面白い物語の書き方の基礎
読み専の方は、このテキストは読まないほうが良いかと思います。
『小説家になろう』であまり見かけないので、創作初心者向けに、ハリウッド系の創作技法を自分なりの言葉と解釈でまとめてみました。
あくまでも簡単に、かつ僕の把握で書きますので、ちゃんと勉強したい方はご自分で別途しっかり勉強されることをお勧めします。
1.行って帰る物語
物語は「日常」からスタートして、「非日常」へと旅立ち、「日常」に帰ってきます。
このとき「日常」とは安心、安定、安全、落ち着いている状態を指します。
一方の「非日常」とは、不安、不安定、危険、ハラハラドキドキする状態を指します。
すなわち、安心→不安→安心というのが「行って帰る物語」の基本構造であり、必ずしも物理的な移動だけを意味するものではありません。
2.欠如と回復
物語の主人公(あるいは物語そのもの)は、物語の開始時点で何かが「欠如」していて、満たされていない状態です。
この「欠如」を埋め合わせるために、主人公は「日常」から「非日常」へと旅立ちます。
例えば、現実社会においてニートで引きこもりで鬱屈した人生を送っている主人公というのは、まったく満たされていない「欠如」の状態です。
もし彼が異世界に行くなどして、社会的地位と充実した人生を手に入れる過程を描けば、これは「欠如と回復」の物語になります。
なお、このときの「欠如」とは、「主人公にとって真に必要なもの」というような深いものではなく、「主人公が表面的に欲求しているもの」といったニュアンスで捉えるべきと、僕は考えています。
(「真に必要なもの」というような深層の欠如に関しては、4番目に説明する「変化(成長)」で扱うべきものと解釈します)
何か主人公にとって足りないものがあり、それを欲求することが主人公の行動動機となり、それが物語を牽引するのだという解釈です。
足りないもの、欲求しているものは、社会的地位でも、お金でも、女の子にモテたいでも、何でも構いません。
ただし、読者が共感し、感情移入できるものである必要があります。
3.障害(対立)
物語の主人公が欠如を回復するまでの過程、及び、行って帰るまでの過程には、何らかの障害(あるいは何者かとの対立)が存在します。
この障害を乗り越えようと模索し、葛藤し、闘争する過程が、物語の基幹部分となります。
一般には、この障害は大きければ大きいほど良い、主人公は徹底的にいじめ抜け、そうしたほうが物語は面白くなると説かれます。
ですが、小説家になろうの読者や近年のライトノベル読者の多くは、そうしたストレスの大きな展開を顕著に嫌う傾向があるようですので、その点には注意が必要です。
4.変化(成長)
物語を終えたとき、主人公は物語開始当初と比べて、何らかの(内面的な)変化や成長をしています。
これは物語の過程で、主人公が何らかの「自分を変える」という選択をしたか、それを余儀なくされたか、あるいは自然とそうなったということを意味します。
逆に言えば、物語の根幹を生み出す障害(対立)は、主人公に何らかの変化を強いるほどのものでなければなりません。
例えば、毎日家でぐうたらしていた主人公が、ある日突然異世界に飛ばされて一年間の異世界サバイバル生活を余儀なくされたら、一年後の主人公は、否応なく一年前の彼とは別人のようになっているでしょう。
これは「一年間の異世界サバイバル生活」という「障害」に主人公が立ち向かうことによって生じた物語が、主人公の内面に「変化(成長)」を与えたのだということになります。
さて最後に。
僕には、これを読んだ創作初心者に、勘違いをしてほしくないと思うことがあります。
それは、上記の4項目をすべて満たしていることが、面白い物語の要件である「というわけではない」ということです。
上記の技法は、おそらくはハリウッド映画業界から生まれた、一つの「型」にすぎません。
いわば、小説家になろうで蔓延しているものとは別種の、より広く創作業界で信じられている一つの「テンプレート」であるということです。
でも、これに則っていない物語が、必ず面白くないわけではありません。
読者が読んで面白いと思ったものこそが、その読者にとっての、面白い物語です。
そして、『小説家になろう』においては、上記の型にしっかりと則った小説というのは、おそらくはさほど評価が高くなりません。
個人的な体感では、1と2に関しては十分通用するものの、3と4を徹底することに関しては、逆にマイナスになるとすら感じています。
(ただし大ストレス型でも、『Re:ゼロ』を筆頭として例外的に大ヒットした作品もあるので、絶対に通らないというわけでもないかと思います)
また4に関しては、精神的な成長に限らず、主人公の能力的あるいは環境的な成長と見れば、妥当するとも思えます。
特に連載型のファンタジー物語では、主人公が一つのエピソードで「行って帰って」きても何一つ新しいものを得ていないようでは、読者が満足する物語にはなりにくいと思います。
このあたりは、『荒木飛呂彦の漫画術』にある「主人公は常にプラスの法則」を押さえておくべきでしょう。
いずれにせよ、「王道の物語を楽しめない読者は低俗だ」といった類の議論は、控えめに言っても蒙昧極まりないので、僕らは「王道という権威」に囚われずに、「面白い」ということをもっとニュートラルかつ真摯に見つめてゆくべきかと考えます。
ただ、「型を知って、型と違うことをするのが型破り。型を知らないのは型無し」というのも、創作の勉強をしているとよく聞く話です。
型を勉強しないのは、型破りでなく単なる不勉強ですので、型というものは、実用レベルで把握しておいて損はないかと思います。