幕末
『力が弱まりつつある』
それまで私の奥底に
押し込められていたモノが、
染み出すようにじわりと露出していくと、
華奢だったこの体が、
ごつごつとした異形の鱗と
筋肉の鎧をまとう。
ヴェパール————
古より伝えられし
72の悪魔の一匹。
私は千年以上前に稚魚の姿の
こいつを食べてしまい、
腐れ縁が今も続いている。
『これ以上、私の体から
醜悪な姿を出すな』
私は精一杯意識を昂らせ、
奴の意識を押しのける。
「おい……
今は八百子の方なんだよな?」
振り返ると心配そうな
顔を浮かべた男が一人、
背後にたたずんでいた。
ジョン万次郎。
私と同じくもとは
日本の小さな漁村の生まれで、
海での漂流からアメリカの船に
救助された事をきっかけに
そのまま渡米。
以降、万次郎は
数奇な運命の巡り合わせで、
組織のアメリカ支部の目に留まり
その腕を見込まれスカウトされる。
彼が私の前に現れたという事は、
次に討伐する眷属の仕事の依頼だろうが、
それにしては、やけに落ち着かない反面、
妙に嬉しそうでもある。
「本部からの朗報だ。
お前の忌まわしきものが
克服できるかもしれんぜ」
「どういうこと?」
「聞いたことがあるだろ。
魔を征する力がついに
完成したらしい」
プロトゴエティア—————
組織が極秘裏に開発を
進めていた秘伝書である。
これまで歴代の組織の同志たちが戦い、
あるいは見聞きし集めた悪魔たちの
情報を網羅した秘伝書、
この書は72の悪魔を
引き寄せるらしい。
「詳しくスペックを
説明するとだな……」
万次郎が興奮気味に
饒舌になってみせる。
無理もない。
今は悪魔を倒す術のない組織が、
気の長くなる多大な年月と労力、資金、
そして何人もの犠牲を払って
得た偉大な一歩なのだ。
「————とまぁ、
人の手で倒す事のできなかった、
悪魔そのものを完全に滅ぼす
手がかりが見つかるかもしれない」
私が晴れやかに顔を上げると、
万次郎も拳に力を込めてみせる。
「これで八百子が研究に協力してくれれば、
いずれお前も、自分自身を取り戻せるぞ!」
「……組織はその秘伝書で私を
人体実験のために利用するつもりなのね」
万次郎は気分が高揚して
つい口が滑ってしまったとばかりに、
バツの悪そうに固まってみせる。
私の遁甲術の師である晴明様は、
魔に乗っ取られないよう
強い守護の力を込めてくれた。
しかしその守護の力も
永遠の命を持った奴に侵食され、
年々私がヴェパールを
制御できる事は少なくなってきた。
このままでは私の肉体も
自我も乗っ取られる日は
遠くないのだろう。
「これは研究の進展で
出てきた仮説なんだがな、
お前がそんな体になったのは、
とんでもない介入があるらしい」
不安と期待が入り混じる中、
私は釈然とせず万次郎の顔に目を移す。
「悪魔は種から生まれる。
その種は自然界にあるどんな種とも
違う人為的に作られた種らしい。
ならその種を蒔いた奴がいるはずなんだ。
でもなぁ、今の人間の科学で
そんな事をできるとも思えん。
遥か未来にそんなバカげた発明を
する奴がいるとも限らないがな」
これまで悪魔の正体と
その起源を解明する目論見は、
倒す方法同様に熱心に研究され続けてきた。
宗教学、歴史学、解剖学、
考古学、植物学、生物学、物理学—————
その正体の解明に、
歴代の組織の学者、
魔術師たちは血眼になった。
しかし努力を
嘲笑うかのように
悪魔の正体については、
ほんの僅かな手がかりさえ
見つからなかったのだ。
未だ現在の人類の
文明の叡智をもってしても、
72の悪魔の存在は
雲を掴むようなものであった。
万次郎の話によると、
各時代において悪魔が
種から生まれる際、
組織は世界各地の歴史的文献から、
白衣にもじゃもじゃ頭の
丸眼鏡の不審人物が、常に
そこにいたという記録を
突き止めたと言う。
その不審人物こそが
悪魔の種をバラまいているのでは?
という推測が立てられたらしい。
「それじゃ悪魔は未来の
人類が生み出したってこと?」
「ま、あくまで仮説だぜ……」
単なる与太話ではないと
万次郎も思っているのだろう。
それでもこんな突飛な話は、
悪魔の存在以上に質が悪いと
私だって戸惑っている。
「話が反れちまったな、
今日はそのプロトゴエティアを受け取るため、
俺とちょっくら一緒に来てほしいんだ」
万次郎は懐から写真を
一枚取り出し私に見せる。
黒い羽織を着た色白の線の細い
若い男の上半身が映ったものであった。
この男に私は見覚えがある。
万次郎同様、
組織の一員で
名は坂本龍馬……
写真と言う技術が日本に
もたらされてからというもの、
自身の写真を名刺代わりに
配る人も多くなった。
この龍馬の上半身が映った写真も
その新しい時代の慣例と言える。
写真の裏側にはプロトゴエティアを
受け取る場所の地図と、そこで
龍馬が待っている建物の名前が記されていた。




