盟友からの報告
夜になって執務室には灯りがひとつだけ残っていた。机の上には報告書の束と、ハルベルト商会から届いた封書。
数日に渡るハルベルト商会の調査で判明したのは、問題となった荷の積出地が、やはり北地区第七倉庫群を経由していたこと。そしてその倉庫の使用許可証には、オックスフォード商会の印章が残っていた事だった。
ここまではアナスタシアとの事前調査もあって想定内だったのだが、その後の報告で、より具体的な手口が明らかになった。
オックスフォードは、鉄を規定数を上回る量で港へ持ち込み、そのうち必要分だけを王立工房へ納めていた。余剰分は帳簿上で「石材」と偽り、別の貨物として処理していたのである。
さらに、工房へ納めていた鉄製品の等級にも齟齬があった。
提出記録では「第二級」以下ばかり――つまり、質の低い鉄を工房に納め、本来の「第一級」品は北港第三倉庫で自前で仕上げていたのである。北港は警備が緩く、監査官の巡回も年に数回。目の届かぬその場所で、高品質の禁制品を量産していたのだろう。
だが、彼らの真の悪意は、その後にあった。
出来上がった禁制品を、わざわざ警備の厳しい南門経由で搬出していた。しかも、積荷の名義はリュミエール商会。
摘発されることを前提にした動き。濡れ衣を着せるために、あえて自ら仕掛けた“見せかけの運搬”だった。
あの日、突然降って湧いた禁制品の嫌疑。
それは偶然ではなく、緻密に構築された罠だったのだ。
セリーヌは書類の端を強く握り唇を結んだ。
今すぐにでも逮捕したい気持ちはあった。路頭に迷わせたあの日の憤りが、冷静さを押しのけて前へ出ようとする。だが、それは出来ない。
ハルベルト商会の報告書――確かに強力な書面だ。これを武器に告発すれば、表向きには筋が通るように見えるだろう。だが、もしも――万一でも相手が言い逃れをし、書類の不備や口裏合わせで牽制して来たら、ここ数週間の努力が一夜にして水の泡となってしまう。曖昧な結末など、セリーヌは望まなかった。
だからこそ、最善は現行犯で捕らえることだった。動かぬ物証を押さえ、誰が命令し、誰が手を動かしたかをその場で問いただすのが最適であると彼女は感じた。そうすれば言い逃れの余地はない。
しかも、ハルベルト側の報告には、リュミエール商会の謹慎処分が明けてから行動を起こすという話になっている。真偽はどうであれ、前回の件では処分が軽く済んだ分、次に動くなら――彼らはより大胆に出るだろう。
その油断と過信こそ、最大の隙になる。
焦りは禁物だ。相手は巧妙で、仕掛けも周到だ。だが、用意周到に構え、動くべき瞬間に的確に動けば、罠は逆に彼らを縛る縄となる。
セリーヌは書類を机に戻し、窓の外の暗闇を見据えた。
すると、扉の向こうから足音が近づき、軽いノック音が響いた。
「入っていいわよ」
扉が開くと、アナスタシアが目を擦りながら顔を覗かせた。
「セリーヌさん、こんな夜遅くまで何なさってるんですか?」
「例のハルベルト商会の調査報告を読んでいたところよ」
その一言で、アナスタシアの眠気は一瞬にして吹き飛んだようだった。
「ちょっと、セリーヌさん!? 何でそれを私に教えてくれなかったんですか。私、かなり気になっていたんですよ!」
「そうだったわね……貴女がぐっすり眠っているのだから、起こさないでいたの」
「ぐっすりって……私だって監査局の方でいろいろ動いてたんです!」
そう言って彼女は腕を組み、わずかにむくれた。
彼女もここ数日、監査局で立て込んでいたらしい。北地区の警備体制の見直しが本格的に始まり、監査官の再配置や新しい巡回経路の整備が進められているという。
北側はもともと人員が少なく、倉庫の多くが実質的に放任状態だった。今回の件を受け、局内では「目の届かぬ場所を無くす」という方針が掲げられ、急ごしらえの対応が続いているらしい。
しかしながら、局内の大型政策もあってか、施行は翌年の夏以降になるとの事だった。
そんなこんなでアナスタシアはその実務に追われ、連日、報告と調整の間を走り回っていた。
セリーヌは頷く。
警備の見直しは好機だった。翌年とはいえ、北地区への監査強化が行われるのなら、オックスフォードのような妨害工作を行う商会に対する牽制にもなる。しかも、それは公式な職務として行えるので、合法的に彼らの出入りを監視できるということだ。
「それで、どうなったんですか? その調査結果は?」
セリーヌはゆっくりと息を吐き、机上の一枚を指で押し出した。薄くまとめられた表である。
「やっぱり、事の発端はオックスフォード商会だったみたい」
アナスタシアは目を見開き、紙を手に取った。
「なるほどですねー……こんなカラクリがあったとは」
アナスタシアは軽く唇を噛み、報告書を机に戻した。
「これ、監査局で預かっても良いですか?」
「ええ、構わないけれど……そんなに早急に動かれても困るわ」
「分かってますって! 三ヶ月後でしょう? それまでに、こっちでも駆け回っておきますから!」
アナスタシアは胸を張って笑った。
「そう、それなら良いんだけど……」
セリーヌは頷き、机の上の書類を整えた。
ランプの灯が静かに揺れ、ふたりの影が壁に重なる。
「三ヶ月。長いようで、きっとあっという間ね」
「はい!お互いに頑張りましょう」
アナスタシアが出ていったのを確認したセリーヌは窓辺に立ち、暗い街を見下ろした。
夜気が冷たく、窓の外には街灯の光がぼんやりと滲んでいた。建物の屋根が並ぶ静かな通り。その奥に、北地区の倉庫群が黒い影となって沈んでいる。
セリーヌは灯を落とし、深く息を吐く。
静寂の中で、胸の奥に残る焦りを押し込める。準備は整いつつある。あとは、時を待つだけだった。
おそらく次話は舞台が三ヶ月後とか一気に飛びそうです。




