No,3
朝の七時、ルイは決まってこの時間に来る。
「おはようございます」
「やぁ、おはよう」
ルイは通ってきた通路の惨状を見て、昨晩何があったのかを訪ねた。
「襲撃、ですか」
「ああ。監視カメラが破壊されてしまった」
「直しておきます」
「よろしく」
ルイが背を向けた瞬間、ドサリと何か重たいものが床に落ちる音がした。
振り向くと、長月が椅子から落ちて倒れていた。
「長月さん!!」
ルイは持っていた書類の類を投げ出し、血相を変えて長月に駆け寄った。
長月は自力で起きる事はできたが、足に力が入らない為に立ち上がれない上に、目の焦点が合っていないようだった。
「長月さん、すぐに身体を……」
「……いや、この程度ならまだ二、三日は……」
「いけません」
「分かった……。肩を貸してくれ」
長月がルイの肩を貸りて向かった先は、普段は研究員すら立ち入る事は無い地下室だった。
正確には立ち入る事が無いのではなく、その存在を知らされていないというのが正しい。
この地下室の存在を知っているのは長月とルイだけである。
「後は自分でできる。ありがとう」
「何かあるといけません。俺はここで待ちます」
「心配症だね」
「ええ」
これからの状況を説明するには、まず長月とルイの出会いまで遡らなければならない。
ルイ・如月が長月亰と出会った頃、彼はまだシティ内の大学に通う学生だった。
その時就活中だったルイは、就職先に提出する為の論文にミスが無いかと確認しながら歩いていた。
とあるページでちょっとしたミスを発見してしまい、通路の曲がり角付近で立ち止まった その時、反対側からの通行人とぶつかってしまった。
「ぅわっ」
「おっと、申し訳ない」
その拍子に、持っていた数十ページにわたる論文がバラバラになって足元に落ちた。
ぶつかった人物は、いかにも胡散臭い笑みを湛えた白髪の若者だった。
しかし若者にしては老獪な雰囲気を含んでいる。
若者はルイが落とした論文を広い集めながら訪ねた。
「心理学の論文かね?」
「……そうだが……。あんたここの学生か?」
「いや、非常勤で講師をしている」
「こ、講師?」
その若者はルイと大差ない年齢の容姿だが、この大学で人工知能についての講義を開いている講師なのだという。
ルイが論文を拾い集めてくれた事への礼を告げ立ち去ろうとすると、講師をしているという胡散臭い若者が呼び止めた。
「ここで会ったのも何かの縁だ。これを受け取ってくれ」
差し出されたのは一枚の紙切れ。名刺だ。
「シティ外から来てるのか?」
「如何にも」
「何だってそんなところから……」
「違う。私はこの大学に呼ばれて講師をしている。私の希望ではない。今月でもう辞めるつもりだがね」
名刺には見慣れない文字が書いてあったが、ルイはそれを読むことができた。
彼の名は長月亰と言うらしい。
「あんた、日本人の血族か」
「興味があるなら、私の研究所に来てみるといい。その名刺にある通りの場所にある」
これが長月とルイの出会いである。
その後、ルイは長月に興味があったので長月研究所に赴いた。
そこで長月から聞いたこと。
彼はたった一人で人工知能の研究をしているということだった。
長月自信は日本人の血族である事は間違いないということ。
それについて色々と訪ねたが、それ以上の事は教えてくれなかった。
それからというもの、ルイは度々長月の元を訪れるようになった。
彼がそこに来てやる事と言えば、過去の実績や研究結果や長月が書いた論文を読みあさる事だった。
時折信じられないような内容の物があるが、確認を取る度に意味深な含み笑いであしらわれる。
しかし協力した研究所はどこもその界隈では有名な研究所ばかりで、そこのトップは正気を失ったのかと思ってしまう。
そして一年ほど経ったある時である。ルイはいつも通り長月の研究所にお邪魔をして、気になる論文を読んでいた時だ。
論文がまとめてあるファイルを棚から取り出した拍子に、隙間に挟まっていた別の薄いファイルを落としてしまった。
そのファイルには「研究員名簿」と掠れた文字で書いてあった。
この研究所には長らく長月以外はいなかったはずだ。
しかしこのファイル、相当古い物らしく、表紙は紙が劣化してボロボロである。
ルイは興味本位でその中身を開いた。
中身は至って普通の履歴書のファイリングだった。
最初に乗っていたのは何処かの見知らぬ研究所の所長であろうお方だった。
次は副所長。
その次のページを見たルイは驚愕した。
三ページ目にあった履歴書は長月のものだったのだ。
しかし履歴書の写真と現在で違う所は、髪の色が黒だという事だけである。
印象的な眼鏡と胡散臭い笑みは紛れもなく彼だ。
生年月日を見て 、ルイは更に驚愕する。
「一……九九五……年?」
ルイは名簿のファイルを持って長月に詰め寄った。
「これ、マジなのか」
「持ってきちゃったのかい?ダメじゃないか」
「あんた一体、何なんだ」
その問いに長月は押し黙った。
しばしの静寂の後、不意に長月は立ち上がり、ルイに来るように促した。
「知られてしまったからには仕方ない」
「どこに連れていくつもりですか」
「君に何かがあっても、私の権力でどうにでもなる」
「?!」
知ってはいけない事を知ってしまったのか。
自分はこれからどこに連れていかれ、何をされるのか。
ルイは危機感を感じずにはいられなかった。
そして連れていかれた場所は暗く湿っぽい空気が充満した場所。
赤いランプが点滅してドアのあるであろう場所を示している。
ドアノブに手をかけたところで、長月の足が止まる。
「これから見せることは、口外無用で頼みたい。君が何を見たかを誰かに言ってしまえば、私は君に何をするか分からない」
しかしドアが開かれても中は暗く、よく見えない。
ただ聞こえるのは、水槽の中で酸素がボコボコという音だけだ。
長月が部屋の電気を付けると、今まで見た論文や研究結果など比べ物にならない程に信じられない光景がルイの目に入った。
広大な部屋の中にあるのは無数のカプセル。
それぞれのカプセルには太いチューブが繋がっており、カプセルの中は水のような透明な液体で満たされている。
入口付近のカプセルは空だ。
奥に行くにつれて、中身が変わってきているようだった。
少し行くと胎児のようなものが入ったカプセル。
もう少しいくとそれはまるで人の赤子だ。
そして最奥にあるものを見てルイは息を呑んだ。
「驚いたかい?驚いただろう。君の問いに対する答えがこれだよ」
「これ……長月さん……あんた、なのか?」
カプセルの中に入っていたのは、長月が作り上げた自身のクローンだった。
彼は長い間、たった一人でこのクローンの身体を取り替え、生きながらえて来たという。
今は二二九五年。
長月は三百年もの月日を生きているという事になる。
言葉を失ったルイに、長月は特に何を言うことは無かった。
しかしここでルイに確固たる目的ができた。
例の出来事から一年後、ルイは大学を卒業するまで、このことを決して誰かに話すことは無かった。
そして自身の目的のため、元々貰い受けていた内定も断り、学生時代に婚約した彼女とも関係を断ち、再び長月研究所に赴いた。
「よろしくおねがいします」
「……君はシティ内のレイビット研究所に行くのではなかったかな」
「俺はここがいいんです」
「来月に結婚するとも」
「一人が好きなんです」
「……実に、君は馬鹿だな」
長月の人工知能に対する執着。
なぜそこまでの時間をかけてまで技術を追求するのか、ルイは自分がダメになるまで長月に付き従おうと誓った。
そして十年後の現在にいたる。
カプセルから新しい身体を取り出し、古い身体を焼却処分する。
これが一連の流れである。
長月の記憶は既にデータ化されており、新しい身体に、古い身体を取り替えるまでの直前の記憶を書き込むことによりいつも通りの生活に戻る事ができる。
「いかがですか」
「……よくない」
長月はいつものように胡散臭い笑みを浮かべてこそいるが、いかんせん体調は優れないようである。
「少しお休みになられたらどうです」
「ここでならそんなに畏まらなくてもいいんだけど」
「俺は勤務中ですので」
「そうかい」
身体を取り替えてから数時間は寝起きのような感覚が続く。
長月は自室に戻り、ルイは研究室に戻る。
あと数時間もすればニキータやハナも出勤してくるだろう。
いつも通り。
いつも通りだ。