昨今の生成AIの動向を見てると
昨今の生成AIの動向を見てると、超ハイクオリティなイラストや小説や音楽をどんどんAI生成できるようになってきてて。
多分それがしばらくするとボカロみたいに"生成AIそのものをパッケージング"して「これ使ったらこの人みたいな作風の小説/アニメ/漫画/音楽を生成してくれます!」みたいなソフトが出てくると思うんだ。
誰かの作品をAIに読み込ませまくって、例えば「ニ○オイシンさん風の小説を書いてくれる生成AIソフト」とか、「○ダエイ○チロウさん風の漫画を描いてくれる生成AIソフト」みたいなものが生まれると思うのよ。
それも進化してくるとさながらボカロの足立レイ的な感じで「完全AIオリジナルの作風が出力される生成AIソフト」とかも出てくると思う。
で、それらが市場に出回ると、暫くはそれを使っている仲間たちの間で「世界観のみを共有して生成AI作品を楽しむ」とか「同ソフトを用いてるメンバー共同で一つの作品をローコストで作る」みたいなムーヴメントも出てくると思う。
そうすると多分、今で言う"同担拒否"みたいな感じで、「お前とは反りが合わないから一緒に生成AIで創作やらん!」みたいな軋轢も出てくると思うんだ。「音楽性の違い」みたいな。
まぁ今でもAI界隈的には起こってる話かもしれないけど、それが生成AIの普及で世論的に起こる、みたいなイメージで。
でもそのムーブメントも数年したら力尽きて、その後は世の中のコンテンツ消費の仕方が「何となくパッと思いついたコンテンツを、生成AIを用いて個人で作って個人でひとしきり楽しんで、終わったらそれで終わりで忘れる(アイデア自体を捨てる)」という形に段々とシフトしていくんじゃないかな、という気がする。
一般の個人で創作物の自給自足が簡単に行える、しかもその内容は九割方そのユーザーの好みに即した創作になるわけで。
そうするとわざわざ誰かが作った作品を追い求めようという、ファンとか推し文化的な動きもなくなるんじゃないかな。
本屋も映画館も劇場も潰れて、多分Xもブルースカイ含めた類似SNSも、インスタもYouTubeもTikTokも、その他サブスクのマーケットなんかも全部縮小されて。
「誰かの才能をAIに注ぎ込んでパッケージングして売る」を初めにやった一部の企業がそのソフトなりアップデートサービス等を売りまくってぼろ儲け、って未来が、何となーく見える。多分15~30年くらい経ったらそうなってる。
物語で売れるのはもう相当厳しいと言わざるを得なくなってくる、かもしれない。
それでもカ○カワとか講○社とかの、超大手出版社はコンテストを続けて生き残るかもしれないとは思う。逆に今まで書いてきたような生成AIの一連のムーブメントの鏑矢になってたら、それはもう出版社が創作者を殺しにかかってきてる。いや生きてんだけど。AIという形で。
印税というか、思考トレース代みたいな物は常に一定値支払われる体系になるのかな。それだったら面白い作風を作れるやつが生き残ってくけど、それってどうなん、生き残ってるって言えるの……?
まあそこら辺の議論は今回はいい。
で、いつかはその生成AIをベースにした創作ソフトすら普及・陳腐化して売れなくなる、というかOfficeソフトみたいな感じで一部のソフトだけが生き残るんじゃないかな。
そうなった時、次はどんな消費が待ち受けてるんだろうな。
情報商材が価値を生み出しきれなくなる日は来るのかな。もしそうなったら、次は何処から価値が生み出されるのかな。
……宇宙? ガ○ダムでも始まるか?
イー○ン・マスクは増えすぎた人口を宇宙に建造したスペースコロニーni(以下文言が思いつかないので割愛)
そもそも、消費社会の終焉が来るのかな。社会主義優勢になるとか、もしくは誰も思いつかなかった、やろうとしなかった社会システムが現実になるのか。
っていうか今更凄い妄想が戻るけど、AIを使うにも水がいるみたいな、水資源不足だよーなんて言うけど。実はそっちの方向性で限界が来たりとかする?
まぁ全部、遅筆の物書きの妄想ですけど。
追記。
こんな状況なら、いやこんな状況だからこそ、
売れるなら今しかない。