表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】とある令嬢の優雅な別れ方 〜婚約破棄されたので、笑顔で地獄へお送りいたします〜  作者: 入多麗夜


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

21/25

朝靄の中の策略

 朝の光が建物の屋根を淡く照らし、影だけが静かに伸びていた。


 リュミエール商会の門前には、一台の馬車が停まっている。


 荷を積み、見た目には出立の準備が整っている。


 荷台には旅装の鞄がいくつも積まれ、ついでと言わんばかりに封蝋の押された書状まで添えられていた。


 どれも、人目を欺くために用意された“証拠”にすぎない。


 そう――彼女の作戦は、“誰も乗らない馬車”を走らせることだった。


 商会主である自分が療養のために都を離れると見せかけ、実際は馬車の中身は空。


 留守を狙って動くであろう敵を誘い出すための、周到な囮だった。


 三ヶ月前、ハルベルト商会の報告で掴んだ事実をもとに、セリーヌはすぐに仕掛けの準備を進めた。

 それは、オックスフォード商会が再び動くであろう“隙”を見せる為、セリーヌは意図的に商会の活動を縮小させたのだ。そうする事で本当に彼女は不在なのだと思わせる事ができる。


 使用人たちにも最低限の対応以外は控えるよう命じ、屋敷にはわざと人気を減らした。


 計画の要は“信じさせること”。

 セリーヌが都を離れたと、誰もが疑わない状況を作ることだった。


 実際には、彼女自身は屋敷の奥で ハルベルト商会や監査局、治安局との連絡を取っていた。


 彼女は、バレないようにと、いつもの上質な服ではなく、商会の従業員用の作業服を身にまとっていた。

 髪も低くまとめ、顔立ちがはっきり見えないように布の帽子を被る。

 これなら、遠目にはただの事務員か荷運びの手伝いにしか見えない。


 窓際の陰に立ち、セリーヌは門の様子をじっと見つめた。

 馬車の御者台には信頼の置ける巡察隊の一人が座り、ゆっくりと手綱を取る。


 車輪が軋み、馬が鼻を鳴らす。


 やがて馬車は、まだ眠りの残る街の通りへと静かに走り出した。


 見送りに出たのは数人の使用人だけ。


 それを裏通りの誰かが見ていれば、「リュミエール商会の主が出立した」と噂するに違いない。


 それでいい。むしろ、それが狙いだった。


「それにしても、うまくいってますね……」


 アナスタシアは小声で言いながら、部屋に入ってきた。そして、セリーヌの姿を見るなり、目を丸くした。


「えっ、ちょ、セリーヌさん!? その格好、どうしたんですか?」


 セリーヌは書類を手にしたまま、少しだけ肩をすくめた。


「見れば分かるでしょう。従業員の制服よ」


「いや、分かりますけど……まさか自分で着るとは思いませんでしたよ!?」


 アナスタシアは思わず声を潜めながらも、目をぱちくりさせていた。


 普段はきっちりと仕立てられたドレスに身を包み、凛とした印象を纏うセリーヌが、今日に限って灰色の作業服姿。

 袖を少し折り上げ、手には薄い皮手袋までしている。

 その姿は、どう見ても商会の一事務員だった。


 アナスタシアは、しばらく言葉を失ってセリーヌを見つめていた。


「……本当に、セリーヌさんなんですよね?」


「他に誰がいるのよ」


 アナスタシアは半ば呆れ、半ば感心したようにため息をついた。


「いや、もう別人にしか見えませんって。どこからどう見ても事務員ですよ」


「そのつもりで着ているもの」


 セリーヌは鏡を確認するように袖を軽く整えた。


「それにしても……そこまで徹底するなんて」


「三ヶ月も準備をしていたもの。ここで取り逃がすわけにはいかないわ」


 そう、三ヶ月の間に、セリーヌ達は準備を積み上げていた。


 セリーヌが最初に頼んだのはハルベルト商会だった。彼らには北地区の倉庫群の監視を依頼した。

 引き受けの条件は一つ――その内容は彼女と当主しか知らない。ただ、その“約束”があったからこそ、彼らは報酬も求めず動いた。


  次に、アナスタシアの監査局。ここが一番の難関だった。


 当初、局の上層部はこの件への介入を渋った。前回の一件で評判を落としたくないという思惑があったのだ。だが、アナスタシアは引かなかった。


 最終的には、彼女に押し切られた形で上層部は承諾したものの、彼女ら自らの進退を懸けていたのだ。


「これが失敗したら、私は職を辞します」――その一言が決定的になったらしい。


 こうして監査局の活動が正式に認められ、治安局にも連絡が回った。


 監査局が動けば、治安局も動かざるを得ない。

 その連鎖を引き起こしたのは、ただ一人の監査官――アナスタシアだった。


「私、失敗したら仕事辞めます!って言ってるんですからね!」


 アナスタシアは半ば冗談めかして言っていた。


 セリーヌは彼女の背を見つめながら、胸の奥で小さく息をつく。


 ――本当に、どれだけ助けられただろう。


 この三ヶ月、アナスタシアがいなければ計画は形にもならなかった。

 一生をかけても返しきれないほどの恩を、彼女に負っている。


 だからこそ、失敗は許されない。

 これはリュミエール商会のためだけではなく、アナスタシアの未来のためでもある。


 セリーヌは窓辺から離れ、机の上の地図に視線を落とす。

 小さな印がいくつも書き込まれ、倉庫群、商会通り、監査局の配置が一目でわかるようになっている。


 準備はすべて整った。


 後は敵が動き出す、その瞬間を待つだけだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ