4話
社交界の噂というものは、風より早く、花粉よりしつこい。
春も半ばに入る頃には、王都のあちこちでリディア・エヴァレットの名が勝手に使われるようになっていた。
曰く、婚約破棄の現場に現れる伯爵令嬢。
曰く、勘違いした男を静かに追い詰める令嬢。
曰く、泣く令嬢の代わりに証拠を喋らせる令嬢。
どれも間違ってはいないのだが、まとめて言われると大変に不本意である。
「お嬢様、最近よく見られております」
「それは前からでしょう」
「そういう意味ではなく」
ジェラルドは紅茶を置きながら、淡々と続けた。
「街中で『あの方が噂の』という視線をいただくことが増えました」
「帰りたいですわ」
「今、屋敷です」
「では部屋へ」
「朝食を終えてからになさってください」
リディアはパンに手を伸ばし、少しだけむっとした。
「全部ミレイユのせいですわ」
「半分ほどはそうかと」
「ずいぶん優しい判定ですこと」
「残り半分は、お嬢様が毎回きっちり片づけるからでは」
「片づけたくて片づけているわけではありません」
「存じております」
存じていると言いながら、ジェラルドの顔は少しも気の毒そうではなかった。執事という生き物は時々たいへん冷静である。
そこへ、控えめなノックが入る。
「お嬢様、お客様です」
「お断りします」
「お名前を聞く前に断るのはいかがなものかと」
「ミレイユでしょう」
「正解です」
まったく嬉しくない正解だった。
案の定、応接間へ行くとミレイユ・フォードが春色のドレスで優雅に座っていた。優雅に座っているくせに、表情だけはどう見ても面白いものを持ってきた顔をしている。
「おはよう、リディア」
「帰ってくださいまし」
「挨拶が雑」
「あなたが朝から来る時に、良い知らせだった試しがありません」
「今日は半分くらい良い知らせよ」
「残り半分が嫌ですわね」
ミレイユはまったく気にした様子もなく、テーブルに一通の封書を置いた。
「招待状?」
「ええ。明日の昼、グランフェル侯爵家の園遊会」
「行きません」
「即答」
「そろそろ平和な日常を返していただきたいですもの」
「でも今回、婚約破棄じゃないわよ」
「少しだけ心が軽くなりました」
「たぶん別方向に面倒なだけ」
「元に戻りました」
リディアは封書を手に取り、目を通す。たしかに正式な園遊会の招待状だった。差出人も申し分なく、断る理由は一応作れるが、不自然ではある。
「で、別方向とは?」
「姉妹喧嘩」
「帰ります」
「まだ聞いて」
「園遊会で姉妹喧嘩なんて、婚約破棄より面倒ですわ」
「しかもたぶん結婚話絡み」
「本当に帰ってくださいまし」
ミレイユは楽しそうに笑った。
「でも今回は、あなた好みかもしれないわよ」
「嫌な言い方ですこと」
「“片方だけが悪いとは限らない面倒ごと”」
「……それは確かに、少し気になります」
「でしょう?」
「人の性格の悪い部分を正確に理解しないでください」
「性格が悪いのは否定しないのね」
「今のはあなたのです」
ミレイユがまた笑う。
「グランフェル侯爵家のご令嬢、姉のアリシア様と妹のベアトリス様が、最近かなり険悪なの」
「理由は?」
「同じ男性」
「最悪ですわね」
「でも単純な恋の奪い合いではなさそう」
「どういう」
「そこがまだはっきりしないのよ。だから見に行きたいの」
「最後が本音でしょう」
「ええ」
清々しいほど迷いがない。
リディアはこめかみを押さえた。姉妹、結婚話、園遊会。面倒の香りがする。するのだが、ミレイユがこういう時に持ってくる話は、放っておくと本当に面倒なことになりやすい。そこが困る。
「殿下も?」
「たぶんいらっしゃるわ」
「でしょうね」
「アルフレッド様は」
「来なくて結構です」
「でも、たぶん来ると思う」
「なぜ」
「グランフェル侯爵家だもの」
「それで説明になっておりません」
「そのうちわかるわ」
その“そのうち”がすぐ来るのも困りものだった。
◇
グランフェル侯爵家の園遊会は、花そのものより人間の方がよく手入れされている庭だった。
生垣は美しく整えられ、噴水は光を跳ね上げ、白いテーブルには精巧な菓子が並ぶ。どこを見ても非の打ち所がない。逆に言えば、少しでも空気が乱れるとすぐ目立つ場所だ。
リディアはその庭へ足を踏み入れた瞬間、もう帰りたいと思った。
「まだ十分も経っていないのに?」
ミレイユが横で楽しそうに言う。
「十分で十分ですわ」
「今のはちょっと好き」
「褒められている気がしません」
すでに招待客たちはいくつかの輪に分かれ、会話と微笑みを交わしている。だが、その空気の中に、どこか薄い張りつめたものが混ざっているのをリディアは感じた。
「あれかしら」
ミレイユが目線だけで示した先に、若い女性が二人いた。
姉のアリシアは華やかな赤みのあるドレスを着て、堂々とした美貌を持つ人だった。対する妹のベアトリスは淡い青のドレスで、整った顔立ちながらも今はひどく緊張して見える。
そして二人の少し離れたところに、整った顔の青年がいた。明らかに自分が原因だとわかっているのに、どうしていいかわからない顔をしている。
「彼が?」
「ええ。セドリック・フェイン様。伯爵家のご子息で、家柄も顔も悪くないけれど、たぶん判断力は今ひとつ」
「気の毒なくらい雑な紹介ですわね」
「でも当たってると思うのよね」
その時、案の定というべきか、空気がはっきりと歪んだ。
アリシアが扇を閉じ、妹へ向き直る。
「……それで? あなたはいつまで黙っているつもりなの、ベアトリス」
「お姉様」
「知らないふりをしていれば済むと思って?」
「そういうわけでは」
「なら、はっきりなさいな」
近くにいたご婦人たちが、会話を止めずに耳だけ寄せる。たいへん器用だ。
セドリック青年が一歩出ようとするが、また止まる。止まるくらいなら最初から出てほしい。
リディアは嫌な予感を覚えた。
「ねえ」
ミレイユが小さく囁く。
「これは来るわ」
「何がです」
「人前で言うには向いていない話題」
「最悪ですわね」
次の瞬間、アリシアがはっきりと言った。
「わたくしの縁談相手と、こそこそ手紙のやり取りをしていたでしょう」
庭の空気が、すっと冷たくなる。
ベアトリスは真っ青になった。
「違います!」
「違わないわ。実際に見たもの」
「お姉様、それは」
「言い訳は結構よ。妹が姉の縁談を台無しにしようとするなんて、笑い話にもならないわ」
ああ、だめだ、とリディアは思った。
この言い方はまずい。人前で、姉妹で、しかも“言い訳は結構”まで入っている。ひどくよくない。
「行きますの?」
ミレイユが聞く。
「行きたくありません」
「でも?」
「でも、あれは駄目ですわ」
リディアは前へ出た。
「失礼」
二人の間に入るような形になり、アリシアが不機嫌そうに振り向く。
「……リディア様?」
「立ち入った真似でしたらお詫びいたします」
「でしたら」
「ですが、今のままではどちらにも品がありません」
「……」
アリシアの目が細くなる。気が強い。だが感情で押し切るタイプというより、もともと誇りが高い人なのだろう。
ベアトリスは助かったような、さらに追い詰められたような顔でリディアを見ている。
「何の話ですの?」
リディアは淡々と尋ねた。
「姉の縁談相手と妹が手紙を交わした、でよろしい?」
「ええ」
アリシアが答える。
「しかも一度ではないわ」
「ベアトリス様」
「……手紙は、受け取りました」
「送りましたの?」
「それは」
「ご覧なさい」
アリシアがすぐに言う。
「認めたようなものだわ」
そこでリディアは軽く首を振った。
「まだですわ」
「何ですって?」
「受け取ったことと、どういう内容だったかは別です」
「かばうの?」
「整理しているだけです」
その一言に、アリシアはほんの少しだけ言葉を飲み込んだ。
いい兆候だった。少なくとも、まったく話が通じない相手ではなさそうだ。
「では順に。アリシア様、最初に知ったのはいつ?」
「三日前。セドリック様の従者が、ベアトリスの侍女へ手紙を渡しているところを見たわ」
「手紙そのものは?」
「見ていない」
「内容も?」
「……知らないわ」
「なるほど」
「でも十分でしょう」
「いいえ、今のところは“手紙が渡った”だけです」
アリシアが不満げに息を吐く。
リディアはベアトリスへ向き直る。
「あなたは?」
「……受け取りました」
「何通?」
「二通です」
「差出人は本当にセドリック様?」
「はい」
「内容は」
「その……」
ベアトリスはそこで明らかに言いよどんだ。周囲の視線が一気に集まる。こういう時に詰まると、だいたい不利だ。
だが、その時だった。
「内容なら、私から説明します」
ようやくセドリックが前へ出てきた。遅い。たいへん遅いが、出てこないよりはましである。
整った顔立ちの青年は、今は居心地悪そうに眉を寄せていた。
「最初からそうなさいまし」
リディアは言う。
「……面目ありません」
「本当にそう思うなら、女性二人の間で黙って立たないでください」
「返す言葉もありません」
アリシアが冷たく言った。
「で、何を説明なさるの?」
「誤解です、アリシア」
「その言葉が一番信用ならないのよ」
「ですが本当に」
「内容を」
リディアが短く促す。
「はい」
セドリックは一度息を整えた。
「最初の手紙は、ベアトリス様へ“姉君への贈り物の相談”をしたものです」
「……は?」
アリシアが固まる。
「二通目は、その返事への礼でした」
「なぜ妹に?」
「あなたの好みを、あなたより少しだけよく知っていそうだったからです」
「少しだけ?」
「小さい頃から一緒におられると聞いたので」
アリシアは目を見開いたままだった。今のところ怒りより戸惑いが勝っているらしい。
ベアトリスがようやく小さく声を出す。
「お姉様、お誕生日が近かったから……」
「わたくしの?」
「はい。セドリック様が、何を贈れば喜ばれるかわからないと」
「それで、あなたは返事を?」
「お姉様が赤い石より青い石の方を好まれることと、重たい首飾りより小さめの耳飾りの方がお好きなことを……」
「まあ」
今度はリディアが少しだけ感心した。
それはたしかに、妹にしかわからない情報かもしれない。姉妹ならでは、ではある。だが人目に触れたら誤解を生みやすいことこの上ない。
ミレイユが後ろで小さく言う。
「思ったよりかわいらしい理由だったわね」
「ええ」
「でも運び方が最悪」
「本当にそれですわ」
アリシアはしばらく黙っていたが、やがてセドリックをきっと睨んだ。
「では、なぜわたくしに先に言わなかったの」
「驚かせたかったので」
「その結果がこれ?」
「……はい」
「愚かね」
「はい」
「素直でよろしいこと」
リディアは少しだけ、セドリックに同情した。ほんの少しだけである。
だが話はそれで終わらなかった。アリシアは今度は妹を見る。
「ベアトリス。あなたも」
「はい」
「なぜ黙っていたの」
「お姉様に言ったら、驚きがなくなると思って……」
「そこは似なくてよろしいのよ」
「申し訳ありません……」
「本当にそう思っている顔ではあるのが、また困るわね」
なるほど。姉は強く、妹は気弱だが、根はだいぶ誠実らしい。
周囲の緊張が少しゆるんだ、その時だった。
「でも、それだけではありません」
控えめな、しかしよく通る声がした。
皆が振り向くと、年配の女性が一人立っていた。グランフェル侯爵夫人である。柔らかい笑みを浮かべているが、目はしっかりしている。
「お母様」
アリシアが言う。
「母上」
ベアトリスも続ける。
侯爵夫人は娘たちを見渡し、それからセドリックへ微笑んだ。
「あなたが贈り物の相談をしたこと自体は、可愛らしい話です」
「恐縮です」
「でも今回こじれたのは、そこだけではありません」
「と、申しますと?」
リディアが尋ねる。
侯爵夫人は少しだけ肩をすくめた。
「アリシアはずっと、妹に気を遣ってきましたの」
「お母様」
「あなたは黙っていなさい」
「はい……」
アリシアが珍しくおとなしくなる。母は強い。
「妹は体が弱い時期があり、何かと手をかけられることが多かった。そのたびアリシアは“姉だから”と我慢してきたわ」
「そんなこと」
「あるでしょう。あなたは賢いから、自分で飲み込んできただけ」
「……」
「ベアトリスはベアトリスで、それをわかっていて遠慮しすぎる」
「はい……」
「つまり、二人とも気を遣い合って、ろくに話していないのです」
ぐうの音も出ない、という顔を姉妹そろってしていた。
リディアは納得する。
今回の手紙はきっかけにすぎないのだ。もともと姉妹の間には、積もった遠慮と誤解があった。そこへ“縁談相手との内緒の手紙”などという誤解しやすい出来事が落ちてきたのだから、爆発もする。
「では問題は」
リディアは言う。
「手紙そのものより、“どうせ自分には何も言わない”と思ってしまったこと、ですわね」
「……そうかもしれないわ」
アリシアが低く答える。
「だってベアトリスは、昔からそういうところがあるもの。何でもわたくしに遠慮して、結局何も言わない」
「お姉様が立派すぎるからです」
「それはそれで腹が立つのよ」
「申し訳ありません」
「すぐ謝る」
「だって」
「そこでまた謝る!」
今度は、周囲から小さな笑いが漏れた。
ベアトリスは本当に困った顔をしている。アリシアは怒っているのに、少しだけ困ってもいる。姉妹である。
その時、背後からよく知った声がした。
「なるほど。今日は婚約破棄ではなく家庭内不和ですか」
アルフレッドだった。
いつの間にか来ているのは、もう驚くべきかどうか迷うところである。
「あなたもいらしたの」
リディアが言う。
「殿下に呼ばれました」
「やはり」
「私も薄々そうだろうとは思っていました」
「お気の毒に」
「それも毎回言いますね」
少し遅れて、実に楽しそうなセシリア王女も現れた。
「まあ。思ったより穏やかに済んでいるわね」
「残念そうに聞こえますわ」
「そんなことないわ。少しだけよ」
「少しはあるのですね」
「ええ」
王女はあっさり認め、姉妹へ優しく微笑んだ。
「でもよかったわ。人前で壊れる前に止まって」
「殿下……」
アリシアが少し頭を下げる。
アルフレッドは状況をひととおり聞き、簡潔にまとめた。
「つまり、贈り物の相談という内緒話が、もともとの姉妹間の行き違いに火をつけた」
「そういうことですわね」
リディアが頷く。
「そして火をつけた本人はサプライズのつもりだった」
「耳が痛いです」
セドリックが言う。
「当然でしょう」
アリシアが返す。
「はい」
「素直なのだけはいいところね」
「ありがとうございます」
「褒めてないわ」
「その会話、少し好きですわ」
ミレイユが言った。
リディアはようやく、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。
大事になりかけたが、どうやら今回は誰かを悪役に仕立てて終わる話ではない。そういう回があってもいい。
「では」
リディアは言う。
「せっかくですし、ここで一度ちゃんと話し合われては?」
「ここで?」
ベアトリスが目を丸くする。
「皆さまの前で?」
「いいえ、もう少し奥で。人払いをお願いして」
「承知しました」
アルフレッドが即答した。
「そこまで自然に動かれると、少し怖いですわね」
「最近慣れてきただけです」
「慣れない方がよかったのでは」
「私もそう思います」
セシリア王女がくすりと笑う。
侯爵夫人の指示で、近くの東屋が空けられた。姉妹とセドリック、そして侯爵夫人だけがそちらへ向かう。去り際、アリシアがリディアを振り返った。
「……助かったわ」
「いいえ」
「でも、次に口を挟む時はもう少し優しくお願いします」
「善処いたします」
「今の間は?」
「難しいかもしれません」
「正直ね」
アリシアはそう言って、少しだけ笑った。初めて見る、年相応の柔らかい顔だった。
四人が東屋へ消えたあと、庭の空気はようやく本来の園遊会らしい明るさを取り戻し始めた。止まっていた会話が再開し、花の香りがまたちゃんと香るようになる。
ミレイユが満足そうに息をつく。
「今回は、いつもより少しだけやさしい終わり方だったわね」
「毎回誰かが泣く必要もありませんでしょう」
「でも、ちょっと物足りない顔してる?」
「しておりません」
「していました」
アルフレッドが言った。
「なぜそちらまで」
「経験です」
「便利な言葉ばかり覚えないでくださいまし」
セシリア王女が笑いながら、給仕から新しい紅茶を受け取る。
「それにしても、あなたたち本当に息が合ってきたわね」
「やめてくださいまし」
「まだ早いです」
リディアとアルフレッドがほぼ同時に言った。
一拍遅れて、ミレイユが吹き出す。
「ほら」
「事故です」
リディアが言う。
「ええ、毎回ずいぶんよく起こる事故ね」
「王都は事故の多い街ですもの」
「その理屈、最近なんにでも使ってるわよ」
アルフレッドが小さく息をついた。
「ところで」
「なんですの」
「今回は、あなたが最初から少し穏やかでしたね」
「そうでしょうか」
「ええ。最初から誰かを切り捨てる空気ではなかったからかもしれませんが」
「……」
「悪い意味ではありません」
「珍しく気を遣っておられますの?」
「珍しくは余計です」
「でも、少しわかる気がするわ」
ミレイユが横から言う。
「今日は“誰か一人が悪い”話じゃなかったものね」
「ええ」
そういう話の方が、たぶん簡単ではない。
単純に悪い誰かを見つけて終わる話の方が、ずっと楽だ。
けれど今日のように、誰も少しずつ足りなくて、だからこじれる話の方が、人は本当は多いのかもしれない。
リディアはテーブルの上の小さな焼き菓子を取った。
「今回は平和でしたわね」
「そうかしら」
ミレイユが首を傾げる。
「わたくしとしては十分です」
「基準が低くなっていませんか」
アルフレッドが言う。
「上げたところで王都は応えてくれませんもの」
「名言みたいに言わないでください」
「本音です」
焼き菓子は、ちゃんと甘かった。少しだけ酸味のある果実が入っていて、思ったより好みだった。
「おいしいですわ」
「今度はまあまあじゃないのね」
「これはちゃんとおいしいです」
「何段階評価?」
ミレイユが聞く。
「四」
「満点じゃない」
「余白が必要だそうです」
アルフレッドが先に言った。
リディアは目を瞬く。
「覚えていらしたの?」
「意外ですか」
「少しだけ」
「少し、なんですね」
「本日はそういう日ですわ」
セシリア王女がにこにこと三人を見ている。
「ねえ、本当に」
「殿下」
リディアが先に止める。
「今日はその先をおっしゃらないでくださいまし」
「残念」
「残念がらないでください」
「だって面白いんだもの」
「正直でよろしいことですね」
「最近、ミレイユの影響を受けていませんか」
「受けておりません」
「今のは少し怪しいです」
「あなたまで言わなくて結構ですわ」
そのやりとりの最中、東屋の方から姉妹が並んで戻ってきた。まだ少し目元は赤いが、先ほどのような張りつめた空気はない。セドリックはその少し後ろを、だいぶ小さくなって歩いている。
ミレイユが小声で言う。
「一応まとまったみたい」
「よかったですわね」
「ええ」
「今度こそ、ほんとうに」
アリシアとベアトリスは揃ってリディアたちへ会釈した。姉の表情はまだ凛としていたが、妹の肩にかかる力がほんの少しやわらいでいるように見えた。
それだけで十分だった。
少なくとも今日のところは。
庭園にはまた明るい笑い声が戻り、噴水は何事もなかったように光っている。園遊会は続いていく。王都の人々は、少しの騒ぎならすぐ花の話に戻れる。それを長所と呼ぶか短所と呼ぶかは迷うところだが。
リディアは焼き菓子をもう一つ取った。
「それ、今日三つ目よ」
ミレイユが言う。
「二つ目です」
「さっき一つ食べていたでしょう」
「半分でしたもの」
「半分は一つに入るのよ」
「入りません」
「入ります」
「二人とも」
アルフレッドが呆れたように言う。
「今、その議論をする必要がありますか」
「あります」
リディアはきっぱり答えた。
「数は大事ですわ」
「家計簿の令嬢に影響されました?」
ミレイユが笑う。
「よい影響だけ受けるよう心がけております」
「それなら私のも少しは」
「遠慮します」
「即答」
セシリア王女がまた笑う。
春の庭は美しい。
人間は時々そうでもない。
けれど、今日は少しだけましだった。
そう思いながら、リディアは三つ目――いや、二つと半分目の焼き菓子を口に運んだ。




