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【完結】とある令嬢の優雅な別れ方 〜婚約破棄されたので、笑顔で地獄へお送りいたします〜  作者: 入多麗夜


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23/25

崩壊の兆し

 夜明け前の王都は、まだ霧に包まれていた。


 南門へ向かう街道には、いくつもの馬車が並び、通行許可の列を作っている。


 その一つ――リュミエール商会の印章を模した荷馬車も、その中にあった。


 オックスフォード商会の屋敷でアレスは窓辺で薄明の空を眺めながら、口元に笑みを浮かべていた。


「ふっ、セリーヌの奴。まさか今の今まで気付かないとはな」


 その背に、リリアが近づく。


「ええ……楽しみだわ。リュミエール、セリーヌの破滅が」


 リリアの瞳は、月の光を受けて妖しく輝いていた。


 机の上には、数枚の書状と封蝋の控えが並ぶ。どれも偽造された印章を使い、リュミエール商会の名義で作られた書類だ。


 それらが南門を通過した瞬間、監査局に密告を入れる――その段取りまで、すべて整っている。


 そのとき、廊下の奥で足音がした。


「アレス様っ!」


 扉が勢いよく開かれ、使い走りの若い男が飛び込んできた。


 額に汗を浮かべ、声が上ずっている。


「南門で、異変が……っ!」


「異変?」


 アレスの声に、部屋の空気が固まった。


「……まさか、荷がバレたのか?」


「い、いえ、それどころか! 搬出の最中に、ハルベルト商会の商兵が現れました! 監査局の役人を伴って……!」


 アレスは立ち上がった。

 リリアが顔を強ばらせる。


「どうしてハルベルトが……? 検査はまだ始まってないはずよ!」


「報告では、“匿名の通報”を受けたとのことです。荷車はすべて押収されました!」


「……押収、だと?」


 低く絞り出すような声だった。

 リリアが震える手で扇を握りしめる。


「そ、そんな……検査の前に? そんなはずないわ。だって、通報するタイミングも――」


 アレスの拳が、机の端を叩いた。

 硬い音が響き、封蝋がひとつ弾け飛ぶ。


「アルフレッドはどうしているんだ!」


 怒鳴り声が部屋を震わせた。

 使い走りの青年は肩を跳ね上げ、言葉を詰まらせる。


「そ、それが……! 出立されたまま、行方が――」


「は?」


 アレスの目が見開かれる。

 リリアが息を呑んだ。


「まさか……逃げたっていうの?」


「そ、そんな……た、たぶん違うとは思います! ですが……南門へ向かったとの目撃も……」


 アレスの呼吸が荒くなった。

 窓の外、夜明けの光が白く差し込み、彼の横顔を無惨に照らす。


「……裏切ったのか、あいつ」


 その一言に、リリアが青ざめた。

 扇を握る指が小刻みに震えている。


「ま、待ってアレス。アルフレッドはあなたに忠実だったはずよ。そんなこと――」


「忠実な人間が、こんな絶妙なタイミングで姿を消すか!」


 アレスの怒声が弾ける。

 机の上の書状が宙を舞い、蝋燭の火が揺れた。


 沈黙が落ちる。

 外からは、遠く衛兵たちの笛の音が聞こえた。


 それが、ただの巡回なのか、あるいは――。


 アレスは乱れた息を整えようとしたが、胸の奥にざらつくような焦燥がこびりついて離れなかった。


 リリアが、震える声で言った


「ど、どうするの……? このままじゃ、監査局がここにも――」


「――時間を稼ぐ」


 彼は机の上に散らばる書類を乱暴に掴み、暖炉の火口に叩き込む。


 乾いた紙が燃え上がり、炎のはぜる音が静寂を裂いた。


「衛兵を呼べ。屋敷の外を固めろ。どんな口でもいい、“不在中”で押し通せ。監査局が来ても一歩も通すな!」


 使い走りの青年が、震える声で答えた。


「は、はいっ……!」


 彼が駆け出す音が廊下に消える。


 リリアは扇を胸に抱えながら、怯えた声を上げた。


「アレス、そんなことをしたら……余計に疑われるわ!」


「黙れ!」


 アレスの怒号が、燃える炎の音をかき消した。


「このままじゃ俺たちの方が“犯人”にされるだろ!」


 リリアは言葉を失い、ただ彼を見つめた。

 額から落ちる汗が、頬を伝って床に落ちる。

 室内には紙の焦げる匂いと、焦燥だけが満ちていた。


 外で、何かが軋む音がした。


 ――馬車の車輪だ。


 リリアが顔を上げる。


「……今の音、まさか……」


 アレスは窓辺に駆け寄り、厚いカーテンの隙間から外を覗いた。

 まだ薄明るい霧の中、石畳の街道をいくつもの人影が進んでくる。


 先頭に立つ人物は、黒い外套をまとい、まっすぐ屋敷の門へと歩を進めていた。


 護衛らしき数名が、周囲の衛兵に書状を突きつけ、何の抵抗も受けずに通り抜けていく。


 アレスの顔が強張った。

 指先が白くなるほど窓枠を掴む。


「……嘘だろ」


 屋敷の玄関に近づくたび、靴音がはっきりと響いてくる。


「アレス様っ!」


 廊下の奥から、執事が駆け込んでくる。


「り、リュミエール商会の……セリーヌ様が、お見えです!」


 リリアは一歩後ずさり、首を振る。


「来るはずが……ない。どうして……」


 そのとき、玄関の重い扉が軋む音を立てた。

 冷たい朝の空気が廊下を流れ込み、炎の熱を奪っていく。


 セリーヌ・リュミエール。


 黒い外套の裾を引きずり、霧を纏ったような静けさで、ゆっくりと歩み入ってくる。


 セリーヌの視線が、二人を一瞥したのち、アレスへと向けられる。


 セリーヌは微動だにせず、ただ静かに唇を開いた。


「――お久しぶりですね皆さん」


 その一瞬で、部屋の空気が凍りついたのだった。

残り2〜3話になります。

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