ⅩⅩⅨ ざわめく深海は何を思う
日本帝國国防軍は、セイロン島にフランス共和国艦隊が攻めてきた場合の邀撃、及びセイロン島防衛作戦を「誓」号作戦と命名した。セイロン島のセイから取られている。何とも安直なネームングだが、セイロン島の守備を誓うという帝國の覚悟をも表していた。
万が一にも、敵が上陸作戦を敢行する可能性もないわけではない。陸・海・空の司令官や幕僚たちが連日顔を合わせながら、緻密な計画を組み立てていった。
島であるセイロン島に敵が攻め込んできた場合、護る側(つまり帝國国防軍)には応戦するかインドに脱出するか、降伏するか……最悪、全滅するかの選択肢しかない。“撤退”が容易ではないのである。
おまけに、セイロン島は絶海の孤島では無い。現地民を始めとする、多くの民間人がいるのである。
そしてセイロン島防衛軍には、現地民兵も多数参加している。
いざとなれば、彼らの疎開も検討しなければならない。幸い、セイロン島とインドはそれ程離れていない。
帝國はインド政府に脱出民の保護を依頼すると同時に、脱出用の船舶及び航空機の収集に取り掛かった。
国防軍の輸送艦や揚陸艦などが真っ先にインドに向かい、敵の侵攻が確実となれば、トリンコマリーに向かう手筈となっていた。
護衛艦艇も当然、向かうことになる。
ちなみにインドにも帝國国防軍は派遣されているが、国防陸軍一個連隊程度である。他は戦術航空師団と戦略航空師団が数個ずつで、海軍戦力は無し。
インドは国軍整備を精力的に推し進め、自前の水上艦隊も保有していた。もっとも、沿岸警備海軍の色が強く、共和国艦隊に真正面から喧嘩を売れる戦力でもない。
対潜警戒に従事するのが精々であった。
情報局の分析の結果、共和国艦隊の来襲は早ければ一カ月以内となった。その間に可能な限りの準備を推し進めなければならない。
幸いなことに、中華大陸での戦争は帝國は後方支援に回っていたため、戦力には余裕がある。当然それでも、全戦力をかき集めることはできない。しかし、兵站の心配をしなくて済むのは僥倖だった。
後方支援が万全なら、多少は正面戦力に不安があっても何とか戦える。
セイロン島には輸送船舶や輸送機が其れこそ波のように押し寄せ、帝國国防海軍支援総隊から派遣された病院船『雄冬』すら港に姿を見せていた。
「でかいな」
藍原 彗一は小声で呟くと、目の前に浮かぶ帝國国防海軍色に塗装された軍艦を見上げた。
海防艦『K12号』沈没から約一カ月後、藍原たちは輸送飛行艇により呉まで運ばれた。
新たな職場、第一高速警備戦隊所属『旋風』への異動が命じられてのである。
その横には、蛍森提督の計らいで特別に呉鎮守府付きとなった少女、サリアが控えていた。
「大きいね……」
サリアは今はサリア=アイハラと名乗っていた。名目上は、藍原の家系が引き取った孤児ということになっていた。すでに日本国籍も取得している。
カムチャッカなどの占領地を正式に日本に編入した後は(無論永久統治する気はないが)、このように外国人が日本に帰化することは容易となった。無論、スパイ対策としてある程度監視下に置かれるが、それも現在は然程厳しくない。
“帰化した外国人も日本人だ”という国民の意見が強まったためである。
特例で海軍少尉の階級が与えられたサリアは、呉所属を示す番号が書かれた帝國国防海軍制服を着込んでいる。そして、藍原が着込んで着る制服には"ODE-103 TSUMUZIKAZE"と書かれていた。ODEは特型戦闘艦を示す艦種記号である。
そして、そんな彼らの目の前には永祚型特型戦闘艦『旋風』の姿があった。
基準排水量にして二〇〇〇トンを超える船体は、鵠型海防艦とは比較にならない。軍艦のスマートさと兵器の醜悪さを兼ねそろえ、真新しい塗装が映える威圧感を放っている。
乗務員の数からして段違いだ。当然、藍原の仲間も部下も増える。
「成績で目を付けられたかな」
藍原本人は警備戦隊群希望だったが、彼を引き抜こうとした艦隊は一つや二つでは無い。特に空母護衛に従事する護衛戦隊では、藍原のような優秀な対潜屋は引く手数多だった。
「軍艦の数ばかり増やして乗り込む人間が足りなくなる、何てことに、なっていないだけマシか」
相変わらず上司のままの艦長や船務長、通信士の顔を思い浮かべながら、藍原はうっすらと笑った。
「彗一?」
「いや、何でもないさ……まったく、結局戦地送りだよ」
第一高速警備戦隊が漸く機能し始め、訓練に取り掛かっている頃、潜水艦伊五一八『ごうしお』はインド洋にて哨戒任務についていた。
中華人民共和国海軍水上艦隊が実質的に消滅したため、「桶狭間隊」の一部はインド洋哨戒に増援として駆り出されていたのである。
隠岐光 尚艦長は潜望鏡に根を押しあてつつ、視界に入った黒いシルエットを瞬時に分析する。
「間違いない、ル・ファンタスク級駆逐艦だ」
潜望鏡を下げさせつつ、艦長は断言するように力強く呟いた。同時に、発令所内に緊張が走る。
「フランス共和国艦隊ですか」
「恐らく前衛部隊だろう。新鋭のスルクフ級は、恐らく空母護衛に就いているのだろうな」
志摩本 冬樹航海長の相槌に、艦長は頷く。
「艦長、ソナーの反応によると、敵艦隊は駆逐艦二~四隻程に、一隻大型艦がいます。巡洋艦、しかも大物かと推測されます」
「巡洋艦……フランス共和国が持つ巡洋艦となると……防空巡洋艦は空母護衛だろうしなぁ……ということは……デュケーヌ級か」
デュケーヌ級は基準排水量1,0000トンの大型巡洋艦である。
「一番艦『デュケーヌ』はもう除籍されたはずだから、残るは……二番艦の『トゥールヴィル』だな」
「では、攻撃しますか?」
「待て、その前に旗艦に報告せよ」
基本的に帝國国防海軍の潜水艦は、攻撃の主力であると同時に偵察・哨戒の主力でもあった。敵艦隊の存在や位置を知らせることは重要な任務の一つである。もっとも、電波を発すれば自身の存在が露見することになるが、代わりに周囲の友軍潜水艦などの援軍も受けられる。
現在『ごうしお』は、伊五一七『とうしお』と伊五一九『かざしお』の二隻とペアを組んでいた。
「それに、敵の前衛部隊は恐らく水雷戦隊だろう……。我が一水戦(第一水雷戦隊)にとっては絶好の獲物だ。
それよりも、本艦にはまだすることがある」
「偵察ですね」
「そうだ。私の推測が正しければ、前衛部隊の後方に空母を主力とした航空艦隊が控えている。若しかしたら、輸送船団も連れだっているかもしれん」
「輸送船団? 敵に上陸の意図があると?」
「其れを調べるのも我々の仕事だ。もっとも、空軍さんも哨戒機を飛ばしているだろうが」
潜水艦は、より深海へと潜っていった。
・雄冬型病院船『雄冬』・『納沙布』・『霧多布』
基準排水量12,700トンの大型病院船。前大戦にて病院船舶不足に悩んだ帝國国防海軍が腐心の末建造した、本格的病院船である。一隻一隻のコストの高さを度外視し、収容人数の拡充と医療設備の充実化を図っている。なお、戦後の病院船は全て帝國国防海軍籍である。国際法にのっとり、船体を白く塗って赤十字を掲げている。命名は、北海道の岬より。