トゥルゴヴィシュテの戦い
完全に漆黒の夜の帳が降りた折————
突如、松明を持った騎兵の縦列が
トルコ軍の野営地を蹂躙する。
黒き夜風を切って疾駆する
ワラキア軍の騎兵隊は持っていた
松明を野営地のテントに投げ込み、
周囲を火の海に変えていく。
本来は黒い静寂の夜の世界が、
一瞬にして騒がしい地獄へと
様変わりするのであった。
「て、敵襲!」
「奴ら陣に火を放ってきた!」
「おい、なんかナイフとフォークを持ってるぞ!」
ようやく敵の奇襲に気が付いた伝令が
慌てふためき全軍の総司令官たる
ファーティフの天幕へと
死に物狂いで駆けていく。
「ええい、何事デス!?」
「ワラキア軍の夜襲でございます!
一先ず、お引き下さい危険です!」
「ふっ、大魔王も往生際が悪い。
書のない奴に何ができるのデス」
「それが、猫と猿の悪魔を
引き連れておりまして……」
伝令の言葉にテントの片隅で沈黙を
保っていた『漆黒の騎士』が、
意味深に口を開く。
「……猫と猿?
それは気を引き締めて
掛からないといけないネェw」
直後、皇帝の天幕が引き裂かれ、
ドラクル、猫と猿、妖精、覆面、
少女の一団がなだれ込んでくる。
「なんだ!?
そのナイフとフォぶひゃアア!」
そのまま哀れな伝令の後頭部を
イートニャンが踏みつけ、
ファーティフ皇帝を睨む。
ここまで敵に肉薄されたという事は、
帝国の誇る歩兵部隊の奮戦も虚しく
突破されてしまった事を意味する。
「……貴様は何デス!?」
取り憑いていた
ファーティフから赤い鴉のような悪魔が、
思わず抜け出して本体の姿を現す。
「イートニャンです★」
「それ誰!? オゴアァァデェェェス!」
ナイフとフォークを握った黒猫が、
いきなり無拍子の
先制攻撃を仕掛け
鴉の悪魔は抵抗する間もなく絶命し、
赤い液状と化すのであった。
「あんもぉ酸っぱ(>_<)」
出来上がったイートニャン式
トマトジュースをゴクゴクと
飲み干すと同時に、
ファーティフのターバンの中から、
赤い石が転がり落ちる。
どうやら、今回の龍石らしい。
「……さすがはバカ博士。
72柱のハルパス殿を一瞬で倒すとは。
その奇襲の汚さは爆笑に価するよ」
「そこかッ!」
悟空が暗闇の一隅目がけて
如意棒を叩きつける。
天幕の一隅の影が揺らめき、
剣の鞘で如意棒の一撃を
受け止めた仮面の騎士が、
闇の中から現れる。
「……何者だ?
その手にあるのは余の
ネクロノミコンではないか!」
「てめぇか、フェノのフリして、
ドラクルのおっさんをハメたのは」
「ちょーーっと、待った!!」
「あら、いまさら命乞いは
見苦しいわよ、グシオンちゃん☆」
イートニャンがナイフとフォークを
構えるものの、グシオンは話を続ける。
「キミ達は、仮面と覆面の
違いを知っているかい?」
「あぁん……?」
悟空が如意棒をグシオンに向け、
殺気を放ちながら相槌を打つ。
「仮面とは、かりそめの
素顔でしかないけれど、
感情を持った顔なわけ」
「ふむふむ☆
それでそれで?」
「しかし覆面は表情そのものを
覆い隠してしまうからねぇ。
悪人が犯罪をする時、素顔を
見られまいと覆面をするだろ?
だから、そいつは仮面の僕
以上に疚しいのさ」
「ふむふむ☆
論点をすり替えるなw」
「すり替えてないよぉ。
なぜかそいつは君らどころか、
僕の『正体』まで知っている。
ハッキリ言って、フェノメノンは、
誰の味方でも無いんだって。
そこに早く気付きなさい!」
「いや、気付くもなにも、
なんなのその弁明?
他人のパクった書を持ちながら
力説なんかしちゃってさぁ」
グシオンの悪意ある挑発に
イートニャンがこたえると、
静かに話を聞いていたドラクルが
力強く紅蓮の眼を見開く。
「臭くて見てられんな。
貴様は仮面という言葉を
免罪符にするな、余を騙しおって!」
「いいから、
さっさと返してやれやw」
ドラクルが自らの血液で
両手剣を作り出し、
それを振り上げると、悟空が
すかさず如意棒を伸ばす。
しかしグシオンは
二人の攻撃をかわすと同時に、
時空の間をこじ開け素早く入り込む。
「うーん、
バカに説法だったかー。
ま、だまされるほうも
アホだと思うけどねぇ?
吸血鬼のおじ様を
葬るのは失敗したけど、
ネクロノミコンを
奪えたから良しとするよ」
異空間から、おちょくるように
半身を覗かせたグシオンが
ドラクル卿を嘲笑い、
時空の彼方へと消えていく。
「おのれ、逃がしたか……」
そして夜が明け、ハルパスの支配から
解放されたファーティフ皇帝は、
トルコ軍を撤退させた。
ドラクルの考案した
夜襲と火計の合わせ技が
敵のトルコ軍に恐怖を与え、
この国を攻略するには
多大の損失を被らざるを得ない。
と、敵軍に認識させる結果、
圧倒的大軍であるはずの
トルコ軍の士気を挫き、
ワラキアを侵略せんと欲する
ファーティフ皇帝の野心までも挫く
というドラクルの目論見は
見事成功した形となった。
ドラクルは敵軍が去った
トゥルゴヴィシュテの城下を
宮殿のベランダから眺め、
祖国の存続を目に焼き付けると、
朝日を背にし、何かを
決意したかのように
イートニャンらへと向き直る。
「……先日の非礼、
貴様らにお詫びをしたい」
「それはもう気にするな」
フェノメノンは初めから最後まで、
そっけない塩対応であった。
続いて仲間内でもっとも
敵対的だったホムンクルスも、
フェノメノンに対して
バツの悪そうに頭を下げる。
「疑った事は、謝りますよ。
しかし、あなたが僕達の敵ではないと
決まった訳ではありませんからねぇ?」
「……それでいい。
その姿勢で皆を守るのが、お前の役目だ」
フェノメノンが呟いてみせると、
相変わらず得体のしれない人物だ、
とホムンクルスが毒気を抜かれる。
そして仲間内の仲直りも済んだという事で、
今度はドラクルがイートニャンらへ歩み出る。
「罪滅ぼしと言ってはなんだが、
ネクロノミコンを取り戻すまでは
余の力を、貴様らに貸そうではないか」
「え!?
あんた、ワラキアの統治は
どうすんのよ☆」
「……フン、こんな緊急事態が、
いつかおこるであろうかと
影武者をつくっておいたのだ」
宮殿の部屋の影から
ドラクルそっくりの眷属が、
ひょっこり顔を出す。
ドラクルが金色の髪色に対し
影武者の髪色は黒髪であり、
のちに、この黒髪の影武者が
ドラキュラ公の名で有名に
なるのであった。
「とんでもねぇ仲間が増えたなこりゃ」
「ま、ドラクル公の長きに
わたる闘いの経験は、今後の
僕たちの戦術指針として
役に立ってくれるでしょ?」
「……そうね。
組織でも把握してない魔術を
たくさん持ってるようですし」
「残念だが、秘伝書がない今の余には、
魔術の源である赤い血が必要なのである。
仲間になった証として少々レディに
分けてもらいたいのだが?」
ドラクルが笑みを浮かべ八百の肩を叩く。
口からは吸血鬼のシンボルでもある
凶悪そうな犬歯が朝日を浴びて
白い刃のようにキラキラ光り、
八百の顔を映し出している。
「わかりました、
少しお待ち下さい(>_<)」
このあと現代に戻り
通販でトマトジュースを
ヴァカ博士名義で滅茶苦茶
発注した八百であった。