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そうして、その日の夕方には、フリンとイヴの故郷、ウルスラッドに無事辿り着いていた。
ウルスラッドは、八年前にその大半を炎に焼かれた町だ。今でもその面影は残っていて、あちらこちらに不自然な空き地や、打ち捨てられた家屋が残っていた。
イヴももちろん、その被害者の一人だった。
ウルスラッド事件は、とても大きな事件だったから、帝都出身のレクサールもそれは知識として知っていた。フリンが術士を目指した理由も、焔が苦手な理由にも、もちろん気が付いている。
「お帰りなさい、フリン。あら、貴方はたしか……フリンのクラスメートで、養成学院の『エンティナス・コール』ね……!」
フリンの母が三人を出迎えて早々、レクサールを見てそんなことを言う。
「フリン、お前、そんな風にお母様に俺のことを紹介してるのか……恥ずかしいヤツだな」
「そ、そんなこと、言ったっけ母さん?相当昔の話じゃない?」
フリンは大慌てだ。
イヴは何のことか分からないので「?」の顔をしている。
「そうそう、学院に入ってすぐのことよね、フリンが目を輝かせてそんなこと言ってたから、とても印象に残ってるの」
「そんな、大昔のことを持ち出さないでくださいよ、母さん……」
フリンは額に手を当ててため息をつく。
「申し訳ないんだけど、しばらくこの人、泊めてもいいよね。失恋中だから、慰めてあげたいんだ」
フリンはお返しとばかりにそんなことを言う。
「もちろん、かまいませんよ。うちは母一人子一人だから、賑やかになって嬉しいわ」
そりゃ、そうか……と、レクサールは思った。フリンから詳しくは聞いていないけど、この人も、大切な夫を亡くしてから、まだ八年目と言うところなんだ。
夫を失って、すぐに一人息子も帝都の寮に入ってしまったんじゃ、母親のこの人は、よほど寂しかったに違いない。
フリンが学院で必死に努力して、地術で特Sを取り続けているわけだ。
「お腹、透いてない?良かったら、イヴも一緒にどう?」
母はイヴも夕食に誘う。
「そうですね、じゃあ、私は一度家に帰って親に一言、言ってから、また来させてもらいます!」
イヴはそう言うと、さっさと実家へ向かった。イヴの実家は徒歩数分の場所にある。
「なんか、懐かしいな。前来たのって、三年前だったっけ?」
「そだね。あの時は、大変だったじゃないか……!レックスが自由人過ぎて、寄り道したがるから夜までに辿り着かなくてさ、寝るとこ探して立ち寄った町では、なんか知らないけど、怪しげなお姉さまたちにナンパされそうになるし……もう二度と、レックスなんかと旅行するもんか、と思ったもんだよ!」
母は二人を部屋に案内しながら盛大に笑った。
「あらまあ、そんなことがあったの……?全然聞いてなかったわ!」
三年前も同じように、レクサールはフリンの父親の部屋を貸してもらったのだった。
フリンの家は、二人の堅実な性格が現れているように、きちんと整理整頓、掃除されていて、慎ましやかで、好感が持てた。
フリンと仲良くなったのは、学院入学してすぐだった。
お互い、暑苦しいぐらいに、『術』に対する本気度が一致したから、すぐに意気投合したのだ。
まさか当時十歳だったアイツが養成学院の『エンティナス・コール』を見つけたと思っていたとは思わなかったけど。……普通に気色悪いな。嬉しくもなんともないぞ。
三十五人しかいない褐色のホームルームに、クラス替えはないから、七年間ずっと一緒だった。
他にももちろん友人はたくさんいるが、親友と呼べるのは、ただ一人、フリンだけだった。
生まれも育ちも全然違うし、価値観も性格も、真逆なのに、スポンジみたいにこちらの言うことを黙って聞いて、理解して受け止めてくれるフリンに、心を救われてきたのは事実だ。
卒業してもしそれぞれが軍隊に所属するようになっても、きっと、それは変わらないだろう。
「うーみーだーーーーっ!」
レクサールは全力で叫んでいた。
「あつくるし」
フリンははしゃぐ親友の姿を呆れて見ている。
翌日。調べてみると、意外にも日帰りで行ける距離に海があることが分かり、三人は海を見にきていた。
イヴの長い休暇ももう終わるので、三人で過ごす最後の休日だった。
「俺、実は海見るの、はじめてなんだよね」
内陸部の多いランサー帝国の国民は、そう言う人間がとても多い。
整備された海水浴場も少ないので、バカンスの時期、東部ドーセットの海は、人だかりだった。
「やっと、青春っぽいこと出来たわね」
イヴも日傘を片手に嬉しそうに微笑んでいる。
「リッカ嬢の愛しのオーランド様も言ってたしな、青春を謳歌せよって」
フリンもにこやかに言った。
「だから、誰なんだそのオーランド様と言うのは……」
「なんだ知らないの?」
相変わらず、流行などに興味がなく、『ミーハー心』を全く持ち合わせていない友人をフリンは咎めるように言った。
「超が付く程の有名人だよ。彼が卒業したのが六年前だから、今の七年生以上の女子学生で、その名を知らない人はいないんじゃないかな。ラマン侯爵家と言う大貴族に生まれながら、わざわざ養成学院に入学して、風術士ではなかなかなれないと言われているSクラスで卒業し、今はあのエンティナス・コール率いるコカトリス第三小隊で活躍してる、生きる伝説みたいな人だよ。あんな人がリッカの『本命』じゃなくて良かったよね。学生時代は数々の浮き名を流していたというんだから。むしろ、彼がほんとにリッカの『本命』だったら、逆に物凄いがっかり感がある……」
「……」
フリンの説明が長すぎて、レクサールはセリフに点を並べるほどに沈黙した。
「いやいやいやいや、それ多分、相当な尾ひれが付いてるぞ。そんな人間が現実に存在するわけがないだろうが……」
「でも、現実に目の辺りにしたじゃないか。噂通りの圧倒的な王子様っぷりだったよ」
「噂を当てにするもんじゃないぞ。めちゃくちゃマトモそうな人だったじゃないか……あのリッカのことを真っ向から叱れる人間なんて、はじめて見たぞ。自分のためじゃなく、他人のために本気で怒れる人間に、悪い人間はいないよ、お前も含めてだけどな」
フリンは意外な言葉に驚いて反論した。
「そうなのかな……自分が蔑ろにされたから怒ってただけなんじゃないの?」
「いや、リッカが彼女に似合わず、『愚かなこと』をしたから怒ったんだろう?」
「むー……そうか。そう言う考え方もあるのか……」
フリンはあの日の出来事を思い返しながら答えた。
でも、フリンがあの時感じたことはそんなことではなかった。
それよりも……
「でもさ、リッカに、彼女に似合わない『愚かなこと』をさせたのは、他ならぬ、レクサール、君だよ。君のことを単に『ウザい』と感じてるだけなら、もっと、こっぴどく振ることだって出来たはずなのに……って言うか、そもそも無視してりゃいいだけなのに、わざわざあんな彼女らしからぬ真似までして……。やんわり諦めてもらお
うと思ったってことでしょう?彼女なりの、優しさだよ。彼女がレックスのこと、歯牙にも掛けてないなんてことは、絶対にないってことが分かったね!」
「そうよ……っ!もしかして、このままではホントに好きになっちゃいそうだから、もう諦めてよーって言う、サインだったのかも!」
イヴまでもが、嬉しそうに顔を輝かせて乗っかる。
「はいはい。くだらないお喋りは終わりにしよーぜ!せっかく海に来たんだから……っ」
レクサールはそれ以上は聞きたくない、とでも言うように話をぶった斬ると、靴を脱ぎ捨てて裸足になって、砂浜を駆け出した。
フリンも真似して、親友を追い掛ける。
「やっぱり水着……持ってきたら良かったなー」
イヴははしゃぐ男たちを遠目に見ながら、日傘を肩に掛けてしゃがみ込んだ。
水着なんか着たって、到底振り向いてくれそうにはないけどね……。
イヴは空しくて仕方がなかった。恋愛対象として見てもらえていないことは明らかだ。
この砂と一緒。
掬い上げようとしたら、砂のようにすり抜けて行ってしまう。
だからって、……その関係を壊すようなことは絶対にしたくないけど。
いつまでもいつまでも、いつか、彼が振り向いてくれる時が来るまで、何が何でも、傍に居てやるんだから。
その結果、自分が傷付くようなことが起きても、後悔なんてしない。
「はー……。やっぱり、腹黒くてサイテーな男だわ。なんて、不幸なわたし……」