白雪姫
あるところに、白雪という、それはそれは綺麗なお姫様が居りました。白雪は、心優しく慈悲深い、まるで女神のようなお方でした。
その隣国には、美月という、たいそう綺麗なお姫様が居らっしゃったそうです。美月はとても我が儘で、皆が美月をこの世で一番綺麗だと良い続けるものだから、美月は自分がこの世で一番美しいと思っていました。
ある日、隣国の殿様の元へ、殿様は白雪を連れて出掛けることにしました。いつもは家来と殿様だけで出掛けていたのですが、隣国の殿様にも、白雪と同じ年の娘がいると聞いて、また、白雪の良い経験になるだろうとお考えになって、初めて白雪を連れていきました。
美月はどんな娘がやって来るのか楽しみでありました。しかしそれは、やって来る娘が自分よりもどれ程不細工なのだろうと思って、自分がどれ程綺麗か見せつけてやれるだろうと思っていたからで御座いました。
白雪が美月と対面したとき、二人は相手の顔や立ち振舞いを見て、なんと綺麗なことだろうと感じました。美月は彼女の顔に嫉妬するほどでした。白雪が帰った後、彼女は自分の醜さがあらわにされたような気がして、ひどく怒り、その夜眠ることが出来ませんでした。
次の日の朝、彼女は家来たちに向かって尋ねました。
「この世で一番美しいのは誰じゃ!」
毎日のように尋ねられてきた家来達は、こう答えます。
「皆が仰せのとおり、それは美月姫でございます。」
しかし、今日は違いました。家来たちは吃るばかりで、誰一人として、はっきりと応えるものはいませんでした。
美月は家来たちに向かって、なおも尋ね続けます。何度も、何度も尋ねますが、それでも応えてはくれませんでした。美月は遂に怒って暴れ回ります。家来は一日中宥めなければなりませんでした。夜になって、美月は家来たちにお願いすることにしました。
「白雪を二度と見れないように、毒を盛ってきてほしい。」
家来たちはそれこそ驚いて、美月を諭しますが、彼女は聞く耳を持ちません。夜になっても、頭の中は白雪のことでいっぱいでした。
丑三つ時になったころ、一人の家来が部屋にやってきました。彼女は気が立っていましたが、真夜中でしたから、妖しげな存在ではないかと怖くなりましたが、声をかけられると、聞いたことのある声でしたので、怪異の類いではないと安心して聞くことが出来ました。
「何者じゃ」と訊くと轟と名乗ります。それもやはり聞いたことのある姓でしたので、さらに安心して聞くことにしました。
「何用じゃ」
「私めなら、姫の要望を叶えられます」
「……本当かっ!」
美月は、跳び起きてしまいそうになったところを、すんでの所で押しとどめます。白雪の立ち振る舞いが頭を過ぎったからでした。ですので、声は平静を装って、「どうやってやるのだ」と訊きました。轟と名乗る声は「呪術です。二度と動けなくしてやりましょう」と応えます。美月は、呪術のことなど露ほども知りませんから、快く「頼みますわよ」とだけ言い、やっとのことで眠りにつくことが出来ました。
*
白雪は城に戻るとすぐに、体調がすぐれないの、とだけ言ってご飯も食べず床に伏してしまいました。家来たちは心配しましたが、白雪は、一晩眠れば良くなるでしょうから、安心してください、と言います。
「明日の朝、朝の食事の用意が出来ましたら、私を起こしに来て下さいな。きっとこの怠さはなくなっているでしょうから。」
白雪は深い眠りに落ちていきました。
姫がそこまで言うのなら、今日は様子を見よう。明日も体調がすぐれないようだったら、医者に診てもらおう。家来たちは心配しながらも、それぞれ眠りにつきました。
次の日の朝、もっとも年少の空次郎が、「食事の準備が出来た、と姫を起こしにいってこい」と言われて、姫様の元へ向かいました。姫様の側近は皆、姫様の体調が良くなるような食事の準備で、手が離せなかったからです。空次郎は姫様に、弟のように可愛がられていたのですが、寝室に入るのは初めてのことでした。そのため、誰の目にも明らかなくらい緊張していました。
「姫様……朝でございます」
そっと襖を開け、ゆっくりと近づいていきました。そして、その顔を見て、悲鳴を上げてしまいました。白雪の顔は蒼白よりも青で、その姿は死に体そのものであったからです。
悲鳴を聞き、近くにいた人々が何事かと集まってきます。そして、白雪の顔を見て、皆それに負けないくらい青くなってしまいます。さらに恐ろしいのは、空次郎が城中に響く声で叫んだというのに、ぴくりともしないのです。家来たちは、白雪が死んでしまったと嘆きましたが、年老いた家来が、白雪は息をしていると述べました。
しかしながら、昼を過ぎても目を覚ましません。食事の後、家来たちに連れられて、殿やお妃様もやってきました。そして、それからずっと見守っているのですが、目を覚ます気配すらありません。医者にも診てもらいましたが、躰が死人のように冷たいこと、目を覚まさないこと、これ以外は正常だ、悪いところなど見当たらないと言います。
もう夜になろうかというときに、白雪はゆっくりと目を開けました。そこにいた全員が歓喜の声をあげました。白雪は、辺りを見回して、これはどうしたことかと驚いているようでした。
「姫様……」
彼らは事情を余すところなく話しました。聞いている間、白雪は沈黙しておりました。聞き終えてからやっと、白雪は口を開きました。その声はひどくか細く、弱々しいものだったので、耳をすまして聞かなければ聞こえませんでした。
「そうだったのですか……」
白雪はそれだけ言って、再び眠りについてしまいました。それから毎日、黄昏時のほんの少しの時間だけ、白雪は目を覚ますようになりました。
*
白雪が帰ってから一ヶ月たったある日、美月は、父親に白雪の城に行こうと提案されました。白雪が不可思議な病におかされていると、隣国の殿様の元へも伝わってきたのです。勿論美月は断りましたが、何故断るのか、と何度も追及されたので、渋々、白雪の城へと赴くことにしました。
白雪の城に向かっている途中で、美月は、
(白雪がそんなに苦しんでいるのなら、その顔をみてやろう)
と思い始めて、白雪をみるのがだんだんと楽しみになっていきました。
城に着くと、美月らはすぐに白雪の部屋へと案内されました。美月の城に来たときよりもずうっと痩せ細った白雪を見て、美月は、白雪から目を離すことが出来ませんでした。死人のような唇、白よりも透明な肌、動くことの無い躰。その姿は死んだ人そのものです。美月は父親に話しかけられても、白雪の母親やに話しかけられても、その目を白雪から離すことはありません。
黄昏時になって、白雪が目を覚ますと、美月はひどく驚いて、ひぃ、と声をあげました。白雪は弱々しく微笑んで、どうしたの? とか細く応えました。
白雪の口に、従者たちが急いでご飯を詰め込みます。何とか食べ終わったかと思うと、すぐに目を瞑ってしまいます。そしてそのまま、深い眠りに落ちていってしまいます。
白雪姫はこのような奇病にかかってしまったのだ。白雪の父親が、美月に対して話しかけます。
美月は、ええ、ええ、分かっております。分かっておりますわ。と心ここにあらずといった返事をしました。その間も、目は、白雪から離れることはありませんでした。
城に戻ってすぐ、美月は「轟」という姓の男の従者を探し回りました。ですが、家来たちは口を揃えて、そんな者はいないと言います。美月は恐ろしくなって、父親にこのことを話しました。
父親は真っ赤になって怒りました。何故そんなことを先に言わなかったのだと。お前はなんて醜い心の持ち主なのだと。
美月も真っ赤になりました。羞恥心と後悔と、何よりも、自分に対する怒りからでした。
美月はその晩、白雪の微笑んだ顔が、頭から離れませんでした。あの顔が、まるで美月を責めているように、恐ろしい顔へと変わっていくのです。美月はその晩、眠ることが出来ませんでした。次の日の晩も、その次の晩も、後悔が、美月を眠りにつかせることを許しませんでした。
隣国の殿様は、その日の内に、白雪の城へと遣いを送りました。白雪の病は、呪術によるものであったからです。
それを聞いて、殿様はすぐに一計を案じる必要があると思い、家来たちの誰かに、呪術に詳しい者を連れて来るように命じました。真っ先に空次郎が、その命を果たしたいと殿様に言います。空次郎は、殿様が何も言わないのを良いことに、城から風よりも速く、出掛けました。
殿様は、家来を一人つけただけで、全てを空次郎に任せることにしました。空次郎がこの件に関して、大きな責任を感じていることを知っていたからです。何年かかるかも分からないその帰りを、殿様は待ち続けることにしたのでした。
*
何年もの月日が流れ、空次郎は、白雪が眠りについた年と同じ年になりました。空次郎は、青年になっていました。顔は逞しくなり、体つきはしっかりとし、誰もが振り向く、美しい青年に成長していました。空次郎は、やっとのことで、呪術師を見つけて帰って来たのです。
その呪術師は、万病を治してきた超人で御座います。彼は全国を行脚して、その町の病人たちを治して回っておりました。
偶然か否か、その呪術師は、白雪の町へ丁度向かっている最中でありました。空次郎はその呪術師を、旅の途中で追うようになったのです。
空次郎は、宿に泊まっている呪術師の元を、訪ねました。呪術師は突然のことに驚きましたが、空次郎の話を丁寧に丁寧に、聞き漏らすことの無いように聞きました。空次郎は呪術師に、何度も頭を下げて、治してもらえるよう頼み込みました。
聞き終えると、彼はすぐに応えました。
「そんなもの治せるに決まっておろう。何なら、今すぐに診てやろうか。」
空次郎は大層喜んで、城へ鳥よりも軽やかに舞い戻りました。
殿様は、待ち望んでいた空次郎の帰りに、空次郎よりも喜びました。お妃様も家来たちも、年こそ取っていましたが、その知らせに、皆飛び上がって喜びました。
白雪が眠っているうちに、呪術師が現れました。呪術師は、全員に、三日三晩入らないように、と告げて、祈祷を始めました。
呪術師は低い唸り声を上げて、この世のものとは思えない声で、何やら得体の知れぬ呪文を唱え始めました。
殿様やお妃様、家来たちは、心配そうに部屋の前を、代わる代わる見て回りました。
三日三晩が過ぎて、やっとのことで、呪術師が部屋から出てきました。呪術師は少し痩せこけたようでしたが、思いきり笑って、
「心配は要らぬ。白雪の病は治った。」
と言いました。
これには皆が笑って、お祭り騒ぎになるところでした。
しかし呪術師は、続けてこうも言いました。
「しかしながら、この姫様に、この姫様が愛する者の接吻をしなければ、この姫様は目覚めぬ。」
これには殿様は困り果てました。誰が白雪姫を目覚めさせるのか、皆目検討つかなかったからです。
それに、一人娘接吻をさせると言うのは、病の完治に必要なこととは言えど、殿様たちにとって、あまりいい気分がするものではありませんでした。
空次郎は、全員が話し合っている間、ずっと白雪の部屋におりました。この数年、白雪のことを考えない日は無かったからです。
白雪の姿は、昔と殆ど変わっていませんでした。寧ろ、少し大人びて、昔よりも綺麗になったように思われます。
白雪が、いつ目覚めるか、気が気でありませんでした。
ふと、何を思ったのか、空次郎は白雪の、雪のように冷たい肌に、そっと口づけをしました。
その時、白雪の瞼が、ゆっくりと、本当にゆっくりと開けられました。
「姫様……」
空次郎はハッとしました。空次郎の目に涙が溢れてきて、こぼしそうになりました。
「空次郎ですか? ……大きくなりましたね……」
白雪は、細い腕に、精一杯の力を込めて、空次郎の頭を撫でました。空次郎が小さかった頃のように、優しく撫でました。
空次郎は微笑んで、白雪の手の甲に、もう一度優しく接吻しました。