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『隣人』

後悔

作者: 鈴木

 イカれた人間だということは分かっていた。

 人殺しに耽溺する異常者。

 それでも、最初は純粋に愛情に起因する復讐だったと、何故か妙に気持ちが凪いで冷静になると当人の言う明け方のベッドの上で、訥々と語っていたのを女は思い出す。



 晩年は酒とギャンブルに溺れ、母親を苦しめるばかりだった父親の仇討ち。

 父親の一生全てが堕落し切っていたのであれば、あの男も復讐などしなかったという。

 ただ、まだ幼少であった頃は、子煩悩で妻思いの勤勉な人間だった。

 父親の汗水たらして働く様にごく自然な尊敬の念を抱き、休日は一日中、幼い男の相手をして過ごした。

 ささやかな、けれどこの上ない幸福な日々だった。

 その記憶がいつまでも薄れることなく男の脳裏にあったが為に、父親の無残な遺体に対面した時、復讐を誓わずにはいられなかったと、男は空虚な表情で語った。

 たとえ、父親の自業自得、酔った勢いの殺人の報いであったとしても、男にとってはかけがえのない存在だった。


 それが何をどう間違ったのか。

 或は元より素養があったのか。

 男はたった一度の殺人で、かつて味わったことのない高揚、陶酔を得た。

 得てしまった。


 忘れがたいその甘美。

 復讐という目的を果たした後も求めずにはいられなくなった。

 人の肉を貫き、切り裂き、抉り、のたうち回る様を眺めて、悲鳴、叫換、断末魔の声に聴覚で酔う。


 そううっとりと語る姿は、流石に女も寒さからとは異なる鳥肌で両腕を摩らずにはいられなかった。

 男にしてみれば失礼だろう女のその挙動を見ても、男は不気味に薄っすらと笑うだけで機嫌を損ねることはなかったが、それがまた、尚更女には恐ろしかった。


 けれど、己には理解し難い、それも倫理観の破綻した嗜好を持つ男を、男との縁を、女はどうしても断ち切れなかった。


 愛していたから?


 分からない。


 女は愛情というものがどのようなものであるかを知らない。


 物心ついてからこのかた、他者からの愛情を実感したことなど一度もなかった。

 ただ、男に対して自身が抱く、得体の知れない執着は自覚していた。

 男の死を聞き、遺体(からだ)を確かめ、沸々と殺害者を憎む激しい感情がわき上がってくるのを抑えられなかった。


 方々伝手を頼って仇に辿り着き、振り上げたナイフを下ろすことに躊躇いはなかった。

 少なくとも最初は。


 初手の一撃を外したのはただの偶然でしかなかった。

 仇が絶妙としか言えないタイミングでよろけた為に外した。

 それが女にとっては不幸な――不幸と思わずにはやりきれない失敗だった。

 仇の虚ろな目、無気力に座り込む姿を目の当たりにして、復讐に完全には酔えない至って凡庸な思考の女は、もう一度振り上げた手を下ろせなくなってしまった。



 復讐を果たせなかったことを、女は後悔した。

 何度も何度も。

 けれど、もう一度仇と対峙して、今度こそは復讐出来るかと問われれば、出来ないと答えるしかない自身の矛盾も承知していた。

 治まらない後悔の念。

 その感情と折り合いをつける為に利用したのが、仇が未だ生きている、その気になればいつでも復讐出来るという現実、慰めだった。



 ――――それなのに。



「…………ど、う……して……」


 路地裏に無造作に打ち捨てられていた死体は、紛れもなく女の仇の男だった。


  酔っ払いに袋叩きにされたらしいよ。

  打ち所が悪かったんだろう。


 そんな見物人達の囁きも、呆然と立ち尽くす女の耳には届いていなかった。


「…………」


 周囲のざわめきは遠く、独り虚無の地平に投げ出された女は、あ、あ、と短い声を零した後、


「―――――――――――――――――!!!」


 言葉にならない奇声を厚い黒雲(こくむ)の垂れ込める天へ向けて放った。


 長く長く尾を引くその声は聞く者の狂気と恐怖とを掻き立て、嫌悪も露わに野次馬達が一人二人と立ち去って、死体と女以外には誰もいなくなっても終わることなく放たれ続けた。


 女には、もはや己が何をしているのかの自覚もなかった。









覚書

抜け殻の男 ロアンラル・レッゼマイテ

快楽殺人者 ヴィンヒメルヒ・ルミカウィセ

上記の愛人 ビュディラ・レドセノギ


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