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また婚約破棄ですか? では証拠を整理いたしましょう  作者: 七七街
社交界の修羅場請負人編

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1話


 春の夜会は、だいたい退屈だ。


 音楽はきれいだし、料理も悪くない。けれど、人の話はだいたい同じである。


「まあ、今季の流行色は」

「ごきげんよう、お久しぶりですわ」

「まあ、その刺繍すてき」


 王都の貴族たちは、季節が巡るたびに同じ話題を丁寧に包み直して披露する習性があるらしい。


 伯爵令嬢リディア・エヴァレットは、壁際の丸卓で焼き菓子をつまみながら、そのことをぼんやり考えていた。


「その顔、もう三回くらい帰りたいと思ってる顔よ」


 向かいに腰を下ろしたミレイユ・フォードが、楽しそうに言った。


「まだ二回ですわ」

「十分多いのよ」

「一回目は到着した時点ですもの。今夜はむしろ頑張っております」

「それは頑張ってるって言わないの」


 ミレイユはくすくす笑いながら、給仕から飲み物を受け取った。彼女はどこにいても目立つ。華やかで、人当たりがよくて、誰とでも話せる。王都の社交界で一番“楽しそうに見える”令嬢を選ぶなら、かなり上位だろう。


 見える、だけなら。


「それ、おいしい?」

「まあまあです」

「さっきから四つ目だけど」

「四つ食べてまあまあですの。おいしければ六ついけました」

「基準がわからないわ」


 リディアが次の焼き菓子に手を伸ばしかけた、その時だった。


 広間の中央あたりが、妙にざわついた。


 人のざわめきには種類がある。


 今のは、「誰かがやらかすぞ」というざわめきだった。


 ミレイユが目を輝かせる。


「始まるわ」

「何がですの」

「たぶん婚約破棄」

「帰ります」


 即答したのに、足は動かなかった。


 ミレイユがにっこり笑う。


「見に行かないの?」

「見に行きたくありませんわ」

「でも放っておけない顔してる」

「しておりません」

「してるのよねえ」


 広間の中央では、若い子爵令息が婚約者らしい令嬢の前に立っていた。令嬢の方は細身で可憐な娘だ。対する青年は、やたら姿勢がいい。いや、よすぎる。


 あれは嫌な姿勢だ、とリディアは思った。


 自分が今から何か立派なことをすると思っている男の姿勢である。


 次の瞬間、その予感は当たった。


「フローラ・メイフィールド! 私は君との婚約を破棄する!」


 広間のあちこちで、遠慮気味だった貴族たちの視線が一気に集まった。音楽も止まり、楽団の人々までなんとなくこちらを見ている。


 フローラ嬢は青ざめた。


「え……」

「君が他の男に贈り物をしていたことは、すでに明らかだ! 私は裏切りを許さない!」


 リディアは目を閉じた。


「始まりましたわね」

「始まったわねえ」

「最悪です」

「ちょっと面白い」

「あなたはそうでしょうね」


 フローラ嬢は震える声で言う。


「ち、違います、わたくしは」

「言い訳は聞かない! 証拠もある!」


 証拠、と聞いた瞬間、リディアはため息をついた。


「もうだめですわ」

「何が?」

「証拠があると言ったのに、言い訳は聞かないと続けました。順番が最悪です」

「そこ?」

「そこです」


 ミレイユが止める間もなく、リディアは前へ出ていた。


 人垣が自然に割れる。夜会というのは時々不思議だ。さっきまで詰めていた人間が、面倒ごとの中心へ向かう人間だけは妙に通す。


「失礼」


 リディアの声は大きくなかったが、妙にはっきり響いた。


 子爵令息がぎろりと振り向く。


「……リディア嬢?」

「お続けになるのは結構ですが、その進行では話が散らかりますので」

「は?」

「婚約破棄はご自由に。ですが、証拠、主張、反論の順くらい整えてくださいませ。見ている方が疲れます」


 一瞬の沈黙のあと、どこかで誰かがむせた。


 フローラ嬢はぽかんとしている。子爵令息は、怒る前に意味が分からない顔になった。


「これは私と婚約者の問題だ」

「でしたら人前でなさらなければよろしいのです。夜会の真ん中で宣言した時点で、もう観客付きですわ」

「……っ」

「それで、証拠とは?」


 問いというより、催促だった。


 青年は勢いを取り戻そうとして胸を張る。


「これだ!」


 従者が小さな包みとカードを差し出した。カードには男の名前が書いてある。


 青年は勝ち誇った顔で言う。


「この包みを隠し持っていたんだ! しかも、この男の名入りのカードが添えられていた!」

「なるほど」


 リディアは包みを受け取り、カードを見て、フローラ嬢を見る。


「あなた、これは?」

「……っ、その包みは、わたくしのです。でも」

「でも?」

「エドワード様への、お誕生日祝いです……」


 静まり返った広間に、なんとも言えない空気が流れた。


 エドワード青年の顔が止まる。


「私への?」

「来週、お誕生日ですから……」


 なんとも言えない。


 とてもなんとも言えない。


 リディアは心の中で「気まずいですわね」と呟いた。口には出さない。そのくらいの情けはある。


 だがエドワード青年は負けじと言い返した。


「そ、そんなもの、今ここでいくらでも言える! ならばなぜ他の男の名が!」

「そこを今から確認いたしますのに、どうして先に叫ぶのです」

「君はさっきから失礼だな!?」

「ご安心ください。今は皆さまそう思っていらっしゃいます」


 人垣のあちこちで視線が逸れた。図星だったらしい。


 リディアはカードを軽く持ち上げた。


「まず、フローラ様。これはあなたの字ですか?」

「いいえ」

「紙は?」

「違います。わたくし、こんな薄いもの使いません」

「ではエドワード様、あなたは婚約者の筆跡をご存じで?」

「もちろんだ」

「これは?」

「……違う、ような」

「ずいぶん急に冷静になられましたわね」


 また誰かが咳払いした。


「目撃者は?」

「わたくしですわ」


 進み出てきたのは、桃色のドレスを着た令嬢だった。自信に満ちた笑みを浮かべている。


「リネット・バルフォア様ですわね」

「ええ。わたくし、見てしまいましたの。フローラ様がこの包みを大事そうに持っていらっしゃるところを」

「いつ?」

「昨日の午後ですわ」

「どこで?」

「庭に面した小広間で」

「お一人で?」

「そうです」

「フローラ様も?」

「ええ」

「なるほど」


 リディアはフローラ嬢に向き直る。


「昨日の午後、小広間に?」

「はい……でも、少しして侍女が来ました」

「最初はお一人で?」

「はい」

「包みの中身は?」

「刺繍入りのハンカチです」


 リディアは包みの紐を見る。


「店で包ませました?」

「はい」

「カードは自分で入れる予定で?」

「……はい」


 そこでリディアはリネット嬢を見た。


「あなた、そのカードの中身までご覧になったの?」

「ええ」

「どうやって?」

「どうって……見えましたの」

「隠していたものが?」

「ちらりと」

「便利な視力ですこと」


 リネット嬢の笑みが少し引きつる。


 リディアはさらに問う。


「では、カードには何と書いてありました?」

「それは……」

「今ここにあるものは名前だけですわね。祝いの言葉もない。贈り物に添えるには妙です」

「……」

「しかもフローラ様の筆跡でも紙でもない。ここまででだいぶ怪しいですが、まだ続けます?」


 リネット嬢が黙った、その時。


「続けてください。こちらとしても、途中で投げられると困ります」


 低く落ち着いた声がして、アルフレッド・グレインが人垣を抜けてきた。宮廷書記官らしいきっちりした礼装に、ややうんざりした顔を乗せている。


 リディアは思わず眉を上げた。


「なぜあなたが」

「主催側に呼ばれました。騒ぎが起きたので記録を取れと」

「お気の毒に」

「本当にそう思うなら、あなたはもう少し静かに夜会を楽しんでください」

「わたくし、何もしておりませんでしょう」

「今まさに中心です」


 その通りだったので、リディアは黙った。


 アルフレッドは侍女を呼ばせ、簡潔に問う。


「昨日、この包みに触れましたか」

「は、はい……一度だけ」

「その時、カードは?」

「ありませんでした」

「そのあと誰かが触れた?」

「……バルフォア様が、お手伝いしましょうと……」


 広間の空気が変わった。


 リネット嬢が慌てて声を上げる。


「親切でしたの!」

「親切で人の贈り物に勝手にカードを?」

「そんな言い方」

「事実を可愛らしく言い換える方法を、わたくしは存じませんの」


 リディアが答えると、リネット嬢は一瞬だけ言葉を失った。


 アルフレッドが静かにカードを見る。


「筆跡も雑です。急いで書いたのでしょうね」

「おわかりになります?」

「職業柄」


 彼はリネット嬢の手元に視線を落とした。


「右手の指先に青いインクがついています」

「……!」

「このカードも青インクですね」


 リネット嬢はさっと手を引っ込めたが遅い。


 リディアは淡々と結論を述べる。


「つまり、フローラ様の贈り物にあとからカードを差し込み、他の男へ贈るように見せかけた、ということですわね」

「ち、違……」

「違うのですか?」

「……っ」


 リネット嬢は震え、ついに叫んだ。


「だって、フローラ様ばかりいつもおとなしくしているだけで褒められて! エドワード様だって、少しくらいわたくしを見てくださってもよかったでしょう!」


 ああ、なるほど。


 恋と見栄と勢いが、見事に悪い方へ混ざったのだ。


 エドワード青年は何とも言えない顔で固まっていた。自分を巡って争われたと思って誇らしくなるには、だいぶ状況が悪い。


 フローラ嬢は傷ついた顔のまま、けれど泣かなかった。


 リディアはエドワードへ向き直る。


「さて」

「……」

「あなたは婚約者の話を聞かず、差し込まれたカード一枚で人前の婚約破棄を選んだ」

「……私は」

「しかも、よりによって自分への誕生日祝いで」

「…………」


 周囲の視線が、先ほどよりずっと痛そうになった。


 エドワード青年は口を開きかけ、閉じる。


 フローラ嬢が、静かに言った。


「エドワード様」

「フローラ、私は誤解して」

「誤解そのものより、わたくしに聞いてもくださらなかったことが悲しいです」


 それで終わった。


 少なくとも、夜会の真ん中で取り繕える種類の話ではなくなった。


 アルフレッドが主催側へ声をかけ、人払いと別室の用意を進める。手際がいい。胃痛持ちそうな顔をしているのに、仕事は速い。


 リディアが一歩下がると、ミレイユがすぐ隣に現れた。


「やっぱり行ったわね」

「あなたのせいですわ」

「でもきれいに片づいたじゃない」

「夜会の真ん中で婚約破棄を叫ぶ方がいなくなれば、もっときれいです」

「それは難しいわ。王都だもの」

「いやな理由ですわね」


 セシリア王女が近づいてきて、優雅に微笑んだ。


「お見事でしたわ、リディア」

「恐れ入ります」

「婚約破棄はよく見るけれど、あれほど手際よく片づくのは珍しいわ」

「褒め言葉として受け取ってよろしいのか迷います」

「もちろん褒めているのよ」


 王女の目が妙に楽しそうで、リディアは少しだけ嫌な予感がした。だが、今は考えないことにする。


 面倒ごとは片づいた直後がいちばん危ない。次の面倒ごとが近づいてくるからだ。


「ではわたくしはこれで」

「逃がしません」


 即座にアルフレッドが言った。


「記録のために話を聞きます」

「もう十分でしょう」

「あなたの“十分”は信用していません」

「失礼ですわね」

「経験です」


 同じ言葉を二度言われると、少し悔しい。


 リディアは小さく息を吐いた。


「短くなら」

「善処します」

「今の間は何ですの」

「自信のなさです」

「正直でよろしいこと」


 ミレイユが肩を揺らして笑う。セシリア王女まで楽しそうだ。自分以外みんな面白がっている気がしてならない。


「とりあえず、焼き菓子が残っているうちに戻りたいのですが」

「こんな後でも食べる気なんですか」

「むしろ今こそ必要です」

「鋼の胃袋」

「違います。理不尽のあとには甘いものです」


 アルフレッドは一瞬黙って、それから少しだけ口元をゆるめた。


「……それは、少しわかります」

「まあ」

「意外そうな顔をしないでください」

「嫌味しか召し上がらない方かと」

「私は何を食べて生きているんです」

「書類とため息では?」

「あなたは本当に」


 呆れた声だったが、怒ってはいない。


 そのことに気づいてしまって、リディアは少しだけ妙な気分になった。だからすぐに視線を外し、もとの卓へ向かう。


 焼き菓子はまだ残っていた。


「冷めておりますわね」

「騒ぎの途中で置いていったからでしょう」


 後ろからアルフレッドが言う。


 その声に、ミレイユが楽しそうに目を細めた。


「ねえ、リディア」

「なんですの」

「あなた、今年は忙しくなるかもしれないわね」

「やめてくださいまし」

「でもたぶん、なるわ」

「なおさらやめてくださいまし」


 リディアがうんざりして言うと、ミレイユは声を上げて笑った。


 その笑いにつられて、セシリア王女まで笑う。アルフレッドだけが深いため息をついた。


「あなた方は本当に騒がしい」

「静かな夜会がお好きでした?」

「少なくとも婚約破棄の叫び声は要りません」

「そこは同意ですわね」

「初めて意見が合いました」

「失礼ですわ。今までも少しくらいは」

「少しなんですね」

「少しです」


 アルフレッドはまたため息をついたが、さっきよりは軽かった。


 夜会の音楽が再び流れ出す。何事もなかったように、人々はまた笑い、踊り、話し始めるのだろう。


 王都という場所は、そういうふうにできている。


 リディアは冷めた焼き菓子をひと口食べて、言った。


「……まあまあですわね」

「それ、さっきも言ってたわ」

「四つ目で確信しましたもの」

「まだ食べる気だったのね」

「五つ目ですわ」

「増えてる!」


 今度は、リディアも少しだけ笑った。

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一応ストックがあるまでは毎日投稿続けます

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