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たとえその天使が死神だとしても

作者: 藤崎珠里

 真っ黒なローブを着て、腰の紐をぎゅっと縛る。そしてフードを深く被って、リエルは姿見を覗き込んだ。

 姿見に映る姿は、想像とは少し違った。師匠から譲り受けたローブはまだ、リエルにはだぼっと大きい。もっと立派で、見た者の恐怖を引き起こすような姿を想像していたので、首をかしげてしまった。しかしそれでも、少しは一人前の死神に近づけたような気がして、嬉しくなる。


 ――もうじき。


 リエルは、近くに置いてあった鎌を手に握った。

 もうじき、リエルは一人前の死神となる。今はまだ見習いで、これから一人前の死神として認められるための試験を受けるのだ。

 その試験とは、人間の魂を刈ること。

 ただの動物とは違って、人間を決められた死どおりに殺し、魂を刈ることは難しい。だからこその、最後の試験だ。

 リエルは鎌をローブの中に入れた。死神の鎌とローブは特別なもので、鎌はローブにしまっている間は消えてしまう。使いたいときには、ただ願うだけで鎌が手に握られるようになっていた。


「準備ができたか」


 その声に振り返る。

 リエルの育ての親であり、師匠でもある人。顔には大きな傷があり、右手は白骨化している。彼が昨日まで着ていたローブはリエルがもらったので、今彼は新しい真っ黒なローブで身を包んでいた。


「はい、お願いします」

「頑張れよ」


 リエルはこくりとうなずいた。



 指定された場所へ降り立って、周りを確認する。病院。全体的に白っぽいそこに、リエルは師匠にくっついて何度か来たことがあった。

 師匠からの情報によると、今回の対象者は病死する。今の技術では治すことができない病気らしい。

 ふわふわと浮いて進み、対象者の病室の前へ向かう。

 最期までには、まだ一月ほど時間がある。しかし何があるかはわからないから、対象者の近くにこれからずっといなくてはならないのだ。

 すうっと扉をすり抜け、リエルは対象者の顔を確認した。

 オデット・ロマイド・バルバストル。

 リエルは、対象者の名前しか聞いていなかった。


 ――子供?


 だから、ベッドに眠っている彼女を見て、リエルは目を見開く。

 子供、というほど子供ではないが、大人というにはまだ幼い。それくらいの年頃の少女だった。

 生きているのか不安になるくらいの真っ白な肌。病に臥してもなお艶やかな、新緑の季節を思わせる緑色の髪の毛。同じ色の睫毛は、きっと体を起こしているときには、頬に長い陰を落とすのだろう。耳が少し尖っているのが人間にしては変わっているが、それ以外は(あるいはそれも含めて)完璧に美しかった。

 その長い睫毛が、かすかに震える。

 開かれたそこには、霞がかったように薄い青色の瞳があった。ぼんやりとしているそれは、しかし同時に、宝石のような煌きも有していた。

 少女は、何かを探すように視線をさまよわせる。

 そして――その目が、リエルを捉えた。


「……天使様?」


 不思議そうにつぶやかれたその言葉に、リエルは硬直する。彼女の声が美しかったためではない。リエルの姿が、人に見えるなど有り得なかった。


「お前、私が見えるのか」


 かさついた声で、リエルは問う。

 少女は瞳の色のように、ぼんやりとした顔で笑った。


「だって、わたしもうすぐ死ぬんだもの。だからよきっと」

「それでも普通は見えないものなんだ」


 そうなの? と首をかしげながら、少女はゆっくりと体を起こした。その体に繋がっているいくつもの管を不満げに見てから、少女はまた、リエルへ視線を向ける。


「でも、見えてよかったわ。天使様すっごく綺麗」


 どこか恍惚とした表情。少女は息を吐いた。綺麗という言葉に反応して確認してみると、フードが取れかかっていたようだったので、深く被り直す。

 お前のほうが美しいだろう、とは思ったが、否定しなくてはならないのはそこではなかった。


「天使じゃない、死神だ」

「ふふ、それでもいいわ。天使様が何であっても、わたしに終わりをくれるんでしょう?」

「お前の魂を刈り取るのは確かに私だが、私は天使ではなく……」

「気にしないで。わたしが天使様って呼びたいだけなんだもの」


 ころころと、何がおかしいのか少女は笑った。意味がわからず、リエルは眉をひそめる。

 まあでも、どうせこいつはじきに死ぬんだ。呼び方くらい好きにさせてやろう。

 リエルはそう思い直して、少女と向き合う。

 少女は耳に髪の毛をかけた。


「もうすぐわたし、一回退院するの。それまで待ってもらえないかしら?」

「無理だ。そのときが来たらお前の命をもらう」

「あら、わたしの命なんかもらってもなんにもならないのに」


 それは決して、死への恐怖から出た言葉ではなかった。

 意味がわからない、とリエルはもう一度思う。わからないが、それでもきっぱりと答えを返す。


「お前の運命はすでに決まっている。覆すことは叶わない」

「えー、残念だわ」


 まったく残念そうに聞こえない声で、少女はぷくりと頬を膨らませる。そうすると、少女は幼くも見えた。


「じゃあいいわ、待たなくていいから、これからたまにお喋りしましょうよ」

「私にその願いを聞く義理はない。そもそも何を話すんだ」

「なんでもよ。天使様は、話したいときにだけ話してくれればいいわ。わたしの話し相手になってくれればそれで」


 退屈なのよここ、と少女は悪戯っぽく笑った。




 それから毎日、リエルは少女の病室を訪れるようになった。

 自分でもよくわからなかった。ただ、彼女が死を恐れているように見えなかったから――興味が湧いたのかもしれない。

 師匠の傍で、人間の魂が刈り取られていくのを見た。何度も何度も。人間たちは皆、死を恐れていた。痛みを、苦しみを、老いを、恐れていたのだ。

 だけど彼女は。




「ねえ、死んだらどうなるの?」

「どうなる、とは」


 リエルは生真面目だった。ゆえに、少女の話を一言も漏らさず聞き、しっかりと受け止めたうえで言葉を返す。


「そのままの意味よ。死んだら、それでおしまい? それとも、違う何かに生まれ変わったりするのかしら」

「死神はあくまで、魂を刈り取り、それを天使に渡すことが仕事だ。悪いが、それ以降のことは知らない」


 そう、とうなずいた彼女は、ふふふ、と笑う。


「天使様が天使に魂を渡してくれるのね」

「……私は死神だ」

「そうね、でも天使様だわ」


 そして少女は、疲れたように目を閉じる。


「このごろ、すぐ疲れてしまうの。発作も多くなったし。……死ぬ前に、一日だけ退院させてくれるのだけど。わたし、それまで持つかしら」

「教えることはできない」


 天使様のけち、と少女はつぶやいた。




 少女はどんどんやつれていったが、その顔に浮かぶ笑みは変わらなかった。

 リエルと少女は毎日話した。どうでもいい他愛無い話も、死に関する真面目な話も。どんな話をするときにでも、少女は明るかった。笑っていた。


「お前、退院とやらはいつなんだ」


 ある日、リエルは少女に尋ねた。その質問は話の流れに適していたが、それをぶつけられた少女は目を瞬いた。


「あら、質問なんて珍しい。明日よ」

「そうか」


 黙ったリエルに、少女はふっと笑みを零す。


「言ってくれてもいいわ、わたし、もう死ぬんでしょ」

「ああ」

「……随分あっさり言っちゃうのね、つまらないわ」


 拗ねたように。少女は言って、リエルへ手を伸ばす。その手は震えていて、支えなくてはすぐにでも落ちてしまいそうだった。しかしリエルは、彼女に触れられない。リエルへ届く前に力なく落ちる手を、ただ見つめた。届いていたとしても、少女の手はリエルをすり抜けるだけで。意味のない行為のはず、だった。

 なぜ手を伸ばしたのか、少女は理由を言わなかった。リエルもまた、問わなかった。

 だから、リエルがその理由を知ることはないのだった。

 少女は誤魔化すように口を開く。


「いつ死ぬの?」

「教えることはできない」

「ふーん……」


 そして少女は、リエルに微笑みかけた。


「じゃあ天使様、そのときはよろしくね」

「……退院したら、何をするつもりだったんだ」

「どこかへ行ってしまおうかと思って」

「どこかへ」

「そう、どこかへ」


 少女は遠くを見た。ここでないどこかを見て、その口元はわずかにほころぶ。

 沈黙が訪れた。少女はただ遠くを見て、リエルはその視線の先を辿ろうとした。そうしたところで、少女の見ている景色を見ることなどできないと、知っていたけれど。


「わたし、妾の子なのよ」


 唐突に少女は語り始める。


「めかけ?」

「父が使用人に手を出したの。だけど父にはわたししか子供がいなくて、仕方ないからこうやって病院に入れてるのよ」

「人間のそういうことはわからない」

「ふふ、でしょうね。とにかくわたしは望まれない子。しかもその使用人っていうのが、エルフだったからさあ大変」

「……エルフと人間のハーフなのか?」

「やっぱり。天使様はそれも知らなかったのね」


 そう言って、おかしそうに笑う。

 少女の耳は確かに尖っていた。しかしそれは、人間と言っても差しさわりがない程度のものだった。ゆえにリエルは気づけなかったのだ。

 エルフでもなく、人間でもない半端者。

 ハーフエルフは、どちらからも忌み嫌われる存在だった。


「だからわたし、楽だったの。楽しかったけど、何より楽だったわ。天使様といられて」


 ううん、と何かを懐かしむような顔で、少女は続けた。


「でもやっぱり、楽しかった」


 少女の目がリエルのほうを向く。ぼんやりとした瞳は、それでも輝きをもってリエルを捉えた。なんとなく、リエルはフードを引っ張って顔を隠す。ふふっと笑う気配がした。


「天使様、わたしはオデットよ。天使様の名前は?」

「教えることはできない」

「もう、頑固ね」


 そればっかりなんだから、と小さくつぶやく。


「わたしはオデット。オデット、オデット、オデットよ。覚えていてくれたら嬉しいわ」


 少女は何度も自分の名を繰り返した。家名もミドルネームも言わない、その意図は、リエルには察することができなかった。微笑む少女をフードの陰から覗き見て、しかしすぐに、目を逸らす。

 知っている。少女の名前など、初めから知っていた。


 ――それでも。


 名を呼ぶことなどできなかったのだ。

 何も言わない死神を、オデットがどんな顔で見ているのか。死神にはわからなかった。


「未練なんてなかったけど、駄目ね。楽しいって感情を知ってしまったら、死にたくなくなっちゃうわ」


 死神は黙ってオデットの声を聴く。知らないうちに唇を噛み締めていた。

 あ、そうだ、と。オデットは、何かを思いついたのか嬉しそうな声を上げる。


「いつ死ぬかわからないなら、言っておきたいことがあるの。あのね、わたし、天使様に会えて本当によかったわ。あ――」

「オデット」


 名を、呼ぶ。オデットは目を見開いて。

 自分の胸に突き刺さった鎌を見て、困ったような、拗ねたような顔をした。けれどすぐにいつものように笑って、眠るように目を閉じる。




 () () () () () () () () ()



 それが死神への、リエルへの。最期の言葉だった。




 オデットの魂を天使に渡し、リエルは今、師匠の前に立っていた。

 これから今回の試験の結果が告げられるのだ。しかしリエルには、すでにわかっていた。

 重々しく、師匠は口を開く。


「不合格だ、リエル」

「……はい」


 やっぱりか、とリエルはうなだれた。

 死神となるための試験は、年に一度。また来年挑戦すればいいだけの話だが、師匠の期待を裏切ってしまった事実が、リエルの胸に重くのしかかる。師匠から見放されたら、リエルにはもう死神になる意味さえないのだ。

 消滅しそうになっていた自分を拾ってくれたのも。居場所がない自分に居場所をくれて、優しさをくれて、愛情をくれたのも。全部全部師匠だった。

 師匠の期待に応えようと、そう臨んだはずの試験だった。


「魂を刈るのが遅すぎた。対象者の運命を数秒でも狂わせるお前を、死神として認められるわけがない」


 淡々とした声に、はい、とリエルはまたうなずく。


『わたしはオデット。オデット、オデット、オデットよ。覚えていてくれたら嬉しいわ』


 オデットがそう言ったすぐ後。そのときが、彼女の本来の寿命だったのだ。


「――情が湧いたな、この未熟者」

「申し訳ありません」


 鎌をぎゅっと握り締める。オデットに突き刺してから、それをローブにしまうことができないでいた。

 本当に、リエルは未熟だった。オデットの話を聴いていたいと。笑顔を見ていたいと。――ずっと、このままでいられたらいいのにと、願ってしまった。オデットの傍にいることを望んでしまった。

 師匠は、リエルのフードを外した。まばゆい金色の髪の毛があらわになる。リエルは確かに、天使と見間違えてもおかしくない容貌をしていた。その自覚はあった。


 ――たぶん、だからあいつは。


 リエルのことを、天使様と呼んだのだろう。

 広くなった視界で、リエルは師匠を見上げる。


「……ご苦労だった」


 ぽん、と頭に手を置かれた。白骨化していない左手は、温かかった。

 見放されていない。そうわかって、リエルはほっとする。安堵とともに溢れてきたのは、涙だった。


「ふっ……うっ、ああぁぁ」


 それはきっと――友人を喪った、悲しみのせいだった。

 興味を持ってしまったのが、全ての間違いだったのだ。無視をし続け、そのまま一言も話さずに魂を刈り取ってしまえばよかったのだ。

 オデットはきっと、楽しいという感情を知らなかった。人とまともに話したことがなかっただろう彼女の、話し相手になってしまったから。リエルは彼女に、未練を作ってしまったのだ。

 リエルと知り合わなければ、オデットはそのまま何も知らずに死ねた。死にたくない、まだ生きていたいと、苦しまずに死ねた。


 ――どっちが幸せだったんだろう。


 オデットのことは、リエルにはわからない。

 ただ、最期のあの言葉は、嘘ではない気がした。

 ありがとう。そう言ってくれたのは、幸せを知ったからだと思っていいのだろうか。


 嗚咽が止まらない。

 そのリエルの頭を、師匠は撫で続けてくれた。

 初めての友人だった。お互いが。そしてきっと、二人とも不器用だった。特にリエルが不器用で、どうしようもなく不器用で、だから最後の瞬間まで、何も気づけなかったのだ。

 リエルにとって、オデットは確かに大切な友人だった。


「師匠……次は、失敗しません」

「ああ」


 リエルの決意に、師匠はただうなずいた。









 ――たとえその天使が死神だとしても。

(わたしにとっては、優しい天使様だったわ)






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