Ⅶ 不穏は意図せずやってくる
澎湖諸島は、台湾の西に位置する群島である。
その付近を、旭日旗を掲げた艦艇が航行していた。
その内の一隻、ネイヴィ・ブルーに塗装された軍艦の艦橋で、一人の男が立っていた。
第四水雷戦隊駆逐艦『水風』は、陽炎型駆逐艦二二番艦として起工・就役した艦である。
陽炎型は基準排水量2,000トン、最高速力35ノット(後改装で37ノット)の快速駆逐艦である。嘗ては水雷戦隊の花形として、“酸素魚雷”を武器に大暴れし、英国戦艦『ウォースバイト』を葬るなどの戦果をあげているが、現在は魚雷発射管を全廃。代わりに誘導弾と魚雷を両方発射可能な多目的発射筒を六基備えている。他にも国産八式爆雷投射機“漁火”などを搭載し、対潜戦闘力も確保している。当然、ソナーもある。
主砲は、対空両用砲である四年式八八ミリ両用砲三基に換装されている。
ちなみに四水戦(第四水雷戦隊)には、『水風』始め『早波』・『雪風』・『萩風』・『綾風』・『虚風』の計六隻が配属されている。
『水風』は、戦隊の最右翼を航行していた。
艦橋から、名も無き澎湖諸島のとある無人島を眺めていた艦長霊幹洞吾は、“車引き”(駆逐艦乗り)の艦長特有の潮気を纏っていた。
「船務長、電探に異常はないか?」
[皆無ですな]
マイクをとった霊幹は、戦闘中枢を陣取っているはずの船務長へと声をかけた。その声は、些か緊張感が込められ過ぎているようにも見えたが、それでも霊幹はまだ平常心を保っているつもりだった。
霊幹洞吾は駆逐艦艦長にしては珍しく、生真面目一頭な性格だった。駆逐艦のトップには、大抵豪放磊落か沈毅雄武、或いは剛毅木訥のタイプが多いのだが、霊幹中佐の性格を表すなら、“慎重居士”か、“用心堅固”となるだろうか。華族の末裔かと思うほどの品性な雰囲気を身に纏い、何事にも慎重だった。
こういった人種は、本来なら副長に向いているだろう。実際、巡洋艦か戦艦の副長の方が、彼には向いているのかもしれない。
一方船務長は、どこか余裕の感じられる声色だった。
駆逐艦は被弾に弱い。
魚雷でも誘導弾でも、一発貰えばアウトである。だからか、駆逐艦の艦長に臆病者は決してならない。出世街道から外れるという意味もあるが。
要するに、純粋な“現場派”でなければ務まらないのが、駆逐艦艦長なのだ。
『水風』を含む四水戦の任務は、澎湖諸島の偵察だった。
最近、ここで海賊が出没しているという噂が入り、しかも彼らが、中華人民共和国(南中国)の手の者という未確認情報があった。
いざという時のために、四水戦の背後には二遊戦(第二遊撃戦隊)が控えている。ちなみに六航戦(第六航空戦隊)『洋鳳』・『天鳳』・『大鳳』は、台湾沖で航空団の受け入れの真っ最中だった。いざとなれば、航空支援が期待できる。
現在、中華大陸は三つの国家に割れていた。
中華民国(北中国)・中華連邦(東中国)・中華人民共和国(南中国)である。
そして日本帝國は、中華人民共和国と“冷戦”態勢にあった。
共産国家の南中国は、北部と東部を失い、南西に逃れているが、台湾の独立や残りの二つの中国の存在を認めておらず、日本及びUNAOを“悪の枢軸”と呼んでいた。ちなみに北中国と東中国は、UNAOに加盟している。
そして澎湖諸島は、当然中華人民共和国からすれば“自国領”であった。
そのためか、現在澎湖諸島は、一種の“空白地帯”となっている。双方ともに軍は進駐させていない。そんなことをすれば、火に油を注ぐ結果になることは誰でもわかるからだ。
そして亜細亜情勢はキナ臭くなる一方であり、剣呑な雰囲気だった。
「第三次世界大戦は、中華大陸から始まる」
世界各国の知識人は、そう言って憚らなかった。
もし、噂が本当なら、それは南中国の侵攻準備に他ならなかった。
ならば、そんな考えは根底から叩きつぶさなくてはならない。
厄介なことに、南中国にはソヴィエドの技術者が亡命しているという噂もある。
有力な水上艦隊があるという情報は無いが、ミサイルを積んだボートでも脅威にはなる。
霊幹とて、かの四水戦が“海賊狩り”をするという現実に不満が無いわけではないのだが、任務は任務だ。軍人の本分は、任務の完遂である。完全達成以外の結果は求められていない。
相手がボートや魚雷艇くらいなら、八八ミリ砲で粉砕できる。駆逐艦・巡洋艦が出てきても、誘導弾の飽和攻撃で最低でも戦闘不能に追い込める。誘導魚雷の斉射という奥の手もある(もっとも誘導魚雷は一艦につき一発しか配備されていないが)。
また、戦艦の援護も見込める。要塞砲とも渡り合える40センチ砲は戦力として十分である。
さらに、空母の艦載機もある。
「さて、どうなるか……」
「戦隊司令、『水風』より通信です……[風波共ニ穏ヤカナリ]以上です」
「ふむん、成程」
旗艦『酒匂』のCICで腕を組んでいた蛍森水無月提督は、したり顔で、しかし面倒臭そうな表情で頷いた。
「どう思うよ、霧水チャン」
指を指され、見るからに胃の弱そうな細身の女性――霧水華先任幕僚が顎を撫でつつ返答した。
「連中がどの程度の規模かは知りませんが、これだけの兵力を前にして正面からの決戦はしないでしょう。まずは身を隠し、獲物を待つか……最後まで隠れているか、撤退か」
「最後の二つは却下ね。面白くない」
あっさりと言われ、霧水中佐は頭を抱えた。顔が無駄に青褪めており、初対面の者がいれば船酔いを疑うこと確実である。
「警戒は万全?対潜警戒は?」
「我々は18ノットで航行中です。高速を出し過ぎると、ソナーは使い物にならなくなります」
「確か帝國国防海軍の潜水艦は、水中速力29ノットを記録したそうじゃん?」
「えぇ。米国サンの潜水艦も同じくらいだとか」
「そんなのが出てきたらマズいねー」
「御言葉ですが、我が戦隊は警戦群(警備戦隊群)程ではないにしろ、対潜兵装を搭載しております。訓練も怠っておりません」
戦務幕僚がやや厳しい口調で言葉を返す。
一方霧水は、そんな血の気の多い青年を羨ましげに一瞥した後、挙手をして発言を求めた。
「後方に控えます六航戦より、“彩雲改”を飛ばすことを提案いたします」
『酒匂』は艦載機を搭載していない。新型対潜ヘリの配備が遅れているため、後部のヘリ甲板は空っぽである。陽炎型駆逐艦には、元々艦載機は搭載していないし、するスペースも無い。
「少なくとも我が国の認識では、澎湖及び本海域は台湾領です。偵察機を飛ばしたところで、問題もありません。そもそも偵察機を飛ばした程度では開戦たる理由になりませんし」
どうやら霧水中佐は、見かけと違ってしっかり意見できる人間らしい。まぁ、司令に上申するのも幕僚の務めだ。
「ん、諒解」
蛍森はあっさりとその進言を受け入れた。
「嵯峨川クン、六航戦の安芸司令に連絡して。[ワレ目標海域ヲ偵察スルモサシタル情報得ラレズ。偵察機ノ発進ヲ望ム]以上」
・陽炎型駆逐艦
基準排水量2,000トンの駆逐艦。旧式化が進んでいるが、兵装を換装して戦闘力を維持し続けている。ただし、魚雷発射管をはずし、代わりに誘導弾も発射可能な多目的発射筒を六基搭載している他、主砲を八八ミリ両用砲に換装している。
*史実では一九隻が就役していますが、今作では二四隻が就役済み。内六隻が、戦争にて戦没しています。