01-2: 夢に落ちた日:イレイside
少女に指摘されて、彼は漸く異変に気づいた。
自らの身が見覚えのない場所に置かれていることに。
周囲を見渡せば、見慣れない平原だ。地面に這う草はみずみずしい色が抜けて、枯れた色をしている。
空は淀んだグレイ。
なんと寒々しい光景なのだろう。周りには枯れた草と、ごつごつした石ころ、乾いた土しか見えなかった。
そもそもが・・・彼の知っている少女はまさしく「少女」の姿をしているはずであって、こんな光などではない。
この光は確かに少女がらみで過去にみたことがあったため、さほど疑問に思わなかったというのもあるとはいえ、思考までもが鈍っていたのか。
『今、都に流行っている奇病を存じていらっしゃいましょう?』
少女の言葉に、そういえば、そんなこともあったと思い出す。
身近に罹ったものがいなかった為、関心をもっていなかったことが悔やまれる。
朧げな記憶を辿り、なんとか『奇病』に関する情報を頭の片隅からひっぱりだした。
確か――眠ったまま目覚めず、やがてはどこへとも知れぬところへ姿を消す病。
『おじ様はわたくしと出かけた日のことを覚えていらっしゃる?あの日おじ様は、帰ってから直ぐ、倒れておしまいになったんですの。凄い熱が出て、昏睡状態に入った後・・・熱が冷めても目覚めなくなって。先日のことですわ、ついに姿を消しておしまいになったの』「先日?」
言葉の中に不穏な単語を感じて、彼は聞き返した。
『そうですわ。先日・・・おじ様が倒れてからもう1月が立ちましたの。』
「一月も?」
少女と買い物を楽しんだのはつい先程のことのようなのに。
――一月だと?
『ええ。おじ様が消えてからは半月ですわ。その間、必死に探しました。巫女の座は返上して次代に譲り渡した今、もはや只人に毛の生えた程度の力しか持ちえないわたくしですが――おじ様の為ですもの』
持っているときはこんな力などいらないと思ったものなのに、無くなってから必要になるだなんて皮肉ですわね。
自嘲する様に、少女はそう呟いた。
「そうか。心配をかけた。それで、私はこれからどうなるのかね?」
『今のところはわたくしも何もできません。おじ様を夢の中から戻せる方法も、今必死で調べさせておりますわ。必ず、こちらに帰って頂けるように。』
「ヨゥラ、無理はしないでいい。・・・確かにわけのわからない場所に放り込まれて不安は感じている。・・・だが、お前に無理をさせたくはない。10のお前は学業と遊びに専念していればいいんだ。私のことなど心配しなくていい。そんなことのために引き取ったのではない。」
『おじ様、わたくしがしたいから、しているんですの。見くびらないで!義務感や義理・・・まして恩を感じて探しているのではないですわ。近しい肉親は貴方だけでしょう?心配して何がいけないんですの?・・・わたくし達、たった一人の従兄妹ではありませんか・・・ねぇ、イレイ。』
従兄妹。
そう、彼女と自分との関係は従兄妹。
決して叔父と姪の関係ではない。それよりはもっと遠い関係。
おじ様と呼べといったのは自分だ。
年が離れているから、まるで少女をかどわかす悪い男に見えてしまうから、名前ではなくおじ様と呼んで欲しい。
冗談めかしていったのは少し前――彼が両親をなくした彼女を引き取って、暫く経ってからのことだった。
初めは納得の行かないような顔をしていた彼女も、やがてそれに慣れ、自分のことを「おじ様」と呼ぶようになった。
お互いに両親をなくしたもの同士。
近い血縁で、現在も生存しているものには祖父母がいたが、遠い外国で暮らしている上、連絡もなかなかとれなかった。
遠い分家の親戚なら山ほどいるが、直径の血を引くものは自分と彼女だけ。
一族に伝わる不可思議な【力】に触れる機会を得たのも彼と彼女だけ。
そうした繋がりが、彼女と自分の距離を近くしていく・・・・近く、なりすぎた。
彼女はまだ十で、自分は二十九の年を数える人間だ。倍どころか、彼女は自分の3分の1ほどしか生きていない。
それなのに自分は――。
気が付いたら、彼は不特定の様々な女と口付けを、あるいはそれよりも深い関係を結ぶ身に落ちていた。
どれほどの数の女と不道徳な関係をもったのか、彼も覚えていない。
怖かったのだ、自分がもしかして・・・・。
『イレイ?』
名前を呼ばせないのは防波堤だ。
少女と自分をこれ以上近づけないための。
そうでなければ、きっと、彼は取り返しの無い事をいつかしてしまいそうだったから。
『イレ・・・おじ様?お加減が悪いの?それともご機嫌が悪いんですの?お名前をお呼びしたから・・・。』
「――ああ、なんでもない。少し状況把握に戸惑ってね。」
『確かに、無理もありませんわね。少し、辛抱なさってくださいませ。必ず、おじ様が戻れるようにいたします。』
「・・・・そうか、お前が言うなら。任せるよ。」
『ああ・・・そろそろ、意識が・・・っ。わたくしももう戻らなくてはならぬようですわ。また、参ります。必ずや。』
「ああ、約束だ。」
『きっと』
少女の声がフェードアウトし、光は唐突にぱっと姿を消した。
後には静寂とどことも知れぬ光景がイレイを取り囲んでいた。