彼らの慢心
時系列は、リュミエール商会が営業停止になった直後に戻ります。
新設されたオックスフォード商会の執務室は、半年も経たぬうちに王国でも指折りの商家のような風格を備えていた。
白い壁、黒檀の机、余裕を誇示する広すぎる空間。
そしてその中心に、監査局から届いた一通の封書が置かれていた。
「――決まったそうよ。リュミエール商会、営業停止三ヶ月」
リリア・バートンが書類を差し出す。
薄い笑みを浮かべながらも、その瞳の奥には隠しきれぬ優越感があった。
アルフレッドは文面を読む。
“武器の密輸の疑いにより、一部業務の停止を命ずる”
「……実に見事だ。これで完全に詰んだな」
リリアは満足げに頷いた。
窓辺の陽光を受けて、彼女の金の髪がきらりと光る。
「兄さまもそう言ってたわ。あの商会、もう立ち直れないって」
「当然だ。『武器の密輸』なんて嫌疑がかかれば、誰も取引を続けようとはしない。治安局も、監査局も、あの娘を庇う理由などない」
アルフレッドは封書を机に放り、ワイングラスを手に取った。
「結局のところ、噂さえあれば、真実などどうでもいい。 証拠なんてなくても、人なんてのは信じるより疑う方が得意だからな」
「あなたって、本当に冷たい人ね」
リリアは楽しげに言う。
「でも、そういうところが好きよ。情けをかける人間ほど、最終的に損をするもの」
「セリーヌ・リュミエールがその典型だな」
アルフレッドは鼻で笑った。
「正義だの誠実だの、そんな綺麗事で商売ができると思っていた。現実も見ずに、理想だけ掲げて――まったく、滑稽にもほどがある」
「ほんとうに。貴族相手に“誠実さ”で売ろうなんて、滑稽よね」
「ふっ、笑える話だな。商売が何たるかを理解できない時点で、あの女の負けだ」
アルフレッドが言い終えると、部屋が一瞬だけ静まり返る。
暖炉の火がぱち、と小さく弾ける音だけが響く。
リリアはグラスの縁を指先でなぞりながら、ゆるく笑った。
「ねぇ、アルフレッド。次はどうするのかしら?」
アルフレッドはワインを一口含み、ゆっくりと視線を返した。
「もう一度、仕掛けを掛ける。今回は“偶然”では済まさない位にはな」
「そう……全てはあの鉱山の事業凍結の仕返しのために、ね」
リリアが囁くように言った。
アルフレッドが瞳を細め、唇の端がわずかに歪む。
「忘れたとは言わせん。あの時、俺たちが投じた資金はいくらだった?」
「三万ルクス。――全て無駄になったわね」
「そうだ。セリーヌ・リュミエールが“安全基準”だの“倫理”だのと抜かして、契約を破棄したせいでな」
アルフレッドは鼻で笑う。
「まったく……あのとき奴の“持参金”がなければ、オックスフォード商会も立ち上がれなかっただろうな。まさに天の恵みってやつだ。自分の金で、俺たちの礎を築いてくれたんだからな」
リリアはくすくすと笑い声を漏らす。
「ふふ……皮肉な話ね。彼女が“誠実な取引”のために貯めていた資金が、今こうして私達の商会を支えているなんて」
「利用できるものは利用する。それが商人ってもんだ」
アルフレッドは肩をすくめ、無造作に言い放つ。
「そういえば、アレスはどうしているんだ?」
「兄さまは、次の準備をしているわ。例の“アレ”よ」
「ほう……あいつのことだ、抜け目はないな」
「ええ、今回は一台の馬車だけしか工作はしなかったけど、次はもっとみたい」
リリアが愉快そうに言い終えたそのとき、重厚な扉が音を立てて開いた。
入ってきたのはアレス・バートンだった。
真昼の陽射しに焼けた空気を背負い、淡い麻のシャツの袖を無造作にまくり上げた姿。外回り帰りなのか、襟元にはうっすらと汗がにじんでいた。
「ずいぶんと涼しい顔をしているな、二人とも。こっちは汗を流して仕込みに走っていたというのに」
「――あら、何を言っているのかしら? 今回の件で一番の旨みがあるのは、あなたでしょう?」
リリアの挑発めいた声に、アレスは目を細めた。
「旨み、ね。……確かに否定はしない。だがな、妹よ」
アレスは軽く手袋を外し、机の上に置いた。
「俺が動かなければ、そもそもこの話は始まりもしなかった。お前たちが紅茶を飲んで笑っていられるのも、俺が裏で汗を流しているからだ」
リリアがすぐに肩をすくめる。
「もちろん、兄さまよ。――けれど、その分きっちり結果を見せてもらわないとね」
「褒め言葉として受け取っておこう」
アレスの声は軽いが、その眼差しには冷たい光が宿っていた。
「――だが、次はもう少し“派手”にいく。今度こそ、リュミエールを完全に地に落とす」
リリアは楽しげに頬杖を突き、唇を歪めた。
「ふふ……そうでなくちゃ、兄さまらしくないわ」
三人の間に流れるのは満足にも似た沈黙。
彼らにとって、正義よりも結果のほうがよほど甘い報酬なのだった。




