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憧治はあれからも冴都美に連れ出されて、休日に同じことを何度か繰り返した。
最初の行動からしてインターネットで話題になったのだから、繰り返せば騒動になるのは当然のこと。
仕事の昼休憩に定食屋で同僚と昼食を取っている時、流れるテレビに目を向ければ、情報番組に仮装した自分の姿が取り上げられていて、憧治はちょうど口に含んでいた味噌汁を吹き出した。
同席した同僚に不審がられたがバレることはなく、それ以降も憧治の日常にこれといって影響は出ていない。けれど時間の問題ではないかと思い始めた頃、冴都美はライブカメラへの映り込みを止めた。その代わりに始めたのが、独自の動画作成と投稿だ。勿論、動画の主体は仮装した憧治で、撮影と編集は冴都美が行った。
動画の内容は今までと変わらない。只、人様の映像に映り込むのと自らで動画を投稿するのはこれまでと全く違った。副次的なものとしては投稿を重ね、閲覧を増やすことで金銭を得られること。そしてそれ以上に大きかったのは、自ら動画投稿するという行為の意味するところが、名乗り出るのと同義ということだった。
その日、憧治は何とか冴都美と都合を合わせて、二人して有給休暇を取った。
そして今、二人がいるのはテレビ局のスタジオ、その前室だった。
「もうすぐ出番なので、そのまま待っててください」
それだけ言うと、慌ただしくスタッフの若い男が部屋を出ていく。
二人だけになって、憧治はようやく口を開く機会を得た。
「どうしよう、冴都美ちゃん。俺、緊張してきちゃったよ」
「落ち着いて。喋るのは私が全部やるから。振りだけはお願いね」
「うん」
「大丈夫。いつも通りやればいいだけなんだから」
そう言って、冴都美は憧治の両手を握った。
忙しさから接する時間が減少していた中、内容はともかく二人で行動する機会が増えて、最近は付き合い始めた頃を思い出して楽しかった。それがこんなことになるなんて、露と知らずにいたのは自分だけなのだろうか。
冴都美に促されて、憧治は立ち上がった。
部屋の鏡に目を向ければ、冴都美と並んで仮装した男が映っている。仮装には慣れても、いつだってその姿には違和感しかなかった。
「そろそろ出番です。お願いしまーす」
その声に、二人は部屋を出た。
仮装し、素顔を隠した男の隣にパンツスーツ姿の女が控えている。通訳なのだろう。近くに並ぶ番組出演者達が発言する度、女は男の耳元に口を寄せて、その言葉を伝えていく。その様子をカメラは逐一捉えていた。
『これって、本当に手品じゃないんですか?』
その言葉に、仮装の男が通訳の女の耳元に顔を寄せる。
『彼は、あなたも一緒に飛ぶことができると、そう言っています』
通訳がそう言うと、スタジオに歓声が起こった。
『それではゲストの諸谷さん、どうぞ前に!』
『えっと、それじゃあお願いします』
諸谷と呼ばれた女の手を仮装の男が握り、一歩踏み出す。
それに諸谷が続き、二人はごく自然と宙を踏んだ。
『え、これまじなの!?』
『私、サクラじゃないですよ!』
『あの、え、これ、ホントにどうなってるんですか!?』
周りが騒ぎ続ける中、男はさらに踏み出して諸谷が続く。それが繰り返されると、二人は階段を上るようにスタジオの天井まで辿り着いた。
『ちょっと! やりすぎですよ!』
司会者の言葉にすごすごと降りてきて、その後は興奮の冷めていない諸谷が上気した顔で二、三の感想を述べてから、仮想した男と通訳の女は退場した。
自宅のリビングで、憧治は冴都美と二人でそのテレビ番組を見ていた。
流れた番組が面白いか面白くないかで問われたら、正直面白くはなかった。けれど映像のインパクトだけはあった。何しろあの場で行われたそれは本物なのだ。合成にはないリアリティが伝わってくるように感じられたのは、実演したあの男が自分だからなのだろうか。
「悪くはなかったわね」
微妙な感想を口にして、冴都美は憧治に向き直る。
「これから忙しくなるわ」
そしてそう言うと、にやりと笑った。
憧治達のテレビ出演は、その後も続いた。
出演は超能力特番の端役であったり、世界やインターネットから集めた映像を紹介する番組のコーナー出演であったり、またはそれら番組で取り上げる映像としての出演だったりした。
その都度、憧治は有給休暇を申請した。会社には苦い顔をされる、日数もまだ年度を半年も残しているのに使い切りそうで、及び腰にはなっている。しかし冴都美はすっかりこれを仕事に、本腰を入れていた。いつの間にか相談もなく勤め先を退職して、遠回しに憧治にも退職を促してくる。辟易してはいるのだが、止まぬ圧力と積み上がる銀行通帳の残高に、決断は時間の問題だった。
またテレビ出演を重ねていけば、顔を知られていくのは当然のこと。仮装した憧治に実感はなかったが、冴都美は実生活に影響が出始めたようで、これを機に念願だった新居に、新築のタワーマンションへと引っ越した。
広くなった部屋、そして金銭的余裕が加われば、憧治の子どもに対する期待は否応なしに高まっていく。けれど生憎と冴都美はこれで一層仕事に集中できると意気込んでいて、憧治の望みなど歯牙にもかけていないようだった。
そんな日々が半年ほど続き、新しい年度へと変わった頃、さらなる転機が突然訪れた。
本物は違う。何がと問われれば、その使い勝手だ。場所と時を選ばない。リクエストに応えることは苦にならず、その結果として憧治達のテレビ出演は増えていく。
そうして動画投稿からテレビ出演へと軸足を移して迎えた春の番組改編期。仕事の予定が埋まっていく状況に、冴都美は忙しさに目を回しながらも張り切った様子を見せていた。一方、職場を退職した憧治は今までの安定した生活を捨てたことで、そこはかとないプレッシャーが常日頃付き纏ってくるのを感じていた。
二人での時間は日常となった。その日の朝も、テレビからニュース番組を流しながら二人は食事をしていた。
昔は聞き流していたニュース番組。その業界に関わるようになってから、意識が目の前の皿に鎮座するトーストに十割傾けられることはなくなった。
「え……」
その声はどちらのものだったか。
テレビの画面は何処かの学校の校舎を映している。その校舎に注目すべき点はない。だが、校舎を背後に表示される字幕、そして流れるニュースキャスターの声に、二人の目はテレビに釘付けになっていた。
『――。SNS上で検証と謳った投稿や、動画サイトには実践した映像がアップロードされています。しかしこれらのほとんどが管理者によって誤解を招くものとして削除されています。利用されている方々に対して広く注意喚起もなされておりますので、視聴者の皆様においても、くれぐれも真似をしないようにお気を付けください。それでは次のニュースです』
すぐに次のトピックに移ったことから、そんなに大層なニュースではなかったのかもしれない。けれど憧治は胸に嫌な予感が広がった。そしてそれは対面に座った冴都美もきっと同じだ。
人が、子どもが高所から飛び降りたのだ。学校やマンションから。それも何人も。大怪我を負った者はいるものの、幸いなことに死者は出ていない。
テレビのニュースは空中浮遊を扱う動画などについてだけ触れて、それ以上の誰の何がとは触れていなかった。けれどこの話題で皆が憧治の能力について想像すると思うのは、憧治の自意識過剰ではないはずだ。
その考えを肯定するように、冴都美の目がテレビの画面から離れて憧治に向けられる。
そうして二人の視線が交わされた時、リビングにどちらかの携帯端末の着信音がけたたましく響いた。