ⅩⅥ 朽ちて折れて落ちる
中華大陸に派遣されている日本帝國国防空軍の保有機は、隊によって様々だったが、戦闘機か攻撃機が中心だった。
何しろ中華大陸のすぐ横には、日本列島がある。戦略爆撃機などの爆撃機や、輸送機でも往復できる。南中国(中華人民共和国)は日本まで狙える爆撃機は保有していない。言わば“安全地帯”であり、しかも本国日本の爆撃機基地(九州や北海道)は設備も整っており、仮に消耗したとしても、何しろ生産工場も本国(正確には北海道)にあるのだから、すぐに新たな機体が爆撃航空軍団に供給される。
しかも撃墜されても、北中国(中華民国)や東中国(中華連邦)、大韓共和国や日本帝國の勢力範囲に機体を不時着させるか緊急脱出すれば問題無い。
加えて南中国軍は数こそ膨大だが、機械化されている部隊(自動車師団)、戦車部隊(機甲化師団)の数はごく僅かで、大抵が歩兵師団だった。
ならば戦略爆撃機に頼らずとも、攻撃機や戦闘爆撃機で十分である。加えて大規模な地上戦に戦略爆撃機を投入することは、友軍の誤爆の可能性も高くなる。
しかも日本帝國はUNAO軍と共同で作戦を行うのだから、誤爆の可能性はさらに大きくなる。
それは兎も角として、話を中華大陸の航空兵力に戻そう。
実は在中華帝國国防空軍や国防海軍航空団以外にも、中華大陸に航空兵力を進出されている組織があった。
それは運輸省に属する准軍組織、海上治安維持機構の巡視航空団だった――。
戦後、旧帝國海軍の海上護衛総隊を改編した組織、アメリカ合衆国でいう“沿岸警備隊”に相当するSPOは、戦力とすれば微少ながら、規模は巨大と言っても過言ではなかった。
何しろ日本列島だけにとどまらず、南洋諸島やカムチャッカ方面にも進出しており、警備任務を続けていた。
SPOの巡視船は、武装船対策用の機銃や高角砲・短魚雷発射管程度しか装備されていないが、最新の大型船は回転翼機を搭載しており、それなりの装備であることが分かる。
それだけでなく、SPOには航空兵力もあった。
但し、ここで言う“航空兵力”とは、戦闘機でも爆撃航空軍団でもない。哨戒や救助用のための“航空兵力”だった。
そしてその代表格が、旧帝國海軍から引き渡された形で使用している哨戒機、即ち二式大艇(二式大型飛行艇)や三式対潜哨戒機“東海”だった。
そのSPO巡視航空団が、中華大陸に派遣されたのには勿論理由がある。
それは、日本帝國の安全保障上欠かせない友好国、大韓共和国だった。
実は日本帝國は、大韓共和国、もっと言うと朝鮮半島内に軍を駐留させていない。
大韓共和国はUNAOに加盟しているが、実は国内に多数の反日勢力を抱えていた。彼らは現政府の親日路線及び親亜細亜(親UNAO)路線に不満を抱いており、尚且つ共産政権の確立を目指していた。
その勢力は主に半島北部で有力であり、政府は対応に腐心していた。
そのため大韓共和国政府は、日本帝國軍の駐留を拒否した。そのため現在の半島の防衛は、大韓共和国の共和国警備軍(国軍)が一手に引き受けている。無論独立前に半島に展開していた帝國軍は、教導部隊を除いて全て内地(日本本国)に戻るか、解体・統合されるか、他方面に配置替えとなっている。
ちなみに帝國政府があっさりOKしたのは、外国に軍を派遣するのにそれ相応の負担がかかるのと、国民がナンセンスと考えているからだ。
大勢の日本国民が、半島で日本人の血が流れるのはナンセンスと考えていた。ましてや現地の政府が断った以上、わざわざ無視してまで軍を駐留させる意味はないだろう、と。
それだけなら問題なかったのだが、何と大韓共和国政府は帝國外務省に、[在中華帝國軍ノ存在ガ、国内ノ反日感情ヲ刺激シテオリ、当共和国政府ハ帝國軍ノ撤退ヲ求メル]と打診してきたのだ。
慌てたのが、北中国と東中国である。もし日本帝國軍が大陸から撤退すれば、南中国がこれ幸いと軍事行動を起こすのは目に見えていた。
しかし韓国政府は、外国とはいえ国境付近に日本帝國軍が駐留しているのは問題だと言ってきたのだ。
確かに大陸には、日本帝國軍が前線・後方兵站部問わず駐留していた。共和国との国境線付近にも(輸送用の鉄道部隊なのだが)駐屯しているのは事実である。
当の帝國政府も、大陸に派遣している兵力の膨大さ(陸軍兵力だけで7個師団以上)を考えると即答できない。撤退しようにも、おいそれとできないのである。
しかも大韓共和国政府は、[今後ハ日本帝國籍軍用艦艇及ビ航空機ノ大韓共和国領海・領空付近、大連、旅順付近の通行ハ自重ヲ望ム]と要請した。“要請”とはいっても、もはや“通行禁止”である。
自国は兎も角、大連や旅順は他国の領土である。他国の領海内・領空内を通行禁止にするという前代未聞の要請に、日本帝國政府は頭を抱えた。
こんなことがまかり通っては、UNAOはその存在意義を失う。
当然、中韓関係(二つの中国との、という意味)は悪化し、他UNAO諸国も大韓共和国に批判的だった。
何しろ大連や旅順は重要拠点であり、商港だ。絶えず日本帝國や他UNAO諸国の貿易船が行き交っている。
行き交う船舶は、南中国の潜水艦からすれば、極上の獲物である。そこを警備している帝國の軍艦や哨戒機が入れなくなれば、哨戒網に大きな穴が開いてしまう。
元々北中国も東中国も陸軍兵力・空軍兵力増強にしのぎを削っており、海軍整備は二の次三の次だった。というより、日本に任せっきりだったともいえる。今更中華連合に、海上警備の役を譲ることなどできない。
しかも大韓共和国海上警備軍(海軍)も碌な戦力はなく、国内のクーデター防止に躍起になっていた。哨戒任務に駆り出すこともできない。
そこで、日本帝國は一計を案じた。
海上警備の役を、准軍事組織のSPOに譲ったのである。
[海上治安維持機構ハ、海ノ安全確保ノタメノ警察組織デアル]と帝國運輸省高官は、大韓共和国の大使に話した。
確かに大韓共和国政府の要請は、軍用艦艇・航空機の通行自重であり、軍艦や軍用機ではないSPO巡視艇・巡視機は特に問題が無い。
実際問題、SPOの装備は貧弱で、正規軍相手に立ち向かえるレヴェルではない。それは、国軍としては貧弱な大韓共和国警備軍相手でも変わらない。元々、戦闘を目的とした組織ではないのだ。
少なくとも、巡洋艦や戦艦が半島の鼻先を通過するよりは、反日感情を刺激すまい。
そんなわけで、半島付近や大連付近の哨戒には、大陸に進出したSPO、その名も“大陸地方隊”が担当していた。
この日も大連の水上機基地から飛び立ったのは、今でも“傑作飛行艇”の名を欲しい儘にする川西(川西航空機)の誇る二式大艇である。
現在は、九式大型飛行艇“碧洋”の配備が進められているため、国防海軍の誇る二式大艇は輸送機ヴァージョンである“晴空”を除く生産機の半分以上が、SPOに配置換えしていた。
今では純白に塗られ、ブルーの文字で「See-Peace-keeping Organization」、そしてその下にさらに大きく「Japan Coast Guard(=日本沿岸警備隊)」と書かれ、軍用機ではないことを宣言していた。
さらに、嘗ては“空飛ぶヤマアラシ”と呼ばれるほどの重武装だったが、機銃はほとんどが外され、今はレーダーやソノブイ、救助装備、通信機などが搭載されている。
この機は、軍用の二式大艇と区別するため、P-01“輝星”という名前で呼ばれていた。
しかしこの日、少々旧式だが優秀なマシンは、己の武装を外した天罰を甘受しようとしていた――。
「管制塔……こちら「キリギリス03」、現在地点哨戒空域Y123……これより哨戒任務に入る」
SPO大陸地方隊巡視航空団の“輝星”機長の声を聞きながら、一人の青年が通信機を弄っていた。
彼はブルーグレーのSPOの制服に身を包んでいたが、顔は白人の様相が色濃く残っている。
それもそのはずで、彼は対ソ戦後に日本帝國領となった、カムチャッカに住んでいた元ロシア人である。
正確にはシベリア生まれの両親を持ち、戦後日本帝國に亡命。新たに日本国籍を習得してカムチャッカに住んでいたが、SPOに入隊し、その後九州へ移り、現在は大陸地方隊に異動となったために中華大陸に住んでいる。
「ア通信士、通信感度はどうか」
「万全です、機長」
彼の名はアルセーニェフというが、長いので役職と組み合わせ、“ア通信士”と機内では言われる。
その彼の隣では、救命士が装備点検を行っていた。この機には、非常時に備えて二人の救命士が常に乗り込んでいる。
嘗て乗り込んでいた機銃員の代わりと言ってもよかった。
三等海尉(少尉相当)セルギ=アルセーニェフは、今回の異動がひどく不満だった。
何しろいつ戦闘海域に指定されるかわからぬところに、碌に機銃も装備していない飛行艇が飛びまわっているのだ。
いつ、南中国が攻めてくるかわかったものではない。もっとも、「キリギリス03」の担当哨戒空域は東中国領内の海上だ。だが、前線に近いという点では変わらない。
しかし、当の彼は特に焦っていなかった。戦闘が起こりかけている区域は、何もここだけではない。国境線など、どこも似たようなものだ。
彼は、以前は東海(SPOでは“青星”と呼ばれていた)に乗り込んでいた。それが、大型飛行艇に乗り込めるようになったのだ。未だ年若い彼が、飛行艇の通信士と言う大役につけたことを考えると、寧ろ感謝すべきかもしれない。
飛行艇に乗り組むことは、巡視航空団機構員にとっては回転翼機と同等かそれ以上に憧れであった。
空の上にいられる分だけ、マシかと判断するべきかもしれない。
彼はそう思うと、常に頭の中で沸いている、嫌な予感を払うように首を振った。
・P-01“輝星”
SPOが保有する二式大艇。武装はほとんど外し、レーダーや通信能力・哨戒能力を強化し、救助用の装備も完備している。