06.触れ合い:ヨゥラside
「今日は手首までなのだね。」
『ええ、なんとかここまで』
ヨゥラの従兄――イレイがここにきて覚醒してから5日が過ぎようとしていた。
その間、ヨゥラの世界では2年の時が経過している。
背も伸び、女性らしい体つきへと彼女は変わろうとしていた。
子供っぽく小さくてもちもちとしていた手の平は、ほっそりと女性らしさをにじませるようになっていた。
イレイの固くがっしりとした手を握るにつけて、自分の子供っぽさが強調されるように感じてがっかりしていたから、それは嬉しい。
けれど、切ない。
その間、慕う相手と会話は交わせど、顔をみることができていないのだから。
想いは叶わないと承知している。
自分など、イレイから見ればほんの子供にすぎないのだから。
けれども。
せめて、姿形とも捉えたいと思うのは、贅沢だろうか。
薄ぼんやりとイレイの姿を意識で捉えることはできるのだが、あくまでぼんやりとしか捕らえることができない。
例えて言うなら、曇り硝子の向こうにいる人影といったところだろうか。
かろうじて身振り手振りはわかるものの、輪郭の滲んだ様子で、はっきりと見ることはできないのがじれったい。
『おじ様からは、私の手首までははっきり見えますの?』
気になってヨゥラは尋ねた。
ひょっとすると、イレイから見ても薄ぼんやりとした手首なのだろうか?
「いや、そんなことはない。・・・お前のほうからは良く見えないのかね?」
『ええ、動いている様子は捉えられるのですが、はっきりと見ることはできないんですの』
それがなんと残念なことか。
『ねぇ、おじ様。』
ふと、思いついた。
「なんだね?」
『おじ様のお顔を、触らせてくださいませんか?』
いい思い付きだと思った。
目で直接、見ることはかなわない。
ヨゥラの今の力では、どうしてもできない。
でも、触ることならできるはずだ。
「・・・構わないが、面白いことなどないと思うよ。そういえば、髭もはえてこないな。面白いものだ。」
『では、わたくしの記憶にあるままのおじ様のお顔なのですね』
「おそらくそうなるな。泉に顔を映してみたのが、もし正しい像だとすればだがね」
『確認しても、よろしいかしら?』
「ああ、好きにするといい。」
『ふふ、嬉しい・・・。かがんでくださる?』
「わかった。・・・こんなものでどうだね?」
イレイの手が伸びる。
誘導するようにヨゥラの手を引き、自分の頬に添えた。
ちょうど良い位置までかがんでくれたらしく、背伸びしないでも届く位置にイレイの頬がある。
促されるまま、ヨゥラはイレイの輪郭を指先でたどった。
間もなく30に届こうとする青年の肌とは思えない肌理に少し嫉妬する。
『おじ様、殿方ですのに、お綺麗なお肌ね。少し妬けてしまうわ』
「ヨゥラのほうがずいぶんと綺麗な肌をしているとおもうがね。」
『それは気を使っているから当たり前ですわ。・・・おじ様なんて、気を使っていらっしゃらないのに、そのお年でそのお肌だなんて不条理ですわ』
明日から今まで以上に肌の手入れの時間を増やさなくてはいけない、などと頭の隅で考えながら、そろそろと指を滑らせていった。
『危ないから目は閉じてくださいませ』
何しろ、彼の顔を手探りしている状態なのだ。うっかり指が目にでも触れたらたまらない。
「それはもうしているよ。・・・なんだかくすぐったいものだね」
『我慢してくださいませ』
くすくす笑いながら、頬、蟀谷、額、鼻と指先を動かしていく。
瞼の上を通り、頬骨――口まで届いたところで。
『おじ様!?』
びっくりして手を引いた。
――指を、舐められた。
「はは。・・・いや、どんな味がするのかと気になってね。」
流石に生身ではないせいか汗の味はしないのだな、と呟くイレイの声が耳に届く。
『い、悪戯はしないでくださいませ!』
イレイに顔が見えなくて良かった、と初めて思った。
きっと真っ赤になっている。
頬が熱い。
「悪戯ね。・・・こういうことかね?」
その瞬間、背筋にぞくりとしたものが走った。
指の先をイレイに銜えられている。
舌先でなぞられて指の股を舐められ・・・。
『っ・・・ふ・・・ぉじ・・・さまっ!』
びくり、とヨゥラが身を震わせた。
『やめ・・・』
「・・・やめたよ。・・・ちょっと悪戯が過ぎたかね。」
『お戯れが過ぎますわ!』
イレイから腕を引きはなした。
見知らぬ感覚が身を走ったせいなのか、鼓動が早い。
「すまない。悪かった・・・許してくれるかね?」
『おじ様が、きちんと謝ってくださったので許しますわ。でも、今度お会いした時にパフェを奢って頂きましてよ』
「お安い御用だ。なんなら、他にケーキをつけてもいい。」
『そんなに食べられませんわ』
「そうか。」
『ええ。でも、約束でしてよ』
「ああ、勿論お前に会えたら、その時は好きなだけ奢ってやろう」
『楽しみにしております。さて・・・そろそろ時間ですわね』
光が薄れていくのを感じる。
これ以上、イレイに触れ続ける事はできない。ヨゥラの力はそれほど強いものではないのだから。
こうやって、彼と触れ合うことができるようになるだけでも、長い時を要した。
「そのようだな。」
『次はまた半年後』
「・・・そうだな」
僅かにイレイの声に寂しさが含まれているように感じた。
それも当然だろう。
イレイのいる場には、何者の姿を感じ取る事もできない。
聞けば、人がふらりと通りかかる事はあるのだというが、話しかけても要領を得ないばかりか、襲い掛かってくることもあるのだという。恐らく、イレイと同じように『奇病』に冒されたもの達なのだろうが、既に正気を手放しているという所だろう。
イレイも彼らの様に正気を手放す日が来るのだろうか。
やがては、ヨゥラのことも忘れてしまうかもしれない。
ヨゥラの胸に何かがこみ上げてくるように感じた。
それを吐き出したくて、口を開く。
『わたくし、おじ様に伝えたいことが』
「なんだね?」
けれども、結局喉元までせり上がってきた言葉は音にならなかった。
諦めて一度口を閉ざし、首を振った。
『いいえ、いいえ・・・やっぱり忘れてしまいました』
「そうか。」
『ええ。いつか思い出したら聞いてくださる?』
――お慕いしています、と。
届かない思いだとはしっている。
あれだけ綺麗な大人の女性に囲まれていたイレイだから。こんな子供が彼のことを思っていると知っても笑われるだけだろう。
「勿論、お前が言いたいことならばいくらでも。」
『お願い、いたします』
ふわり、とヨゥラは微笑んだ。
イレイには見えないだろうけれど。
「ああ。勿論約束だ。そうだ、消える前にまた手を貸してくれるかい?悪戯はもうしないから。」
『悪戯をなさらないなら、どうぞ』
そっとイレイの前に手のひらを差し出した。
「手のひらではなく、甲の側を向けてほしい。・・・そうだ」
そっとイレイの手のひらが添えられ、持ち上げられる。
イレイの唇が手の甲に押し当てられた。
「私の姫君に祝福のキスを。お前がそちらの世界で幸せに過ごせるように」
イレイの声がだんだんフェードアウトしていく。
最後の一音を耳が拾い上げるのと同時に、世界は断絶した。
こちらと、あちらの夢の世界とは、関わりのない状態へと戻る。
――また、半年後まで。
遠い半年後を思って、ヨゥラはイレイの唇が当てられていた場所へ、そっと自分の唇をあてた。