霧中の急報
朝一番、執務室の扉が強く叩かれた。
一度では終わらず、三度、四度。
普段なら控えめなノックしかしないはずの執事ルネが、そんな音を立てる時点で、ただ事ではない。
「セリーヌ様、至急でお伝えすべきことがございます!」
セリーヌはペンを置き、わずかに眉を上げた。
机の上の書類が、緊張に押されるように静止する。
「何が起きたの?」
「王都南門で、“リュミエール商会”を名乗る荷車が検問にかかったとのことです」
「……うちの商会を、名乗る?」
「はい。積荷の許可証にも確かに商会名が記されていたそうですが、検査の際に不審な点があり、治安局が押収したとの報せが入りました」
「そう。状況は?」
「詳細はまだ届いておりません。ですが、押収は確定のようです」
ルネの声は落ち着いていたが、その端にかすかな緊張が滲んでいた。
セリーヌは椅子から静かに立ち上がる。視線は書類ではなく、扉の向こうを見据えている。
「現場に急行するわ」
「……ご自身で、ですか?」
「当然でしょう。目で確認しなければ分からない事も多いわ」
短く言い切ると、セリーヌは上着を羽織り、手際よく印章と記録帳を鞄に収めた。
「馬車の用意を。二十分以内に出るわ。護衛は二名、信頼できる者だけを選んで」
「承知いたしました」
ルネが一礼して駆け出す。
――この間といい、どうも釈然としない。
監査局の調査に続いて、今度は“リュミエール商会”を名乗る荷車。
偶然にしては、できすぎていた。
武器も薬も、うちは扱わない。そんなものに頼らずとも商会は成り立ってきた。
それなのに何故、リュミエールが武器や薬を運んでいるとされたのか。
無断で誰かが動いたのか、それとも――。
第三者が、意図的に「リュミエール」を名乗っていたのか。
どちらにせよ、放置はできない。
名を騙られれば、信用が揺らぐ。信用を失えば、商会は終わる。
“リュミエール”という名を傷つけることは、父の誇りを踏みにじることと同義だ。
窓の外では、薄い霧が立ちこめ、遠くの通りが霞んでいる。
階下から、ルネの声が響いた。
「馬車、準備完了いたしました」
セリーヌは振り返らずに頷いた。
霧の向こうで、かすかに蹄の音が響いている。
上着の裾を整え、鞄の留め具を確かめる。
その動作ひとつひとつに、緊張が入り混じっていた。
――この件、軽く見てはならない。
ただの誤認であれば良い。だがもし、誰かが意図して「リュミエール」の名を使っているのなら、それは商会への明確な挑発行為だ。
狙いは何なのかは分からないが、いずれにせよ、放置は許されない。
廊下に出ると、ルネが既に待っていた。
「護衛の二名、手配済みです。南門までは三十分ほどかかります」
「構わないわ。途中で状況の報せが入れば、すぐ伝えて」
「かしこまりました」
馬車の扉が開かれる。
冷たい空気が頬を刺すように流れ込むが、セリーヌの表情は微動だにしない。
「じゃあ、行ってくるわね」
セリーヌはそう言った。
御者の手綱が鳴り、車輪が静かに石畳を滑り出す。
霧の王都を切り裂くように、リュミエールの紋章を掲げた馬車が南門へと向かっていった。




