ⅩⅤ 狂い無き道
後に、“澎湖沖事件”と命名された小規模戦闘から一週間と経たぬうちに、帝國国防海軍は第二防衛艦隊第三航空戦隊群の大幅な改編を実施した。
具体的に言うと、第七、第八、第九航空戦隊を一時解体し、配属されていた海隼型中型空母6隻、そして三航群(第三航空戦隊群)旗艦の旧式航空巡洋艦『最上』を一斉に予備役に編入したのである。
同時に、『最上』一隻で編制されていた第一〇航空戦隊も自然消滅した。
その代わり、三航群に新たに配属されると同時に、新しく旗艦となったのが竣工したての航空母艦『煌鳳』である。
『煌鳳』は基準排水量20,000トンの中型(小型?)空母として誕生したが、カタパルトやアングルド・デッキを備え、ジェット機の運用が前提となっている。
実は帝國国防海軍は、7万トンや8万トン以上の大型空母の保有や運用が、いかに国庫の負担となるかを熟知していた。
そこで帝國国防海軍は、戦後第二世代の空母は大型ではなく、中型空母を多数揃えようという結論に至った。
また、『聖鳳』とすでに就役した二番艦『鳳翔』で、核動力推進空母のノウハウも得たが、しかし核動力艦は建造・維持・整備などに多大なコストがかかることも判明した。
帝國の予算では、最大二隻から三隻の保有がやっとだと思われた。
そこで国防海軍は、空母戦力の再編に着手した。
結果、海隼型が全隻予備役編入となり、第七航空戦隊は『煌鳳』を配備されて再編制されたのである。
そのため帝國が保有する空母は、竣工したての『鳳翔』と『煌鳳』を入れて一四隻。内一隻が対潜警戒用の軽空母となった。
その軽空母『龍鳳』は、旧式艦だが回転翼機を搭載したヘリ空母として現役だった。
端的に言って、大戦力と言える。
現時点では、帝國国防海軍は世界最高といってもよい戦力を手にしていた。そのため、余裕もできていたのである。
では、その“余裕”とは何か――つまり、同盟国の支援だった。
戦後創設されたUNAO即ちアジアオセアニア連合の加盟国は、大抵が元は欧米列強の植民地であり、当然ながら国軍などない。
そのため、これらの国軍は、他国から兵器を輸入するか、提供してもらうほかなかった。
つまり、日本帝國に頼る他なかったのである。
そして、自国軍の編制にもっとも意欲的だった国が台湾民主連邦だった。
独立直後から、台湾は中華人民共和国という紅い国の悪夢に怯えねばならなかった。
台湾は島国であり、敵が攻めてくるとすれば海か空かの何れかである。海防に心血を注いだのは、ある意味では必然だった。
手始めに台湾は、日本帝國に軍艦を要求した。さらにそれを運用できるよう指導できるだけの人材、教育のための人材、そして軍艦建造のためのノウハウである。
基隆港に海軍司令部が設けられ、教育施設も併設された。
同時に、帝國国防海軍から旧式駆逐艦を始めとした艦艇が与えられた。
しかし、訓練では使えても実戦では旧式駆逐艦は戦力不足である。
そこで台湾海軍は、帝國国防海軍にさらなる援助を要請した。
そして、帝國から新たに提供されたのは旧式の巡洋艦『神通』と、夕雲型駆逐艦であった。
台湾海軍が保有することになったのは、『西寧』と名を変えた『神通』を旗艦とし、夕雲型駆逐艦四隻を保有する一個水雷戦隊と、海防艦を中心に編成された四個警備戦隊、そして三個潜水戦隊、二個飛行艇隊、そして、一個航空戦隊である。
この台湾唯一の航空戦隊は“第188航空戦隊”と命名され、小型空母一隻を持つ部隊となっていた。
その小型空母の名は『台北』。嘗ては『龍翔』、その前は『日進』と呼ばれていた、水上機母艦改装の小型空母だった。
基準排水量は12,000トン。空母改装と共に大規模な近代化工事を実施した結果である。対潜掃討に精を出し、戦後は帝國国防海軍から台湾海軍に鞍替えした空母が、この『台北』――首都の名を冠した軍艦だった。
「あぁ……この辺りで、間違いないか?」
「ええ、間違いありません。日本帝國海軍……失敬、日本帝國国防海軍と、海賊勢力が戦闘を行った海域です」
『台北』の艦橋でヘッドセットを付けた軍人、ソン・ツイピイ戦隊司令が先任幕僚に問いかけた。
帝國国防海軍の弟子とも言える台湾海軍は、そのシステムや組織運営のやり方は帝國国防海軍をそのまま模倣しているケースが多い。そのため彼も、国防海軍戦隊司令と同じように――ヘッドセットを付け、『台北』の艦橋に陣取っていた。
『台北』は元々『龍翔』、ひいては水上機母艦『日進』であり、運用目的が二転三転したフネでもある。実は『日進』は“甲標的(特殊潜航艇)母艦”としての役割も与えられた事もあり、その後空母へと改装されたのだ。
幸いというべきか、『日進』の空母改装が決定した頃には、すでに日本空母のスタイルは完成形を迎えており、CICや通信システムなども設置・強化された。さらに同じく順調に洗練されていった消火システムを始めとする損害抑制設備も多数設けられた。
そして当然のように、防空能力も強化されている。
当然艦橋も近代化され、『台北』の艦橋は本格的空母のそれと大差なかった。無論、それは設備の話であり、大型空母の艦橋と比べるには狭苦しいことこの上ないのも確かなのだが。
それが、大柄なソン少将の不満でもあったが、実際の運用面においては、彼は大いに満足していた。
帝國は母艦自体は小型の改装空母を寄越したが、機体は大判振る舞いだった。
流石にジェット機は無理だったが、艦戦(艦上戦闘機)はターボ・プロップの艦上戦闘機“陣風”。艦攻(艦上攻撃機)もターボ・プロップ機“流星改Ⅱ”。そして哨戒機は天山改だ。
搭載機数は二七機。『台北』は、うち天山改を九機搭載し、陣風を一二機、流星改を六機搭載している。見るからに艦戦重視の編制だが、攻撃命令が発令されていない以上はコレで十分である。
南中国赤色艦隊に碌な艦艇は無いし、地上目標は空軍の双発爆撃機で十分こなせる(台湾は日本帝國より、一〇〇式中爆撃機“呑龍”及び“飛龍”などを購入していた)。
詰まる所、『台北』の任務は敵地攻撃ではなく、対潜掃討及び敵機迎撃であった。
また、『台北』を護衛するのは、同じく日本帝國から購入した秋月型防空駆逐艦である。
その数は四隻。言うまでも無く、これらにもすでに台湾名が与えられている。さらに対潜警戒を厳にするため、台湾が腐心して建造に成功した800トンクラスの海防艦が四隻加わっている。
計九隻。なかなかにして、大きな戦力だ。
なお、陣風を始めとする航空機は、日本語でそのまま「ジンプー」などと日本名で呼ばれていた。
この時の台湾は日本帝國から独立したばかりであり、知識人(軍上層部)の大半が日本語を理解していた。下士官や兵も同様である。
また、ソン戦隊司令を含む多数の軍人が、日本への留学経験を持ち、日本の高校や大学出身者も少なからずいた。さらに、戦時では“帝國軍人”として、日本兵と共に戦った者も多い。何しろ台湾は旧帝國領である。
現に日本に帰化し、帝國国防軍に在籍している台湾人も珍しくなかった。
日本帝國には兵役の義務が存在し、それは帝國統治下の南洋諸島やカムチャッカにも当然当てはまる。そのため、帝國軍には南洋諸島やカムチャッカ出身の軍人も少なからずいた。
それに、日本から送られた多数の兵器に、全て台湾名を名付けるのも面倒な上に、そもそも同盟関係にある帝國と台湾は、共闘することが前提である。イチイチ呼び名が違っては、いらぬ混乱を引き起こしかねない。
これは、フィリピンなどの他UNAO諸国も同じである。
「同胞たる日本人が血を流しといて、我々が何もしないというわけにもいくまい。澎湖諸島は我が台湾領なのだからな」
「しかし……良いのでしょうか」
苦笑しながら双眼鏡を目に当てる指揮官を見ながら、細身の先任幕僚がか細い声で呟いた。
「南中国を刺激する行為です」
「仕方があるまい。政府が国民から尻を叩かれておるのだ」
事実だった。
事件か報道されるや、台湾国民の世論は沸騰したのだ。
海賊、そして裏で手を引いていると思われる南中国への報復を求める声は大きい。何しろ海賊が、曲がりなりにも自国領に我が物顔で居座り、同盟国の軍艦に攻撃を企てたのだ。
コレで動かなければ、台湾は日本帝國を楯にするだけの衛星国になってしまう。結局は日本の庇護下にあるということで、これでは独立した意味がまるでない。
元々台湾全土が独立派一色だったというわけではないが、独立した以上、自国領の治安維持は国家の義務であり、それが出来ない国家は国家としては無価値である。
その前では、国軍は設立したてで編制中というのは言い訳にもならない。
現在台湾は、民主国家としての態勢を整えている。国民の声は無視できない。
「さて、一仕事だ。我々が唯の臆病者でも、金喰い虫でもないことを、世論や世界に見せつけてやろうじゃないか」
ソン少将はそう言って、手をパンと叩いた。
・台北型航空母艦『台北』
基準排水量12,000トンの小型空母で、台湾海軍唯一の航空母艦。搭載機数二七機。元は水上機母艦『日進』改装の空母『龍翔』で、戦後台湾海軍に提供された。