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レクサールとフリンが、約一ヶ月ぶりに登校すると、ホームルームは何やら騒然としていた。
今日から第八学年、メンバーは変わり映えしないので、全く新鮮さはないものの、学生生活最後の一年を謳歌しようと意気込んで、意気揚々と登校したところだったのに……。
二人が教室に入ったとたん、いくつもの不安げな目が降り注いだ。
二人の顔を見ながらヒソヒソと囁き合う声が響いている。
「な、なんだよ……おまえら……」
レクサールがたじたじして言った。
「レクサール、フリン……お前ら、大丈夫なのか?」
レクサールが空いた席に腰を降ろすと、後ろの席に座っていたヴィクターがさっそく声を掛ける。
「何がだよ」
レクサールの隣に座ったフリンも首を傾げる。
「いや、お前ら二人が、『退学になる』って言う噂が流れてきたからさ」
「お前らいったい、何をやらかしたんだ……?」
周りに座ったクラスメートたちが、口々に言う。
思いもよらない罪を指摘されたような、ヒヤリとした緊張感がレクサールの体に走った。
レクサールは思わずフリンの顔を見る。
フリンも、心当たりは同じであるらしかった。
何か、やらかした……と言えば、たしかに、やらかした。
たしかにバレれば退学になりかねないようなことを。
「フリン、まずいなこれは……」
フリンも青い顔をしてうなづく。
しかし、なぜ……?
あんな片田舎での出来事が、なぜはるばる帝都にまで回ってくるのだろうか。
「フリンとレクサール、来たな……お前ら、ちょっと来い」
待ち構えていたかのように、褐色クラスの担任教師が、二人に声を掛ける。
「お前ら、授業開始の時間までにもし俺たちが帰って来なかったら、しばらく自習でもしてろ」
教師はクラスメートたちに一言そう言って、フリンとレクサールを連れ出した。
教師は、すぐ近くの空き教室に二人を押し込んで、椅子に座らせると、向かいに座って切り出した。
「お前ら、まずいことになってるぞ……」
レクサールは何も言えずに教師の緊迫した表情を見詰め返していた。
心臓が早鐘のように鳴っている。
「通報が入ったんだ。東部ヴィンランド領の警備兵からだ。手柄を横取りされたと思ったんだろう。警備兵よりよっぽど手際のいい、十代前後と言った、若い地術士二人組が、魔獣七匹を瞬殺して、市民から賞賛されていた、とな」
はあー……教師は盛大にため息を尽く。
「お前らも知らないわけじゃないだろう?学生は、学校外で術を使うことは禁じられてるんだ。術士免許ももたない一般市民が、術を使ったら成人なら逮捕されるところだ。……俺も、お前らを守りきれんぞ。領主から抗議が入ったのではなあ」
「一般人が免許もないのに術を使うなんて、普通にやってることじゃないですか。そんなことぐらいでいちいち、国も一般人を逮捕なんてしてないでしょ?」
レクサールがふてぶてしく言う。
だが、レクサールの言うことはもっともだ。
たしかに、建前上、免許を持たない人間が術を使うことは許されていない。危険だからだ。体系的に術の使用方法をきちんと学んでいない者が好き勝手に術をぶっ放していたら、たしかに危険極まりない世の中になってしまうだろう。
ただし、そんなものはあくまでも『建前上』の話だ。
『免許がないと術を使ってはいけない』なんて、法律はあるけど、そんなルールは、あってないようなもの。
自分達も、まさかそんなことでいちいち通報されるとは思ってもみなかった。
「そう言う甘い考えだから、足元を掬われるんだ……。自分たちの立場を分かってるのか?天下のランサー帝国術士養成学院の学生だぞ。一般市民とは違うんだ。周りの目が光っている。どうせ、東部の田舎だから大丈夫だとでも思ったんだろう?英雄にでもなったつもりだったのか?どこで誰が見てるか分からないんだ!よほど身を謹んでいないといけないと言うのに……」
「僕たちがやったという、証拠でもあるんですか……?十代の地術士なんて、何人もいるでしょう?この学校内にだって」
フリンが冷静に言う。
「まず、『褐色』は人口が少ない。それに、帝国学院の学生でもない限り、使えないような高度な術を使っていたそうだしなあ……」
教師は目を瞑ってさらに続ける。
「それに、お前たち、ゲートを使っただろう?学院の学生の中でも、特にお前たちと特定されたのは、ゲートの申請履歴からだよ。あの時期、東部へのゲートを通った学生は、レクサール・エレンブルグと、フリン・ミラー。お前ら二人だけだったそうだ」
レクサールは心の中で天を仰いだ。
たしかに……この上ない証拠だ。
「これから、教員の会議がある。お前らの処遇はそこで決められるそうだ。……俺もまさか、こんなことでお前らを退学になんかさせたくはないんだが、『学内派閥』と言うのもあるからなあ……。お前らの学年は、陰術の生徒が優秀なんで、妬まれてるんだ。純白や紺碧の、陽術系の教員たちは、今年の八年生の首席と次席が揃って陰術使いで、さらに上位十名以内の学生の過半数が深紅や褐色の生徒で占められてるのを、面白くないと思ってる。学年二位のエレンブルグを、蹴落とす絶好のチャンスだと思われてる節はあるぞ」
「な、……何を言ってるんですか、下らない。そんな、下らない教員同士のプライドの張り合いで、優秀な学生を追放するんですか?こんな優秀な学生、失ったら、それこそ、ランサー帝国にとって大損害ですよ……!」
フリンは声を荒げて抗議した。
「お前が、それを言える立場だと思うのか……?ルールを破ったのはお前らだぞ。……大人の世界とはそう言うものだ。帝国軍に入ればもっと厳しいぞ。優秀な人間を蹴落とし、出世を阻もうと目論むライバルは大勢いるんだからな。それこそ、足元を掬われるような行動は、厳に慎まなければならない」
「ちょっと、待ってくださいよ……!レクサールと、フリンは、国民を守ったと言うことでしょう?」
三人は驚いて振り返った。
三人とも息を詰めて話をしていたので気付いて居なかったのだが、空き教室の入り口には、心配したクラスメート達が、大勢詰めかけていた。
コイツら……こそこそ話を聞いてたわけだな?
「なんでそんなことぐらいで、退学処分なんですか?」
「フリンの言う通りだよ、帝国にとって大損害だ……っ」
「おまえら……」
教師は呆れた顔をして聞いている。
「レクサールも、フリンも、揃いも揃ってバカなのよ!」
生徒の中で、怒ったような顔をして進み出てきた女子がいた。
リィサ・ラヴィアンだった。
「ほんっと……バカじゃないの、二人とも!英雄気取りかなにか知らないけど、そんな、たった一度の軽はずみな行動で、人生を棒に振るつもりなの……?八年間、積み重ねてきた努力を水の泡にするつもり……!?」
リィサは、悔しくてならないようだった。
目に涙を滲ませている。
教師を含めて、ここにいる全員が、同じ思いだろう。
たった一度の軽はずみな行動が、人生を左右するような事態にまで発展してしまうとは……。
たしかに、レクサールもフリンも、浅はかだったとしか言いようがない。
青春している気で、浮かれていたのだ。
「……分かりました。ハルトマン先生。レクサールは、関係ありません。今回、国民を守るために規則を破って術を使ったのは、僕です。退学になるなら、僕一人で充分」
レクサールはぎょっとした。
「お前……何を言い出すんだ……」
「先生だって、帝国軍だって、次席のレクサールと、Bランクの僕、同じ地術士で、どちらかを選ぶなら迷わずレクサールを選ぶでしょう?この人は、優秀なエレンブルグ家の血を引く人間ですよ。一方、僕は、そもそも、免許を取って在野で活躍していたライズ・ミラーの息子です。帝国軍に入ることに、未練なんかないんです。これだけ、地術を仕込んでもらえたら、いくらでも職がありますよ」
フリンは、褐色の主らしく、この上なく利他的なことを、平気で口にするのだった。
「『帝国軍に入ることに、未練なんかない』だって……っ!?いったい、どの口が言うんだよ!」
レクサールは怒ったように声を荒げて怒鳴った。
フリンが、どれだけランサー帝国軍に憧れているか、レクサールは誰よりも知っている。
八年前、ウルスラッド事件でフリンを守った帝国軍の一人、帝国軍唯一の闇術士エンティナス・コールに憧れて、帝国軍人を目指していたのではなかったのか。
そのために、一度も地術の特Sを落としたことがなかったのではないのか。
「まったく……なんとも喧しい人達だこと」
ざわざわと騒がしかった教室が、水を打ったように静まり返った。
教室にいま一人、コツコツと靴音も高く入ってきた、長身の女学生がいた。
「貴方たち、姑息な真似をするのはおよしなさい。やっていないならばいざ知らず、真に自分達が行ったことであれば、素直に認めるべきです」
いつも通り、氷の女王のような冷たい口調で淡々と告げる。
レクサールは意外な思いでアークライト・リッカの登場を見ていた。
まったく自分達とは関係のない、深紅クラスの生徒が、わざわざこんなところまでお出ましとは。
「なんでこんなところで、あなたが出てくるのよ……!関係のない部外者は口出ししないでください」
リィサは心底忌々しい、と言った口調で抗議する。
「『部外者』ですって……?関係ないですって……?関係、大有りですわ。汚い行動で、天下のランサー帝国術士養成学院の学生の名を、貶めていただきたくはないですからね……」
リッカは相変わらずの悪役っぷりだった。
突然の闖入者に、その場にいるクラスメートの大半は、気分を害されていることだろう。
「素直に自分達のやったことと、認めるべきですわ」
リッカは容赦なく言う。
だが、その先に続けられた言葉は、意外性に満ちたものだった。
「お二人のしたことは、けして非難されるべきことではないのですから。……目の前に生命の危機に曝されている人々がいたら、それを守ろうとするのは、術士として、当然の行動。わたくしでも、同じ立場であれば、迷わず同じ行動を取ったことでしょう」
リッカの言葉に、その場に居た全員がどよめく。
「保身のために、目の前の人間たちを見殺しにするなんて、それこそ愚かな行いでしょう。そして……アルバート・ハルトマン教諭?貴方も、充分愚かですわ。自分の受け持つ生徒の二人も守れないとは。よくよく、校則をご覧なさい」
リッカは相変わらずの不遜さで、学院の教師すら小馬鹿にした様子で続ける。
「まず、術士免許を持たない一般市民は、術を使ってはならないという法律は、クリアですわね。学校は治外法権で、学生の行いに法律は適用されませんから。それでは、学則を見ればなんと書いてあるか……?皆さん、学生手帳はお持ちでしょう?」
リッカは自身の制服の内ポケットから誰もが肌身離さず持ち歩いている学生手帳を取り出して開いた。
「学則第十三条、『術の使用』の欄にはこうあります。『本校の学生は、何人たりとも、本校の敷地外で、みだりに術を使用してはならない』。……みだりにですわよ。皆さんも、その意味はお分かりでしょう?『みだりに』とは、『正当な理由もなく』と言う意味ですわ。そして何よりも、この条文には『ただし書き』があります。……『ただし、人の生命、身体又は財産の保護のために緊急に必要がある場合は、この限りでない』。お二人のなさったことが、『みだり』な行いだと、いったい、誰が言えるでしょうか?」
担任教師ですら、神妙に、リッカの言葉を聞いていた。
初めてだった。
フリンが、憎たらしい戦乙女の歯に衣着せぬ物言いを、これほどカッコいいと思えたのは。
「私は、アークライト家の名に懸けて、ヴィンランドの領主グラント家に、正式に抗議いたしますわ。みだりにランサー帝国術士養成学院の学生の名を冒涜するような行為は、けして許しません、とね」




