07.輪郭の滲んだ夢:イレイside
泣き顔が、目裏に浮かんでは消えて行く。
すまない――彼は一言それを口にするのが精一杯で。
泣き顔の彼女が何かを言った。
聞こえない。彼が叫んでいるのに、彼女は口をつぐんだまま首を振る。
そうして、彼女の手は離れていった。
イレイは勢いよく体を起こした。
寝ていたのか。不自然な体勢で横になっていたのだろう、全身あちこちがきしむ。
日付の感覚が、ここ最近曖昧になってきている。
昨日はここに来てから何日目で、今日が何日なのか。
目覚める前にみた悪夢で気分も最悪だ。
「まずいな・・・。」
彼女の声で目覚めるのが当たり前になりつつあった数日のあと、ぱたりと彼女が姿を見せなくなった。
彼の時間においては多分2、3日。
しかし、彼女の世界では一年以上の時間が――もしかするともっと――流れているはずだった。
ふと天を仰いで見ると、日は中天に差し掛かっている。
彼女は今日も、まだ現れない。
今までは、まだ日がさほど高くない時間に現れていたというのにだ。
彼女はそろそろ14歳の年を数えようとしているはずだった。
もし、時間の流れが一定なのであれば。
生憎と、確かめるすべは無い。それを教えてくれるはずの彼女が、姿を現さないのだから。
ひょっとすると、あちらでは10年の月日が経っていたとしても、おかしくは無い。
そう、彼女が姿を見せないのもそういった理由かもしれない。
正気を失った者に襲い掛かられ、追い払うこと数回。
それ以外には特にやることなどない日常に、彼は飽きはじめていた。
(このままではいずれ狂うかもしれない)
そんな思考が時たま彼を苦しめた。
変化のない日常。
ここには何もない。あるのは枯れた草と地面と石だけ。
ここにいても特にやることもなく、かといってここを離れるのも憚られた。
ヨゥラとの繋がりが絶たれたらと思うと、場所を移すことが怖いのだ。
この場に居ても、彼女に会えるとは限らないのに、それでもかすかな希望を捨てきれない。
腹はすかなかった。
これだけの日数が経過しているにも関わらず、食べ物はおろか水すら口にしなくても、彼はまったく飢えを感じていなかった。
夢の世界だからだろうか?
その癖、痛みだけは感じるのだから面白いものだ。
一度、襲い掛かられた時に軽い擦り傷を負った。
さほど深いものではなかったが、じくじくとした痛みが少しの間彼の身にとどまった。
頬をつねってみれば、これまた痛い。
夢の中で頬をつねれば痛くないというのが定石なのではないかと思うのに。
実はヨゥラと過ごしたあの日常こそ夢で、彼が今いる世界が本当なのではないかという気にすらなってくる。
そう、ひょっとしてこの現実から逃れるために彼が生み出した幻なのではないかと。
「ヨゥラ・・・」
すがるような気持ちで彼は片膝を突き、首をたれて指を組んだ。
祈るという行為は彼は余り好きではない。
にもかかわらず、せずにはいられない気分だった。
自分が今ここにいて、そしてヨゥラという存在が彼の妄想でもなんでもないことを証明して欲しい。
「ヨゥラ・・・」
もう一度名を呼んだ。
自分を忘れていいといった癖に、ざまあない。
あの時は自分の存在をしっかり保っていられたからこその言葉だったのだと。
今、彼は思う。
自分の存在すら危うく、さらに彼女が夢ではなかったかと不安だった。
何しろ、彼女という存在が彼の傍にいた証拠が、何もないのだ。
写真一枚すらない。
まして、仮に彼女が夢ではなかったとしても――もう、会える保証もないのだ。
そう、彼女は彼を忘れてしまったのかもしれない。
彼女のほうも、イレイなど夢幻だったのだと。
そんな人間はもともといなかったのだと。
そう、思い込んでも不思議がない時間が、彼女のほうでは流れているはずだった。
イレイは空を仰ぐ。
叶うならば――後一度でいい、彼女に会いたい。
彼が正気を手放す前に。