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三十坪程度の会議室を、LEDの蛍光灯が眩しいほどに照らしている。その室内に憧治達が進んでいくと、さらにカメラのフラッシュが何度か焚かれた。
憧治は眩しさに目を細めながら、主催者の演台である長机に三つ並んだ席の左端、一番入口に近い席に座った。
隣を横目で窺えば、真ん中の席に着席した冴都美が無言で真っ直ぐ前だけを見つめている。冴都美の奥、一番右端の席では冴都美が雇った中園という名前の女弁護士がマイクを確かめているようで、設置されたスピーカーからマイクを軽く叩く音が聞こえてきた。
マイクを確かめ終えて、中園が立ち上がる。
その体格は冴都美より一回り小柄で、パンツスーツ姿ながら華奢な印象を与えてくる。
「本日はお集まり頂き、ありがとうございます」
その印象に反して、マイクを通して響くのは気の強そうな声だった。
中園は冴都美の友人とのことだった。以前から何度か仕事でも付き合いがあったそうで、憧治が何するでもなく、二人によって今日この場が整えられた。
事前に憧治がしたのは顔合わせだけ。今日に至っては挨拶もそこそこに、中園には「余計なことは喋らないでください」とだけ言われていた。
中園の挨拶が続き、その後は中園と冴都美がマイクを手にして、部屋に待機していた記者から投げかけられる質問に答えていく。
一方の憧治は半ば蚊帳の外に置かれていて、発言を求められれば二言三言、無難な言葉を発するもののそれだけだった。
本来どの程度の人数や規模が妥当なのかはわからないが、貸し会議室には十数名程度の記者、インターネット中継に使われているだろうカメラが二台ほどある。
冴都美らと並んで座る憧治が、自主的にそれらメディアの前で素顔を晒すのは初めてだった。いつものメイクや服装ではなく、サラリーマン時代よりも少し高級なスーツを着込んで、じっと置物のように座っている。
冴都美らと記者達は何をそんなに語ることがあるのか、矢継ぎ早に質問が飛んでは答え、それが途切れる気配はない。質問の内容は憧治の出身地や経歴だったり、また冴都美のそれら、そして動画サイトのコンテンツのことであったり、さらには全く無関係な二人の前職のことだったりした。
傍観者のように漫然とそのやり取りを眺めながら、憧治はぼんやりとこの状況に至った経緯を思い返した。
きっかけは仕事がなくなったことだった。決まっていた憧治達のテレビ出演が相次いで取り止めになり、新規の出演依頼も入ってこなくなった。
それ以上に痛手となったのが、動画サイトでの収益化ができなくなったことだ。コンテンツが不適切との報告があったらしく、暫定的な停止処分からの運営会社による審議が入って、既に半月ほど経っている。
貯蓄はある。当初は二人してほとぼりが冷めるまでの休暇だと割り切っていた。只、社会問題として炎上はしないものの、憧治と憧治の能力を問題視する風潮は依然として消えずにいる。
その日も朝から、暇を持て余している憧治はリビングでぼんやりとテレビ番組を眺めていた。
そこに足音をどかどかと響かせながら、冴都美が週刊誌を片手にリビングにやってくる。
「やるしかないわね」
そう言って、冴都美はテーブルの上に週刊誌を投げ出した。
放られた週刊誌の表紙には、『自殺教唆の疑い? 疑惑の自称超能力者の素性に迫る』と大きく書かれていた。
「やるって、何を?」
「会見よ」
我慢の限界だったのか、決めてからの冴都美の行動はいつものように早かった。弁護士を雇い、会議室を借りて、関係各位に連絡を入れた。
そして現在の、目の前の状況がある。
憧治自身、素性が割れるのは時間の問題だと思っていた。既に会社勤めはしていないので、実生活に大して影響は出ていない。けれど自分の能力について、無用な疑いを掛けられていることは気分が悪かった。
そうして怒りのような、鬱屈した思いを抱えて、憧治は会見に臨んでいた。けれど冴都美と中園の厳命で自ら主張することはできず、加えて目の前で繰り広げられる応酬は憧治の経歴、私生活についてが主であって、超能力については置いてきぼりだ。当初感じていた自身の毒気は、目の前の光景に自然と霧散していた。
「あのですね、これは一体何のための会見なんですか?」
既に何度かマイクを握った女の記者が、溜息が聞こえてきそうな声でそう問い掛けてくる。
「……冒頭にも申し上げたように、昨今の事故と一連の週刊誌報道につきまして、事実のご説明と、今後に関しましては事実に基づいた報道のお願いになります」
中園がそう言うと、即座に「謝罪はないのか!」と周りから罵声が飛んだ。
「そちらの安隈さん、いえ冴都美さんは出演した番組の中で度々、人の可能性という言葉を使われています。先日の子どもの飛び降り事故の件、警察の発表によりますと飛び降りた子どもが同様の言葉を話していたとあります。責任は感じられておりますか?」
女記者は周りの言葉を無視して、言葉を続ける。
「おっしゃられてる意味がわかりかねます」
マイクを持った冴都美が、憧治にだけわかる程度の苛立ちを見せてそう答えた。
「あなた方の言葉に煽られたんじゃないんですか? できもしないことを無責任に。表沙汰になっていないだけで、同様の事例は全国で広がっていると、そういう話をこちらでは聞き及んでいます」
まるでわからず屋の子どもを言い聞かせるかのように、女の記者は丁寧に語る。
だから何だというのだ。世間で事故が増えていることと記者が自分のプライバシーを暴くことに関係はないだろうと、憧治は思った。
記事の、商売の種だ。惜しいとされるほど売り上げに貢献してるとは思えないが、外圧で仕事の制限がされることへの抵抗が大きいのかもしれない。
「事故のことはこちらでも把握しています。しかし、本日のこの場は週刊誌に書かれました記事とその事実確認についてで……」
「テレビの演出の問題なんですか? それは違いますよね。あなた方は自ら動画を作成されているんですから。過剰な演出で!」
中園の言葉を遮って、女記者の言葉が続く。
今までの記事の掲載誌を鑑みれば、この場に集まった記者らが社会派のそういった人ばかりということはありえない。
気炎を上げて質問を重ねる女記者だってそうだ。商売の種に混ざった社会正義のエッセンスに、単に酔っているのではないかと疑ってしまう。
「何度も言いますが、事故が、怪我人が出てるんですよ。意図していないとしても、それでお金を稼いでいて謝罪せずにいるなんて、責任の話じゃないんですよ。人として恥ずかしくないんですか? あんな、ありもしないものを作って見せて」
虚像を暴きたい。その一心だったのかもしれない。只、その言葉は憧治の、霧散していたはずの毒気を瞬時に戻した。
「ありもしないものって、どういう意味ですか?」
思わず発したその声は大きかったようで、一瞬の沈黙と共に皆の注目が憧治に集まった。
「そのままの意味ですよ。昔からありますから、今更詐欺だとは言いませんが」
「詐欺、ですか?」
憧治が問い返すと、隣の冴都美が小声で「ちょっと」と言いながら、長机の下で足を蹴飛ばしてくる。
「だって、そうじゃないですか。まるで超能力が本当にあるみたいに……」
女記者がまだ喋り続ける中、憧治は冴都美を無視して立ち上がると長机を上った。そしてそこから席に座る記者らを見下ろした。当然のように、その両足は机を踏んでいない。
女記者は黙った。
静寂が訪れる。
憧治は静まった会議室の中空を、女記者の席まで歩いていく。
「これが、詐欺ですか?」
机の上から見下ろしながら、女記者に声を掛ける。
「憧治くん、戻って!」
「……本物だからって、だから何なのよ。じ、事故はあって、真似して怪我してる人がいるのよ。あんな危ない真似させて……」
青い顔をしながら、女記者は気丈にも言葉を吐いた。
「安隈さんの行動は法や条例には違反しておりません。勿論、事故については私どもも心を痛めております」
「いいから、席に戻ってよ!」
スピーカーを通して、対照的な二人の声が響いた。
その後のことを憧治はよく覚えていない。只、会見は中園が上手くまとめ上げたようだった。
これまでの報道は憧治の素性を晒すことで、虚像を暴こうとしたのだろう。だがその根幹である超能力が真実で、あの会見が一つの証明の場となれば、それを報じることは憧治達の仕事を手伝うことに他ならない。
事実、あの会見の映像の評価は憧治達がこれまで作成した動画と同じような扱いで、撮影した者達の思惑と違ったのか、早々に他のニュースに埋もれて消えてしまった。あの場での憧治の行動も問題とならず、会見の主旨だった週刊誌報道への抗議は実り、ある号の誌面の端に訂正記事が小さく載って、それっきり憧治達の記事が載ることはなかった。
会見から一か月が経過した。
周囲が変化した一方、憧治達への仕事の依頼は依然としてなかった。動画サイトの運営会社の審議もいまだ終わらずで、思うように状況は好転していない。
その日、憧治は一先ずアルバイトでも探そうかと考え始めて、買い物に出た際に求人情報誌を手にして帰宅した。
そしてリビングでそれを広げて読んでいると、部屋に入ってきた冴都美が近付いてくるなり、それを目敏く見つけて取り上げた。
「憧治くんの力は本物なのよ! それをこんな、こんなことで終わりなんて。なんで、当人の憧治くんがそんななのよ! こんなもの持って帰ってきて! 悔しくないの!? 諦めたの!?」
「う、うん。俺も悔しいよ」
ヒステリックに叫び、求人情報誌を床に叩き付ける冴都美を目にして、憧治はそう言うことしかできなかった。
冴都美は泣いていた。
その泣き顔を見ながら、憧治は自分が何を諦めたのか知りたかった。