CAR LOVE LETTER 「Tears flowing」
車と人が織り成すストーリー。車は工業製品だけれども、ただの機械ではない。
貴方も、そんな感覚を持ったことはありませんか?
そんな感覚を「CAR LOVE LETTER」と呼び、短編で綴りたいと思います。
<Theme:TOYOTA COROLLA FIELDER(ZZE122G)>
真っ暗だ。
私は今山奥の駐車場に居る。ここに来ようと思った訳でもないし、真っ暗なのでここが何の駐車場なのかもよくわからない。何かの展望台だろうか。
何処だっていいんだ。人気が無ければね。
だって私は、死ぬつもりなんだから。助手席で毛布に包まって、虚ろな目で空を眺める、私の妻を道連れに。
私は愛車であり、私達の死に場所になるであろうこのカローラフィールダーのトランクから、七輪と練炭を取り出した。
ちょっと前に流行ったよね。インターネットで自殺志願者を募って、みんなで練炭で死にましょうってのが。
それまで練炭や風呂掃除の洗剤なんかで死ねるなんて、考えもしなかった。
でもそんな手段が有るんだと、テレビのニュースで知ったんだ。
良くないよね、情報が多過ぎるってのも。必要のないものまで耳に入って来てしまうし、こうして私の様に模倣しようとする輩も出てくる訳だからね。
私はそうやって厭世観に浸りながら、七輪のなかでちりちりと赤く輝く練炭を眺めた。
こんな形でお別れになるのは、息子と娘には本当に申し訳ないと思う。
だがね、私はもうホントに疲れたんだ。
こうなってしまったのは、妻の介護が原因だった。
それまで妻は、大きな病気をする訳でもなく、明るい性格で友達もたくさんいてね、人生を楽しんでいるなぁと感じさせる、本当に魅力的な女性だった。
趣味も多彩でね。絵を描いたり園芸だとか野菜を作ったりね、アクティブだったよ。
子供達が独立したら、山登りやカヤックなんかもやってみたいと言っててね。私もその気で、じゃあせっかくだから、車も趣味に合わせようと、それまで乗っていたカムリから、ワゴンにしようと言う事にしたんだ。
歳相応にクラウンエステートにしようと思ったんだけど、妻は二人だけならそんなに大きな車は要らないでしょって。
「ねぇ、キムタクのワゴンがいいじゃない。」と、妻が提案してきたんだ。それがカローラフィールダーだった。
なんだい母さん、そのキムタク君が好きなのかい、と野暮に聞くとね、「うちのお兄ちゃんに似ているじゃない。」と言うんだよ。
確かに息子は親父の私が言うのも何だが、結構な男前でね。キムタクといわれれば、まぁそんな感じかも知れないな。
あいつは学生の頃はよくもてて、いろんな女の子に言い寄られていた。
私に似たのかも知れんな?と妻に言うと、「男の子は母親に似るのよ。」、と返されたっけな。
その息子も今じゃお父さんだし、娘も仕事を始めて街で一人暮らしを始めた。
私と妻と、カローラフィールダーでの第二の人生が始まった訳だ。
それこそ私達はカローラフィールダーが擦り切れる位いろんな所へ行ったよ。
北海道はもとより、四国や九州にも行った。本州の東西南北の突端にも行った。
流石に沖縄にまでは乗って行かなかったけれど、妻は今度沖縄に来る時には、カローラフィールダーにカヤックを積んで、沖縄の道と海を満喫したいって言うんだよ。あれには驚いた。
娘は、あたしはそんなにいろんな所に連れて行ってもらった事ない!と、沖縄のお土産のサーターアンダギーを頬張りながら膨れていたね。
何言ってるんだ。夜通し車を走らせて、ディズニーランドに連れて行ってやったじゃないか。
しかし思い起こすと、確かにそれくらいしかどこかに行った記憶が無いんだ。
私は家庭を顧みない仕事の虫だった。出世するのも早かったけれど、その分家族との時間はほとんど無かったな。妻や子供たちには、本当に申し訳ないことをした。
その反動もあってか、リタイヤしてカローラフィールダーに乗り換えてからは、人が変わった様に走り回ったね。妻だけでなく、子供たちや孫も連れて、色んなところに赴いたんだ。
第二の人生は、本当に楽しみで一杯だったよ。
しかしいつの頃からか、妻がおかしな事を言い出す様になってきたんだ。
最初は食事をすませて洗い物をしている時に、「お昼は何にする?」と聞いてきたんだ。
何を笑いを取ろうとしてるんだよ、もう食べたろ、とその時は流していたんだ。
それからというもの、皿に描かれた豆の絵を掴もうとしたり、時計が全然読めなくなってしまったり、洗顔フォームで歯を磨いたり、娘を学校に迎えにいかなくちゃだとか、カムリはどこだと聞いてきたり、妻の行動や言動はどんどんおかしくなって来てしまったんだ。
医者に診てもらうとね、やはり典型的な認知症だと言うんだ。
あれだけいろんな事を精力的にやってきた妻がだよ。絵を描いたり縫い物なんかで指先を使う事もよくしていたのに、どうしてこんな事になってしまうのかね。
私にはあの医者の言葉が、本当にこたえたよ。
それからは、カローラフィールダーは旅行ではなく病院に通院するのがもっぱらの使い方になってしまった。
たまにこの車で訪れた、近場の名所なんかに行ってみて、記憶が戻るのを期待したりしたんだが、何度同じところへ行ってみても、いつも初めて来た様な反応だった。
息子夫婦や娘も介護に協力してくれると言ってくれたんだが、遠くに住むあいつらの手をわずらわす訳にもいかないし、妻は私の伴侶だ。私は一人で妻の介護をすることにした。
しかし現実は甘くはなかった。
妻の症状は日々加速度的に悪化していくし、普段家事なんか一切しなかった私には、自分の身の回りの事も満足に出来ない上に、妻の介護など十分に出来る状態ではなかった。
ヘルパーさんに来てもらったりもしたが、それでもてんやわんやな毎日だった。
夜中は2時間おきに下の世話をし、体を拭こうとすると大暴れし、食事を与えようとすれば駄々をこね、何かといらつくと物を投げる。私も腹が立って思わず殴ってしまう事もあった。そうすると更に駄々がひどくなり、収拾がつかなくなるんだ。
そんな生活が、もう1年も続いただろうか。
最近では、妻は何も反応をしめさなくなった。私も、笑う事が出来なくなった。
あんなにも輝いて天真爛漫だった妻が、今は物言わぬ寝たきりの老人なのだ。
辛い。肉体的な苦しみと、いつ終わるか知れない精神的な苦しみ。
私は体も、心も、そしてお金も、もう限界に来てしまっていた。
そして今、この真っ暗な駐車場にいるんだよ。
私は小さな練炭がちりちりと輝く七輪を、カローラフィールダーの荷室に置いた。もうすぐこの世ともお別れだ。そう思うと些か寂しさも込み上げてくるが、私はそれを振り切る様に運転席に滑り込み、ポケットサイズのレッドをあおった。
レッドが喉を焦がし、体に気だるい酔いが回ってくる。何となく軽い頭痛がするような気もするが、これは酔いなのか?それとも、死が近づいてきているのか?
私は妻の手をそっと握った。まだその手には温もりがあった。
私はそのまま目を閉じ、ラジオの音楽に耳を傾けた。
すると、聞いたことのある曲が流れてくる。三線の弾ける音と、独特の訛りの女性の澄んだ声が心地よかった。
「涙そうそう」という曲だ。
思い出すな。沖縄に旅行に行ったあの時だよ。妻は地元の漁師の方と仲良くなって、私達はその晩の夕食に招待されたんだ。そういうところでも、妻の行動力には驚かされた。
見たことも無いような魚を沢山食べさせてもらってね、美味しかったよ。宴も盛り上がって、泡盛でいい気分になった漁師さんは三線を取り出して、沖縄の方言で伸びやかにこの歌を歌ってくれた。
太陽が沈んだ海の波音と三線を伴奏に、漁師さんの暖かい「涙そうそう」を聞いていると、私も妻も、自然と涙があふれてきたんだ。
今の私の目にも、涙があふれている。妻よ、こんな私ですまない。息子よ、娘よ、幸せになれよ。
その時だった。助手席で空を眺める妻が、鼻歌を歌いだしたのだ。
それは「涙そうそう」だった。その空を眺める妻の目にも、涙が湛えられていた。
覚えているのか?あの時の事を、思い出しているのかい?
私は体を引き起こす。しかし、あまり体が自由にならない。練炭だろうか。あぁ、私は何ということをしているのだ!
私は力を振り絞り、運転席のドアを蹴り開けた。
そして外に転がり下りると、そのまま這いずって後席とテールゲートを開放して空気を入れ替え、練炭の輝く七輪を車外に放り投げた。
七輪は地面に落ちるとばらばらに砕け、風にあおられ練炭がひときわ真っ赤に輝いた。
よろける足取りで頭痛に耐えながら、私は助手席の妻に歩み寄る。
妻は涙を流しながら、まだ「涙そうそう」を歌っていた。
すまなかった。許してくれ。こんな情けない私を、許してくれ!!私は妻にすがって泣いた。
そんな私の叫びに、やはり妻は何も言わなかったが、こんな情けない私を包み込むように、妻は「涙そうそう」を歌ってくれているようだった。
その歌声に、私の心は少しずつ、癒されていくような気がした。
大丈夫だ。妻は、きっと治る、治るんだ。
私が希望を捨ててしまったら、一体誰が妻を救うのだ。
もう少し頑張ってみよう。妻がもう一度、天真爛漫な笑顔を取り戻してくれると信じて。
きっと、きっとその日は来る。来るはずだ。
そしてまた、このカローラフィールダーで、どこかに行こう。そうだ、沖縄がいい。
私はまた、真っ暗闇の駐車場で、妻にすがって泣いた。
妻の、「涙そうそう」を聞きながら。
私の後ろで、練炭が大きくぱちんと音を立てて弾けて割れた。私はその音に後ろを振り返る。
その真っ赤な輝きは、風に吹き消されて次第に見えなくなっていった。




