとになっちゃってっ……」


「先を急ぐから、と、辞退することもできたのではないか」


「そ、それはっ……」


 魔法使いの指摘に、わたしは言葉を詰まらせる。


「だ、だって……ごちそうを用意してくれる、っていうから……――」



 この村は酪農が盛んで、ここでしか作られてない伝統製法のチーズや発酵バターがあるって聞いたら、そんなの、気になっちゃうじゃん……。


 じっさい、宴のテーブルの上には名物のチーズがふんだんに使われたタルトやパイに、あつあつのグラタンスープ。黄金色のバターがこんもり添えられたパンなんかが並んでる。


 チーズは濃厚でとろとろだし、パイ皮は香ばしくてザクザク。

 バターはミルク感たっぷりで、口に入れるとスっと溶けて、分厚く切ってドライフルーツと合わせるともう、止まらないおいしさでっ……。



「――あ、あのっ!」


 さっき食べたごちそうの余韻に浸ってたわたし、不意に声を掛けられて顔をあげた。



 いつの間にか、わたしたちの前にひとりの女の子が立ってた。


 年の頃は十歳くらい。

 勇気出して声かけた、って感じで、なんだか緊張した面持ちをしてる。



「聖女さまっ……もしよろしければ、ご挨拶をさせてくださいっ!」



 ぺこりと頭を下げられ、わたしは思わず姿勢を正した。

 ちらと横目で確認すると、魔法使いの方もいつものシニカルな表情から一変、いかにも好青年でござい、って感じの柔和な顔してる。(……猫かぶり野郎め)



「あのっ! 私、ずっと聖女さまにあこがれててっ……あ、握手いいですかっ!?」


「あ、はいっ、わたしでよければ……」


「昼間のご活躍、拝見しましたっ!」


 わたしの両手をぎゅっと握りしめながら、女の子が目を輝かせる。



「聖女さま、すっごくすっごくカッコ良かったです!

 お噂どおり、魔物の血しぶきを浴びても怯みもせず、ご勇敢に戦われてっ……!」


「魔物の血を……?」



 魔法使いがぴくり、と眉を動かす。

 まずい……! わたしは慌てて魔法使いに首を振った。



「ち、違うんだっ! あれはそのっ、不可抗力っていうかっ……」


「あ、あのうっ……」



 村の女の子、好奇心に満ちたまなざしを向けながら、おずおずと訊ねてくる。



「先ほどから、ずいぶん仲睦まじくお話されてるご様子ですが、聖女さまと従者さまって、もしかして、そういうご関係で……」


「……ちがうちがう。これはその、あくまで、ただの業務連絡」


 わたしが愛想笑いで応じると、魔法使いも「そうですよ」、と同意する。


「……私のような人間が、聖女さまと釣り合うはずがありません。……こうして隣に並べるだけで、身に余る光栄です」


 いつもの人を食ったような態度はどこへやら。

 彼はいかにも『私は聖女さまの忠実な僕です』とでもいわんばかりの態度で、女の子へ向かって微笑みかける。


 女の子がぽっと頬を赤くするのがわかった。

 彼女はあわてたように目を逸らし、もじもじしながら口を開く。


「あ、あの、もしよろしければ、従者さまも、握手をっ……」



 差し出された少女の手を前に、魔法使いは少し戸惑ったみたいだった。

 彼は目を伏せ、やがて、心の底から申し訳なさそうに頭を下げる。



「……すみません。私は宗教上の理由で、他人に触れられないのです」


「っ……ご、ごめんなさいっ!」


 ヴィルクにやんわりと断られ、女の子が気まずそうな顔をする。

 とっさにフォローしようとしたけど、間に合わなかった。

 彼女はあわてて頭を下げ、そのまま逃げるように去ってしまった。



「……握手くらい、してあげれば良かったのに」


 思わず文句を言うわたしを見やり、すっかり素に戻った魔法使いが呆れたように目を眇める。


「……聖女は、いったい何度言えば理解してくれるのだ。

 俺の身体は猛毒なんだぞ? たとえ手袋越しでも、絶対に安全とは言い切れない」


「あっ」


 ……そうか。こいつ、毒持ちなんだっけ。

 気まずい顔をするわたしの前で、ヴィルクが「まったく」、と嘆息する。


「……いまの少女氏の言うところによれば、どうやら聖女は昼にも魔物の血に触れたそうではないか。……いくら聖女とはいえ、どうしてそこまで魔物の毒を気にしないのか、俺は不思議で仕方がないが?」


「き、気にしてるって!」


 わたしはあわてて応えるけど、大ウソだった。


 ……正直なところ、ぜんぜん気にしてない。


 妖精バレを回避するためにも魔物の血を怖がるべきだ、ってこと、頭では分かってるんだけど……。

 妖精であるわたしにとって、魔物の毒は脅威どころか、至上の甘露なんだ。


 たとえていうなら上等なお茶とか、チョコレートシロップみたいなもの。

 チョコレートシロップを怖がってみせるのって、なかなか難しいものがあると思わない?



「――聖女はあまりにも、俺の毒に無頓着すぎる」


 魔法使いは深いため息をつくと、ふと、視線を鋭くした。



「あまり、こんなことを言いたくはないのだが……俺がこれまで聖女に指一本触れずにいたのは、俺の身体が猛毒だからだ。

 だが、もしも聖女が俺の毒など気にしない、と言うのであれば……俺が躊躇う理由はなくなるぞ」


 そう言って、彼は言葉を切った。

 わたしの顔を見やり、やつはニヤリと残酷そうに口元を歪める。



「……世の婚約者同士がするようなことを求めるつもりだが、それでも良いのか?」



 ……その言葉に、わたしは本気で背筋を凍らせた。

 とっさにぶんぶん首を振りながら全力で叫んでしまう!



「いいわけあるかっ!」


「……ならば、俺の毒を畏れることだな」


 魔法使いは突き放すようにそう告げると、ふと、その目を伏せた。



「……失うのは、もう、たくさんだ」



 ……聞こえるか聞こえないか、といった声で、魔法使いが呟く。


 心の奥の声がふと洩れてしまった、という感じだった。

 いつもこれまで彼が見せたことないその声色に、わたしは少し、戸惑ってしまう。



「それって……」


 思わず口を開きかけて、けれども、わたしはふと、息を呑んだ。



 ――また、魔物の瘴気の匂いがする。



 しかも、昼のそれとは比べものにならないくらい強くって、濃くて……数が多い!



 わたしはあわててあたりを見渡した。

 いったい、どこからっ……?



 空を見上げたとたん、わたしの心臓が凍りついた。


 彼方の空から、魔物の群が近づいてくるのが見える。

 月明かりに浮かびあがるその様は、まるで、巨大な雲のようだった。



* * *



「魔物だっ!」


 異変に気づいた村の人たちがあちこちで騒ぎ出す声が聞こえてくる。


 わたしもとっさに腰の剣を抜いた。


 きっと、昼間の魔物たちの仲間だ。

 たぶん、あれは偵察で……どこかに巣があって、そこに残ってたやつらが一気に押し寄せてきたに違いない!


 ……でも、どうする!?


 妖精であるわたしは、相手が魔物ならほとんど無敵だ。昼間だって、ほんの数匹ならなんの苦もなく倒すことができた。


 ……でも、今回はケタが二つくらい違う。


 あの数の魔物を剣だけで倒すのはだいぶ分が悪い。しかも、あっちは空を飛べるんだ。


 もちろん、それでも時間をかければ倒せる自信自体はぜんぜんあるんだけど、村の人たちを守りながら、ってなると、さすがに……。


 わたしはぎゅっと剣を握りしめた。

 手のひらにじわっと汗がにじむのが分かる。


 ……でも、迷ってるヒマはない。とにかく、やるしかないんだ!


 魔法使いにも協力してもらって、急いでみんなを避難させてっ、それから、わたしがっ……!



「――下がっていろ、聖女」


 あれこれと算段するわたしのとなりで、不意に魔法使いが口を開いた。


 思わず顔を向けたわたしの前で、彼はいまにも空を覆わんとする魔物の大群を見上げ、不機嫌そうに目を細める。



「聖女ための宴の席に、無粋な魔物どもだ。……招かれざる客は、消え失せるべきだな」


 言いながら、魔法使いは黒い手袋に包まれた己の手のひらを天へ掲げた。



 彼ががなにかを唱えた瞬間、白い光が視界にあふれた。


 光はぐん、と伸びて空の上に広がり、ほんの数瞬で村全体を半円状に覆い尽くす。



 魔法使いはさらに呪文を続けた。

 空へ向けて掲げられた彼の手のうえに、今度は小さな炎が生じる。


 炎は渦を巻きながら瞬く間に膨れあがり、その色を赤からまばゆい白へと変えた。まるで太陽の欠片みたいに輝く巨大な光の球があらわれる。


 彼が少し指先を動かすと、光球は彼の手を離れた。

 それは村を覆う光の膜をすり抜け、空へと高く昇っていく。



 ――光が弾けた


 

 瞬間、極限まで圧縮されていた炎の渦が解き放たれ、魔物たちの群れを呑み込んでいく!



 魔法使いが生み出した炎に触れた瞬間、魔物たちは灰燼と帰した。

 まるで薄い紙が燃え落ちるように端から焼き尽くされ、砂のように崩れ去っていく。


 

 魔法使いがさらに腕をふるうと、ほんの一瞬前まで無数の魔物たちだったはずの灰はひとところに吸い上げられ、渦を巻きながら圧縮され……そうして、消滅した。




 ……すべてが、刹那の出来事だった。


 気づけば、村を覆っていた障壁もいつの間にか消えてる。


 まるでなにごともなかったかのように空に輝く月とまたたく星。頬に感じるぬるい夜風。

 しんと静まり帰った村のどこかの草むらから、涼やかな虫の鳴き声がした。




「た、助かった……!」



 ――やがて、どこからともなく村の人の声があがる。


 それを皮切りに、人々がいっせいにざわめきはじめた。



「さすがは聖女さまの従者さま!」「まさか、こんなすごい魔法が見られるなんて!」「聖女さま、バンザイ!」


「「「「「聖女さま! 聖女さま!」」」」」



 人々の間から、自然に聖女さまコールが巻き起こる。


 ……って、わたしは今回、なんにもしてないんだけどっ!?

 ていうか、そもそもわたし、聖女じゃないしっ……。



 居心地の悪さを覚えつつ、わたしはなんとなく、かたわらの魔法使いを見上げた。


「……ありがと」


 わたしがお礼を言うと、魔法使いは「聖女のためだ」、と応えてくる。


「俺は別に、こんな村のひとつやふたつ、どうなろうが知ったことではないが」


「……よく言うよ」


 ……つい、わたしはあきれ顔をしてしまった。


「村の人たちが魔物の毒を浴びないよう、わざわざ村全体を包むような障壁まで張ってくれたくせに。

 ……あれだけの魔法と同時じゃ、そうとう大変だったでしょ」


「俺を誰だと思っている」、と、魔法使いが偉そうに鼻を鳴らす。


「これでも次期魔王だからな。

 ……まあ、確かに、疲れはしたが。すまないが、俺は先に、休ませて貰……」



 言いかけた魔法使いの身体が、不意にがくりと沈んだ。



「ヴィルクっ!?」


「近づくな!」 とっさに支えようとしたわたしを、彼は鋭い声で制止してくる。



「……瘴気のコントロールが出来ない」、額に脂汗を浮かべながら彼が呻いた。


「さすがに、少しばかり無茶をしすぎたか……」



 ……わたしには、魔法使いの身体から生じる瘴気があたりに渦を巻いてるのが分かった。


 瘴気の範囲はまだ彼からせいぜい1メトルくらいだけど、普通の人間なら一呼吸で昏倒してしまうくらいの濃さだ。


 彼の周囲の草が徐々に萎れ、黒く変色し始める。


 魔法使いはどうにか立ち上がったものの、その足取りはおぼつかなかった。

 彼の表情は苦しげを通り越して蒼白。気力だけでどうにか立ってる、って感じだ。



 ――気づけば、身体が動いてた。


 わたしは魔法使いに駆け寄るなり腕の下に潜り込み、彼の身体を肩で支える。


 魔法使いは華奢な方だけど、それでも男性ともなれば、ずしりと重たい。

 でも、わたしだって剣士の端くれだ。

 体力には、そこそこ自信がある!



「聖女っ……!?」



 魔法使いは狼狽したように声を上擦らせた。

 表情を強ばらせ、慌てたようにわたしの腕を振り払おうとする。



「俺に近づくな! 毒で死にたいのかっ!?」


「そんなこと言ってる場合!?」



 わたしの一喝に、ヴィルクが苦々しげな表情を浮かべる。



「だが……」


「調子に乗んな!」



 なおもしぶとく言い募る魔法使いに苛立ちながら、わたしもつい、声を荒げてしまった。



「わたしはね! あんたごときの毒じゃ死なないんだから!」



 魔法使いの目がはっと見開かれるのが分かった。

 

 彼は戸惑うようにわたしを見つめ……やがて、諦めたように深く息を吐く。



 魔法使いの身体から、ふっと力が抜けるのが分かった。

 彼は抵抗を辞め、大人しくわたしに身体を預けてくる。


 わたしはほっと安堵し、そのまま歩き出した。わたしに身体を支えられ、魔法使いもよろよろと足を進める。



「……聖女は魔物の毒を恐れない、か」



 耳元で、魔法使いがぽつりと呟くのが聞こえる。


 わたしは思わず苦笑しながら、「……まあ、わたしは聖女じゃないけどね」、と答えた。



* * *



「――……逃げなかったのか?」



 翌日の昼過ぎ。 

 村の人が用意してくれた部屋のベッドで目覚めるなり、魔法使いがそう訊ねてくる。



「まあね」、と、わたしは答えた。


「いちおう、あんたは村の恩人だし。ちゃんとお礼言うまでは、逃げるわけにはいかないでしょ。書き置き、っていうのも誠意に欠けるしね。

 こう見えて、わたしってけっこう義理堅いんだ」



 ……とはいえ、正直なところ、かなり迷った。

 ていうか、実際のところ昨日の夜、弱り切った魔法使いをこの部屋に運んでベッドに寝かせたあと、わたしは自分の荷物を抱えて村を出たんだ。

 もちろん、こいつから逃げるために。



 ……でも、結局、また戻ってきてしまった。


 だって……村のために無茶して倒れた魔法使いを放って逃げるの、なんとなく収まりが悪いっていうか……どうしても、できなかったんだ。



「それに、弱ってるあんたに勝ってもしかたないしね」、とわたしは言ってやる。



「これまでは、ちょっと手を抜いて遊んでやってただけ。わたしがその気になれば、いつだって逃げられるんだ。だから……あんたが元気になるまで、逃げるのは保留」


「……言うではないか」、と、魔法使いが笑った。



 彼がベッドの上で身体を起こす。

 どうやら、魔力もだいぶ回復したらしい。彼の身体から放たれる瘴気はいつも通り完全にコントロールされて、ほとんど分からなくなってた。



「もう、だいぶ落ち着いたみたいだね」


「ああ。もう大丈夫だ。……すまない。手間を取らせたな」


「ううん。こっちこそ、あれだけの数の魔物、たぶん、わたしひとりじゃどうにもなんなかったし」



 言って、わたしは「ていうか」、と続けた。


「……あんた、なんかずいぶん手際が良かったけど。もしかして、ああやって襲撃があるの予測してたの?」


「虫型の魔物は個体数が多く、群れを作るからな」、と、魔法使いが答える。


「昼に襲ってきた数体ではあまりにも少なすぎる。……おそらく、近いうちに群れ本体が襲ってくる可能性が高いだろう、とは考えていた。

 ……取り越し苦労なら、それはそれで構わないしな」


「それで、わざわざ聖女が来たって騒いだワケ? そうやって宴を開かせて、広場に人を集めて……」



 わたしの問いに、魔法使いは答えなかった。

 彼はただニヤリと笑って、


「なんだ。そんな殊勝な顔をして。……もしや、ついに俺に惚れたか?」


 ……なんて、はぐらかしてくる。



「……まさか」、と、わたしはげんなりしながら答えてやった。


「まあ、感謝はしてるよ。あんたのこと、ちょっとだけ見直したし。……ちょっとだけ、だけどね。でも、惚れるとかそういうのはべつじゃん」


 わたしがそう言うと、魔法使いはやれやれ、と肩をすくめた。



「聖女はなかなか手ごわいな」


「ていうか、そういうあんたこそ、わたしに惚れれば良いじゃん」


「――もう、とっくに惚れてる」



 さらりと、そう返される。


 思わず、わたしは魔法使いの顔を見た。

 その表情は相変わらず皮肉げで、真意がまるきり分からない。



「……また、そういう冗談言う」


 思わず目を眇めて呟くと、魔法使いはどこか面白そうに口の端を吊りあげた。




 不意に、ノックの音がした。わたしは魔法使いをほっぽってドアへと向かう。


 ドアの向こうにいたのは村長さんだった。村長さんはわたしの顔を見るなりぺこりと頭を下げてくる。



「聖女さま、お忙しいところ申し訳ありませんが、そろそろサイン会のお時間です」


「さ、サイン会っ!?」

 

 わたしが思わず聞き返すと、村長さんは「はい!」、と嬉しそうに頷いた。



「昨日、そちらの従者さまに聖女さまのサイン会を打診したところ、快くご承諾をいただいて……」



 ……って、あんたの仕業かーっ!?


 思わず寝台の魔法使いへと目をやると、彼はいかにも健気な従者でござい、って感じの微笑みを浮かべてわたしを見上げ、



「聖女さま……! どうか私などには構わず、村の皆さんのところへ……!」


 ……なんて、殊勝な口調で言ってくる。



 その肩がどこか笑いを堪えるみたいに揺れてるのを認め、わたしは内心ほぞを噛んだ。



 ……くそっ!? 悪魔か、こいつはっ!?


 ううううう! やっぱり、こんなヤツ見捨てて逃げときゃ良かった~っ!

連載版はこちら(ちょっとだけ設定違いますがだいたい同じです)→

毒をまとう魔法使いと、毒の効かない偽聖女【どくまと!】

https://ncode.syosetu.com/n8688lf/

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