Ⅺ 果てぬ淀
日本帝國の海軍戦力は、大きく分けて三つの“柱”がある。
“航空戦力”・“護衛戦力”・“潜水艦戦力”である。
日露戦争により、兵站線がいかに重要か、そしてそれを叩く事がいかに効率的かを学んだ日本帝國は、“通商破壊戦”つまり輸送船・補給船叩きにも注目していた。
そこで、帝國は航空戦力を駆使した、通商破壊戦を研究した。
航空戦力は、本来なら敵――合衆国艦隊の戦艦や空母への攻撃及び防御に使うべきであり、事実、米艦隊を尽く鬼籍に送り込んだのだが、それはあくまで“主力”部隊の話である。
視点を変えれば、航空機は輸送船叩きに向いている。
広範囲を哨戒し、発見すれば直ちに攻撃できる。輸送船の速力で航空機から逃げられるわけもないし、戦闘機が搭載できる小型爆弾でも十分効果がある。
しかし、大型空母を中心とした兵力を通商破壊戦に投入するのは流石に過剰兵力である。そこで帝國は、『伊吹』や『利根』・『筑摩』(『利根』と『筑摩』は元は巡洋艦だったが、空母に改装された)を始めとした軽空母で通商破壊チームを結成して、米軍を混乱させた。
しかし、やはり“兵站線叩き”の専門は潜水艦である。
帝國は、高速水上艦隊を補足できるような高速潜水艦の整備も進めていたが、同時に大量生産が可能な中型潜水艦も一〇〇隻単位で運用し、米英輸送船団と熾烈な攻防を演じた。
そんな帝國潜水艦隊は、戦後に大きく再編された。
まず、大型・中型潜水艦は、潜水母艦や支援艦艇と共に第三防衛艦隊に再編された。これを、呉鎮守府の司令部が統率する。
さらに、南洋諸島などの各地にもHQが設立され、戦隊単位の戦力はここで統率される。
同時に、偵察・沿岸警備用の小型潜水艦は、警備戦隊群に配属変えとなった。
さて、戦後の帝國国防海軍は、新型潜水艦の整備に動いていた。
水中速力29ノットを可能とし、誘導弾の搭載も可能な新世代潜水艦伊五〇〇(へきしお)型の整備に入るが、戦時中の様に一〇〇隻も二〇〇隻も整備せず、現在は三五隻の就役に留まっている。
同時に核動力潜水艦の開発にも力を入れ、伊一〇〇〇型核動力潜水艦『山城』がすでに就役している。姉妹艦の『扶桑』・『高千穂』も、そろそろ就役する予定である。
他にも、戦時中に活躍した潜水戦艦(砲潜水艦)や潜水空母(航空潜水艦)も改装されたり、代替艦が就役していた。
同時に、戦時中に量産された大量生産潜水艦は、大部分が除籍された。つまり現在、三防艦(第三防衛艦隊)に所属する潜水艦は、大部分が戦後に就役した新型艦か、改装された艦である。
もっとも、それは帝國国防海軍全体に言えることなのだが。
台湾に派遣されている潜水任務部隊、通称「桶狭間隊」も、その最新鋭の伊五〇〇型潜水艦を中心に編成されていた。
桶狭間隊の派遣目的は、南シナ海の治安維持だと発表されていたが、傍から見れば中華人民共和国(南中国)への牽制と恫喝に他ならなかった。
南中国は帝國やアジアオセアニア連合各国とは国交断絶状態にあるが、中東諸国や欧州の一部との貿易は行っている。
海上交通路が途絶えれば唯では済まない。
伊五一八『ごうしお』も、そうなれば通商破壊戦に奔走することになるだろう。
伊五〇〇型潜水艦は、涙滴型である。潜水航行に最適な船体だった。さらに急速潜航に役立つ水中翼も備えている。緊急潜航時には、この水中翼のフラップ操作によって水中運動を敏速化するのである。
加えて新機軸として、自動操舵システムも備えている。ソナーと連動して、潜水艦を自動操作するシステムで、航海長や航海士の負担は大きく減った。信頼性も高く、故障も滅多にないのも技術陣の成果であろう。
『ごうしお』はいつも通り、訓練と哨戒・海洋調査を兼ねた航海の真っ最中だった。
台湾海軍は、日本帝國から呂三三型潜水艦を給与されていた。小型潜だが航続距離は長く、静寂性も悪くない。
が、潜水艦の操縦は簡単にはいかない。訓練も不十分だった。
だから、桶狭間隊が台湾周辺で唯一の潜水艦戦力といっても過言ではなかった。
そんな大役が任されている桶狭間隊の『ごうしお』だったが、当の艦長は、艦長室で海図を見ながらコーヒーを啜っていた。
隠岐光尚少佐は、国防海軍でも有名な“洋風かぶれ”で、常に略装の首から十字架を下げ、聖書を艦内に持ち込んでいた。
これだけ聞くと唯の変人だが、彼は“nobless oblige”(=身分には義務が伴う)を信条とする高潔派であり、数々の武勲をあげながら、戦場に出て一人も部下を失っていないという誇るべき戦訓を持っている。
と、同時に大のコーヒー好きで、武骨な支給品のステンレス製コップで高級コーヒーを飲む姿が、艦内で確認されている。
英連合王国王立海軍、そして旧帝國海軍から血を受け継ぐ帝國国防海軍でも、相も変わらず知英米派はいた。
本来なら、とっくに中佐か大佐に昇進して潜水戦隊司令か核動力潜水艦艦長になっておかしくない人間なのだが、なぜか今でも少佐であり、部下からは“潜水艦隊七不思議”の一つとして語り継がれているらしい。
当然、そんな隠岐光が『ごうしお』艦長に就任したことに、乗務員は大いに沸いた。彼の名を知らぬ潜水艦乗りはおらず、彼の乗艦に乗れば、絶対に生き残れると信じていたからである。
『ごうしお』航海長志摩本冬樹もその内の一人だった。
志摩本は、“何事も上官に学ぶ”を信条としている人間で、上司の良いところを徹底的に盗み、自分を育てるタイプだった。つまり、上司に嫉妬したり、寝首を掻こうとするタイプではない。
軍人、それも潜水艦勤務の様な苛酷な職場は、上官に下剋上を果たす気概が無ければやっていけないから、そういうタイプは珍しくないのだが、志摩本は違うらしい。
潜水艦勤務は苛酷である。今でこそ、居住空間が改善され、空気浄化装置や空調装置が導入され、さらに潜水母艦の支援も充実して大分マシになったのだが、相も変わらず碌にお天道様も拝めないし(寧ろ潜航時間は長くなっているのでよけい拝めなくなっている)滅多に風呂に入れない。食事も新鮮食材はあっという間に尽きる。
アメリカでは“豚の舟”とすら言われ、帝國のサブマリナーから“牢獄の囚人の方がマシ”とまで言わせた潜水艦勤務の苛酷さ(と居住環境の劣悪さ)は、悪い意味で健在だった。
さらに、攻撃を喰らえばたちまち潜水艦は、“鋼鉄の棺桶”と成り果てる。潜航中の潜水艦が撃沈され、乗務員が生存できる可能性はごく僅かだ。大抵の場合、水圧と衝撃波により肢体は引き裂かれて魚の餌となる。
が、帝國では潜水艦の地位が高かったうえに、人命尊重論が台頭していた。乗務員の居住環境改善は潜水艦隊司令部、艦政本部、旧軍令部(現海軍幕僚本部)のいずれの組織からしてみても至上課題であった。
さらに潜水艦隊は水上艦隊と比較しても選抜部隊である。給料も高かった。
が、それ以上に誇りを持っているサブマリナーも多かったことも事実だった。
「艦長、不審なノイズをキャッチしました」
チャートを見ていた隠岐光は、志摩本の声に顔をあげた。
「ノイズ?潜水艦か?」
「おそらくは。国籍も特定できません」
「『仁淀』に連絡は?問い合わせろ。友軍かもしれんぞ」
「通信しますか?悟られますよ。通信可能深度まで浮上する必要があります」
伊五〇〇型は新型耐圧鋼を採用しているため、200メートルまで潜れる。いや、試験では250まで行けたらしいのだが、今はそのような綱渡りをすべき時ではない。
「しかも、本群は広範囲に広がっております。友軍潜水艦が、付近にやってくるでしょうか?」
潜水艦隊の基本理念は通称破壊戦である。
相手が船団を組んでいる場合、一隻で襲うのはいかにも効率が悪く、危険だった。
そのためSFにとって、陸上司令部や旗艦、或いは電子戦機を通した長距離無電システム、そして任務群同士の相互通信連携(水中電話)を確保するのは至上命題であった。
集団戦術――ドイツで言う“狼群戦術”――をしようにも、目標船団の位置と僚艦の位置が不明ではやりようがない。
そのため、帝國はこれらの開発・装備・実用化を急いだ。だから、いつの間にか僚艦が近くにいたという間抜けな事態も起こり得ない。
「航海長の疑念はもっともだが、彼奴が同盟国・友好国の潜水艦ならば、帝國の外交政策に支障をきたすぞ」
首から下げた十字架を握りしめながら、隠岐光は軍人としては異様に長い髪を掻いた。
「しかし、同盟国や友好国、或いは中立国の潜水艦なら、事前に通告して来ないはずがありませんし、そもそもここは公海とはいえ台湾付近です。潜航をすること自体が問題です」
当たり前だが、帝國は台湾連邦政府に事前許可をとって訓練・航行している。仮に、他国の潜水艦の航路と接触する場合、事前に説明があるか訓練中に通信が入るかあってもおかしくはない。
それに潜航中の潜水艦が無断で領海に入るか接近する行為は、撃沈されても文句は言えない行為である。
「とにかく、『仁淀』に確認を取れ。一応戦闘態勢だ」
「諒解です」
志摩本は小さく頷き、通信長に伝えた。
・伊五〇〇型(へきしお型)潜水艦
基準排水量2,000トンの新型潜水艦。新型シュノーケルやソナーを搭載し、機関のパワーアップしているため、水中速力29ノットが可能。静寂性にも優れている。また、対地・対艦誘導弾搭載用の発射筒も装備。同型艦は三五隻で、現在も量産中。