風花 夜子は恋に身投げする。
「風花さん、おはよう。」
真昼さん以外誰も居ないことを必死で祈ってドアを開けたのに、保健室にはすでに先客がいた。
振り返って華やかな笑みを溢れさせる真昼さんに対して、
一年生のその男子は私に気付くと居心地悪そうに挙動不審になり、
真昼さんのデスクに置かれた白い一片のメモ用紙を、大切な宝物の様に丁重に、しかし急いでポケットにしまう。
「じゃあ、またね。」
軽く一礼してから逃げるように出ていく彼の後ろ姿に、余裕綽々と言った感じで片手を上げる真昼さん。
「ふーっ」と軽い溜息を吐いて、お気に入りの白いカップに手を伸ばし愛飲している林檎の紅茶を一口飲む。
そして、思い出したように傍らに置いていた眼鏡をかけた。
眼鏡を外すようなことをしていたのかと邪推して、私は一気に落ち込む。
その上真昼さんは、また自分の携帯番号を男性に渡したんだ。
「ここにいること、山本せんせに連絡する?」
私を向かいの椅子に座らせてから、校内用の固定電話を指して、
今までこの空間で交わされていたことなど無かったかのように真昼さんは私に話しかける。
まるで、誰も居なかったかのように。
――絶対に、私が気付いていることを解っているはずなのに、いつもそう。
どんな人に対しても"あなたには関係ないでしょう"と、すました顔を見せるのが真昼さんなのだ。
確かに関係ない、どこで何をしようと、それは大人の、先生の勝手で、
私が知っている事全部を伯父さんに訴えて、この人を退職に追い込もうとも
痛くも痒くも、ダメージは一切ない、と一蹴されるに違いない。
全てを達観しているクセに、他人に執着心を抱いてるように振る舞う悪女。
男なら教師も生徒も外部からの配送業者でさえも虜にし、魅力的だと評するだろう。
だけど学校中の女、90%以上に嫌われている保健室の先生。
なのに、私はこの人に酔ってしまった。
――女なのに。
普通のヒトよりハードルが高い恋なのに
夢中になるな、なるなと念じていたハズがどんどん深みにはまってしまって、
もう戻れない。
ずっと誰にも言えずに、
他の男の様に、その先を期待して気持ちを告げることも出来なくて、
身体の内部を毒が浸透するように、真昼さんを求めていた。
「……今日は、ちゃんと一限から授業する。」
私が落ち込みながら告げると、彼女は花が開くように笑ってくれる。
「嬉しい。」
「ま、ひるさん……木蓮ちゃんは最近どう?」
本当は、もっと言いたいことがあったけど、登校中の道で沢山考えてきたことがあったけど、
こんな退屈なことしか言えない自分にガックリくる。
私は、デスクに置かれたペン立てに刺さった、変なキャラクター付きのボールペンを見つめた。
こんなの真昼さんのシュミじゃない、だから多分誰かからの軽い贈り物なのだ。
もしかしたら先ほどの一年生からかもしれない。
私も何か真昼さんにあげたい。でも、何を?
――消しゴム……?
こんな貧困な発想、ほんとに馬鹿みたい。
「もくもく?元気だねぇ。
最近はイサキが美味しいから、グリルで焼いて一緒に食べてる。
……ほんとはダメかな?」
木蓮(通称もくもく)、というのは真昼さんのペット。
毛並みが美しくて、金色の眼をした、ご主人様そっくりの白い猫だった。
「……風花さんは、どう?」
真昼さんの問いかけに私は頭の中をフル回転させて、
機転の利いたことを言いたいと考えを巡らせた。
あ、そうだ。
「えっと、写真部のお手伝いをすることになったんだよ。」
「モデルさんになるの?」
「え、違うよ、そんなの無理無理!!!
私はただのお手伝いで、晴ちゃんと、キコが撮られる側!」
私は体の横で両手の平をバタつかせた。
真昼さんは、ええ…と意外そうな顔をして
「そっか、美野和さんと、ブラックフォードさんなら良いものが撮れそう。」と言った。
自分の友人が、尊敬する大人に褒めてもらえるのは最高に気分がいい。
私自身が褒められるよりも、誇らしいかもしれない。
「今度の文化祭で、パネルにして展示するんだって。
写真雑誌のコンクールにも出せたらって、部長は言ってたよ。」
「ああ、早坂くんね。彼、いい写真撮るから見るの楽しみ。」
私が言うと、真昼さんは笑って答える。
そう言えば、先の小冊子には真昼さんの写真も載っていた。
キコや他の女性がそうであったような隠し撮りではなく、カメラ目線で儚く微笑むそのページは、
切り取って学生証が入っているパスケースにコッソリ忍ばせている。
心臓の辺りが、また凍ったみたいにキンと痛んだ。